2011年3月22日火曜日

伊達直人はダテ男


元祖ダテ男=伊達正宗


タイガーマスク=伊達直人


伊達公子


地震と津波と原発事故
3月11日、東北関東大震災が発生、そして津波。数十万人の人々が避難。
東京電力の福島第一原子力発電所1~4号機が運転停止。
東京都はじめ関東一帯で計画停電を実施。
管直人首相が初の原子力緊急事態を宣言。原発の半径3キロ以内の住民に避難、10キロ以内には屋内退避を指示。
12日、1号機で水素爆発。14日、3号機で水素爆発。15日、2、4号機で爆発。付近住民への避難指示を半径20キロ圏外に拡大。
18日、自衛隊消防車で3号機に放水開始。保安院が1~3号機の国際評価尺度を「レベル5」と暫定評価。
株価急落。円急騰。先進7カ国財務省・中央銀行総裁会議が、18日朝緊急の電話会議を開き、円売りの協調介入に合意。

富山は泰平無事
東日本が未曾有の災害を受けている中で、こちら富山はほぼ泰平無事です。地震で揺れを感じることはありますが、被害というほどのものはありません。計画停電もありません。これも「立山連峰大明神」のおかげかなと思い、感謝。
なるべくエアコンを止め、コタツにはいりながら、テレビで震災や原発事故の報道画面を見ては、一喜一憂しています。

「てっぱん」放送再開
テレビの画面では、毎日追いかけるように、悲しい、暗いニュースばかりがつづきます。NHKのテレビ小説「てっぱん」なども、ずっと放送を自粛していましたが、19日朝から放送再開となりました。災害対策が長期戦の段階にはいったということでしょうか。

災害に立ちむかう姿勢
地震などの災害が発生したら、どんなふうに立ち向かえばよいでしょうか?「災害にタチ向かい、生活をタテ直す」ことを願って、t-t音のコトバをタテ並べながら考えてみました。

地震の時は、身を伏せ、床にへばりつくことになりますが、揺れがおさまれば立ちあがって、じぶんの家の安全度を判断しなければならないでしょう。危険な場所をタチサリ、より安全な場所へ移動するか? 倒れかけた家を補強して、そこにタテコモルか?


危険防止のタテ[楯]
災害に出あったとき、大事なのはイキルこと、イキヌクこと。平常心にタチカエリ、熟練の技術を使って、かしこくタチハタラキ、危険防止のタテ[楯]を立てまわすこと。また、そのタテ[楯・舘]にタテコモル[立篭]こと。だれでもみんなとは言いませんが、とりわけ危機管理のリーダー役の人には求められる要件かと思います。

役に立つ立役者、ダテさん
タテ[楯]をもつタテ役者は、東北地方の戦国武将ダテ マサムネ[伊達正宗]。
現代のキャラクターでいえば、「弱者の味方」、「世間をタテナオス男ダテ」、タイガーマスクことダテ ナオト[伊達直人]。
スポーツ界では、テニスのダテ キミコ[伊達公子]さん。「女ダテラ」などといわせない、カッコいいタテ役者です。
「いら管」とも呼ばれる管直人総理。日本国沈没の危機にあたり、国民のタテ[楯]となり、体制をタテナオスことができるでしょうか? 危機管理の役に立つ立役者となれるでしょうか?

ダテさんのイデタチ目立つ
伊達正宗にかぎらず、織田信長でも豊臣秀吉でも、戦国武将たちはメダツ衣装のイデタチで戦場にイデタツのが慣例だったようです。ダテなイデタチを見せつけることで、味方の士気を高め、敵の戦意をタチキルという演出効果を期待したのでしょう。
戦国武将が「遠からんものは音にも聞け」と大音声を立て、兵士たちがトキの声や太鼓の音ではやし立てたりしたのも、音響効果を計算した心理作戦です。

役に立った冷蔵庫
20日、うれしいニュースがツタエられました。震災から9日ぶりに、石巻市の大破した家屋の中から、阿部寿美さん(80)と、孫の任さん(16)が救助されたことです。二人は「冷蔵庫にあったヨーグルトやパンなどでしのいでいた」そうです。この場合は、冷蔵庫が二人の「立てこもり9日間」のウシロダテとして役立ったわけです。


2011年3月15日火曜日

梅・水仙・雪、そして地震


梅が咲きました




水仙も咲きました




春の雪




卒業生が街頭募金



梅が咲きました
いたち川左岸の遊歩道、雪見橋ぎわ、本田和裁学園よこに、1本の梅の木があります。その梅の木が、ことしも白い花をつけました。紅梅とちがって、目立ちません。ひっそりと咲いています。やがて青葉若葉のころになれば、この一輪一輪の花が一粒一粒の青い実になってくることでしょう。


水仙も咲きました
秋のお彼岸に咲いていたマンジュシャゲが散ったあと、いたち川の土手は枯葉・落葉ばかりで、さびしい毎日がつづきました。
その土手のあちこちに、こんどは水仙の花がさきました。
「雨ニモ負ケズ、雪ニモ負ケズ」ガンバっています。
見ているだけで、すこし元気をもらえます。


春の雪
コヨミの上で『立春』を過ぎ、いたち川の土手にも梅や水仙が咲きました。しかし、春は一気には来てくれません。春分のあとでも、年によっては4月に入ってからでも、雪が降ることがあります。あせらずに待つだけです。


ニュージーランド地震
「ニュージーランド南島のクライストチャーチ市で2月22日朝、大規模な地震が起き、現地の学校「キングス・エデユケーション」で研修中の富山外国語専門学校の学生21人と教員2人が、4階で昼食中に建物の倒壊に巻き込まれた」と報道されました(北日本新聞、2月23日)。


卒業生が街頭募金
地震で被災した富山外国語専門学校の生徒とそのご家族を支援するために、卒業生が街頭募金を行っていました(写真、3月6日、富山市総曲輪)。


富山外国語専門学校のこと
富山外国語専門学校(略称、富山外専)は、もともと英語の専門学校ですが、フロクとして中国語・韓国語・フランス語・ロシア語などの専修コースがあり、一般市民に公開されています。わたしも開校当初(1985年)から16年間、中国語の非常勤講師として勤めさせていただきました。

専修コースの生徒さんは成人ばかりで、「中国旅行の時、直接中国人と会話してみたい」、「漢詩が好きなので、中国語音で読んでみたい」など、それぞれ目的・目標をもって受講していました。わたしも、週1回の講義のために、毎日のように教材研究や資料づくりなどにはげむことになりました。


東北地方、太平洋沖地震
「ニュージーランド地震で富山外国語専門学校生が被災」のニュースを聞いて、「対岸の火事では済まない」と感じていた矢先、3月11日、いきなり「東北地方、太平洋沖地震」のニュースが流れました。

3月14日現在、NHKニュースなどでは「東北・関東大震災」と呼んでいるようですが、他局では「東日本大震災」と呼ぶなど、事故発生4日目でまだ呼び名が統一されていないのも気になります。

そして3月15日現在、東京電力の福島第一原発の第1号機、第3号機につづいて、第2号機も炉心溶融を起こしたとテレビが伝えています。

地震や津波は天災です。しかし、天災の被害を最小限に押さえこむのが人間の仕事です。日本の原子力発電事業については、はじめからその危険性が指摘され、はげしい反対運動がくりかえされました。推進派の人たちは、そのたびに「世界一安全で効率的な原発」と胸を張り、つぎつぎ原子力発電所を建設してきました。

それにしては、福島第一原発第1号機の事故以来、テレビに登場する東京電力関係者たちの態度はおそまつです。まず、責任者の話を聞いても、事故を解決する自信や意欲が感じられません。事故の報告者も、他人事のように、ぼそぼそと専門用語を並べるだけで、説明になっていません。責任のがれとしか見えません。

たくさんの人たちの命にかかわる問題を、こんな人たちに任せてきたのかと、かえすがえすザンネンです。ムネンです。

2011年3月1日火曜日

春遠からじ

アオサギ君、冬バージョン










「残照/老の讃歌」




アオサギ君、冬バージョン

冬になると、いたち川の散歩もあまりパッとしません。太陽のヒザシがおとろえ、木も草も鳥も鯉も、みんなくすんだ色ばかり。なかなかシャッターを切る気持になりません。

でもよく見ると、みんなそこに生きていました。カモ一家もアオサギ君もちゃんといました。どんなに寒くても、どんなに雪が降っても、負けずに生きぬいていました。「冬来たりなば、春遠からじ」です。


「残照/老の讃歌」
先日、東京にいる姪のるり子ちゃんから電話がありました。
「こんど母が本を出しましたので送ります」
そして翌日、さっそく宅急便で本がとどきました。
ハードカバーで、179ページ。タイトルは「残照/老の讃歌…安達とく子歌集」

わたしは短歌も俳句もやりませんので、上手・下手などの評論はできません。でも、万葉集などを読むのは楽しみですし、人さまから歌集や句集をいただくのもうれしいです。

まず、作者・安達とく子さんの略歴を見てびっくり。1917(大正6)年、新潟県生まれ。
わたしより3歳も年上で、歌集を出される心意気に敬服しました。
ひととおり読んでみて、作者の素直で率直な歌いぶりや、まわりの人たちへの思いやりをこめたマナザシに感動しました。
以下、わたしが共感をおぼえた作品など、いくつかご紹介させていただきます。

<序>
眼もかすみ記憶もおぼろになりたるに最後の歌集を思いつくとは
子や孫の助けを借りてまとめたる九十三歳この喜びは
仏壇にまず捧(ささ)げたりすこやかに我が残生(ざんしょう)の生きし証(あかし)を

<曾孫・孫ら>
赤ちゃんじゃないから抱っこは駄目だよと離れてゆきぬ彼の成長
背もスラリ二十歳(はたち)の孫の胸に抱く乙女あるらしほのぼのと聞く

<姑と嫁と息子>
良い嫁と人は言うなり ハイそうと 姑(しゅうと)の出来もなかなか良くて
遠慮なし それで互いに気を遣い 姑と嫁と息子の関係
寿司よりも嫁の料理に箸(はし)がゆく十一人の我が一族と

<夫>
金曜の夜は我が許に帰り来るひと月ばかり愛人のごとく
生(なま)たらこ切れ目はじけて煮上がりぬ夫が好みし冬の一品

<家>
婿(むこ)殿(どの)の建築なるも現在も家族みんなで不安もなくて

<友>
姑(はは)ゆえに泣きし世代の友達が嫁に気遣(きづか)う今の暮らしは

<跋>
専門は英文学の子に頼るパソコンなどは我は知らずも
性格も趣味も異なる母と子が心ひとつに纏(まと)めあげたり

2011年1月3日初版。(株)NHKビジネスクリエイト発行。定価 2000円。