2013年2月28日木曜日

アシツキとモズクの話


日文悠の研修会
 
 
経澤信弘さんの報告
223日。富山市千代田町丸十さん2Fで日本海文化悠学会の研修会があり、会員の経澤信弘さんが「葦附のカワモズク説について」報告されました。
大伴家持の歌に出てくる「葦附」について、これまで「アシツキノリ説」、「カワモズク説」など、いろいろ議論されてきました。経澤さんは職業がら調理材料としてのアシツキに関心をもち、「6年ほど前から…利賀川でアシツキノリを観察」、また「入善町吉原の沢スギ記念館付近の水路で…カワモズクの生育を確認できた」とのことです。
アシツキノリは大量に群生しており、万葉集(174021)にある娘子たちでも容易に採取できる。食材としても、カワモズクよりアシツキノリの方がおいしいし、長期保存もできる。以上のことから、アシツキノリが万葉歌に詠まれた「葦附」であることに確信をもったという結論でした。
頭の中で考えたり、参考書を読みあさったりするだけでなく、県内・県外まで足をはこんで実状をたしかめる。おまけに、アシツキノリやカワモズクを調理し、食感をたしかめる。ここまで調べたうえでの報告、説得力がありました。
 
アシツキとモズク(モヅク)
経澤さんのお話を聞かせていただいて、ただ敬服するばかりでしたが、そのお話のなかで、イシツキ(アシツキの異名)という呼び名があることをはじめて知りました。アシツキ・イシツキ・モズク…とならべてみて、コトバヅカイのおもしろさにあらためて気づかされる思いです。
アシツキ・イシツキ・モズクは、漢字では[葦附・石附・水雲]などと表記されます。この表記法は、「葦にツクものだからアシツキ」、「石にツクものだからイシツキ」というような発想法によるものでしょう。モズクも旧カナヅカイではモヅクです。『万葉集』には用例がありませんが、『和名抄』など上代の用例があり、「藻付くの意」とされています。
そうなると、アシツキ・イシツキ・モズク(モヅク)は、ほぼ同一の音韻感覚による命名法といえます。ただし、こまかいことをいえば、ツキとツクのちがいがあり、さらにはツクを漢字で書けば[突・附・付・着・衝・搗・尽・憑・漬]などに分かれるという問題もあります。どう考えればよいでしょうか?
 
語音ツクの意味
ヤマトコトバのことは、ヤマトコトバの原則にしたがって考え、判断すればよいと思います。ツキとツクの例でいえば、ともにツクが動詞基本形で、ツキ連用形兼名詞形と解釈できます。基本形ツクは、そのまま名詞形となることがあり、モヅクがその例です。
ヤマトコトバではただひと言のツクですが、①ツキデルのツク、②クッツクのツク、③ブツカルのツク、④ツキハテルのツクなど、それぞれニュアンスがちがいます。そのちがいがワカルということは、それだけ日本語を深く理解することであり、すばらしいことです。
そのちがいがワカルようになったのは、日本人がヤマトコトバ以外のコトバ、現実には漢語・漢字(やがて英語・ローマ字など)と出あったこと、そこでコトバがうまく通じなくてジタバタ・ドタバタさんざん苦労したおかげです。
その意味で、外国のコトバやモジを身につけることはよいことです。必要なことです。外国語を話すことは外国語の発想法・思考回路にしたがって話すことであり、それだけ客観的・合理的なものの見方を身につけることができると思います。
 
コトバとモジにこだわる
歴史をしらべるには、ただ机にむかって資料をひっくりかえしているだけではダメで、できるだけ現場までを足をはこび、じぶんの目でたしかめることが大事だということは、よく分かります。しかし、じっさいには文獻資料にたよってしらべたり、文書で発表したりすることがおおく、それだけ客観的・合理的な文書の読み方・書き方が求められることになります。
こんどの経澤さんの報告で問題提起のきっかけは、大伴家持の歌(.4021)です。当日配布された資料には小学館版(2006)の歌を引用しておられましたが、原文が併記されていません。この種の基本資料については、できるだけ原文でたしかめておきたいと思います。そこで、とりあえず手もとにある岩波書店版の文面を引用しました。
ヲカミガハ[雄神川]紅にほふヲトメ[乙女]らし葦附(水松の類)採ると瀬に立たすらし
乎加未河伯 久礼奈為爾保布 乎等売良之 葦附(水松之類)等流登 湍爾多々須良之
(『日本古典文学大系7・萬葉集④』岩波書店。1967
『万葉集』の文面表記は、写本によって多少ことなっています。
萬葉集総索引(正宗敦夫、平凡社、1978)なども参考にしましたが、『万葉集』4516首の中でアシツキ[葦附]を歌ったのはこの1首だけです。原文では漢字で[葦附]と表記され、ほかにカナ書きの用例がないので、アシツキasitukiと読んだかどうか断定はできません。アシツクだった可能性ものこります。
 
ミル[水松]とミラ[]
こんどの研修会ではいろいろ勉強させていただきましたが、わたしにとって一番の新発見は「ミル[水松・海松]というコトバです。『時代別国語大字典・上代編(三省堂)には、「みる科の海藻。海中の岩礁上に付着して生じる緑色の肉質の藻で、枝が叉上に分岐している。食用に供した」と解説しています。また、ミルは[水松]のほか、[海松]とも表記され、ミル[美流]とカナ書きされた例があることも分かりました。
そこでハテナと思ったのは、「海藻のミルは、どうしてミルと呼ばれたのか」ということです。アシツキは「葦にツクもの」、モヅクは「藻にツクもの」、というような文脈をもっています。ミル[水松・海松]は、どんな文脈の中で生まれたコトバでしょうか?
ミル[水松]ミル[]とは同音ですが、どうして同音になったのか、なかなかイメージがつながりません。ミル[水松]同族語とみられるコトバはないのでしょうか?
さがしてみると、見つかりました。ミラ[]というコトバです。現代語ではニラ。葉を食用にする植物です。アシツキやモヅクの姿と似ているといえないこともありません。
ミラ[]からニラへ変化したのは、語頭子音のm-n-に変化したもので、ミナ[]からニナへの変化もその例です。
ミル[水松]とミル[]とは同音です。このミ音は、ミヅ[]・ミナ[]・ミラ[]・ウミ[海・生・産]などのミ音ともども甲類のミで、単独では[水・神・見・三]などの語となっています。動詞[]の連用形兼名詞形と考えてよいでしょう。古代、採集経済の社会では、エモノをミル(見つける)ことが、すぐさまウム(生産する)ことであり、[](乙類カナ)をマモル手段でした。[]をはじめ、動物や植物の [身・実](乙類カナ)は、人の命をウミだし、マモリそだてるミオヤ[御親]であり、(神さま)だと見られていたようです。
やれやれ、ここまできてようやく、アシツキ・モヅク・ミルなどのイメージがつながってきました。

2013年2月13日水曜日

佐藤正樹詩集:「景色…」 






佐藤正樹詩集:「景色…」 




詩集:「景色・四季の山野・山野歩きの記録」
131日、佐藤正樹さんから詩集がとどきました。タイトルは「景色・四季の山野・山野歩きの記録」。はじめて佐藤さんから送っていただいた詩集が「泰山木・その時の山・房総丘陵歩き・山行記録」(199710月)。そのご「たらいまの子・山野歩き・山歩き野歩きの記録」(20068月)、「叩く子・再訪の山・山歩きの記録(20119月)、そしてこんど第4作目をいただいたことになります。

佐藤さんの作品の中には、俳句や短歌に通じる面をもつものもありますが、つまるところは自由自在、伝統や形式にとらわれず真実を見つめようとする姿勢が感じられます。「山歩き野歩き」とは人生そのもの。「山野歩きの記録」は、やがて自分自身の実像を見きわめるためのイトナミということなのでしょう。

このあと、わたしの独断と偏見にしたがって、作品の一部をご紹介させていただきます。

 

   景色
こんにちはさようなら

 

   曇り
空がしかめっつら人がしかめっつら

 

   通勤
ホームで待機の人の列
透明人間が前を通る

 

散歩の犬
手綱が人の伸びた手足となっている

 

桜花  
枝から舞いおりる
舗装地面に貼りつく
立つ転がる
混ざる踊る

離れた薄暗い森(盛?)土には
どこからきたのか
一面の怪しい花模様

 

白い陽射し
林でコブシ土手ユキヤナギ公園ドウダン垣根にアセビ

 

変わり咲く花  (T氏画展)  
そこに咲き描く人に咲く
見る人に咲き夢の中にもいきいき

 

散歩  
先に行っておくんなんし

腕を振らない
歩幅も伸ばさない
動物と張り合わない
人とも張り合わない
その日の手前と話をつけて
それでもたまには躓きおる

 

   生える
木があれば枝は書く
校庭の桜のつよい枝
緑葉を縫い太く黒々
空に字を書き子供たちを見守る

公園銀杏の裸の幹文字
生々しかったのはひところで
今は緑葉のシャンプーをつけ
さらなる成長を思わせる

団地の欅いつの間の剪定
みごとな書体を見せていたが
枝つけ茂らせ影を増し
壁に柔らかに字をにじませる

 

   木になるカナ 
キの字ネの字ホの字で描ける
イ オ ヤ の字は少し無理
ひらがなは雑木雑草風に吹かれて
ローマ字の小文字はもっと吹かれ

 

   駐車ビル
地上占めつくし上に向かう車見ている「膝栗毛」

 

   貸し農園
じゃがいもの花が咲いた
にんじんねぎとうもろこし
みんなこぢんまりしかし元気だ
舗装の歩道との間のわずかな土に
一握りのおおむぎが生えている

 

   蝶を読む
アイウエオ
カキクケコ
サシスセソ
この家の前の十鉢ほどの花の上を
蝶は行ったり来たりする
一度も止まらない
止まりそうで止まらない
不意に舞いあがり消え去りそうで下りてくる
何回往復したことか
何回静止しかけたか
ヤイユエヨ
ラリルレロ
ワヰウヱヲ
こんどは高く消えた何もない

 

   園児散歩
子供たちは元気にてんでんばらばら
幼児三、四人車に入れて押す先生
振り返ると車押す先生は
背中にも一人背負っている

 

   カラス
頭上低空飛行二度三度嘴太し声太し何も恐れず

 

   道端の紙
鳥でもない犬猫でもない捨て主は人間

 

   水鉄砲 
手足の長い女の子が三人掛けあって遊ぶ

鉄砲持ちはひとり噴霧器様を持つふたり
長くて短い休みのひととき
遊べ遊べ大人になってしまう前に

 

   植木の手入れ
ずいぶん思い切りました
オブジェの庭になりました
太い木々漢字の茂みは
カナの茂みになりました

 

   わすれものわすれもの
人が寝ている
知らない人に見える
親はどこへ行ったか
自分を見ている自分
父親の置いて行ったもの
自分を見ている自分がいる