2012年11月29日木曜日

いたち川の紅葉 

 
悠学会第6回研修会
 
 
 
 富山の銘酒試飲コーナー
 
 
 
 国際交流フェスティバル
 
 
 いたち川の紅葉A
 
 
 いたち川の紅葉B
 
 
 いたち川の紅葉C
 
 
 いたち川の紅葉D 
 
 
 いたち川の紅葉E 
 
 
 いたち川の紅葉F
 
 
日本海文化悠学会
1026日。富山市豊栄稲荷神社研修室で日本海文化悠学会第6回研修会。「国指定史跡、桜谷1・2号古墳の墳形から考える---考古学の事実と解釈藤田富士夫さん。以下、いただいたレジメの中から、かってに引用させていただきます。
桜谷古墳群は、国史跡の桜谷12号墳と10基以上の円墳等からなるが、今では墳丘が失われたものも少なくない…1号墳は、前方後円墳とされるものだが、墳丘は開墾を受け実際の形がつかみづらい。近年では、周辺地区の発掘調査から、墳長約62㍍の前方後方墳とする説が有力となっている。出土遺物はないが、前方後方墳という形と比較的発達した前方部形態から、前期後半頃のものと推定される。
藤田さんは、こうした[考古学の事実]をあくまで追求する一方で、その事実を「どう解釈するか」についても考えようとうったえています。専門的なことは、聞いてもよく分からないことがおおいのですが、コシの国の住民のひとりとして、やはり興味シンシンです。
 
日本語学会
前回の「越のまほろば」公開講座(924日)の席で、講師の中井精一さんが「富山で開催される[方言][日本語]研究全国大会」のことを紹介しておられました。日本方言研究会第95回研究発表会112日、富山大学五福キャンパス。
日本語学会2012年度秋季大会11月3~4日、富山大学五福キャンパス。 
この種の学会の全国大会が富山で開かれるのはめったにないことです。せっかくのチャンスだからと、3日午後、日本語学会の会場をのぞいて見ました。この日は開会式のあと、シンポジウム「方言形成論の展開」と二つのワークショップ(①「近代語コーパスの構築と活用に向けて」、②「敬語運用の記述と対照」)が同時進行で開かれていました。
大会の「予稿集」を分けてもらい、ざっと目をとおしましたが、「近代語コーパス」とか「社会ネットワーク」とかいう表現がおおいことに、あらためて気づかされました。「漢語+英語」だけで、ヤマトコトバはゼロ。これが21世紀日本語の実態だということです。
文殊のチエ
3日夜、ANAクラウン・プラザ・ホテルで開かれた懇親会ものぞいてみました。意外なほど大勢の参加者でしたが、あいにくの立食パーティ。92歳老人、体力の限界を感じ、途中で退席させていただきました。それでも、この懇親会で一つ新発見をしました。
この数年来、世間はどこも不景気。大学も学会も緊縮財政のはずです。それなのに、どうしてこれほど盛大な懇親会ができたのでしょうか。それにはカラクリが…いや、失礼しました。関係者たちがチエをしぼり、チカラをあわせた結果だったということです。大会企画運営委員会が組織され、開催校の富山大学が富山商工会議所などの協力を得て、大会の成功をはかったとのこと。開催校委員の中井精一先生は、連日県下の酒造会社などを訪問して協力を依頼。その成果が、懇親会場の一角に特設された「富山の銘酒試飲コーナー」や「富山のブラック(黒)ラーメン試食コーナー」などでした。また、富山の結婚式引き出物用のカマボコなども展示され、県外からの参加者に向けた「富山のうまいもの祭り」みたいなフンイキでした。
そういえば、最近各種の学会その他全国組織をもつ団体の大会などを富山県によびこむ運動が盛んになってきたようです。大学と自治体と商工会議所3人よれば、文殊のチエ」といったところでしょうか。
 
佐々成政のさらさら越え
11月7日、富山市千代田町丸十2Fで、第5回「越のまほろば」公開講座が開催されました。テーマは「佐々成政のさらさら越え」。講師は富山大学人文学部教授鈴木景二さん。
そのレジメから一部紹介します。
戦国時代末の富山城主佐々成政はどんな人か---敵に囲まれた状況のなか、無謀にも真冬に浜松の徳川家康のもとへ出向いた。これを「さらさら越え」という。成政は、徳川勢力圏の信州松本付近を経由したと見られている。富山から松本平へのコースはどこか。立山連峰を越えたというのがよく知られた話で、その可否が議論されている---
さらさら越えについて、同時期の直接の資料がないため検討は困難だった。『雑録追加』という史料集に、佐々成政の手紙が記されていることが、『上越市史』資料編に紹介されて、研究が進展。
わかったこと⇒成政の浜松往復には、謎の人物村上義長という人物が関与していた。義長は、成政の行程の途中まで出張して、そこから「山口」=やまの登り口まで、「お送り」した。義長がどこにいたかが分かれば、成政の通過ルートを推定できる。
  
国際交流フェスティバル2012
11月11日。「国際交流フェスティバル2012」の会場をのぞいて見ました。富山市民国際交流協会などたくさんの関係団体が実行委員会を組織し、毎年この時季に2日間の日程で開催してきたものですが、ことしは1日だけとなりました。わたしは昨年度まで協会の総務企画委員会に籍をおいていた関係で、このフェスティバルでは会場受付のお手伝い(?)させていただきました。ことしは、高齢のため、その「委員」という役も辞退させていただきました(一つには、「日本海文化悠学会」の研修会に出席するようになったこともあります)。
会場入り口では、例年のとおり総務企画委員会のみなさんが受付や案内の役をしておられました。5Fのステージで「外国人によるカラオケ大会」をのぞいたあと、3Fで各国紹介ブースを一回りしました。中国ブースで、ことしも銭輝さんが活躍しておられる姿を拝見しました。
 
いたち川の紅葉
1116日。このところずっと天候がよくなかったのですが、きょうはひさしぶりの晴天にめぐまれました。朝と午後と2回、いたち川べりの紅葉をたのしみ、ケイタイのカメラにおさめました。自分ではどれもこれもお気に入りですが、そのうち6点をお目にかけることにしました。

2012年11月18日日曜日

白山スーパー林道の紅葉

白川郷  
 
 
 紅葉
 
 
 
 ひと休み
 
 
 
 全員集合 
 
 
 
 恐竜博物館
 
 
 
 
 越前大仏
 
 
 
 大仏殿全景
 
 

画像について
今回も、伊藤広美さんからいただいた写真の中から使用させていただきました。ありがとうございます。

 

12日の紅葉狩り
1015日の「夢の平、コスモスウオッチング」につづいて、1617日の二日間「白山スーパー林道紅葉狩り」に連れていってもらいました。行程は
16日: 富山~五箇山~白川郷~高原ホテルろあん(宿泊)
17日: 一里野~手取川ダム~勝山恐竜博物館~臨済宗妙心寺派大師山清大寺(越前大仏) ~九頭竜ダム~富山。

例によって藤木美織さんも参加。ランちゃんともども、5人と1匹のご一行さまです。

 

五箇山と白川郷
五箇山の合掌づくりも有名ですが、今回は白川郷をたずねてみようということになりました。たしかに合掌づくりが集中していて観光客にとって便利な感じがしました。しかし、なにもかも商品化され、便利すぎて、カヤぶき合掌づくり家屋での素朴な生活が感じとれそうにありません。やはり五箇山のほうがホンモノの味が残っているように思いました。外国を旅行してみて、はじめて日本のよさに気づくみたいなものでしょうか。

 

白山スーパー林道の紅葉
さすが伊藤さんが数か月まえから調査し準備されただけに、道路ヨシ、紅葉ヨシ、宿もヨシ。天候にもめぐまれて、サイコ―の2日間でした。ランちゃんもゴキゲンでした。

 

恐竜博物館と越前大仏
ついでに勝山市の恐竜博物館を見学しました。日本でも恐竜が住んでいたというのは、まったくフシギな話ですが、事実なんですね。むかし中学校教師になったばかりのころ、吉峰(現在の吉峰自然公園)まで出かけて、縄文土器の破片や石斧をひろっていたことを思いだしました。

ついでのついでに、大師山清大寺越前大仏を見学。大実業家に立身出世した多田清翁が報恩のため、資材を投げ建立されたとのことで、22ヘクタールの境内に大仏殿や五重の塔などが配置されています。中国の国宝を再現した九竜壁や日本庭園まであります。

あまりの壮大さに、わたしは自分の足でまわりきるのはムリだと思い、入口のところでながめるだけにするつもりでした。それが淳子さんと美織さんに説得され、二人に両側から腕をかかえてもらうようにして、大仏殿と五重の塔をまわりおえました。
やれやれという思いで大門を出ると、そこにずらりと門前町がならんでいます。ところが、12軒をのこして、あとは全部閉店状態でした。

富山へ帰ってから、ネットでもしらべてみましたが、そのとおりでした。越前大仏の建立は歴史的な快挙といえるでしょう。そして門前町の現状は、町づくりという壮大な実験壮大な失敗に終わったことをしめしています。富山市中心街の一角をしめる中央通シャッター通りになりかけていることを考えると、他人ごとではありません。

町づくりが成功するためには、天の時、地の利、人の和など、さまざまな条件がそろうこと必要なようです。

 

ハクサン=白山=シラヤマ
こんどの「白山林道の紅葉狩り」は、合掌づくり・紅葉・温泉など、たのしいことづくめでした。しかし、わたしにとって一番のたのしみは、ハクサン=白山=シラヤマというコトバの意味を考えることでした。「白山・白山神社」、[白川郷]などのナノリをもつ土地に2日間身をおくことによって、ハク=白=シラ(シロ)というフシギな関係をじっくり考えてみたいと思いました。

わたしの持論(仮説)では、漢語のハク[]はヤマトコトバのハク[掃・吐]ハグ[]と音義ともそっくりです。ハクマイ[白米]とは、玄米の表皮やカドがハギとられ、シロくなったもの。ハクジョウ[白状]とは、実状をかくすことなくハキ[吐・掃]だすことです。

ヤマトコトバでは、動詞シルを中心にシラ[]・シリ[]・シル[知・汁]・シロ[白・代・城]などの2音節同族語ができています。3音節語のシラグ[精・白]も同系で、「スリあわせて、ができる」姿。やがて「鉱石をシラグ=精錬する」技術につながります。シラギ[新羅]という国名も、もとはシル・シラ・シラグに通じるコトバだったかと思われます。

このsir-音語のナゾについては、つい先日別のブログ(「コトダマの世界」11月14日号)で、「シラヌヒとツクシ」と題してとりあげています。ついでにのぞいてみていただければシアワセです。

2012年11月7日水曜日

コスモスと石像

 
夢の平のコスモス、A
 
 
 
夢の平のコスモス、B
 
 
 
 
 夢の平のコスモス、C
 
 
おおざわの石仏の森,A
 
 
 
 
おおざわの石仏の森,B
 


画像について
このブログの写真は、平生わたしがケータイのカメラで写したもので間にあわせていましたが、今回は伊藤広美さんからたくさんの写真を送っていただきましたので、ご厚意にあまえて使わせていただきました。

 

夢の平コスモスウオッチング
1015日、晴。予定にはなかったのですが、せっかくの好天気だからとさそわれ、伊藤さんの愛車に便乗させていただき、となみ夢の平コスモスウオッチングにでかけることになりました。

見わたすかぎりのコスモス。わたしも信子も、はじめてみる光景でした。

 

石仏の森
帰り道、ちょっと変わったところをたずねました。国道41号線新笹津橋の手前で左折、神通川第二ダムのほとりに、たくさんの石仏・石像がならんでいました。「石仏の森(八百羅漢)」、「石像の里」などという標識が建っていました。「石仏の森休憩所」で、いろいろ説明していただきました。      
あとでネットでしらべてみると、「石仏の森」「富山県石仏の里」「古河睦雄」(発願者)などでも検索でき、たくさんの人がそれぞれの楽しみ方をしていることが分かりました。