2014年2月28日金曜日

春遠からじ

 
アオサギ君 (2/2)
 
 
遊歩道の雪 (2/5) 
 
 
雪見橋の雪 (2/7) 
 
 
アオサギ君 (2/14) 
 
 
カモ一家 (2/19)  
 
 
雪見橋下流 (2/19) 
 
 
 

おかげさまで 無事 94歳
2月25日。おかげさまで 無事 94歳の 誕生日を むかえる ことが できました。

60歳で ワープロ、80歳で パソコンを ならい はじめ、90歳で ようやく ブログをはじめました。2010年8月、日記がわりに はじめた ブログ「いたち川散歩」のサブタイトルが「行雲流水・イタチ・イデタチ・starting」。本人としては 精いっぱい シャレた つもりですが、この シャレ、読者の みなさんに うまく 通じるか どうか、いつも 気になって います。

同年10月に たちあげた ブログ「七ころび、八おき」の サブタイトルは 「わたしの リレキ書。イキザマ 90年の 記録」。2011年10月に、いちおう 完結しました。

 

日漢英共通の 音韻感覚を さぐる
2011年11月、3番目の ブログ「コトダマの世界」(サブタイトル「コトバと いう 名の トビ道具」)を たちあげました。わたしは 中国語が 専攻ですが、この 数十年来 ずっと 日本語と 漢語と 英語の 音韻比較を つづけて います。「日漢英共通の 音韻感覚が ある」という 仮説を 立て、その 裏づけ資料を あつめて います。コトバの 化石を 発掘する みたいな 作業です。その 作業経過を リアルタイムで 報告する のが 目的で、この ブログを はじめました。しかし、いままでの ところ、わたしの 思いが まだ 読者の みなさんに うまく とどいて いない 感じです。

おかげさまで、ブログ「いたち川散歩」の ほうは なんにんかの 読者が おられる ようです。「七ころび、八おき」の ほうも、完結して 2年に なりますが、ときおり 検索して くださる 方が おられます。それに くらべて「コトダマの世界」を のぞいて くださる 方は めったに いません。だれも 関心を もって いない テーマを とりあげて、わたしが ひとりで もりあがって いると いう こと かも しれません。

わたしの ブログが みなさんに よんで いただけるか どうか、そんな ことは ホントは どうでも よい のです。ただし、この テーマ「日漢英共通の 音韻感覚」に ついて、とりわけ 日本語・外国語の 研究者・教師たちが 関心を もたないと したら、それこそが 大問題だと思います。

いま ここで、くわしい 話を する よゆうは ありませんが、「日漢英共通の 音韻感覚」を身に つけて、世界中の 人たちと 自由に 話しあえる ように ならなければ、21世紀の競争社会を 生きぬく ことが できないと 考えられる から です。

 

ホンモノは つよい            
ことしに はいって から、いろいろな ニュースが とびこんで きました。中でも 「富山第一高校 サッカー部 全国大会 優勝」の ニュースは、富山県の 人たちに 自信や 勇気をあたえる もの でした。また、理化学研究所の 小保方晴子さんが 「STAP細胞」作製に 成功した との ニュースは、日本中の 人たちに とって ほこらしい もの でした。そして、こうした 成功物語の カゲに たくさんの 失敗が あり、その なかで「七ころび、八おき」「不撓不屈」の 根性が きたえられて いた ことも わかって きました。

ひきつづいて、ソチ・オリンピックで 日本選手団活躍の ニュース。金メダルを とった 羽生選手の 演技も みごと でしたが、メダルに 手が とどかなかった 浅田真央選手の「演技」が いちばん 感動的だった と 思います。森元総理の 発言に ついて「たぶん 森さんが 少し 後悔されて いるのでは」と 切りかえした あたり、「勝負あった!」の感じです。

やっぱり、ホンモノは つよい!

 

アオサギ君 とカモ一家
「冬来たりなば、春遠からじ」

エアコンも つけ、コタツに はいり ながら、テレビを 見ている ことが おおい 毎日です。体調が よく、気分が 向けば、散歩に でます。

いたち川べりの 雪景色は、白と 黒、ほぼ 水墨画の 世界 です。雪見橋の ギボシ[擬宝珠]が 雪を かぶって いる 姿や、遊歩道の サクラの 古木に 新雪が つもって いる 姿など、たしかに オモシロイと 思います。しかし、それも 2~3日の 話。毎日毎日 白と黒 だけでは さびしくて タイクツ。もう すこし あったか そうな 色は ない ものか?水の 流れの ほかに、なにか 動く 姿は ないか?そんな 気持ちに なったり します。

雪見橋通りは 幹線道路 です から、朝から マイカーや トラックが 通行して にぎやか です。しかし、この 時季、この 時間帯に いたち川の 遊歩道を 散策する 人の 姿は、ほとんど 見あたり ません。

むかしは、道路の あちこちで 雪ダルマ とか、ちいさな スロープ とかを 見かけ ました。この冬は、いっぺんも 見た ことが ありません。少子化の せい でしょうか?

そんな 思いで 散歩して いる わたしの オタノシミは、いたち川の 住人 アオサギ君カモ一家に 会う(?)こと です。

アオサギ君(オスか メスか わかりません)は、いつも 1羽 だけ。岸の コンクリートのところ、あるいは 浅瀬に 立って、いつまでも じっと 水面を 見つめて います。ケータイの シャッター音が 気になる ほど 静寂な 場面 です。

アオサギ君には めったに 会えませんが、カモ一家には しょっちゅう 出会います。アオサギ君の 孤独な 姿と カモ一家の にぎやかな 姿。どっちも すきです。

 

立山の おかげ
この 冬は、富山でも 大雪に なりそうだと 心配されて いましたが、じっさいは 予想外の 展開と なりました。もちろん 雪は つもり ましたが、市街地は 融雪装置も あり、幹線道路は いちはやく 除雪車が 出動する など して いますので、市民の 生活に 不便をもたらす ことには なって いません。

東京や 山梨県 など では、記録的な 大雪の ため、道路が 通行できなく なったり、農業用の ハウスが たおれたり、たいへんな 被害を うけた ようです。「富山県も さぞかし 大損害を うけたに ちがいない」と いう ことで、千葉県や 福岡県の 知人 から お見舞いの 電話を いただき、恐縮しました。

備え あれば、憂い なし」と いう コトバが あります。もともと 雪国で、さんざん 苦労して きた 経験 から、自治体も 住民も 万全の 構えで 雪に 備えて います。もう あと 数日で 3月に はいる わけ ですが、道路上の 積雪は ほぼ ゼロ です。まだ 安心はできませんが、「これで なんとか 無事に この冬を のりこせ そうだ」と 感じて います。

それに つけても、この 数年 くりかえし 感じて いる ことが あります。富山県は もともと 自然災害の おおい 土地がら です。台風に ともなう 洪水や 土砂くずれ、大雪に よる 交通の みだれや 人身事故 など、くりかえし おおきな 損害を うけて きました。

しかし、昨年の 台風や この冬の 積雪 などを みる かぎり、大損害を 覚悟して いた わりには、じっさいの 損害は かなり すくなくて すんだ ようです。ありがたい こと です。

大損害に いたらなかった のは、事前の 準備態勢が できて いた から という ことも ある でしょう。それと もう 一つ、「これも やっぱり 立山の おかげ」と いう のが わたしの 感想 です。シロウトの わたしの コトバに、なんの 権威も ありませんが…
台風や 雪雲 などの 気流が 日本列島に さしかかる とき、標高 3000メートル クラスの 立山連峰と ぶつかって、その 流れに 微妙な 変化が うまれます。その 結果 しだいで、富山県下への 災害の 規模が きまる、という 論法 です。この ところ 台風や 大雪に よる 災害が すくなく おさまって いる のは、「立山の おかげ」、「立山大権現 さまの ご利益」という わけ です。

2014年2月15日土曜日

デンチュウで ござる

 
 
新電柱 参上 
 
 
「電柱工事中」の 掲示
 
 
 
 
新信号機 仕事 はじめ
 
 
 
配電線 きりかえ 工事中 
 
 
 もとの 電柱は 丸坊主
 
 
 

デンチュウで ござる
むかしは たしか デンシン バシラ [電信柱]と いって いましたが、いまは もっぱら デンチュウ[電柱]の ようです。とにかく いそがしい 時代です から、デンシン バシラ など、長ったらしい コトバを つかって いる ヒマは ない のかも しれません。

デンチュウの ほうが 簡単で 便利だ と いわれれば、ナルホド とも 思います。しかし、わたし などは つい「殿中で ござる」と いう セリフを 連想して しまいます。

120、砂町 交差点で 発生した「大型トラック 電柱に 激突」事故現場を 見た とき、わたしは ほんとうに そう 思いました。125日の ブログ でも とりあげましたが、ここは 交通量の おおい 幹線道路の 交差点。電柱の すぐ ワキに、商店や 住宅が 密集して います。もし この 電柱が たおれたら、まちがいなく 大惨事と なる ところ でした。

クルマの 運転手は 「一国一城の主。トノサマ」。道路は 公共の 場所。運転手に とって「職務執行中の 場所」。「殿中と おなじ 神聖な 職場」です。トノサマは 家臣や 領民のことを 考え、上司・同僚 たち との アツレキで「乱心」状態に ならない よう、気をつけなければ なりません。運転手も、まわりの クルマの 様子や 道路の 様子に 気を くばり、安全運転を 心がけ なければ なりません。

もし わたしが 電柱 だったら、大型トラックに 衝突された とき、こう さけんだ かも しれません。「殿、ご乱心 めさるな!デンチュウ[電柱・殿中]で ござる!

 

なぜか、報道ゼロ
これは たいへんな 交通事故 です。きっと 新聞・テレビ でも 報道されるに ちがいありません。わたしは そう 考えて いました。ところが、じっさいは 報道 ゼロ でした。なぜ 報道ゼロ なのか?いまでも フシギです。いろいろな 配慮が あっての こと かも しれませんが、電力会社 から、もしくは 警察 から、近所の 住民たちに たいして、なにかひとこと 報告 とか 説明が あった と いう 話も きこえて きません。こう なると、交通事故 そのもの だけ でなく、事故処理の 方法に ついて まで 心配に なって きます。「事故」から「事件」が うまれ そうな 感じです。

 

新電柱 参上
130日。もとの 電柱の 北より 数メートルの ところに、あたらしい 電柱が たって いました。まわりの 電柱に くらべて 一段と 高く、見るからに たのもしい 感じが します。

 

「電柱工事中」の 掲示
22日。まだ 丸坊主の 新電柱に 「工事中」の 掲示が はりつけて ある ことに 気がつき ました。「電柱工事中。舗装工事(地盤の 安定)待ち です」と 説明した うえ、「問い合わせ先」の 電話番号 まで 書いて ありました。

わたしなど シロウトは、「あたらしい 電柱を たてたら、1日も はやく 信号機や 配線工事も すべき では ないか」と 考えがち ですが、「舗装工事(地盤の安定)待ちです」と説明されると、ナルホドと 思います。

しかし、一方で これだけ ていねいな 説明を して いながら、事故に まきこまれた 電柱には、なんの 掲示も ない と いう のが フシギ です。クルマに 衝突されて 内部の 鉄筋を さらけだして いた 部分に 黄色の シートを まきつけて メカクシした だけ。地上 1メートル ほどで 折れ曲がった 電柱が、道路を 横断する 姿で たおれ かかって います。いま すぐに でもドタッと たおれ そうな 電柱が どうやら もちこたえて いる のは、電柱の トンボ先 から 四方へ はりめぐらせた 配電線に よる バランス効果 でしょうか?いずれに しても、だれが 見ても、異常事態・緊急事態だ と 思います。

「舗装工事(地盤の安定)待ちです」と 掲示する まえに、「もとの 電柱の 足腰に シートを 巻きつけて あるのは ナゼか」、「電柱が たおれ かかって いる のは ナゼか」、「このままで 安全 と 断言 できるか」などの 点に ついて、報告・説明して ほしかった と 思います。ざんねんです。

 

新信号機仕事はじめ
25日。砂町交差点の 信号機が もとの 電柱から あたらしい 電柱に 移設されて いました。

これで いよいよ 新信号機の 仕事はじめ です。おめでとう! そして、がんばって ください!

 

配電線きりかえ工事中
26日。クレーン車()も 出動して、配電線の きりかえ 工事が はじまりました。

 

もとの電柱は丸坊主
27日。配電線が すべて 新電柱に つけかえられ、もとの 電柱は 丸坊主に なりました。あとは 無事安全に 撤去される 日を まつ だけ。勤続ン十年、おつかれさま でした。

2014年2月5日水曜日

勝興寺本・四季耕作図の話 

 
 
日本海悠学会研修会
 
 
勝興寺・四季耕作図(部分) 
 
 
 

「勝興寺本・四季耕作図」に 学ぶ
1月24日、千代田町の 丸十さんで、日本海文化悠学会の 研修会が あり、ふるこはん塾学芸員 針山康雄さんが 「勝興寺本・四季耕作図に学ぶ」と 題して 解説されました。

この種の 絵画には 障壁画・絵巻・屏風絵 などが ある こと、絵巻を 見る 時は、「肩幅の 広さ まで 左手で 広げ、右手で 巻きながら 見る」こと など、基本的な ことを 教えて いただきました。

資料と して「四季耕作図」の カラー コピー(部分)も 配布され、はじめて 見る 絵巻の美しさに しばし 見とれて いました。

質疑応答の 場で、画面に 登場する 人物や 動物・植物 などが 話題に なりましたが、時間の つごうも あり、「あとは 宿題」と いった 形に なりました。わたしも 家に 帰ってから、宿題の 答案を 考えて みました。

 

ヤナギ図が 意味する もの
たとえば「四季耕作図」上巻に、松・竹・梅・桜と ならんで が えがかれて います。ナゼ  でしょうか? 現代人の 感覚では、ヤナギは 梅や 桜の ように 美しい 花を さかせる わけ でもなく、松や 竹の ような 常緑樹の めでたさも 感じられ ません。それがこれだけ 堂々と「四季耕作図」に とりこまれて いる という ことは、当時の 人々に とって、それだけ 重要な 存在だった から としか 考えられ ません。

ヤナギは「矢の木」であり、細く 長く のびる 枝が 矢の 姿を もっています。現代の ような 製材機が なかった 時代、ヤナギの「細く 長く のびる 枝」を つかって、カゴ・サラ・ザル・タル など、たくさんの 日常生活用品を つくる ことが できました。つまり,と ならんで、 工芸品を つくる 天然素材 として  貴重な 存在 でした。

ヤナギは、漢語では ヨウ[](ポプラ)リュウ[]に 分かれます。ヨウ[]yangです から、ヤナギと おなじ 発想に よる 命名 でしょう。ヨウ[揚・羊]と ともに「天空にむかって 高く アガル」イメージを もって います。リュウ[]liuで、リュウ[]と同音。スラリ・スルリと ウケナガス 姿を もって います。なお、ヤマトコトバの ラ行音は 基本的にr-音 だけ。また、ラ行音が 語頭に 立つ ことも ありません。

 

松・竹・梅の どこが メデタイ か?
日本語で「松・竹・梅」と いえば、メデタイ もの と きまって います。松は、常緑樹で不老長寿に つながる から と されて います。竹に ついても、「邪気を 払う」「力強さが感じられる」など と されて います。たしかに その とおりだと 思いますが、もうすこし 客観的・現実的な 見方も あるように 思います。

の 葉や 実には 薬効が あり、松ヤニも 資源です。

の 葉にも 薬効が あり、タケノコは 貴重な 食料資源 です。また、建築用・工芸用などの 素材 として、藤・柳を しのぐ 重要資源 でした。

は、たくさんの を ウミダス 植物。

は、花が サク 時季 から イネ 耕作の 時季を 判断 できる 植物。

なるほど、たしかに メデタイ 植物 ばかり です。

 

語源の 面 から
日本語の ヤナギが 語音の 面で 漢語の ヤン[]yang と 通じる ことは、さきほど 指摘した とおり ですが、竹や 梅に ついても 同様な ことが いえます。

日本語の タケ[]は、タカ[高・竹・鷹]・タキ[]・タク「炊・焚・長」・タケ[竹・長・丈・嶽] など と 同系の t-k音語。漢語 チクtiokzhuは、チク[築・蓄] など と 同系の t-k音語。タケ[] と チク[]は、もと 同源の 1だった かも しれません。

日本語 ウメ[]は、ウマ[馬・甘]・ウミ[海・生・産]・ウム[生・産] など と 同族の コトバ。母体 から ムクムク・モコモコ、たくさんの ウミノコ[子孫]が ウマレル 姿。漢語バイmuogmeiは、マイ[]・バイ[] など と 同系の m-k音語。これも、ウメ[] と同源の 1だった 可能性が あります。

サクラ オウ[]yingに ついては、音韻の 面での 接点が 見あたり ません。サクラは、動詞 サク[裂・割・咲]サクル[]サグル[] などの 名詞形に あたる コトバ。サクラ材の 棒で 地面を ツキサク・ツキサクル・サグル 姿。また、花が サク ぐあい から 耕作の 時季を サグル 姿 です。その点 では、語根sker-2 からの 派生語 circle(サークル), search(サガス) など との 関連も ゼロ とは いえません。

 

ハル[]と ツク[] の ちがい
当日 配布された 資料で、「中国と日本の農作業の名称」の 項に「舂碓 臼杵の米搗き」と ありました。この []は、ハル[] では ありません(字形下部が [] では なく、[] )T-n音語 シュン春chun(ハル) t-k音語 シュ・ショウ舂chong(臼で ツク・クダク) との ちがい です。
中国を 理解する のに、漢字は たいへん 便利な 道具 ですが、日本語と 中国語は もともと 別系統の 外国語 同士 です。うっかり すると、とんでも ない 誤解を まねく ことに なり かね ません。