2012年6月26日火曜日

吉峰自然公園を散歩

いたち川新緑(あやめ)


 國際交流協会総会


 カモが お散歩


 元気交流ステーション(北日記事6/1)


同上(内部)
 


 吉峰自然公園


 同上、池


 同上、内田夫妻

いたち川新緑
523日、晴。いたち川の土手にアヤメ(?)が咲いているのをみつけました。
國際交流協会総会
524日午後、富山駅前CICビル3Fで、富山市民國際交流協会総会が開催されました。
総会のあと、つづいて上越国際交流協会専務理事川室京子さんの講演がありました。タイトルは「国際交流協会の現状と課題…組織運営と人材育成」。項目だけメモしてみました。
オニは外!フクは内!…行政と協会とで役割分担が必要。
されど国際交流…外国人支援は日本人支援だ…デカセギのつもりで来日した労働者たちも、10年たてばコドモの教育が必要になる…なんとかして「コトバが通じる」「ココロが通じる」ようにすることが第一…共生の意識改革が求められている。
信頼される多機能集団になる…ナカヨシ団体ではダメ…行政書士会とも協力し、問題解決の実力をもつ…日本人相談員を養成する…(留学生・研修生などが帰国してから)「日本はよい国だ」といわれるように…1人が発したメッセージが100~500人に伝えられる…ワカモノ・ヨソモノ・バカモノの存在が協会をささえる。
富山の協会も今年は設立20周年に当たるということで、いろいろ計画が進んでいるようです。しかし時代とともに世界の情勢が変化し、とりわけ経済不況がつづく中で、国際交流運動のあり方も、いやおうなく変化ししてことでしょう。

いたち川のカモ
531日。散歩の途中でカモのつがいを発見。カモの姿はしばしば見かけるのですが、なかなかうまくシャッターを切らせてもらえません。きょうは、「お二人さんでいたち川をお散歩」といったところでしょうか。

立山町「元気交流ステーション」完工
61日、晴。きょうは内田さん夫妻にさそわれて、前回の県総合運動公園にひきつづき、吉峰自然公園へ出かける予定の日です。朝、新聞(北日本新聞)を読んでいて、「立山町『元気交流ステーション』完工の記事に目が止まりました。「保健施設・図書館・駅が一体」「まちづくりの拠点に」というミダシで、「31日正面玄関で行われたテープカット」の写真をそえた4段ぬきの記事でした。
内田さんたちもこのニュースを知っていて、「どうせ吉峰へ行く途中だから」と五百石駅に立ち寄ることにしました。駅に着いてみて、びっくりしました。
五百石駅は、わたしにとってたくさんの思い出がつまった駅です。父も母も立山町の出身で、父にならって今でも本籍地は立山町にしたままです。旭川中学を卒業して東京外語に入学した年、母方の祖父をたずねて降り立ったのが五百石駅です。最近ではクルマか地鉄バスを利用することが多いのですが、そのバスの終点が「五百石駅前」。古びた駅舎を見るたび、「なつかしい」と感じるとともに「くたびれたな」「さびしいな」とも感じていました。それがこんど「元気交流ステーション」として、みごとに変身していたのです。「親類の高校生が苦労して念願の大学に合格した」みたいなうれしさです。
内田さん夫妻は、また格別な感慨をもたれたようです。おなじ富山地鉄の「大庄駅を愛する会」のメンバーとして、長年来さまざまな企画に参加し運動して来た経緯があるだけに、この五百石駅の変身ぶりを見にして、「立山町住民のパワーを見せつけられる思いがした」とのことでした。ちなみに、旧大庄村・上滝町・大山町などはさきの町村合併で富山市に編入されていますが、五百石駅のある立山町は今でも独立したままです。

吉峰自然公園
五百石駅からまっすぐ吉峰自然公園へむかいました。この辺は、富山東部中学校に勤めていたころ(30歳前後)から、しばしば足を運んだところです。ちょうど考古学ブームがはじまったころで、吉峰で縄文時代の土器や石器が発見されたことが報道されると、なんとなく血がさわぎました。当時は土曜日も午前中は授業がありましたので、土曜の放課後、学校から吉峰へ直行しました。
高台に登って、まわりの地形をながめながら、「なるほど縄文時代の人たちはこんな場所をえらんで住んでいたんだ」と納得していました。縄文土器のカケラをひろって喜んでいると、近所の農家のおばさんが「よかったら、これもっていかれ」と磨製石斧をわたしてくれたこともありました。
こんどあらためて吉峰へきて、あちこち散歩してみましたが、温泉施設やキャンプ場ができたり、きれいな芝生がうえこまれていたり、まるで景色が変わっていました。縄文土器のカケラをひろったのはどこだったか、それも特定できませんでした。
あいかわらず足腰が悲鳴をあげるので、散歩はそこそこにして、ちいさな池のほとりで一服しました。


吉峰自然公園を散歩

いたち川新緑(あやめ


 國際交流協会総会



カモ


「元気交流ステーション」(北日記事6/1)




同上(内部)


吉峰自然公園


同上、池

同上、内田夫妻



吉峰自然公園を散歩





2012年6月12日火曜日

県総合運動公園を散歩


 アオサギ君、おはよう


 県総合運動公園A


同上B


 同上C


アオサギ君、おはよう
520日。けさも散歩の途中で、アオサギ君の姿を見かけました。ケイタイのカメラでばっちり写したつもりでしたが、あとで再生してみると、アオサギ君行方不明?よくよくさがしてやっと、川岸で水面をジッとのぞきこんでいる姿が見つかりました。


県総合運動公園を散歩
522日。内田長年・歌代夫妻にさそわれて、県総合運動公園まで出かけて散歩することになりました。これには、いろいろ事情があります。
この冬は、大雪で散歩に出かけられない日もおおく、運動不足で足腰がよわくなってしまいました。雪がとけて散歩によい季節になりましたが、こんどは歩きまわる体力がありません。ほんの100メートルほど歩くだけで、息がきれそうになります。これはヤバいと思い、室内でもストレッチなどやってみましたが、なかなか体調が回復しません。
体調がよくないことを、わたしから直接話した記憶はないのですが、内田歌代さんはもともと俳句をやっていて観察眼がするどく、またとても世話好きな人です。わたしのようすを見ていて、「散歩もしないでいたら、そのうち寝たきり状態になるかも」、「なんとしても散歩だけはつづけるように」、そして「いつも見なれた風景よりも、すこし変わった風景の方が脳のシゲキになるかも」と考えられたのかもしれません。21日朝、歌代さんから「あす午前中、県総合運動公園まで出かけて散歩しませんか」と電話がありました。
2210時、砂町を出発。内田長年さんが運転するクルマで県総合運動公園へ向かいました。この公園は、平成12年(西暦2000年)の第55回国民体育大会メイン 会場として整備されたということですが、わたしがここへ来たのははじめてです。
広くて、りっぱな施設がととのっていて、樹木や芝生のミドリがゆたかで、5月の風の香りが、これまたナンともいえません。とにかく、すばらしい公園です。
クルマを駐車場においたあと、長年さんと二人で「一周2,5キロ」とかいうジョギングコース(?)を歩くことになりました。「これはエライことになった」と思いました。それでも「せっかくここまで来たのだから、さっそうと歩いてみたい」と、わが身をシッタ・ゲキレイしてみたのですが、やっぱり足腰がうまく動いてくれません。200~300メートルも歩いたでしょうか。バッタリ倒れそうになって、道ばたの芝生に腰をおろしてしまいました。しばらくのあいだ、公園のおいしい空気を腹いっぱい吸いこんで元気をとりもどし、もういちど歩きはじめます。コースを一周するまで、なんべん休憩したか数えきれません。
それは、「散歩」などというものではありません。当人にとって、それは「修行・苦行」のたぐいでした。「トボトボ・タドタドしく山道をタドル」老人の姿。どう見ても、運動公園のイメージとは真逆のものでした。平常心を保っていた証拠にと、写真を数枚とりましたが、それが精いっぱいでした。
1時間以上かけて、ようやくスタート地点までたどりつくことができ、正直ほっとしました。ずっとつきそってくれた長年さんは、わたしの体調がここまでおちているのを見て、びっくりされたのでないかと思います。お世話になりました。


大陸時代の思い出
運動公園で2,5kmのコースをを歩きながら、なぜかむかし中国大陸での体験を思いだしました。
それは半世紀以上もむかしの話。日本国敗戦の年12月下旬、中国八路軍管理下の張家口で生活していたころ、とつぜん「承徳へ移動せよ」と命令され、その翌日から1週間あまり、身のまわり品をかついでの行軍がつづきました。
男女あわせて40人ほどもいたでしょうか。こどもづれの人もいましたが、男と女は別々の集団で移動しました。当時わたしは25歳、信子21歳。最初の2~3日はどうということもなかったのですが、しだいに疲労がたまってきます。5日目ころ、宿舎手配のつごうで「1日中に約60km移動」という強行軍の日程が示されました。
昼食休憩までは、全員でいっせいに行動していましたが、いつのまにか数人の小集団で行動するようになり、最後はひとりづつバラバラになってしまいました。集団で行動しなければとは思いながら、いよいよ疲れてくると、1歩も足が動いてくれません。荷物をかついだまま、道ばたであおむけにたおれます。天をあおいでバンザイです。2~3分休んで、またトボトボ歩きだします。5分ほど歩いて、またバンザイ。
何回もバンザイをくりかえしながら、それでもどうやら目的地に到着。山の中の民家の一部屋で、夕食(コーリャンのおかゆ)にありつきました。
平生上品なことをいっていても、極限状態においこまれると、まわりの人とつきあっている余裕がなくなります。自分ひとりのイノチをつなぐことだけを考えて行動してしまいます。「命あってのモノダネ」、まずは、わが命を生きぬくこと。行為の是非善悪は、それから先の話。世間のみなさまの評価にまかせるしかありません。

総合運動公園で中国の山村風景を思いだすなど、いかにもシリメツレツ[支離滅裂]な話になってしまいました。これも老化現象ということでしょうか。

2012年6月8日金曜日

いたち川新緑


ど根性タンポポ



 アオサギ君健在


新緑のいたち川
 


みどりご・ハルト君A
 



 同上B



 同上C



 同上D


 同上E

ど根性タンポポ
51日朝、散歩の途中雪見橋のランカンにもたれて、水の流れや両岸の新緑をながめていました。そしてあらためて、足元に咲いているタンポポの花を見なおしました。
雪見橋は、もちろん鉄筋コンクリートの橋です。それでも改築してから40年近くたっていますから、コンクリの継ぎ目にドロがたまり、そのわずかなドロに草が生えてきます。住民がその草をネコソギにする。来年また生える。またネコソギにする。また生える。そのくりかえしです。ど根性タンポポに敬服しきりです。

アオサギ君健在
54日。アオサギ君も健在のようです。川岸をすこし移動したあと、ジッと水面を見つめていました。人間にも慣れてきたのか、数回シャッターを切らせてもらいました。

いたち川新緑
513日。はやくも5月なかば。川べりの木々も(この画面ではサクラばかりですが)黄ミドリからこいミドリに変わってきました。

みどりご・ハルト君続報
519日。西田尚信・規子夫妻の長男ハルト[悠人]君のことは、先日(5/15)ブログでご報告しましたが、あらためて規子さんから「富山の2日間」スナップ写真が送られてきました。その一部をご紹介します。
ハルト君は信子の妹の孫ですから、わたしと血のつながりはありません。それでも、はじめて会った瞬間から、やたらカワイイと思いました。生後8か月の赤ちゃんでは、コトバが通じるわけでもありません。それでも、コトバをこえて、まわりの人たちの共感をよびおこすワザを身につけています。みどりご[嬰児]がもつ、フシギなパワーです。
若葉マークのみどりご・ハルト君。やがて、いたち川べりのサクラのようにみごとな花を咲かせてくれるかもしれません。もちろん、それも楽しみですが、まずはコンクリートの継ぎ目に住みついて花を咲かせるタンポポのど根性を身につけてほしいと願っています。

母、規子さんのてがみ
ついでに、ハルト君の母、規子さんの手紙(一部)を紹介します。
…楽しかった旅行から、はや2週間がたちました。
ハルト[悠人]は大きく成長し、今では手足を左右交互に出してのハイハイ、つかまり立ちもするようになり、家中を自由自在に、目を輝かせながら動き回っています。
お母さんのお里に悠人を連れていったことで…おじさん、おばさんはじめ富山の皆さま、私も知らない本当に多くの方々との出会いの上に、偶然にも悠人が存在しているのだなあと感じました…