2012年9月24日月曜日

新聞記事はヨコグミの時代

 
①政治面.北日、 12.9.19.
 
 
②テレビ番組欄。北日、12.9.9.
 
 
 
③経済面 。北日、12.9.8.
 
 
 
④ジュニア版。北日、12.9.6
 
 
 
⑤広告欄(求人)北日、12.9.9.
 
 
 
⑥広告欄(住宅)北日、12.9.9.
 
 
 
イベント紹介記事。北日、12.9.7.
 
 
 
新聞記事のタテグミとヨコグミ
日本の新聞や雑誌は、いまのところタテグミ・タテガキが主流で、その内容の一部にヨコグミ・ヨコガキをとりいれている段階かと思われます。日本人はみんな、それがアタリマエと感じているようですが、日本人のアタリマエ(常識)と世界の人たちのアタリマエとのあいだにズレがありませんか。
いまさらアメリカやヨーロッパの新聞と比較するつもりはありません。日本のまわりの国々の新聞記事と比較して考えてみましょう。
「日本と中国はおなじ漢字をつかっているから同文だ」などとノーテンキなことをいうひとたちもいましたが、いまの中国は「簡体字」(中国式略字)の時代です。日本人には見当もつかない漢字がたくさんつかわれています。それだけではありません。半世紀以上もまえから、中国の新聞はヨコグミ・ヨコガキになっています。新聞だけでなく、公文書・雑誌・単行本、さらには中国語教科書にいたるまで、すべてヨコガキです。
朝鮮半島では、もっとはげしく変化しました。韓国でも北朝鮮でも、数年まえから新聞記事や町のカンバンから漢字が消え、ハングル表記に変わりました。もちろんヨコガキです。
こうしてみると、アジアで漢字にたよって新聞記事を書いているのは中国と日本だけ。タテグミ・タテガキが主流なのは日本だけということになります。ほんとうに、このままでよいのでしょうか。
 
ヨコグミ記事の現状
この4月ころから、新聞(北日本新聞)のヨコグミ記事をあつめて観察しています。その結果、予期した以上にヨコグミ記事が増加傾向にあることが分かりました。その典型的な例を画像として引用させていただきます。
①政治面(表紙)北日、 12.9.19.
どの新聞でも、第1面が表紙に当たることもあり、政治ニュースなどがトップを占めることがおおく、ミダシ・本文ともタテガキが普通のようです。それでもよく見ると、「半日デモ125都市に」、「柳条湖事件81年」などのミダシがヨコガキで組みこまれ、紙面構成に役だっています。
また、この画面からはみだしていますが、写真「接続水域を航行する中国の監視船」や図表「中国で18日に反日デモが起きた主な都市」、「県内企業の主な中国進出状況」などの解説記事もヨコガキになっています。
さらにいえば、この日全紙面のモクジにあたる「きょうの紙面」欄もヨコガキ。最下部の広告欄もすべてヨコガキです。
 
②テレビ番組欄(裏表紙)。北日、12.9.9.
1面についで見やすいのが最後の面(裏表紙)なので、大多数の新聞がテレビ番組欄に当てているようです。
電車の時刻表や各種のプログラムとおなじく、分きざみの時刻を表わす数字やローマ字やカタカナ語などがおおく、文句なしでヨコガキが定着したようです。
なお、この紙面にのっていた広告(7)も、すべてヨコガキでした。
 
③経済面(証券市況) 北日、12.9.8.
銘柄ごとに株価の変動を記録するものなので、算用数字ばかりがならびます。漢数字のタテガキでは間にあいません。
 
④ジュニア版。北日、12.9.6
「ぶんぶんジュニア」と題して、小中高校生むけの紙面づくりになっています。NIE(Newspaper In Education )(教育に新聞を)運動の一環ということでしょう。
毎週土曜日は「Let’s えいGo!」ということで、簡単な英会話やニュース記事をよむ練習ができるようになっています。
つぎの時代の日本をささえるのはいまのジュニアです。このジュニアたちが、やがてヤマトコトバだけでなく漢語や英語などを自由につかいこなせる日本国民(世界市民)となることが期待されているのだと思います。
なお、この記事の下の紙面は、ケーブルテレビとFMの番組欄になっていました。
 
⑤広告欄(求人)北日、12.9.9.
「とやまの求人情報、はんさむ・ワーク」にかんする全面広告で、≪日・月≫と≪木・金≫のそれぞれ2日連載されています。「正社員」、「パート・アルバイト」、「契約・委託その他」に区分され、企業ごとに職種・資格・待遇・給与などの条件が一覧できるようになっています。
「パソコンや携帯電話でアドレスを登録しておけば、企業の求人情報が毎週日曜日と木曜日に届く」ということで、この世界でヨコガキは常識のようです。
 
⑥広告欄(住宅)北日、12.9.9.
「北日本不動産情報スミタク」も、見開き全面広告で、毎月第2・第4・第5土日に連載されています。「建物」と「土地」に区分され、物件ごとに価格、土地・建物面積、間取り、道路幅、交通の便などが一覧できるようになっています。WEBサイトでも、「スミタク」でチェックできます。この世界でも、ヨコガキが常識のようです。
 
⑦イベント紹介記事。北日、12.9.7.
ヨコガキ記事の中には、全体としてタテグミ・タテガキのように見せながら、実際にはぎりぎりまでヨコガキを採用した例が多数ありました。「とやまグルメランド inおやべ」の記事が、その典型的な例です。
もともと見開き2ページにわたるイベント紹介記事で、ここに画像として借用したのは、左ページの一部分です。右ページでは、タテガキで「食の逸品集結」、「県内外から32団体」などのミダシをつかい、この紹介記事をまとめています。これで、なんとなくタテグミ・タテガキのイメージを保っています。しかしよく見ると、ここでも記事の最上部にヨコガキで「イベント紹介要旨」をのせ、冒頭写真(イベント会場スタッフ)の解説文やミダシ「小矢部を召しあがれ」をヨコガキにすることで、記事全体を引きしめています。
左ページの紙面は、ごらんのとおりヨコガキ一色です。「とやまグルメランド inおやべ…あす開幕」というミダシで、ステージイベントスケジュールや無料シャトルバス運行の案内の記事もあります。「氷見カレーパン」など、ご当地グルメの紹介記事がつづき、カタカナ語や算用数字がたくさん出てきますが、ヨコガキのせいでしょうか、読んでいて違和感がありません。
この2ページの記事は、タテマエ上のアリバイとしてタテガキ部分をのこしています。しかしホンネは、すでに全面的なヨコガキ時代が来ることを予測し、準備しているのではないかと思われます。
 
韓国の急成長とくらべて
高が新聞記事のタテガキ・ヨコガキ。とはいうものの、新聞記事のあり方がその国の文化水準を示すものであることも事実です。ここで、先日斎藤康夫さんからいただいた手紙の一節をご紹介します(要旨)
(放送大学の“アジアと漢字文化…韓国・朝鮮の漢字”を受講して)、韓国の新聞中央日報のレイアウトが2008年、「漢字ハングルまじり文で縦組み」から「ハングルのみで、漢字なしの横組み」に変わり、商店街の映像でも漢字がなくなっているのに驚きました。
韓国の南北光ケーブルの完成とパソコンの普及で、日本とは大きな差がつき、サムソン電子株の急成長で社会も文化も勢いがついた感じです。(ソニー、パナソニックの凋落。)
 
 

2012年9月13日木曜日

コイとカモとアサガオ

 
コイとカモ
 
 
 
その2分後
 
 
 アサガオ
 
 
コイとカモ
9月4日朝7時35分、散歩の途中、雪見橋下流できれいなヒゴイを見つけました。1匹だけですが、50センチくらいはあったでしょうか。
気がついてみると、まわりにカモも数羽およいでいました。1~2分後、ヒゴイは上流へさかのぼってゆきましたが、カモ一家はしばらくその辺をおよぎまわっていました。
いたち川には、ずっとまえからコイが住んでいます。石倉町のお地蔵さんの横あたりでも、50~70センチのコイが群れを成しておよいでいるのを見たことがあります。
最近はどうか知りませんが、毎年のように松川へコイが放流されていました。松川は途中でいたち川に合流するので、そのコイの一部がいたち川にまわったのでしょう。このまえ今木町合流地点へいってみたとき、まるで養殖池みたいにたくさんのコイがむらがっていたのをおぼえています。
 
アサガオ
かえりみち、ご近所のおたくの壁ぞいに、アサガオが赤と青の花をつけているのをみつけ、しばらくながめていました。
 
片山眼科へ
9月10日、ひさしぶりに片山眼科へいってきまいた。ずっとむかし両眼とも白内障の手術をしていただいたのが、この眼科医院です。歩いて5分ほどのところにあります。
毎日パソコンに向かっているせいだと思いますが、このところ目ヤニがたまり、視力もおちたような気がして、いちどお医者さんに見ていただくことにしました。
午前10時半、わたしの受付番号は50台後半。待合室には20人以上いました。
視力測定・眼圧測定のあと、先生の診察。「結膜炎をおこしていますね」ということで、点眼薬2種類いただいて帰りました。
1日4回、両眼に点薬。おかげさまで、目ヤニはおさまったようです。視力は左が0,8、右が0,6。辞典など見ていて、「バタバタ」か「パタパタ」か見分けがつかず、バタバタ苦戦しています。これ以上視力がおちるとオテアゲです。
 
斎藤康夫さんからDVD
910日、横浜の斎藤康夫さんからDVD放送大学「漢字文化」)がとどきました。
斎藤さんとは、直接お会いしたことがありませんが、わたしの作品に興味をもたれてご連絡いただいたことから、こちらから「現代日本語音図」などをお送りしたことがあります。
斎藤さんは、放送大学の「アジアと漢字文化」(全15回)を聴講しておられるとのことで、先日もその講座の一部をDVDにおさめてお送りくださり、わたしとしてもたいへん勉強になりました。こんどまた、12~15回分をDVDに収めてお送りいただきました。さっそく、ざっと拝見したあと、11日お礼の電話をしました。
こちらから、なにかお送りできるものはと考えたあげく、「旧作ですが、わたしの学習の原点です」と書きそえて、「スミ・シム・SMITH」(…スミノエ神SMELTINGMAGICIAN古代日漢語音の中にインド・ヨーロッパ語根をさぐる。1955年刊)を送ることにしました。
それにしても、斎藤さんがどうして放送大学の講座を聴講し、イズミの作品のどんな点に興味をもち、わざわざDVDを送ってくださったのか?わたし自身はよく分かったつもりで、ありがたいことだと思っています。ただし、第3者の人たちにも分かっていただけるように説明するには、すこしテマヒマがかかるだろうとも思います。

2012年9月8日土曜日

「散居村」から「金太郎伝説」まで

 
研修会スナップ 7/25
 
 
 「砺波平野の散村」
 
 
 研修会スナップ   8/31
 
 

 
おわび
ことしの夏はすこし異常だといわれていますが、わたし自身の体調や生活のリズムもいささか異常でした。体調については「年齢のことを考えれば、まあ仕方ないかな」と思ったり、「まだやりたいシゴトがある。ここでバンザイするわけにはいかない」と思ったり…。まわりのみなさんがつぎつぎ声をかけてくださったおかげで、なんとか元気そうなカオをしてすごしてきました。暑さに負けてグッタリとか、食欲がなくなるとかいうトラブルもありませんでした。
ということは、じつはあれやこれやテヌキしてきたからだとハンセイもしています。ブログにしても、はじめに予定していたことが実行できていません。とりわけ、公開講座「越のまほろば」や「日本海文化悠学会」については、わたしの不勉強で十分消化しきれない点もあり、ブログでの報告がおくれてしまいました。おわびいたします。
 
「砺波地方の信仰と民俗」
725日午後、富山市千代田町まる十で公開講座「越のまほろば」の例会が開かれ、砺波地方の進行と民俗」と題して尾田武雄さんが講演されました。尾田さんは、日本石仏協会理事で、富山県文化財保護指導委員。以下、その講演要旨をしるします。
 
砺波散居村の成立
庄川の流路の変遷にあわせて東大寺領荘園に比定された。
庄川扇状地の開発にともない町が成立…城端・福光・井波石動(山麓に位置)。
散居村の形態は、役人に対して、田んぼを少なく見せるための農民の知恵だった。
アズマダチと屋敷林100200メートル間隔で1軒の農家。まわりに耕地。白く大きな壁面をもつ建築。カイニョに囲まれる。屋敷林は西南に厚く、東側に薄い。
明治後期から増加。富国強兵政策と資本主義経済の浸透、新興地主の勃興。北海道移民、出稼ぎなど。
屋根換えカヤブキからカワラブキへ。ついでに母屋と付属の小屋を一つ屋根に。
報恩講ができる座敷やその什器を納めるをもつこと。それが願望だった。
この研修会の席で、つぎの資料もいただきました。
①「富山別院と振起する門信徒」尾田武雄。北陸石仏の会研究紀要第10(2011,7.)抜刷。
②「砺波平野の散村」(砺波市教育委員会発行リーフレット。2010.7.
 
「とやまの金太郎伝説」
831日、日本海文化悠学会例会が富山市豊坂稲荷神社図書室で開かれました。この日のテーマは「とやまの金太郎伝説」。講師は宮原利英さん。わたしが理解できた範囲で、講演要旨をしるします。
金太郎伝説」は、日本各地23か所にわたって分布している。
1997(H9)、南足柄氏で第1回金太郎ファミリーの集い開催。富山県大沢野町も参加。
1998(H10)、第2回。長野県八坂村。
2000(H12)、第3回。静岡県小山町。
2002(H14)、第4回。滋賀県長浜市で開催。
 
文獻に見る坂田金時の誕生経過
「坂田の金太郎」が始めて登場するのは、黒本「金時稚立剛士雑」(1763)。
「坂田金時」は、「今昔物語」(平安)、「大江山物語」(室町)の中で登場ずみ。
「前太平記」(1803)では、「坂田公時」と表記。
 
富山の金太郎」参考文献
①「喚起泉達録」野崎伝助(1731
②「越中立山下の金太郎ら」大沢野、杉下清一。「あしがら」第8号。南足柄市あしがら印刷。
③「金太郎、山姥伝説地探訪」金太郎、山姥伝承地調査研究会。1998,()教文社。
④「神通郷史談会活動日誌」杉下清一。
⑤「細入村史」1987(62).
⑥「大山村史」
 
伝説と史実との関係
富山で「金太郎」といえば、温泉か元県知事さんのアダナぐらいしか思い当たらなかったのですが、こんど「金太郎伝承地」が富山にも実在することを知り、びっくりしました。しかも、その「婦負郡細入村」はいま合併されて「富山市細入」となっているのです。
おかげで、「金太郎伝説」がいっぺんに身近なものに感じられてきました。
伝説と歴史的事実とは別ですから、富山の伝承地についても、いつ・どこで・どんな史実があり、それがいつ・どんな事情で・どんな伝説として成立したかたしかめることが必要で、伝説と史実を混同することは危険です。それはそれとして、伝説には、史実からはなれ、ひとり歩きして、人びとの心をゆり動かす威力があることも事実です。
 
金太郎と金時と公時
わたしはコトバが専攻なので、こんどもキンタロウ・キントキ・キミトキという人名が気になりました。ただ一人の人物が3とおりの名でよばれています。いちばん公式の、もったいぶった呼び名がキミトキ[公時]で、いちばん大衆的な呼び名がキンタロウ[金太郎]でしょう。キントキ[金時]は、音ヨミと訓ヨミの重箱ヨミになりますから、その点では公式の用字法としては非常識とされたかもしれません。
ただし、別の解釈も可能です。[]の日本漢字音はキンまたはコンですが、漢和辞典をよくみると、もとはキムまたはコムだったと解説されています。漢語音としては上古音kiemから(途中でkiem, tsien)現代音jinに変化したわけです。
キン[]は、キン[今・禁]などと同系のk-mタイプのコトバ。基本義は「カム・キム(キメル)・クム・コム」姿と考えてよいでしょう。キン[]は、「大地がカミコムもの」、「大地の奥にコモルもの」であり、キン[]は、「まわりに林(カキネ・カイニョウ)をめぐらせ(カマエ)、閉じコメル」姿です。つまり、日漢のk-m音語が共通の基本義をもっていることが分かります。
m音がn音に変化する現象は、ヤマトコトバでもしばしば見られます。たとえば、ミナ[]ニナメヒ[婦負] ネヒ
トキについても同様です。漢語ジ[]は、もとt-k音タイプでdhiegshiと変化したもの。「日+音符寺」の会意兼形声文字で、日が進行すること。ヤマトコトバでいえば、「ツカツカ・ツクツク・スクスク進む」姿。ヤマトコトバのトキ[]も、動詞トク[着・著]の連用形兼名詞形と考えることができます。太陽からツキ出た光線が宇宙空間をツキ進み、やがて地球へツク・トク・トドクことになります。ここでも、日漢のt-k音語は共通基本義をもっているようです。
キンタロウ・キントキという呼び名から、しばらく「ヤマトコトバと漢語が共通の音韻感覚でつながっている世界」をのぞき見る思いをさせてもらいました。