2015年12月23日水曜日

2015年を おくる

 
 
紅葉の なごり 11/30 
 
 
赤い 実 12/2  
 
 
いたち川 12/12  
 
 
カモが いた 12/12  
 

「古事記を 読む 会」忘年会 12/13
 
 
 

2015年を おくる
 あれも したい、これも したいと 思い ながら、決断する までに 時間が かかったり、いざ とりかかって みると、手も 足も 動きが にぶく、うっかり ミスで パソコンの 不調を まねいたり という 生活が つづいて います。そして、あれよ あれよ という 間に、2015年が 終わろうと して います。

  このまま 無事 年末年始を 過ごす ことが できれば、2月には めでたく 満96歳に なる という 計算ですが、ここで あらためて ことし1年間の生活を ふりかえって みる ことに します。

 

「アピア」から「まちなか」へ
 わたしは ことし8月まで、稲荷元町の「アピアフィットリハ」に かよって いましたが、9月から 千石町に ある 「まちなか デイ サービス」に 変わり ました(ブログ15.10.8号参照)。二つの 施設を 経験した ことで、あらためて 日本の 介護制度や 施設・運営などの 問題に ついて、いろいろ 考えてみる ように なりました。

 わたしの 場合は「要支援 1」ですが、「要支援 2」の 方も おられます。「要介護」については、1から 5までの 区分が ある そうです。それらの 区分に したがって、必要かつ 十分と される サービスの 内容にも ちがいが あり、さまざまな 施設建設や 運営が 進められて いる ようです。こうした 施設が 整備され、ひろく 利用されて ゆけば、日本人の 平均寿命は さらに のびる のでは という 感じが します。ただし、それには この 平和な 社会が つづいて いる ことが 前提条件 です。もし 日本が 戦争に 巻きこまれる ことに なれば、高齢者むけ 「支援・介護」などの 予算は まっさきに「節約」される こと でしょう。

 この 「まちなか」へ うつって きた ことで、とても うれしかった ことが あります。それは、ン十年ぶりで Mts さんと 再会できた こと です。はじめての 出あいは いつ・どんな 場面 だったか?それは はるか 忘却の 彼方 ですが、いずれに しても わたしが富山市の 中学校に 勤務して いた ころの こと。専攻外の 英語教師を 命じられた わたしは、生徒と いっしょに 英語劇に とりくんだり、アメリカの 中学生との 文通を めざして P.F..(郵便友の会)の 運動に 熱中したり して いました。富山大学の 須沼 吉太郎 先生に おねがいして パール バック 女史を ご紹介 いただき、また その ご紹介で、アメリカの 私立学校 校長 バリー 先生から ていねいな おたよりを いただいた こともあります。バリー 先生の おたよりは、その後 わたしが 学級経営や 生徒指導の 方針を考える 上で おおきな ささえと なりました。やがて わたしが 日教組の 教研集会の 場で 「能力別学級に よる 英語学習 指導の こころみ」に ついて 報告したり、「発音と 意味を 結びつける 語彙指導法」を 提唱したり したのも、わたしに とっては すべて ただ一すじの 道として つながって います。

 おなじく 中学校教師と いっても、Mts さんは 国語課 担当。教科別の 研修会 などで同席する ことは まず ありません。それでも、Mts さんの ことが ずっと 気になって いたのは、職場を はなれた「学習 サークル」の 場での 言動が キラキラ かがやいて 見えた から でしょう。年齢では 年上の わたし ですが、いつも ひそかに 敬服して いました。

 それが こんど、「パソコンの 機械が 日進月歩 なので、ついて ゆけない」と こぼしている のを きいて、妙な 親近感を おぼえ ました。最近は、文芸書 など よりも 時事問題 関連の ものに  関心が ある との こと。いずれに しても、この時、この場所で、この人に また 会えるとは 思いません でした。まさしく「縁は 異な もの!」

 

「日本海文化 悠学會」の こと
 加齢と ともに、足腰が よわり、会合に 出席する ことも すくなく なりました。そのなかで、いまでも 楽しみに している 会合が あります。それが「日本海文化 悠学會」(略称「悠学會」)と 「古事記を 読む 会」です。

 その 悠学會が 結成 3周年を 記念して、7月に 会誌「悠学」第1を 発行しました。仙石 正三 さんの「『牛ヶ首 用水』 地名考」を はじめ、五十嵐 顕房 さんの 「渡辺氏の実態を 『渡辺党』の 動向から 探る」、中島 信之 さんの「越中から 日本を 見る」など、あらかたの みなさんが「越中・富山から 日本全国へ 向けて 発信する」という 姿勢で 発言して おられます。その なかで、わたしは「スミノエ神はMr. Smithだった(仮説)」という 1文を のせて いただきました。サブタイトルが 「『古事記』s-m音語の 分析から…」いささか「場チガイ」の 感じを あたえる 結果に なった のでは ないかと 反省も して います。

 じつは、わたしが この テーマで 問題提起した のは、これが はじめて では ありません。1995年に「スミ・シム・SMITH…スミノエ神はSMELTING MAGICIAN」を 発表して 以来の 持論で あり、これまで 機会 ある ごとに 提案しつづけ ながら、いまだに 公認されて いない テーマです。わたしと しては、こんど「日本海文化悠学会」の 一員に くわえて いただいた 機会に、わたしの 原点とも いうべき「言語史観」に ついて、みなさまから ご教示を いただきたいと 考えた しだいです。

地球規模で 見れば、日本海や 日本語は ごく ローカルな 存在に すぎません。その ローカルな 日本語=ヤマトコトバを ローカルな 視点から だけで なく、グローバルな 視点からも 合わせて 分析したり、まわりの 民族言語(漢語・英語など)の 音韻組織と 比較する などの 作業を すすめる ことが できれば、日本語の 歴史(語根と 派生語の 関係や音韻変化の 歴史など)は、格段と あきらかに なる ことが 期待できます。日本史に 登場する 神名・人名・地名などに ついても、より 精密な 解釈が できる ように なる でしょう。「日本海文化 悠学会」が めざす 研究項目の 一つとして、とりあげて いただければと 願って います。

 

「古事記を 読む 会」の こと
「古事記を 読む 会」は、昨年 4月に 発足して から まだ 2年 足らず。会員10人 そこそこの ちいさな サークル ですが、わたしに とっては いちばん 楽しみに している サークル です。みなさん、『古事記』を 読むのが 大好き。はじめの 予定では 「12月はお休み」と なって いましたが、ことしは126日に 研修会、ついでに 13日に 忘年会を 開いて 盛りあがって いました。

  12月の 例会で、わたしは 「大国主神を めぐる ナゾ」に ついて 報告・提案 させて いただき ました。「大国主は 神か、命か?」、「オオ[]と スクナ[]の 語源は?」、「クニ[]は、もと クネクネ・クネル 境界線の 姿か?」など。

 とりわけ 最後の 「クニ[] = クネクネ・クネル 姿」に 気づいた のは、こんど 『古事記』大国主神の くだりを 読みなして みた おかげです。ヤマトコトバと しては、k-nは ごく 少数派2音節動詞は、カヌ[]だけ。3音節動詞では、カナフ[]・カネル[]・クナグ[]・クネル(折れ 曲がる)・コナス[]・コナル[]・コネル[] などが 成立して います。

  くらべて、漢語や 英語では、k-n音は かなりの 多数派です。漢語では、カン関guan、コン根gen、コン困kun、ケン拳quan などを 参考。英語では、can できる// country // connectつなぐ // kneeヒザ関節 //knuckle ユビ関節。ゲンコツ// などを 参照。

 先入観を はなれ、客観的に 考えて みると、ここに あげたk-n音語は、民族語の ワクを こえて 共通の姿を 表わして いる ようです。

Canとは、ユメが 現実として カナフ 姿。クニ[] countryも、もとは「クネクネ・クネル 境界線」の 姿から、「領土・国家」などの 意味・用法が 生まれたと 考えられます。カヌ[]・クナグ[]・カンセツ[関節]・ゲンコツ[拳骨]・コン[]can, connectknee, knuckle などk-n音語の 背景として、,B 二つの もの 関節などに よって合作し、クネクネ・クネリ つながり、あらたな 動作が できる(カナフ・can)ように なった 経過が 推定 されます。

 

「教育・文芸 とやま」第21号の こと
1215日()富山県教職員厚生会 発行の「教育・文芸とやま」第21が とどきました。今回は 評論の 部で「ニヒ[]と ネヒ[婦負]…富山県のn-p音地名を 読む」を のせて いただきました。ここで、n-p音日本語に ついて 議論する 余裕は ありませんが、前記 k-nと ともに、今後も 機会が あれば くりかえし とりあげて みたい テーマの 一つ です。

 

ことしの 漢字は []
1216日()。ことしの 漢字は []と 報道され ました。おかげさまで、この ブログも なんとか 無事2015年を 記録し つづける ことが できました。
 いまは ただ、「2016年も、どうか 平安な 1で あります ように」と いのる ばかりです。

2015年12月10日木曜日

大国主神を めぐる ナゾ

 
 
いたち川
 
 
雪見橋あたり
 
 
遊歩道 
 
 
 
 

画像に ついて
  後述の とおり、いろいろ 想定外の ことが あり、予定して いた 写真が つかえなく なりました。とりあえず、前号画像の 続編と いうことで ご覧 いただく ことに しました。

 

「古事記を 読む 会」で 宿題
1115()。豊栄稲荷神社で、「古事記を 読む 会」の 研修会。この日は、あらためて「倭健命」の くだりを 全員で 輪読した あと、これまで 提案・報告された 項目を 中心に 意見交換。次回は、「大国主神」の くだりに しぼって、会員各自が 関心の ある テーマを えらび、意見や 疑問点 などを 持ちよって 討論しよう という ことに なりました。そこで、わたしも 自分なりに 宿題の 答案を 書いて みました。

大国主神は、カミ[]と よばれたり、ミコト[]と よばれたり します。また、葦原色許男神・八千矛神 など、あわせて 5個の ナノリを もって います。まずは、これらの ナノリの 由来(語源)を さぐる こと から、大国主の 実態に せまりたいと 考えて います。

 

  大国主はカミ[]か、ミコト[]か?
『古事記』では、「大国主神」と 表記されて いて、「大国主命」などと 表記された 例は 見あたり ません。しかし、「ヤチホコノカミ」と ならんで、「ヤチホコノカミノミコト」という 用例が 見られます(歌謡:2, 3, 4, 6)。

 カミ[]の 基本義は? ミには、甲・乙の  区別が あった。

 カミ[上・髪・帥・守・頭](甲類)…カミツク・カブサル姿。

カミ[神・雷] (乙類)…カミツク・シガミツク・カミツカレル・コモル姿。

 ミコト[命・尊]の 基本義は? ミコト=ミ[]+コト[事・言]

  コト[事・言]=カタ[形・型・片・方]の 母音交替=動詞 カツ(カチワル)の 名詞形=モノゴトの カタワレ。 ⇔カツ[]One cut.

    素材を カチ割りcutして、ミゴトな カタチに なれば goodと よび、あまりの ミゴトさに 感動して Godと よぶ ことに なる。そんなふうに 考えると、ミコト[] godは 同系の コトバ だった 可能性も でて きます。

 

  大国主と いう ナノリの 意味
オホ[大・多]の 語源を 考えて みましょう。上代語として、動詞 オフ[覆・負・追・生]・オブ[]、名詞 オビ[]・オフ[白貝]、形状言 オホ[] などが 成立して います。オフ[白貝]が どんな 貝なのか、実態は 未詳との こと ですが、「オフ[覆・負・追・生]・オブ[] 姿」= 貝の 姿 (貝の カラ[]と ミ[]の 関係)」。そこから、オホ[大・多]の 意味・用法が 生まれた ことが 推定されます。

クニ[]の 語源に ついて、国語辞典を 見ても、あまり 客観的・合理的な 解説が 見あたり ません。クニに かぎらず、ヤマトコトバの 中で、k-n音語は 少数派の ようです。2音節動詞は カヌ[]が 成立して いる だけで、キヌ・クヌ・ケヌ・コヌ などは 成立して いません。

 わたしの 解釈では、クニ[]は もともと 「クネクネ・クネル 境界線」を 表わす コトバ。やがて 領地・国土・国家を 表わす ように なった もの です。

 漢語では、多数の k-n音語が あります。カン関guan(→関節)コン根ken(カラダからクネクネ 張りだす ネッコ)などの 語音構造が 参考に なります。

 英語でも、たくさんの k-n音語が あります。country(国。地方)connect(つなぐ) などの 語音構造が 参考に なります。Knee(ヒザ関節), kneel(ヒザを つく), knuckle(指関節。ゲンコツ) などの 語頭子音k-は 発音され ませんが、「クネクネ・クネル」姿の ナゴリと 考えれば、ナットク できます。日本語で いう 「歴史 カナヅカイ」に 当たります。

 

  スクナビコナの ナゾ
 大国主は、スクナビコナの 協力を えて、ようやく 「大国主」としての 役割を はたすことが できました。その スクナビコナ とは、いったい どんな 人物だった のか?「オホ~」と{スクナ~}という 対照的な ナノリを 分析する 中で、二人の 人物の 実態がすこしずつ あきらかに なる はずです。オホ[大・多]に ついては、さきほど チェックずみ なので、ここでは「スクナ」を とりあげます(以下、結論だけ のべます)。

 スクナ = スク[] [] = スキ []。ツキ棒や 貝ガラに たよる よりも、金属製の 刃を もつ スキ[]農耕の ほうが、エネルギーの 消費量を スクナク おさえる ことが でき、農民たちの 生活を スク[]・タスケル[] ことに なります。

  結論として、スクナビコナは、「ツキ棒から スキ[]へ」(金属利器の 時代 到来)を 意味する ナノリ だったと 考えられます。

 スクナビコナ(神)の 実態は、海外から 渡来した 先進技術者(集団の リーダー)ですから、日本列島 先住の 大国主神たち とは コトバが 通じ ません。そこで、タニグク やクエビコに たずねまわった あげく、ようやく 「カミムスヒ神の 子」との 証言が えられたと されて います。タニグク[谷蟆] = ヒキガエル = 谷間の 湿地に クグル もの。クエビコ[崩彦] = 山田の ソホド = カカシ[案山子](ツキ棒の なごり)。つまり、タニグクと クエビコは 山田の 住人として 仲間同士で あり、クエビコは スクナビコナ(スキ[]の 神)の 前任者として 「知りあい」の 関係 だった という わけです。

 

パソコン 不調
 今回の ブログ原稿は、おそくても11月すえ までに 公開できる 予定でした。それが、わたし自身の 操作ミスから パソコンが 不調と なり、こんなに おくれて しまいました。まことに 申しわけ ございません。

 わたしは いつも、まず ワードで 下書き原稿を つくり、あわせて 写真などの 画像資料を 準備します。そのあと、ブログ画面を 呼びだし、タイトル・画像・本文の 順に コピーして ゆきます。今回も はじめは 順調だった のですが、ある日 突然、ワードで 作成中の 下書き原稿が 画面から フッと 消えて しまいました。ビックリしました。そしてガックリしました

 メカ音痴の わたしは、またしても 甥のDotsさんに 電話して、見て もらいました。これまでにも、しょっちゅう パソコン不調を おこしては 調整して もらって いましたが、こんどは 段ちがいの 重症 でした。1週間 あまり かかって、やっと ほぼ 正常な 状態にもどりましたが、この ブログの 下書き原稿が 半年分 以上も 消えて しまった ままです。

 わるい 時には わるい 事が かさなる ようで、スマホで 写した 写真の1部が パソコンに とりこめない ように なって しまいました。「ヨワリ目に タタリ目。ナキヅラに蜂」と いった ところ です。
 それでも、体の 状態は わるく ありません。毎週 月曜日は「まちなか」(デイ ケア)へ かよい、木曜日は 訪問 マッサージを うけて いるので、その おかげ かも しれません。パソコン不調 などは たしかに ショック ですが、この 年齢で まだ パソコンに さわれる だけでも ありがたいと 考える ことに して います。とりわけ、日本語・漢語・英語に 共通する 音韻感覚を さぐる 作業は、ほぼ 順調に すすんで いる だけで なく、つぎつぎ あらたな 発見に めぐまれて います。「年よりの 冷や水」と いわれる かも しれませんが、本人と しては「一期一会」「日々是好日」です。

2015年11月11日水曜日

「アユの風」から「メヒ・ネヒ[婦負]まで 

 
 
 
 
ゆーとりあ越中 7F 窓 から 11/2
 
 
 N家の花壇 11/3 
 
 
雪見橋 から     11/4 



落葉と 影  11/4
 
 
カモちゃん、おはよう!  11/5  
 
 
ベンチへ、どうぞ!  11/7  
 
 
1023()日本海文化悠学会の 例会で「『アユの風』を 考える」と 題して 報告させて いただきました。ことし 3月に 北陸新幹線が 開通し、在来 平行線を 引きつぐ 第三セクターの ナマエが「あいの風 とやま 鉄道」と 決まった こと などで、「アユの 風」「アイの 風」という コトバが しきりに 使われる ように なりました。しかし、「アユ(の風)」の 語源に ついては、まだ 十分に客観的・合理的な 説明が つかない まま、コトバの ほうが かってに 先走りして いる 感じが します。北陸の 住民に とって、いまや「アユ(の風)」は 重要な 観光資源でも ある わけ なので、商品知識と しても、説得力の ある 語源解説を 身に つけて おく 必要が あると 思います。
「アユ」に ついて 国語辞典を 見ると、「風の 名。アユノカゼ とも」(『時代別・国語大辞典・上代編』・三省堂)、「[東風] 上代 北陸方言。ひがし かぜ。あい。あいの かぜ。あゆの かぜ」(広辞苑』・岩波)などと 解説して いますが、なぜ トウフウ[東風] なのか、なぜ 名詞 アユ[]や 動詞 アユ[](あやかる)・アユ[](こぼれ落ちる)と 同音なのか、客観的・合理的な 解説が ありません。
アユ(の 風)=東風」と 解釈する 論拠は、大伴 家持が 歌の 中で 「越の 俗語に、東風を アユノ カゼと いふ」(No.4017)と 注釈して いる こと でしょう。たしかに、この 注釈は 重要な 証言です。しかし、この 証言 だけで 「一件 落着」と 考えると したら、それは 「ガキの 使い」と いわれる かも しれません。同一種類の 自然現象を,ヤマトコトバでは その 音韻感覚に したがって アユという 音形で 表わし、漢語では 漢語の音韻感覚に したがって トウ・dongという 音形で 表わして います。どうして そういう ことに なった のか? そのへんの メカニズムを、だれもが 納得できる ように、客観的・合理的に 解説する ことが 言語研究者の仕事では ない でしょうか?
ゆっくり 説明する 余裕が ない ので、結論から さきに 申しあげます。漢語の トウ[]は 上古音・現代音とも tung (現代中国の ピンインでは dongだが、無気の 清音)。イズミの 分類では、トウ棟dong・ドウ動dong・ツウ通tong などと ともに t-k音 グループ。「ツク・ツキトオル」姿を 表わす コトバを つくります。漢字 トウ[]の 字形も、もともと 「中に 心棒を 通し、両端を しばった 袋の 形」の 象形で あり、方位名の ヒガシ[]とは 関係が ありません でした。ただ、ばらばらの シナモノを フクロに つめこむ ことに よって、商品は 東西南北 どこへ でも 効率よく ツキトオル(移動・流通する)ことに なります。方位名としての トウ東dong (ヒガシ)は、「太陽が ツキデル・ツキトオル 姿」から 生まれた コトバ。また、シナモノ[品物]の ことを、現代漢語で トンシ 東西 dongxiと 呼んで いる のも、「東西に ツキトオル(流通する) もの」だから です。
漢語の 世界で 見られる 「トウ[]と ドウ[]・ツウ[]」との 関係は、日本語の「アユ」と「アヤ」・「アユ」・「アユム」との 関係に おいても 見られる 現象 です。上代日本語の 段階で 動詞 アユ[](下二。こぼれ落ちる)・アユ[](下二。似る。あやかる)や 名詞 アヤ[綾・文・漢]・アユ[鮎・風位名] などが 成立して います。ここに 出てくる ア音は、ヤyay-音 脱落、つまり []の 姿と 解釈する ほうが 分かりやすい でしょう。アユ[]は「(血や 汗が) 矢のように フキデル・ツキデル姿」、アユ[]は「矢が 並ぶ 姿(どれも みな おなじ)。あやかる 姿」。もともと 1語と 見られる コトバです。アユ[]も また、「矢が ツキデル・トビデル 姿」の 魚 です。「鮎子 サバシル[]」の サは 接頭辞と 解説されて いますが、もとは サ[](矢の 古語)で あり、「矢の ように 走る(ツキデル)姿」を 表わして います。
そして 結論は、「アユの 風とは、矢が ツキサス ような はげしい 風」の こと であり、「東風・東北風 などと 直接の 関係は ない コトバ だった」という こと です。ただし、方位・風位 など 抽象的な コトバが 生まれる 過程は、日本語 でも 漢語 でも 似たような もの だった という 言語史の 1例 でも あります。
この日の 報告では、ヤ・アヤ・アユ・アユム などの 「ヤ行拗音の 基本義」を とりあげ、さらに「漢語・英語の 拗音との 比較」まで 議論を すすめました。出席の みなさんは、95歳老人の ユメ物語 みたいな 議論に さいご まで つきあって くださいました。ありがとう ございます。
 
11日(日)午後、藤木 美織さん(信子の 姪)の クルマに 便乗して 富山空港へ 向かいました。信子の 妹の 西田 恵美子 さん(千葉県に 在住)と 長女のstkさん 親子をむかえる ため です。二人の 来訪は 数十年 ぶり。いまどき、てっきり 新幹線でと 思って いたら、stkさんが 母親の 年齢の ことを 考え、すこしでも 安楽な コースを と、わざわざ 飛行機に した との こと。なるほど、そいう 考え方も あるんだと 思いました。
空港で 二人を むかえた あと、一行 5名、そのまま、神通峡「ゆーとりあ 越中」へ 向かい ました。ここで ゆっくり おしゃべりして、ゆっくり 夕食を 食べ、ゆっくり 温泉に ひたり、部屋へ もどって からも 夜 おそく まで、ゆっくり おしゃべりして いました。それで いいんです よね。せっかく 「ユトリの 越中」へ 来た のです から。
ここは、高山線 笹津駅の 近く、つまり 神通川の 上流に あたり、「神通峡」と 呼ばれる地域 ですが、町村合併の 結果、いまは「富山市 春日」と なって います。旅館で もらった タオルにも 「神通峡、春日温泉」と うたって います。
「神通川」と 「メヒ・ネヒ[婦負]」
温泉に ひたり ながら、そして そのあと ずっと 「神通川」と「春日」という 地名の由来に ついて 考えて いました。両方 とも、以前 から 気に なって いる コトバで、ブログで とりあげて イズミ説を 展開した ことも ありますが、富山市の「春日」に 気がついた のは、これが はじめて です。
大伴家持の 関連で、『萬葉集』の 中で、カタカヒ[片貝]・ハヒツキ[延槻]・ウサカ[鵜坂]・ヲガミ[雄神]など、富山県の 河川の ナマエが 多数 紹介されて いますが、ジョウガンジ[常願寺]ジンズウ[神通]と いう ナマエは 見あたり ません。そのかわり、メヒガハ[売比河波]・メヒノコホリ[婦負郡]などの 地名が 歌いこまれて います。文脈 から 見て、メヒガハは[婦負川]で あり、神通川の 古称だと 推定されて います。ただし、当時の 神通川は、おそらく 富山市内で 常願寺川と 合流して いたと 考えられて います(松川~いたち川の 線)。そうだと すれば、神通川も 常願寺川も いっしょにして メヒ川と よばれて いたかも しれません。
それよりも 気になる のは、メヒ[婦負]と いう 表記法 です。「女性背負う 姿」かと 思われますが、国語辞典や 地名辞典を 見ても,そこまで つっこんだ 解説は 見つかり ません。そこで、イズミ仮説を 立てて みました。
上代語の 段階で メヒ[姪]と いう 名詞が 成立して います。「兄弟の 女子」を さすコトバ ですが、「一族の 繁栄」を 連想させる エンギの よい コトバだ った よう です。メヒ川の ばあいも、神通川と 常願寺川が 合流したり、分流したり して いる 姿を「親子・兄弟・ヲヒ・メヒ などで つくる 大家族集団」と 見たてての 命名かと 考えられます。メヒ=[姪]=「同族の 一員と して 責を 負う もの」=[婦負]と いう 発想法 です。メヒ[姪]の 対語に なる ヲヒ[甥]は、メヒ[婦負]に ならって ヲヒ[男負・雄負]と 表記する ことも できると いう わけ です。
ただし、それは 漢字で 表記する ことに よる 漢語ふうの 発想だと いわれる かも しれません。じっさいは、動詞 メフ[芽生]を 想定して、その 名詞形と しての メヒ(芽生え)だった とも 考えられます。その ばあい、ネヒに ついても、動詞ネフ[根生](=ネバフ[根延])の 名詞形と しての ネヒ(根生え)と 解釈する ことも できる でしょう。メ[] でも ネ[] でも、母体 から あらたな イノチが 生まれる 姿に 変わりは ありません。
このメヒ[婦負]は、そのご まもなく ネヒと 読みかえ られます。M-子音 から n-子音への 音韻変化が おこった ためで、ミラ[韮]→ ニラ、ミナ[] → ニナ なども 同類 です。この 音韻変化の 現象を どう とらえれば よいか? M-p 音語と n-p音語との 関係は どう なって いるか? まだ 解明されて いない 問題が のこって います。
ここでも、すこし 発想を 変えて みると、いままで 見えなかった ものが 見えて くるかと 思います。もともと m-子音と n-子音は 近い 関係に あり、 基本義の 面でも メ[目・芽](ウム・ウマレルもの)と ネ[音・根](ナルもの)の ように、ほぼ 交代可能な 関係 だったと いえます。メヒ から ネヒへの 音韻変化と いう 事例を てがかりに して、ぎゃくに n-p音語の 単語家族を 組織しなおして みる のも おもしろいかと 思います。
上代 n-p音 動詞として ナフ[]・ナブ[]・ヌフ[]・ノブ[展・延・述]が 成立していた こと、また やがて「ナハ[縄]を ナフ[綯]」などの 用法が おこなわれた こと とあわせ 考えれば、ネヒ[婦負・根生]に ならって ニヒ[丹負・丹生・新]を 設定するなど、n-p音語を 見なおす ことが できる でしょう。「ニフ[丹生]の 川が 氾濫した あとに、ニハカ [俄・丹羽処] づくりニハ [庭・丹羽] (ニヒタ「新田」)が 出現、そこで収穫された ニヘ[]を 神に ささげて、ニヒナヘ [新嘗] 祭りを した」と いった 調子 で、n-p音語の 連想ゲームを 楽しむ ことが できます。
n-p音語と いえば、漢語でも ニフ[]・ナイ[]・ナフ[] などが あり、上古音は それぞれ niep, nueb, nepと 推定されて います。また、漢字の 字形の 面でも、3字とも []の 字形を 共有し、「(根は 地下へ、芽は 地上へ) ノビデル・シノビコム 姿」を 表わして います。その点では、日本語の n-p音語 ナハ[]・ナフ[萎・綯]・ニハ[庭・丹羽]・ニヒ[]・ニフ[丹生]・ネヒ[婦負・根生]・ノブ[延・述] など とも 共通点が あり そうです。
 脱線 ついでに いえば、メヒ[]の ことを 英語nieceと いい、ヲヒ[]nephewです。英語辞典には、「ともに、語根nepot-(孫。甥)からの 派生語」と 解説されて います。これ など、日本語の メヒ・ネヒ と まったく おなじ 感覚の 発想法から 生まれたコトバと 思われます。さらには、ニヒ川 などの ニヒ[]に ついても、英語 new(新しい), neon(ネオン), nova(新星)との 対応関係が 気に なります。
 
妄想(?)は はてしなく ノビて ゆきますが、またしても 時間切れ です。カスガ[春日]を ふくめ、ユメの つづきは つぎの 機会に まわす ことに します。

2015年10月29日木曜日

マキムク[巻向] から シラホネ[白骨] まで  

 
 
満山紅葉
 
 
白骨温泉・露天風呂 
 
 
泡の湯旅館前で 
 
 
 

106()午前、豊栄稲荷神社で「古事記を 読む 会」の 研修会が あり、「マキムクの日代の 宮」に ついて 報告させて いただき ました。要約すると、こういうことです。

古事記』に よれば、第12景行天皇の 皇居 所在地の ナマエが マキムク[巻向・纏向]です。そして 第21雄略天皇の 項で、あらためて 「マキムクの 日代の 宮…」(記. 100)の 歌が 記録されて います。さらに、『萬葉集』の中に 柿本人麿が マキムクを 歌った ものが 計11例 採収されて います。わたしは これらの 資料 から、「マキムク」という コトバに こめられた 意味(情報)を さぐると ともに、この コトバが 生まれた 時代社会の 状況との 対応関係を たしかめたいと 考えました。その 結果、いちおうの 結論を まとめて みました。「マキムクの 日代の 宮…」の 歌は、前方後円の 巨大古墳を きずいた 大王たちへの 賛歌で あり、基本的には 柿本人麿の 「児らが 手を 巻向山…」(萬.1093)の 世界観に 通じる もの だと 解釈した わけ です。

古墳時代の 歴史に ついて まったく 門外漢の わたしの 報告 でしたが、みなさん 熱心に きいて いただき、いろいろ 質問や 意見を 出して いただき ました。おかげさまで、じぶんの 勉強不足だった ことが よく 分かり、さしあたりの 課題も 見えて きました。

課題1.「おなじく 古墳時代と いっても、前期・中期・後期・終末期の 区別が ある」ことを 指摘され ました。『古事記』や『萬葉集』に みられる マキムクの 用例が、古墳時代の どの 時期と どう 対応する のか? 具体的に 提示する ことが できれば、もうすこし 説得力のある提案に なる かも しれません。

課題2.今回は、マキムクと いう 地名を 手がかりと して m-k音語の 面から 古墳時代の 人びとの 生活実態や 意識を さぐろうと しました。この 試みは ある 程度 成功したと 思います。このつぎは、地名に あわせて 人名を、つまり 古墳時代の 天皇と される 人たちの 呼び名に こめられた 意味(情報)を さぐる 方が より 効果的 だろうと 考え られます。具体的に いえば、12代 景行=オホタラシヒコオシロワケ[大帯日子淤斯呂和氣]。13代 成務=ワカタラシヒコ[若帯日子]。14代 仲哀=タラシナカツヒコ[帯中日子]。34代 舒明=オキナガタラシヒヒロヌカ[息長足日広額]。35代 皇極=アメトヨタカライカシヒタラシ[天豊財重日足]。37代 斉明(=皇極天皇 重祚)。いずれも、「タラシ(ヒコ・ヒメ)の ナノリを もって います。そのため、7世紀 前半に 在位した ことが 確実な 舒明・皇極(=斉明) 以前の タラシヒコ天皇(景行・成務・仲哀)は 後世の 造作と する 説が ある ほど です。さらに いえば、この タラシを [](古事記)と 書くか、[](日本書紀)と 書くかの 問題も あり、クサカ[日下・草香]と ならんで、いろいろ 議論が 分かれる テーマだと 思われます。

 

1019日(月)、東京から 伊藤夫妻(信子の 姪と ご主人)が 来富。20日 午前11時、伊藤さんの 愛車に のせて いただき、砂町を 出発。途中 飛騨の 紅葉を 鑑賞しながら、信州 白骨温泉(松本市)へ 向かい ました。泡の湯 旅館で 一泊。山の 奥ふかく、あたり一面 紅葉に かこまれた、しずかな 温泉宿。やたらと 広い 野天風呂が あり、乳白色の温泉に つかって いる 人の 姿が、部屋の 窓からも 見えました。ここは 桃源郷。シャバの 生臭い 生活を わすれ、おとぎ話の 世界に 移り住んだ 気分に なりました。 

温泉の 成分は、硫化水素(硫黄分)カルシウム。それで、わき出した 時には 透明な 湯が、時間が たつと 白く なる のだ そう です。シラホネ温泉と いう ナマエの 由来も、ほぼ 推測できます。いまどき、温泉地名と して 売り出すと したら、わざわざ シラホネ[白骨]と 命名する ことは まず ない でしょう。しかし、シラフネ[白舟]と いう 表記法も ある そうで、天然に できた 温泉の 姿が「白い ユブネ[湯船]」と よばれた ことは 想像 できます。

それに しても、シラホネ[白骨] などと いう エンギでも ない 地名表記の ままで、おおくの 観光客を 呼びよせる ことが できて いる のは、ナゼで しょうか? いろいろ あるで しょうが、やはり「白い ユブネ[湯船]」が もつ イヤシ(治療)効果の 実力に よるもので しょう。

そう いえば、ホネも フネも p-n音語 です。英語 でも 骨の ことを boneと いい、これもp-n音の コトバ です。英語boneの つづりを 日本ローマ字式に よめば、ボネ[]と なります。人間や 魚の ばあいは ホネ(骨格)の まわりに 身・肉 が ついて いますが、カニ・エビや フネの ばあいは ホネ(骨格)が 身・肉の まわりを カコム 姿に なって います。ホネ(骨格)のおかげで、生物の体形が造られ、ホネ(関節)のおかげで、いろいろな動作が できる わけ です。ホネとboneとの 対応関係は、日本語・英語双方の 音韻感覚の 中に 共通する ものが あった から 起こった 現象だろうと 考えられます。

シラホネ温泉の 成分は 硫化水素(硫黄分)カルシウム との こと。カルシウムと いえば、ホネを つくる 成分で、色は シロ[]。硫黄は 英語でsulfur。シロ[]sulfurも、s-r音語s-l音を 含む)です。Sir-音の 日本語は、動詞 シル[知・令知]を 中心に シラ[]・シラキ[新羅]・シラギヌ[白絹]・シラク(白くなる)・シラグ(白くする)・シリ[後・尻]・シル[]・シロ[白・代・城]・シロカネ[] などの 単語家族が 組織されて います。このsir-sil-)音は、英語のsilk(絹), silver(銀)にも 通じる ものと 考えられます。 S-は マサツ音。S-r音は、スル・サスル・コスル・セセル・ソソル姿を 連想 させます。袖触れ合うも、他生の縁。だれかの 情報を シリたければ、なんとかして スル・サスル(接触する)ほか ありません。大根の 味を シルには、スリおろして、その シルススル のが、いちばんの 近道 でしょう。

 シラホネに かぎらず、この辺、中部山岳 いったい、いや、日本全国 いたるところに シラ・シロの ついた 地名が あり、シラヤマ[白山]神社が 分布して います。このことも、むかし ヤマト朝廷が 成立した ころ、シラギの 国 から 金属を シラグ(精錬) 技術が もたらされ、山師たちが 鉱石を もとめて 日本列島を かけめぐった、その 足跡の ようなものかと 思われます。しかし、その話は また つぎの 機会に まわす ことに します。
  10月 26日、伊藤さん から どっさり 写真が とどきました。その中から 3枚だけ、この ブログに 使わせて いただきました。

2015年10月8日木曜日

デイ サービスの 話

 
 
デイサービス「まちなか」外観    
 
 
フロント  
 
 
浴室付近 


マッサージ機などの部屋
 
 
 

アピアの フィット リハ
いきなり こんな 話に なって、ごめん なさい。わたし 自身、これまで 「介護制度」の問題を ブログで とりあげる こと など 考えた ことも なった のですが、最近 いろいろ あって、こんな ことに なりました。しばらく おつきあい ください。

わたしは 201311月 から ことしの 8月末 まで 毎週1回、市内の リハビリ 施設にかよって いました。わたしの ばあい、「要支援1」と いう ことで、介護保険を 利用できます。この 施設は、稲荷元町 アピア1Fに あり、「アピア フィット リハ」と 呼ばれて います。この道 30年の 実績が ある との ことで、スタッフも 施設(レッド コードや トレーニング マシン など)も 充実して いる 感じ です。

 わたしが いちばん 感心した のは、「通所者の 安全第一」と いう 意識が スタッフの みなさんに 徹底して いる こと です。毎回 スタッフが クルマで 通所者 自宅の 玄関まで 迎えに きます。無事に 乗車・着席できた のを たしかめて から シートベルトをしめる。そのあと 運転手席に もどって、発車。運転も「安全第一」。交差点では、クルマの流れが 途切れる まで じっと まちます。施設に 到着すると、べつの スタッフが まちかまえて いて、荷物を もったり、(よろけそうに なったら)体を ささえたり します。

 ここでの リハビリは、おもに レッド コードや トレーニング マシンを 使って、身体の 機能を 維持(回復・増進)する こと。その 結果と して 日常生活の 中で、ツマヅク・コロブ などの あやまちを 予防する こと。そして、できれば 死ぬまで、人手を 借りずに 飲食・排泄・入浴などの 作業が できる ように する こと でしょうか。

 

デイ サービス「まちなか」
  わたしは アピアの フィット リハで 十分 満足して いた のですが、とつぜん ことし9月 から 千石町の デイ サービス「まちなか」へ かよう ことに なりました。それは、妻 信子の 希望に あわせたと いう こと です。

  ことし、わたし95歳、信子91歳。結婚した のは 19452月、大日本帝国 敗戦の 直前でした。わたしどもの 結婚生活は 日本国 敗戦直前に はじまり、すでに 70年の歴史を きざんで います。安倍 総理は、「終戦 70周年」を 機会に「積極的 平和主義」を唱えて おられる との こと ですが、95歳 老人と しては、敗戦後 せっかく 立てた「不戦の ちかい」を いまさら 捨てる 考えは さらさら ございません。

 いや、ここは 天下国家の 話を する 場 では ありません。わたしども 夫婦の 話に もどります。70年間の あゆみを ふりかえって みると、人生の 転換点と いえる 時期が いくつか ありました。

  敗戦後、天津で 帰国船を まちきれず、(日本再建の 道を さぐる ため)旧華北交通の知人に さそわれて 張家口(八路軍地区)へ  まいもどった 時。

  帰国後、ようやく 公立学校 教員と して 就職しながら、「なんとかして、中国語に つながる 仕事を したい」と 考え、52歳で 退職を 申し出た 時(日中国交回復 直前)。

 そんな 時、方向転換を きめるのは いつも わたしで、信子は だまって ついて きて くれました。そのかわりと いうか、わたしの イキザマに かんする 基本方針に 反しない かぎり、なるべく 信子の 希望に あわせる ことに して います。帰国 当時、わたしの 両親が いた 北海道へ 帰る 予定に して いましたが、途中 信子の 実家に たちより、信子の 母のつよい 希望も あって、そのまま 富山に 住みつく ことに なった のも その 一つ です。

 ことしの 夏、信子の 体調が よく ない ことに 気づき、週に 1回 くらい デイ サービス などの 施設を 利用する ことを 提案しました。はじめは アピアの フィット リハをすすめましたが、本人が うんと いいません。姪の 美織さんも 心配して、最近 できた ばかりと いう 「デイ サービス まちなか」を 紹介して くれました。すると、こんどは いっぺんに 気にいった 様子で、そのあと 毎週 欠かさず かよって います。そればかりか、わたしにも「まちなか」へ 変更する よう 提案しました。

 わたし 自身は アピア フィット リハの 方式で 十分 満足して いましたし、スタッフや お仲間の 人たちと おわかれする のも さびしい きもちが しましたが、いまは なにより 信子の 体調回復が 最優先の 課題。一も二もなく、信子の 提案に したがう ことにしました。

 

デイ サービスの 内容
 アピアの フィット リハ から デイ サービス「まちなか」に 切りかえた ことで、あらたに 見えて きた ことが いろいろ あります。まず 第一に、おなじく 介護施設と いっても、設立の 目的や 基本的な 運営方針には チガイが あり、利用できる サービスの 内容も マチマチ です。利用者と しては、まず 複数の 施設に ついて「どんな スタッフ、どんな 設備が そろって いて、どんな サービスが うけられるか」を 検討し、納得できる 施設を えらぶ ように したら よい でしょう。

 信子が まちなかを えらんだ 理由の 第一は 「ゆったりした 気分で フロに はいれる」と いう こと でした。フロに はいる だけ なら、自分の うちの フロでも おなじ だろうと 考えると、そこが オオマチガイ。うちで フロに はいった あとは、カビ防止の ため、かならず フロ場 掃除を しなければ なりません。これが 高齢女性に とって、かなりの 重労働と いう ことに なる ようです。いっぺんも フロ場 掃除を した ことの ない わたし ですが、ナルホドと 思いました。

そこで、あらためて まちなかの 施設全体を ながめて みると、最初から この 施設の目的に あわせて、十分に 計算し、ねりあげられた 設計だと いう ことが 分かります。浴室・トイレ・通路など、すべてに ゆとりが あり、安全感・清潔感が あります。集会室 などを とりまく 通路を 一周すると、けっこうな 歩行訓練 コースにも なります。

全体と して、女性目線 からの 提案が 多数 採用されて いる 感じです。

 

介護施設の ヨビナ
  それに しても、介護施設を めぐって さまざまの ヨビナが あり、どうも 分かりにくい ですね。まず カイゴシセツ [介護施設]と いう ヨビナは、お役所ふうで 固い 感じがする ためか、民間の 介護施設では 「フイット リハ」「デイ サービス」「デイ ケア」など、ハイカラな ヨビナを 使って いる ところが おおい ようです。

カイゴ[介護]と いう コトバは、 もともと 日本語と しては なじみの うすい 漢語です。もっと 分かり やすい コトバが あれば、呼び変えて よいと 思います。しかし、フイットや リハと いう コトバの ほうが 日本語と して 定着して いるとも いえない でしょう。その点では、デイ サービス くらい なら 大多数の 人に 分かって もらえる かも しれません。

 

分かり にくい 介護用語
毎月 地域包括 支援 センター から「サービス 利用票」と いう 文書を いただいて います。その「サービス 内容」と して「予防通所 介護1」と 書かれて います。ここまでは 分かりますが、つづけて「予防通所介護運動機器機能向上加算」と 書かれて いる のは、どんな 意味 なのか 分かりません。「予防通所に よる 介護」の うち、「運動機器を利用して 身体機能の 向上を はかる 場合の (費用)加算」と いう 意味かも しれませんが、テニヲハ ぬきで 漢字だけ ならべて みても、日本語と して 通用しません。

こうした 意味不明の 日本語を つくりだし、通用させた のは だれか?それは 日本中央政府の お役人さんたち です。地域包括 センターの 事務担当者たちは お役所の 指示に したがって、この「意味・国籍不明」の用語を 使い、事務を 処理して いる だけ なの でしょう。
  日本語は、わたしたち 日本人 みんなの もの です。お役所の 指示を まつ までも なく、まず 自分たちで よく 考え、分かり やすい コトバを 育てあげ、広めて ゆく ように したい  もの  です。