2014年6月25日水曜日

松竹大歌舞伎富山公演

 
 
お蔦と茂兵衛



6月13日、松竹大歌舞伎 富山公演 夜の部を 見物しました。平生、歌舞伎は おろか、映画見物に でかける ことも メッタに ない のですが、この日は ふたり そろって オーバード ホール まで かけつけました。入場券を 入手した のが おそかった ためか、4階席という 高い場所 から 舞台を 見下ろす かっこうに なりましたが、しだいに なれて、楽しませて もらいました。

第1部は「太閤三番叟」。市川右近 扮する 太閤秀吉が 三番叟を 舞う という 設定です。オペラグラスで 役者の 表情や 衣装を 追いかけて いました。

第2部は、四代目 市川猿之助(市川亀次郎)・九代目 市川中車(香川照之)の 襲名披露「口上」。舞台 横一列に 正座した 役者たちが かわるがわる 「口上」を のべる だけで、演技らしい ものは いっさい ヌキ なのですが、それでも 観客を たのしませる あたり、さすが プロだなと 感心しました。その背景 として、この日の「襲名披露公演」を むかえる までに いろいろな イキサツが あった ことを、おおくの 観客たちが 承知して います。それで、舞台上の 役者たちが「口上」を のべると、すぐに 共鳴して、自分も いっしょに「口上」を のべている 気分に なって しまう のかも しれません。

第3部は、長谷川伸の 代表作「一本刀土俵入」(二幕五場)。力士志望の 駒形茂兵衛役を市川中車が つとめ、茂兵衛を はげます お蔦役を 市川猿之助が つとめ、さかんな 拍手を 受けて いました。
「お蔦から 茂兵衛が 恩を 受ける」場面 (北日本新聞6月14日所載)を 借用して ごらんに いれます。この場面は やはり、1階席の 平場から 舞台上の セット(2階建て)を 見あげる 角度で「鑑賞」すべき もので、4階席から 舞台上の 2階建て セットを 見下ろした のでは、どうしても「見学」させて いただく 感覚に なって しまいます。せっかくの 公演に 水を さす ような ことは いいたく ありませんが、せっかく 来場した 観客全員に 満足して もらい、リピーターに なって もらえる よう、さらに いっそう くふうして いただければと 思います。

2014年6月19日木曜日

オオクニヌシ と スクナビコナ

 
 
『古事記』(小学館版)
 
 
 
 

「古事記を読む会」6月例会
68()午前、茶屋町 豊栄稲荷神社 社務所で、「古事記を 読む 会」の6月例会が ありました。この日は、上巻、「オオクニヌシ[大国主]命」から「オシホミミ[忍穂耳]命」までを、全員で 輪読しました。そのあと30分間ほど かけて、感想や 意見を 出しあい ました。

いまどき『古事記を 読む 会』に 参加しようと いう のは、どんな 動機、どんな 目的があっての こと か?いささか 気になって いた のですが、第3回まで 定例研修会を かさねる 中で、すこしずつ 分かって きました。みなさん たいへん まじめで、客観的・合理的な 議論を とおして 歴史の真実を とらえたいと 考えて おられる ようです。

 

オオクニヌシ と スクナビコナの 関係
『古事記』を どう 読むか は、読む 人の 自由だと 思います。わたし 自身は、『萬葉集』や『古事記』を「古代日本語 研究資料」として 利用する 立場です。ヤマトコトバの 語彙資料を 採集し分析して、その 音韻感覚を たしかめ、音韻組織原則を あきらかにする ため です。日本語の 単語家族(語根と その派生語)の 研究が すすめば、日本語と外国語との 音韻比較研究の 道が ひらかれると 考えて います。

そんな 視点 から、今回の「大国主神」の くだりを 読んで みました。そして、大国主のオオ[]と 少名毘古那の スクナとの 対照に 気づき ました。

大国主神は、オオナムチ[大穴牟遅]・アシハラシコヲ[葦原色許男]・ヤチホコ[八千矛]・ウツシクニタマ[宇都志国玉]などの 別名を もつ 大王です。「大国・大穴・八千矛」などの 表記法も、大規模な 国土、大量の 利器・武器を 支配する 大王 だった ことの 証言と 考える ことが できます。

そして、この 大王の 国づくりを ささえた のが、スクナビコナ です。海外 から 渡来し、農耕の 先進技術を もたらした 神には ちがい ありませんが、ここでは 正体不明の 神として えがかれて います。ナゾを 解く カギは タニクク[谷蟆](ヒキガエル)の 証言。「クエビコ[崩彦](カカシ)なら、きっと 知って いる でしょう。」なるほど、ヒキガエルと カカシは山田の 住人 同士。カカシの ことを クエビコと 呼んで いる のは、それが「地面を 突き崩す」耕具、つまり スキ[]だった から。以前は 突き棒で 地面に アナを あけて 種を まく 式の 作業だった ものが、いまでは 鉄製の 刃先を もつ スキ[]で スクスク 田をスク ことが できる ように なりました。その 先進技術に 敬意を 示して、ヒコ[彦=日子]と 呼んで いる のです。

 

オホ[]  と スクナ[]の 語源
それに しても、オオと いう 語音が「大きい」「多い」姿を 表わし、スクナと いう 語音が「少し」「少ない」姿を 表わす ように なった のは、ナゼで しょうか?(以下、わたしの 独断と 偏見に したがって、議論を いそぎます。ご教示を おまち します)

オオ[]は、もと オホ。動詞 オフ[覆・負・追](四段)・オフ[](上二)・オブ[](四段)などと 同系の コトバで、共通の 基本義(姿)を もって います。古代日本人は、毎日 貝を 食べ、カイガラを 容器と して、また 穴掘り用の 利器と しても 使いました。二枚貝でも 巻貝でも、カイガラは 身を オオウ[] 姿で あり、やがて オオキイ[] 姿を 表わす ことに なります。上代語 名詞 オフ[白貝](ハマグリ[]の たぐい)の 用例が ある ことも 参考に なります。

おおざっぱな 結論として いえば、オホ[大・多]新石器時代(列島各地に 貝塚を のこした 時代)に 生まれた 語音かと 思われます。

スクナは、動詞 スク[]+ナ[名・刃]。地面を スク[] []=スキ[]と いう 語音構造です。スクは、サク[裂・割・咲]・シク[敷・如]・セク[堰・急・咳]・ソク[]などと 同系の s-k音語。動詞 スクを 中心に、2音節語 スガ[]・スキ[鋤・次]・スギ[]スク[鋤・漉・次・助]・スグ[]スケ[]・スゲ[]など、3音節語 スガシ[]スクネ[宿禰]スクフ[救・掬]・スグル[過・勝]スコシ[]・スゴス[]などの コトバが 生まれて います。

これも おおざっぱな 結論として いえば、スクナは 日本列島が 新石器時代 から 金属利器、とりわけ 鉄器時代に 移行する 過程で 生まれた 語音かと 思われます。

ついでに いいますと、漢語でも ジョ・ソdziagchudziagchuと なって いて、t-k音 とも s-k音 とも 解釈でき そうな 語音 です。

さらに いえば、英語 でも scale(ウロコ、目盛り),
science(科学), skill(技術), skin()などは「うすく
サク・スク姿」であり、scoop(すくう)は「s-kしたものを、
そのままクイとる姿」です。
ヤマトコトバのs-k音が 漢語や 英語のs-k音と つながって いる ことの 証言 かも しれません ね。

 

シロウサギ・サルタヒコ など
そのほか にも、シロ[]ウサギ・サルタ[猿田]ヒコ・サルメ[猿女] など、s-rの コトバが 出て きました。これらのs-r音が 動詞 サル[去・曝]・シル[]・スル[摩・擦]や名詞サラ[]・シロ[代‣城]・シロガネ[]などと どんな 関係に ある かも 問題ですが、やがて シラギ[新羅](鉱石をシラグ[精錬]技術者) salt(塩。海水を日光にサラス), silk(絹。シラギヌ), silver(銀。シロガネ)などの 語音に 対応する 可能性も、ない とは いえ ません。機会が あれば、あらためて じっくり 議論して みたい テーマ です。

2014年6月6日金曜日

花が サク、実が ナル 

 
 
N家の花壇
 
 
 
バラ(G家の花壇) 



遊歩道花壇
 
 
 
ツツジ(遊歩道) 
 
 
 
ウメの実が 鈴ナリ 
 
 
 
落ちた ウメの実 
 
 
 
 

ツツジの 花が サク ころ
サクラが 散った あと、新緑の 季節を むかえました。しかし、ことしは いたち川 べりを 散歩して いても、あの シダレヤナギの みずみずしさを あじわう チャンスが ありません でした。異常気象の せい でしょうか、それとも わたし個人の 感性が おおろえたから でしょうか、ちょっと さびしい 感じ です。

それは それと して、ご近所の おたくの 庭先や 花壇 などで、つぎつぎ いろんな 花を拝見、目を たのしませて いただいて います。

N家花壇(5/27)、G家花壇の バラ(5/29)、遊歩道花壇(花の名不明)( 5/30)、遊歩道花壇の ツツジ(6/4)、など。

「花の イロドリの うつくしさを 紹介する つもり なら、まず 花の ナマエ くらい 調べて からに しろ」と しかられ そう です。申しわけ ありません。

 

ウメの 実が 鈴ナリ                       
雪見橋わきに 立って いる ウメの木に ついては、この ブログ梅が 咲きました(/22号)でも ご紹介しましたが、こんど あらためて ながめて みると、ミドリ色の ハッパに 見えかくれ して、キイロの ウメの 実が 鈴ナリに なって いる ことが わかりました(6/4)。そう いえば、この ウメは、花が 咲いた ときも ひっそりした 感じ でした。そして いま またしても ひっそりと、枝と いう 枝に「鈴ナリの 実」を みのらせて います。小粒の ウメ です から、塩漬けに したら、小梅の カリッと した 食感を あじわえる かも しれません。しかし、いまは 飽食の 時代。ウメの 実を ひろいに くる 人は だれも いません。それ どころか、ここに「ウメの 木が ある」こと、その 木に「鈴ナリの 実が 稔った」ことに、気が つく 人が めったに いません。ウメの 実は、毎日 いくつか ずつ 落ちて きます。遊歩道の まんなかに ころがって いると、歩行の ジャマに なる ので、それで 気づく ことが ある かも しれませんが、数日 たつと、道の はしっこに 吹きよせられて、ただの ゴミの ように 見えて きます。

いまは、「花見」と いえば、「サクラの 花見」に きまって いる よう ですが、もっと むかしは「ウメの 花見」が 主流だった そう です。ウメは、中国原産、バラ科 サクラ属の植物。ウメの 語源に ついても、漢語 バイmuegmei から と されて います。日本語としては、動詞 ウム[生・産・埋]を 中心に 組織される 単語家族(ウマ[馬・甘]・ウミ[生・産・海]・ウメ[梅・埋]など)の 一員と 見る ことが できます。たとえば、ウマ[]は 「バカでかい 威力を もち、たくさんの 生活資材を ウミダス 動物」。ウミ[]は「すべての河川の 流れが ウメ[]こまれ」、「すべての 生物の 根元が ウミ[生・産]だされる ところ」。ウメ[]も、その 一つ。「ウメよ、増やせよ」で、多産の シンボルとして よろこばれてきました。それが、イネ農耕に よる 日本列島 改造が すすむに つれて、ウメ から サクラへの 変化が 生まれた ようです。
つまり、人間の 趣味嗜好は 時代社会の つごう しだいで、いろいろ 変化して きました。それに くらべて ウメの ほうは きまじめに もとの 生活習慣を まもり つづけて いる ように 見うけ られます。