2014年12月28日日曜日

2014年を おくる

 
いたち川 、12/8
 
 
アオサギ、12/9  
 
 
いたち川 雪景色、12/18 
 
 
雪見橋あたり、12/18 
 
 
リハビリ用マシン、12/22 



リハビリ用レッドコード、12/22
 
 
カモとシラサギ、12/24  
 
 
同上 
 
 
 
 

128()
この日の いたち川は、どんよりと した くもり空で、さびしい 感じ でした。消えのこった 雪の 白さが、ぎゃくに 新鮮さを 演出して いました。

わたしどもの 年齢 では、128日」と いえば すぐ、「大東亜戦争 開戦」「真珠湾 攻撃」当時の ことを 思いだす のですが、最近の 日本 では「昔の ことは 忘れた」よう ですね。しかし、加害者()がわの 日本人が 忘れても、被害者がわの 韓国人中国人は まだ 忘れて いない よう です。

売りコトバに 買いコトバ、たがいに ナショナリズムを あおり立てて ゆけば、たちまち「第3次 世界大戦」という ことに ならない かと、心配です(=年寄りの冷や水)

 

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ひさしぶりに アオサギの 姿を 見ました。いつもの 時間帯、いつもの 場所、そして いつもの ポーズ でした。

 

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ついに ドカ雪が やって きました。いたち川べりも いちめんの 雪景色。「これが 雪見橋の 雪」と いっても、あまり シャレには ならず、ただ サムイ だけ。視界不良で 事故発生の 恐れが あり、おおくの クルマが ライトを つけて 走って いました。         

 

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アピアの リハビリ教室へ 通うように なって、満1年に なります。

ところで、ここの 施設の ことを なんと 呼んだら よい のか、まだ すこし まよって います。アピアの 営業案内 には「介護予防 フイットネス」「フイット リハ」「アピア ウエルネス」などの ことばが ならんで います。また、お役所 からの 文書 には「予防通所介護」と いう 用語が 書かれています。あまり カタクルシイ なまえは ニガテ ですし、あまり ハイカラ すぎる のも 気が ひけます。そこで かってに「リハビリ教室」と 呼ぶ ことに しています。

ここには、マシンレッドコードと よばれる 器具が おいて あります。マシンは、1台ずつ 別種類で、いずれも 座席に 座った 姿勢で「両足を 左右に 開く」「両足 または 両手を まっすぐ 伸ばす」などの 運動を する ための もの。レッドコードは、7名分 おなじ 様式。この「赤い ヒモ」に つながる ことで 安全を 確保 しながら、立った 姿勢で ステップを ふんだり、スクワットを したり、また イスに 座った 姿勢で 上半身を「前にたおす」「左右に ひねる」などの 動作を くりかえします。

週に 1回 くらいで、どれだけの 効果が ある ものか という 問題も ありますが、1年間 つづけて みた 結果と しては、やはり「継続は 力なり」みたいな 感じ です。「立つ」「座る」「かがむ」など、以前は まったく 無意識に 動作して いた のですが、最近は しだいに「どんな 動作が、どの 部位の 筋肉を つかって いるか」などと 考える ように なりました。

朝の 散歩は サボルことも ありますが、朝食 まえ 30分 ほど、自己流で 体操(ストレッチ・スクワット など)する 習慣が 身に つきました。これも、毎回 顔なじみの みなさんと いっしょに リハビリして きた おかげだと 思います。

29日は 年末で 休業。次回は 15日と いう ことに なります。

 

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雪見橋から 水面を ながめて いると、カモ3 あそんで いる 姿が みえました ので、いそいで ケータイの シャッターを 切りました。そのあと もう いちど 目を やると、なにか 白い 紙ぶくろ みたいな 物体が うかんで いました。しばらく 見つめて いましたが、流れて ゆく けはいも ありません。ひょっとして トリでは ないか?あわてて、またシャッターを 切りました。

家に かえって から、あらためて 画像を 再現して みると、はじめの 1枚は シラサギ着水する 瞬間、つぎの 1枚は 着水して 羽を おさめた あとの 姿 でした。

そういえば、まえにも いちど おなじ ような 光景を 見た おぼえが あります。あの ときは、アオサギカモたちと いっしょに 遊んで いました。こんどは シラサギ、しかもわかい シラサギ です。

サギが カモと いっしょに 遊ぶ」という のは、わたしの ヒトリガッテン では なかった かも しれませんね。

 

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先日、ケータイ電話 から スマホに のりかえ ました。と いうと、カッコよく 聞こえるかも しれませんが、じつは シンコクな 話です。

わたしは 数年 まえ から ケータイ電話を もって いますが、これで 電話を かける ことは めったに ありません。メール する ときも、パソコンを つかいます。ケータイを つかう のは、おもに ブログに のせる 写真を とる ため です。その ケータイ から データを パソコンに 移す 作業が ややこしく、メカ音痴視力の よわい 老人に とって、たいへんな 苦痛 です。それで、思いきって スマホに きりかえ ました。
スマホ には、いろんな 機能が ある よう ですが、さしあたりの 目標は「スマホで 写真を 写し、パソコンに とりこむ 作業」を モノに する こと です。

2014年12月18日木曜日

『金草・速星神社』から「富山市 仁右衛門町」まで

 
『金草、速星神社』
 
 
悠学会第7回研修会 
 
 
15回「こしのみちのなか」公開講座 
 
 
悠学会忘年会 
 
 
山口さんへ寄せ書き 
 
 
 

「古事記を 読む 会」第7回 例会
119()午前、茶屋町 豊栄稲荷神社 社務所で 開催。出席者 7名。この日も 例のとおり、崇神(10)から 垂仁(11)までを 輪読しました。

平生 聞きなれない、見なれない 人名や 表記法に とまどい ながら、なんとか 声に出して 読みあげる のが 精いっぱい。いまは まだ そんな状態 ですが、やがて 会員 ひとりひとりが 独自の 解釈を もちより、議論を たたかわす ように なる ことが、この会の 趣旨だと 思います。会員の 中には ベテランの 方も おられます ので、もう しばらく 時間を かければ、その ユメが 実現する ものと 期待して います。

おなじく「古事記を 読む」と いっても、「歴史書と して」、「文学作品と して」など、いろいろな 読み方が あると 思います。わたし 自身は「古事記は 万葉集と ともに 古代日本語の 宝庫」と 考えて います。さしあたりの 課題は、古事記に 出て くる 神名・天皇名 などに こめられた 情報を 読みとる こと です。たとえば;

崇神(10)=ミマキイリビコイニヱ[御真木入日子印恵]…ヒコが「日の御子」を 意味することは 分かりますが、ミマキ・イリ・イニヱに ついては、まだ よく 分かり ません。

垂仁(11)=イクメイリビコイサチ[伊久米入毘古伊佐知]…イクメ・イサチ などの 意味・用法が 分かり ません。

そのほか、オホモノヌシ・オホタタネコ・イクタマヨリヒメなど、分からない もの だらけ です。

 

日本海文化 悠学会、 第7回研修会
1128() 午後、豊栄稲荷神社 社務所で、日本海文化悠学会 第7回 研修会が 開かれ、山口悦子 さんが <「ソフガ岳」命名の なぞ>と 題して 報告されました。

山口 さんは、但馬の「蘇武岳」と 越中の「祖父岳」が 同音の「ソブガタケ」と 呼ばれて いる ことに 着目し、仮説を 立てて います。それは、「但馬國 から 越中国へ 招かれて きた 鉱山師たち」が、「越中の カメヤマ[瓶山]」を ながめて 故郷の「蘇武岳」を 連想し、ソブガタケ[祖父岳」と 命名した もの、という 説 です。山口 さんの ような 発想法が日本の 歴史学や 考古学の 世界で どのような 評価を 受けて いる のか、門外漢の わたしには よく 分かりませんが、たいへん おもしろいと 思います。ただし、この ばあい 山の ナマエを「蘇武」や「祖父」と する 表記法に ついては、疑問が のこります。

山口 さんは「考古学から言って、円錐形の山は聖なる山と考える」と いう 藤田富士夫 さんの コトバを 引用し、「越中野積谷の祖父岳は円錐形(四角錐)をしていて大変美しい。信仰対象の山として十分」と して います。それでは、「円錐形(四角錐)の山」が どうして「聖なる山」「信仰対象の山」と なった ので しょうか?それは、つぎの ような 事情 からと 考えられ ます(以下、イズミ仮説を 列記します)

*(ソブガ岳など)山の姿が 円錐形(四角錐)で、カヒ[]の 姿に 見える こと。

カヒ[](おもに 二枚貝)は、二枚の 貝が ツガヒと なり、その中に 身を カフ[飼・養]姿に 見える こと。

ヤマ[]も 貝と おなじく、その 表面に 草や 木、さらには 水()を、また その 体内に 水・鉄・銅 などの 鉱物資源を カフ[飼・養]姿に 見える こと。

二つの 山に 挟まれた 地形(=峡谷)は、「二枚の カヒ[]が ヨリソフ[寄添](=ツガフ)」 姿に 見える ので カヒ[] と 呼ばれて いる こと。

*縄文時代 以来、は 日本人に とって 重要な 食料資源で あり、それだけ 神聖な 存在と されて いる こと。あわせて、山や 山の カヒ[]に ついても 同様な 姿や 役割が みとめられ、やがて 信仰の 対象と されて きたこと。

<追記>
この日、山口 さん から 参会者の みなさんへ 著書『金草・速星神社』桂書房2014.10.23,)が 贈呈され ました。山口 さんは、201311月の 悠学会 研修会 でも「伝言ゲームの妙」と 題して「古沢用水を作った人」に ついての 調査報告を して います。こんどの「祖父岳」報告を ふくめて、すべて  一貫した テーマに もとづく 労作と いう ことに なります。

ところで、『金草・速星神社』に 登場する「富山古鍛冶町 古澤屋 仁右衛門(古沢 野開願出人)と いう 人物は、富山市の ニエモンマチ[仁右衛門]と どんな 関係に なる ので しょうか? 仁右衛門町は 現存 しませんが、わたしが 住んで いる 砂町の すぐ 近所でも あり、なにより ニエモンと いう コトバの ヒビキに 興味・関心が あります。『角川・日本地名大辞典』には「ニエモンマチ[仁右衛門]…町名の由来は 川のほとりに 仁右衛門という 船頭が 住んで いた ことに よる と いう」と解説されて います。わたしは この [仁右衛門]は もともと ニエモノ[贄物・贄者]という コトバを 漢語ふうに 変身させた 表記法 だと 考えて います。ニエは 歴史 カナヅカイでは ニヘ[]『古事記』神武東征の くだりで、ニヘモツノコ[贄持子]が 登場しますが、これも 現代ふうに いえば 水産業者・水産庁長官 などと いう 役どころに なる でしょう。

ついでに いえば、砂町の となりに あった ヒガシアイモノチョウ[東四十物町]も 現存しませんが、そこに あった 郵便局が 100㍍ ほど 移動した さきの 豊川町で いまも 営業を つづけて います。「富山四十物町郵便局」という 局名が、「四十物町」の 歴史を たどる テガカリに なって います(2010.8.31.号の ブログ「川に ゆかりの 地名」参照)。

 

「古事記を 読む会」忘年会
1130() 夜、富山駅前の 中華料理店 Big 5で「 古事記を読む会」の 忘年会が 開かれ ました。お店の あちこちに 「我家的厨房」 など 中国語の 文句が 掲示されて いる のを 見て、なんとなく なつかしい 感じが しました。お安い 会費で、おいしい お酒と 中華料理を いただいて、とにかく たのしい ひととき でした。ただし、この日は 「忘年会」だった せいで しょうか、あの席で、どんな おしゃべりを した やら、それも すっかり 忘れて しまいました。

 

<「裏日本」都市 富山に おける 地方博覧会>
124() 午後、千代田町 丸十 2Fで 「こしのみちのなか 第15回 公開講座」が 開かれ ました。テーマは<「裏日本」都市 富山における 地方博覧会>。1936年 富山市主催日満産業 大博覧会を 素材に、富山市 民族民芸村 主任 学芸員 尾島 志保 さんが 報告されました。

1936年と いえば、わたしは まだ 旧制中学 5年生で、北海道 旭川市に 住んで いた のですが、1937年に 東京外語へ 入学し、1941年に 中国の 鉄道会社(華北交通)に 就職した という 経緯が あります ので、「1936年 富山市 主催 日満 産業 大博覧会」の 実態に ついては おおきな興味・関心を もって いました。しかし、尾島さんの 詳細・綿密な 報告を きかせて いただいた 感想は、「これだけの カンバンを かかげる から には、もう すこしは マジメに 研究し、準備し、実行して いた はずだと 考えて いた…この流れ では、やがて 大日本帝国の 敗戦も 当然の 結果」という こと です。

それに しても、21世紀の 日本は 過去の 失敗 から なにを 学び、どれだけ 進歩した でしょうか?「従軍慰安婦」「靖国神社」「南京大虐殺」などを めぐって、韓国や 中国や アメリカ から どんな 注文が つくかと いう ことも 問題 ですが、いちばん 基本的な 問題は、わたしたち 日本人 自身の「モノの 見方」(人生観・宇宙観・歴史観 など)が、まわりの 人たちを 説得する のに 必要 かつ 十分な 客観性・合理性を もって いるか どうか だと 思います。

 

山口 悦子 さんへ 寄せ書き 贈呈
尾島 さんの 報告会の あと、ひきつづき 悠学会の 忘年会が 開かれ、その席で 山口さんの『金草・速星神社』出版を お祝いして 出席者 一同で 寄せ書きを 贈る ことに なりました。

 

「古事記を読む会」12月研修会
127()午前、豊栄稲荷神社 社務所で開催。出席者8名。この日は,12代景行天皇、13代成務天皇の くだりを 輪読 しました。

景行天皇の 名は、オホタラシヒコオシロワケ[大帯日子淤斯呂和氣]。ナノリ 要素を 分析して みると、オホ・タラシ・ヒコ・オシロ・ワケ という 比較的 複雑な 構成に なって います。文脈と しては「オホタラシヒコ」の「オシロ・ワケ」と 解釈した ほうが すっきりする かと 思います。タラシ[]『日本書紀』では []と 表記 されますが、ヤマトコトバと しては 語根tar-(タル[垂・足]姿)からの 派生語。タル[垂・足]・タラス[垂・足]・タリル[] などと 同族語。さらに いえば、t-r音語として テル[]・デル[]・テラ[]・テラス[]とも 同系語。テラスは アマテラス(大神)の テラスで、シル・シラス[知・治]に 通じる コトバ。だから こそ アマテラス派テラ[](テル[] もの。仏教派の シンボル)と いう コトバを 禁句と した のです。

ここまでは ほぼ 見当が つきますが、オシロに ついては、よく 分かり ません。もし この シロが シル[知・汁]・シロ[白・代・城] 関連の コトバだと すれば、シラギ[新羅] との 交流を しめす 証言と なる かも しれません。
成務天皇の 名は、ワカタラシヒコ[若帯日子]。こちらは 比較的 単純な 構成の ナノリ です。ワカと ワケは 同義語。子は、親の 血を ワケ[分・別]て もらった 存在。それだけ ワカイ[] ワケ[] です。