2015年4月28日火曜日

サクラ からの 連想、幻想

 
 
『古事記』を 読む 会
 
 
豊栄稲荷神社の しだれ桜 
 
 
福光美術館 
 
 
愛染苑 
 
 
 

庄川峡(宿の窓から) 
 
 
ゆめつづりを 出発 
 
 
 

412日(日)午前、豊栄稲荷神社『古事記』を 読む会の 新年度 第1回の 輪読会が 開かれました。1年間 かけて 中巻、応神天皇 まで いちおう 輪読して きました ので、きょうは 下巻、仁徳天皇の くだりを 一気に 読みあげようと いう こと でした。「后妃・御子と 御名代」「吉備の 黒日売と 皇后の 嫉妬」「八田若郎女」「三色の 奇虫」「雁の卵」「枯野という 船」など、おもしろそうな 話題が つづきますが、さて そこから ナニを 読みとるか、それが 問題だと 思います。

 文学作品として 読むか、歴史資料として 読むか、読む人の 意欲に こたえて 無限の 資料を 提供して くれると 思います。『古事記』を 読む会 も、これまで いろいろ 手さぐりで やって 来た 感じ ですが、このへんで いちど「会の 目的・目標」や「輪読会の ありかた」などに ついて、あらためて 話しあって みたいとも 思います。たとえば 会員 ひとりひとりに ついて、「とりわけ 関心の ある 分野・テーマ」、「独自の 研究方法や 仮説」などの 実態が わかれば、今後の 会の 進め方を 考える 上で 参考に なると 思います。また、会員同士で 研究成果を 交換しやすく なり、学習の ムリ・ムダを はぶく ことができるでしょう。なにはともあれ、全会員に とって もっとも 効率の よい 学習方法を 採用したい もの です。具多的には、毎回 輪読会あとの 時間を あてる とか、アンケート方式での 回答を まとめて プリント、配布する などの 方法が 考えられます。

 わたし自身の ことを いえば、「古代日本語 研究資料」として 利用する 立場 です(ブログ「オオクニヌシと スクナビコナ」2014.6.19.参照)。ヤマトコトバと 漢語・英語の 音韻比較資料を 採集する ため です。

 輪読会が 終わった あと、神社境内の 「シダレザクラ」を ながめて、スマホに おさめました。

 

 413日(月)。伊藤夫妻のご厚意で、ことしも 一泊二日の 花見旅行に つれて 行って いただく ことに なりました。午前10時、伊藤さんの 愛車に 便乗して 砂町を 出発。途中 砺波市・南砺市の サクラを 見物、南砺市 法林寺 福光美術館や 分館の 愛染苑棟方志功の 作品や 資料などを見学。14時 すぎ、庄川温泉 ゆめつづりに 到着。

 ことしは サクラの 開花が すこし 早まわり、つよい 雨風も なかった こと から、いたち川の 遊歩道を 散歩する だけでも 十分 花見を 楽しむ ことが できました。そんな ことも あって、ことしは 花見は そこそこに して、棟方志功の 作品や 関連資料の 鑑賞にたっぷり 時間を かける 気分に なりました。それにしても、福光美術館近代的な 美術館として 整備されて いる こと、あわせて 分館の 愛染苑志功 生存当時の 生活環境を そのまま 保存して いる ことに おどろきました。わたし自身は もちろん 面識が ありませんが、見学した 資料の 中に、当時 志功と 交流が あり、応援していた 人たちの 寄せ書きが あり、そこに 岩倉政治さん たちの 署名が のって いました。岩倉政治さんと いえば、もと 呉西出身の 作家で、ながく 富山市に 住みつき、わかい人たちと きさくに 交流して いました。わたしが 仲間と いっしょに 文芸サークル「ちんぐるまの会」を はじめた とき にも、いろいろ 助言して いただきました。

思いがけない ところで、思いがけない 人との ツナガリ(宿縁)に 気づかされた 旅でした。

 

サクラ からの 連想、幻想
 それにしても、日本人は どうして これほど サクラが 好き なの でしょうか?

 「サクラの 花見と いう のは 名目で、本心は 花より 団子。酒を 飲んだり、ごちそうを 食べたり、歌を 歌ったり して 遊びたい んじゃ ないの」などの 意見も ある ようです。実態は どう なって いる でしょうか?

ウィキペディアに よれば、サクラの 原産地は ヒマラヤ近郊と され、ヨーロッパ・西シベリア・日本・中国・アメリカ・カナダ など、おもに 北半球の 温帯に、ひろく 分布して います。その中で、日本人と サクラとの 関係は、他の 地域と くらべて いささか 格別の 濃密さを もって いる ようです。そして その原因は、日本列島が イネ農耕の 地域 だから では ないかと、イズミは 考えて います。

日本の イネ農耕は 水田栽培 であり、大量の 水が 必要 です。川から タンボまで 水を 引く ため、長距離に わたる 用水路を 作ったり、大規模な タメイケ[溜池](ダム)を つくったり しました。用水路や 溜池の 建設や 維持管理には、高度な 土木技術や 大規模な 労働力が 必要です。そして、完成した 用水路や 池の 土手に、たくさんの サクラの 木が うえられ ました。サクラの 「花見」とは、「開花までの 経過を 観察する こと」であり、これを 参考に「イネ耕作の 作業日程を サグル(立案する) こと」であり、また「イネの 豊作を いのって マツル こと」でも ありました。

  サクラと いう コトバは、『古事記』や『萬葉集』にも 出て きます。日本の 歴史は「イネ農耕に よる 列島改造」の 歴史で あり、いいかえれば、「イネ農耕用の 水路や 溜池を建設して きた」歴史です。その結果、日本列島 いたるところに「○○千本桜」と よばれる サクラの 名所が 出現して います。

 中国大陸では、敵対する 民族の 侵入を 防ぐ ために「万里の 長城」が 築かれました。日本では、河川の 氾濫から 農民を まもり、イネ農耕(水田)の 用水を 確保する ために、「川の 流れを ツツミコム(包囲する)作戦が とられ ました。それが ツツミ[包・堤]、つまり 川や 用水路、池などの ドテ[土手]です。この ツツミ[包・堤]で 囲まれた 内側が「水流の シロ[城・代]」ですが、その 外側も また「住民たちが 安心して イネ耕作 できる シロ[城・代]」だった わけです。

  万里の 長城が「農耕民族と 遊牧民族との 交渉」の中で 生まれた 世界規模の 文化遺産だと すれば、日本全国に 分布する「○○ツツミ[]」も また、「農耕民族と 自然(とりわけ 水)との ツキアイ」の 中で 生まれた 文化遺産だと 考えて よさそうです。用水の 取り入れ口や 途中の ツツミ[](土手)など には、高度な 土木技術が 用いられ、サクラを めぐって、西行法師(平安・鎌倉時代) はじめ、文学や 宗教の 分野でも 深い 関係が 見られます。

 「サクラと ツツミ[]や シロ[]と、なんの 関係も なかろう」と いわれる かも しれませんが、じつは 「おおいに 関係あり」です。日本語の サクラは、「動詞 サク+複数の ラ」などと 解釈されて いる ようですが、もともと「サ+ク+ラ」「サク+ラ」「サ+クラ」、いずれとも 解釈できる コトバです。いずれにしても、ヤマトコトバの 音韻感覚として、「サ=ヤ[箭・矢]」、「ク=[]」。サクは、「()が 來る]姿 だから、サク[裂・割・咲] 姿を あらわす ことに なる のです。サクラは、動詞 サクの 派生語 サクル[]の 名詞形と 解釈する ほうが 分かりやすいと 思われます。サクルサケル[裂・避]・サカル[]などと おなじs-k音語で、サクラの木をツエとして地面をツキサクル姿です。
手もとの 国語辞典には 「地面を くりぬいて 水を 流す。サク[]からの 派生か」と 解説されて います。やがて、サグル[探・捜]サガス[]にも 通じる 語音です。つまり、「サクラツツミ[] シロ[]は、「三位一体」という わけです。

2015年4月10日金曜日

サクラ サク、花ザカリ 

 
 
日本海文化悠学会総会
 
 
 新幹線拝見(金沢駅)
 
 
みやげもの店(金沢駅) 
 
 
『朴魯禅談集』 
 
 
雪見橋から 
 
 
赤いボート 
 
 
遊歩道 
 
 
 
 

日本海文化悠学会総会      
 327()、豊栄稲荷神社会議室で 日本海文化悠学会総会が 開かれました。会が 組織されて から 3年 すぎた この 時期に、これまでの 経過を ふりかえり、この先 どうするか 考えて みようと いう こと でしたが、みなさん やる気 満々で、いまの 体制で 続行と いう ことに なりました。かねがね、3周年を 期に 会誌発行計画が 進められて おり、この 日が いちおう 原稿提出日と されて いました。そんな しだいで、総会あとの 編集会議で いろいろ 議論が かわされました。

おくればせ ながら、この日 ようやく 会誌の 名称が 正式に「悠学」と 決定しました。

また、会誌発行の 費用負担 などに ついても、最終的な 方向が 出ました。これまで 計画の 途中で、①全額を 会および 会員の 負担と する、②外部団体 など から 補助を 受ける、③出版社と 相談する、などの 案が 出て いましたが、将来の 計画は 別として、すでに 原稿提出期限を むかえた 今回の 会誌に ついては、やはり ①の線が 無難だ という ことに なりました。

この日 わたしが 提出した 原稿の タイトルは「スミノエ神はMr. Smithだった(仮説)」。1995年に『スミ・シム・SMITH』を 発表して 以来、一貫して 主張して いる 持論です。この「仮説」が 世間一般の「常識」と なる 日を めざして、これからも 手を かえ 品をかえ、主張し つづける つもりです。

 

北陸新幹線 ためしのり      
 331()、晴。おいっこの Dtsさん から 電話が あり、「今から 花見に いかん まいか」との こと。まもなく、母親の Kzeさんを 車いす ごと クルマに のせ、妹の Hkmさんも 便乗して、イズミ宅 まで むかえに きて くれました。

 ここから「一行5人さま」で サクラ見物に 出かける はず だった のですが、いたち川べりの サクラ見物は そこそこに して、「ついでに、北陸新幹線 開通で 改装された 富山駅を 見に ゆこう」と いう ことに なりました。

新幹線 乗り場が 高架に なった ため、市内電車が 駅の 下まで 乗りいれる ことが できる ように なって いました。また、富山駅を 利用する 人たちの 数が 以前より おおくなった ようにも 見えました。それに しても、年寄りには やはり つかれ ますね。もうすこし、ベンチ ぐらいは ほしい です。

そんな ことを 考えて いる うちに、こんどは 「せっかく だから、新幹線に 乗って みよう」と いう ことに なりました。終着駅 金沢 まで 20。あっという間でした。スマホで 写真を とる チャンスが なかった わけでは ありませんが、わたしの 運動神経ではなかなか 対応でき そうに ありません。車内 から 外の 景色を うつそうと して いると、たちまち 防音壁に 変わったり、トンネルに はいったり します。金沢駅に到着してから、ようやく 新幹線の 機関車の姿を カメラに おさめました。

金沢へ 来たのも ひさしぶり。ちかくの みやげもの店 などを 見て まわりました。どの店も 品ぞろえが 豊富で、おおぜいの 客で にぎわって いました。新幹線開通を まちかまえて 加賀百万石を 日本全国へ 売りこもう とする 意気ごみ みたいな ものを 感じました。くらべて みると、富山の お店屋さんの ほうが おとなし すぎる 感じ です。       

 ちょうど おひる すぎの 時刻 だった ので、車いすの まま はいれる 店を さがして、ソバを 食べました。

別に 用事が あって 金沢まで 来た わけ では ないので、おりかえし 新幹線で 富山へ かえっ てきました。これにて、903名さまの ための 花見と 北陸新幹線の 旅は 無事終了。出たとこ 勝負で 予定が 変更される ため、老人 として は いささか 疲れ ましたが、天候にも めぐまれ、いい 思い出に なりました。

それに しても、要介護5の 母親を 車いす ごと クルマに のせて 運転し、富山駅で 車いすを おろし、 クルマを 駐車場に あずけて きて から、エレベーターを 利用して 車いすを 新幹線乗り場 まで おして ゆく…たいへんな 労働と 気づかい です。妹の Hkmさん ともども、いまどき めったに 見られない 孝行もの だと 思います。

 

『朴魯禅談集』          
 41()Usmさん から「朴魯禅談集」と いう 本を いただき ました。「知人の堀辺朴魯氏がこのたび出版した禅談集です」との こと でした。文芸社 セレクション(文庫版)63ページの 小冊子。表紙 カバーの 帯に、こう解説してあります。

 参禅、修行して知った「禅」について古今の天才禅師たちの教えや行状を織り交ぜて縦横に語る「禅の噺」

わたしは 自称「親鸞の弟子」で、『歎異抄』などは 読みましたが、禅に ついては まったくの 門外漢 です。しかし、せっかくUsmさん からの プレゼントでも あり、ポケット版の 小冊子で 読みやす そう だった ので、さっそく 読ませて いただき ました。

読みはじめると、気どりの ない 文章で、途中の リクツを 省略し、結論だけを ズバッと 述べる…そんな 感じ でした。ところどころ、「はてな?」と 思う ところも ありましたが、「なるほど」「そのとおり」と 共感できる ところも あり、なんと なく 「禅」に 親近感を おぼえ ました。

はじめに 目次を ざっと ながめて いた のですが、とりわけ「真の呼吸」「抜苦与楽」「神道は迷わぬ道、仏教は迷った後に悟る道」「出雲の大国主の大神少彦名の大神」「孔子」などの ミダシに 興味を ひかれ ました。ここ では、とりあえず「真の呼吸」の 項から、はじめの 数行だけを 紹介させて いただきます。

 真の呼吸というのは、鍛錬に鍛錬を重ねた結果の末に到達した呼吸という人為的な呼吸ではなく、宇宙一体に広がるとんでもない、それはそれは継ぎ目のない、じつにきれいな呼吸であって、自分のものではない、産まれる以前の世界の呼吸。ダルマの顕現というか、とんでもないものがあるのだ。

こんな 調子で、6ページに わたる 呼吸論議が はじまります。ただし、「真の呼吸 とは、どんな ものか」という 初心者むけの 解説は いっさい 出て きません。「只管打坐」「見性成仏」「見性(悟り)などの コトバは 出て くる のですが…このへんの ところが いかにも「禅問答」らしい ところ なの かも しれません。

 そこで、わたしも これに コキュウ[呼吸]を あわせて、イズミ流の 問答を 考えて みました。おもしろいと 思ったら、おおいに わらって ください。

Q: コキュウ[呼吸]とは、なんの こと?

: コキュウ[呼吸]漢語ヤマトコトバで いえば イキ[](を する こと)。コ[]は、イキを 吐きだす 姿。キュウ[]は、イキを 吸いこむ 姿。

Q: そもそも、イキと いう 語音が どうして[息・呼吸]の 意味を 表わす ように なった のか?

: ヤマトコトバの 組織原則 から 見て、イカ・イキ・イケ などの 語形は 動詞 イクから 派生した コトバと 解釈すると 分かり やすい。イク・ユク[行・往]は、もともとイク[射來]で、「が イク・ユク」姿。イク[生・活]は、生物・動物が イキを したり、自力で 移動(イク[])する 姿。矢の ように すばやく イク ものが イカ[烏賊]・イカダ[]。動詞 イクの 連用形 兼 名詞形が イキ[生・活・息]。イキつづける 意の 動詞が イキル[]。自動詞 イク[生・活](動四。生きる)に たいする 他動詞が イク[](動下二。生かす)。その 連用形 兼 名詞形が イケ[活・池]。つまるところ、「一生をどうイキルか」とは、「いつ・どこで・どんな イキ(息・呼吸)の 仕方を するか」の 問題。

   さて、みなさま わらって いただけ ました でしょうか?

 

サクラ サク、花ザカリ
 春と いえば、やはり サクラ です。いたち川べりの サクラは、ことしも みごとに 咲いて くれました。はじめに 書いた とおり、3月末には 開花。途中 雨が ふったり 風がふいたり しましたが、きょう410に なっても、まだ なんとか 持ちこたえて います。ここに 掲載した のは、44日に 散歩の おり うつした もの。「雪見橋 から」「遊歩道」など、毎度 おなじ 地点の 映像 ばかりで、いささか 気が ひけますが、これも 体力の 限界を しめす もの。一期一会。来年 また おなじ 光景を カメラに おさめる ことが できる という 保証は ありません ので。
サクラの や、花見用の ボンボリは 毎年 見なれた 姿 ですが、いたち川に うかぶ 「赤い ボート」は、こんど はじめて 見た 光景です。