2015年6月26日金曜日

オノマトペ から 英語テスト まで

 
「オノマトペの屋上庭園」(北日5/20
 
 
「全中高生に英語新テスト」(北日 5/31)  
 
 
「課題山積 慎重に検討を」(北日 5/31) 
 
 
「入試改革も検討すべき」(北日 6/11)  
 
 
 

「オノマトペの屋上」に
 520日の 北日本新聞に つぎの ような 記事が のって いました。

 県は、富岩運河環水公園(富山市)に移転新築する新県立近代美術館の最上部にある庭園のコンセプトを、擬態語・擬声語の総称「オノマトペの屋上」に決めた。「ふわふわ」「ぐるぐる」といった八つのオノマトペから連想される遊具を置き、言葉・芸術・遊びが融合した空間にする。石井知事が19日、県庁で会見し明らかにした。

 他のオノマトペは「あれあれ」「ひそひそ」「つるつる」「うとうと」「ぷりぷり」「ぼこぼこ」。「うとうと」に関してはハンモックのように寝そべることができる遊具を予定する。跳びはねて遊ぶ「ふわふわドーム」も新たに設ける。それぞれの遊具のそばに、看板で体感できるオノマトペを示す。

コンセプトは、グラフイックデザイナー佐藤卓氏が考案した。「他にない発想で歎しい空間にできないかと思い、まず擬態語や擬音語を思い浮かべて遊具を考えることにした」とコメント。知事は「『遊び』と『アートとの出会い』が結びついた、新しい空間ができることを期待している」と述べた。屋上庭園は2017年のゴールデンウイークまでのオープンを予定。

 

「オノマトペ」と いうと、なんとなく ハイカラな 感じが しますが、日本語の 感覚では あまり なじみの ない 語音 なので,「何の 話か」見当が つきにくい よう です。また、「擬態語」「擬音語」と いうと、「品詞 以前の、未熟な 言語」、「一人まえの 大人が 使うのは ハズカシイ 言語」と 感じて いる 人も おおい ようです。

 しかし、あらためて「コトバの 流通原理」、「人類の コトバが 発生・発達した 歴史」、「コトバ音形 意味(事物の 姿)との 対応関係」などに ついて 考えようと なると、まずは いちばん 身近で、たしかな テガカリに なるのが、これらの「擬態語」「擬音語」です。その点、日本語には たくさんの「擬態語」「擬音語」が 現存して いて、まさに「言語史 研究資料の 宝庫」と 考えて よい でしょう。

ツルツル・プリプリに ついて いえば、(イズミの 分類法では) それぞれ t-r, p-r音 タイプに 属する コトバ であり、おなじ 語音を くりかえす ことに よって、t-r, p-r音の 基本義が 強調される 造語法に なって います。t-r音の 基本義とは、動詞 タル・チル・ツル・テル・デル・ㇳル などに 共通する 基本義(テが デル、テで トル 姿)。 p-r音の 基本義とは、動詞 ハル・ヒル・フル・ヘル・ホル などに 共通する 基本義(ハリ・ヒレ・ヘラなどを ハル[張・墾]・フル[振・触]・ヤブル 姿)。いいかえれば、こうした オノマトペが 母体と なって、名詞・動詞・形容詞 などの 品詞語が うまれ、やがて ヤマトコトバの 語彙体系が 形成されたと 考える ことが できます。オノマトペの 段階でも、品詞語の 段階 でも、t-r, p-r音の 音韻感覚が DNAの ように、語音をとおして 伝わって いる のです。

 また、谷川 俊太郎の 詩作品を 読んだ 人 なら、擬音語・擬態語を「未熟な 言語」とよぶ ような ことは しない でしょう。

 むつかしい 議論は さておき、「コトバ・芸術・遊びの 融合空間」、「オノマトペの 屋上庭園」の 完成を まつ ことに しましょう。

 

「全中高生に英語新テスト」
 531日、北日本新聞に つぎの ような 記事が のって いました。

 文部科学省が、原則として全ての中高生を対象とした英語の新テスト導入を検討していることが30日、同省関係者への取材で分かった。「読む・聞く・書く・話す」の4技能の到達度を測る内容で、中学は2021年度、高校は22年度以降を予定している次期学習指導要領の全面実施に間に合わせることを目指す。

 新テストの到達度指標には、語学力の国際標準規格「CEFR(セファール)」の活用を検討。中高生の英語力について、政府の教育振興基本計画は、中学卒業段階で英検3級程度以上、高校卒業時に英検準2級程度以上の生徒の割合を、17年度までに各50%にするとの目標を掲げている。

 文科省の14年度英語教育調査によると、全国の公立校で、こうした資格を取得したか、それに相当する力があると教員が判断した生徒の割合は、中334,7%、高331,9%だった。

 あわせて 同日の 別紙面に、つぎの ような 解説記事が のって いました。

 

「課題山積 慎重に検討を」
 文科省が中高生の英語新テスト導入の検討を始めたのは、「読む・聞く・書く・話す」の4技能を重視する次期学習指導要領の実施に向け、生徒の英語力を鋭角に把握する必要性があると考えたためだ。ただ、テスト内容や予算措置など、導入に向け解決すべき課題は多い。

 4技能の全てをみるテストの設計は容易ではない。全員対象となれば、相当な経費が掛かり、学校の負担も大きくなるだろう。結果を公表するのかも含め、導入には慎重な検討が必要だ。

 文科省は「国際化が進む中、これから必要な英語力はどんなものかを示すメッセージ」(幹部)と位置付けるが、新テストだけで「使える英語」が身に付くはずもない。国がどのような授業支援を行うのかも、同時に示していくべきだろう。

 中高生の 英語学力を 高める ことに 反対する 人は だれも いない でしょう。また、その 準備作業と して、中高生の 英語学習 到達度を 測る 新テストの 導入に ついても、「テスト 無用」と する 議論は 出て いない よう です。いちばんの 問題は、「中高生の 英語力」の レベルアップを もたらす 新指導法の 内容が 不明な まま なので、新テストに よる「尻たたき 効果」を ねらって いる のでは、と いう 疑念が のこる こと でしょう。

 

「入試改革も検討すべき」 
 先日からの「英語の 全国 学力テスト」報道に あわせて、611日の 北日本新聞は つぎの ような 社説を かかげて います。

 中学校や高校などで英語を学んだが、外国人が話す簡単な英語さえ聞き取れない。こんな苦い体験をした人もいるだろう。そんなとき、「英語がペラペラだったら」と思ったことがある人が多いのではないか。

 文科省が全国の中学3年生全員を対象に新たな英語学力テストを2019年度から行うことにした。懸念されるのは、生徒の現在の学力をしらべるのが目的であるにもかかわらず、都道府県や市町村、学校別の競争につながるのではないかということだ。文科省はテスト実施をあらためて検討し、行うとしても結果公表については慎重を期すべきだ。

 全体のレベルアップを目指すのは悪いことではないが、「70%」という目標達成だけが「英語教育の目的」になってしまっては、教育の根幹が揺らぐ。社会の国際化が進む中、将来を担う世代に「英語力」が求められるのは確かだ。ただ、その「英語力」とは何か、という点にも気を配りたい。

 日本の英語教育は高校、大学受験を意識した「受験英語」になりがちだ。ミスを気にしない意識の変革も必要だ。多くの人がまず求めているのは学問としての英語ではなく、実用としての英語である。それに応えるには、早急な入試改革と授業内容の一層の改善が必要だろう。

 

わたしなりに 問題点を 整理して みました。文科省は「中高生の 英語力 アップ」と いう 課題に ついて、到達目標を 具体的に 示し ました。しかし、生徒たちが 確実に目標を達成する ための 新学習法や、効果的な 新学習指導法を 身に つけた 教員の 配置 などに ついては、まだ 説明されて いない よう です。

「学力テストの 議論に、学習指導法の 議論を からませる のは スジチガイに なる から」と いう 論理かも しれませんが、世間の 評判は さまざま です。

「中高生の英語力レベルアップ」について、文科省 当局は、どっれだけの 自信・責任感を もって いる のだ ろうか?」

「ひょっとして『文科省 当局は 到達目標を 示す だけ。その 指示どおり 目標に 到達する まで 努力する のが 教育現場の 責任』と 考えて いる のかも…」など。

文科省の 担当部局が、「中高生の 英語力レベルアップ」に 必要な 新指導法を 開発できて いない とは 考えられ ません。ただ、中高生 英語力の 実態と 時代社会 からの 要請 との ズレが はげしく、その 対策論議が 難航。とどの つまり「英語学習を どう 位置づけるか」、さらには「コトバとは なにか」と いう 言語観の 問題に ぶつかった ことが 考えられます。

言語観の 変革と いう ところ まで くると、もはや 文科省 内部 だけで 結論を 出せる 問題では ありません。大学や 国語学・英語学 など 関係部門との 調整も 必要になる でしょう。これ まで 日本の 大学 では、「語法・文法 などの 面 から 日本語と 外国語を 比較する」研究は 花ざかり でしたが、「音韻の 面 から 比較する」研究は めったに 聞いた ことが ありません。外国語の 習得には、その 音韻感覚を つかみとる ことが カギと されて いますが、いま 日本の 大学で 養成されて いる「中高 英語教師の 候補者たち」の 実態は、文科省が 期待する「中高英語教師像」からは かなり 遠い 感じで、即戦力とは ならない よう です。

文科省・ 担当部局の みなさま、ほんとうに オツカレサマ !

2015年6月14日日曜日

かんぽの 宿 

 
 
かんぽの宿、富山(A)6/



かんぽの宿、富山(B)6/3
 
 
『古事記』を読む会 /7 


「東京外語会会報」134
 
 
 

 6月2日(火)、美織さんの クルマに 便乗して、婦中町羽根の「かんぽの 宿」まで でかけました。東京組 4人と 富山組 3人、計 7人の 女性たちが 企画した「もと 加藤家の つどい」に 参加する ため です。

  東京組の うち、西田 恵美子さんは 信子の 妹。伊藤 淳子さんは 信子の 兄 加藤 子規さんの 娘。Rekさんと Tdkさんは、信子の 姉・小柴 菊枝さんの 娘さんたち です。 富山組は、土地 数枝さん(信子の 姉)と、娘の 藤木 美織さん、それに 信子の 3人 です。

北陸新新幹線が 開通して 便利に なった ので、もと 加藤家の 女性たちが 富山で 顔をそろえ、いっしょに 食事したり、おしゃべりしたり したいと いう 趣旨の よう です。

年齢構成を みると、第一世代 筆頭の 数枝さんが 96歳、信子が 91歳、恵美子さんが 86歳と いう 順に なります。第二世代の 四人は まだ 現役の 女性ばかり なので、年齢の ことは 確認して おりません。ほぼ 60歳代と して おきましょう。

「かんぽの宿」を えらんだ のは、単純な 理由です。最年長(96歳)の 数枝さん が交通事故に よる 身体障碍者 なので、無事・安全に 入浴できる 装置の ある 温泉旅館を さがした 結果、以前にも 利用した ことの ある「かんぽの宿」に きまったと いう しだい です。

4階にも 大浴場が あるとの こと でしたが、わたしは 1階の 野天風呂で、ゆっくりした 気分に ひたりました。

夕食の 料理は、一品 ごと 工夫が こらされて いて、分量が 多すぎ ない 点が 年寄り向きだと 感じました。

夕食の あと、わたしは 早めに 部屋に もどって、寝て しまい ましたが、恵美子さん たちは 別室で 夜中 3時ころ まで おしゃべり していた そうです。

3日、東京組は 各自 日程を こなした あと 砂町に 集合、午后3 時すぎの 新幹線で 帰京しました。

「日本は まさに 高齢化社会」、そして「男性に くらべて、女性の ほうが つよい 生命力を もって いる」と 実感させられた 二日間 でした。

 

 6月7日(日)午前、豊栄稲荷神社で、『古事記』を 読む会の 例会が ありました。この日は、雄略天皇の 項 から 輪読を はじめた のですが、一気に 推古天皇の 項 まで 読んで しまい ました。昨年 4月に 読みはじめて から、1年 あまりで、『古事記』序文 から上・中・下巻 まで 全部 読みおわった ことに なります。

 「輪読会」と いう 形式で 第1 ラウンドが 終わった 段階で、さて それでは 第2 ラウンドは「どんな 読み方が よいか」と いう 話に なりました。いろんな 意見が 出ましたが、大筋の 方向と して、次回 から「会員が 交替で 研究成果を 報告し、ひきつづき出席者 全員で 討論する」方式を 採用する ことに なりました。できれば、あらかじめ 報告予定者の ナマエや 研究テーマ などが わかって いる ほうが、おたがい 都合が よい だろうと いう ことで、さしあたり 次回 7月5日は、近藤会員が「ヤマトタケル[倭建]命に ついて、(8月は 休み)、9月13日イズミが「マキムクの 日代の 宮」に ついて 報告する などの 日程を 組みました。

 

 6月10日(水)。佐藤正樹さん から 「東京外語会 会報134が 送られて きました。特集「戦後70年:激動期を 生き抜いた 先輩たちの 証言」を 読んで ほしいとの こと でした。

仲田達男さん(85)、阿部幸夫さん(85)(昭和25年 中国科 卒)」、「古茶兵衛さん(87)(昭和25年 ロシア科 卒)」など、計5人の 方の 談話が のって います。年齢では 5歳ほどの バラツキが みられますが、東京外語 在学中は ほぼ 同じ 空気を 吸って おられた はず です。家庭環境の チガイや ご本人の 個性の チガイも あって、それぞれ ちがった 思い出に なって いますが、わたしは「なるほど」と 感じ ながら 読ませて いただき ました。その中で 1点 だけと いわれれば、阿部幸夫さん(中国文学者)の 談話の1節を あげさせて いただきます(下線は引用者)。

 戦争になれば自分の意志を発揮できない。もっと言えば、自分の意見というものが存在しえない。それでいいのですか、ということですよ。私は、モノがないということを想像できない若者たちに我々の経験を伝えるというのは無理があると思います。せめて本や資料に目を通し、わからないなりに現代史を考えてほしい。日本の教育は現代史をきちんと教えて来ませんでした。

 

614日(日)。晴。朝の 散歩に でた ついでに、ハガキを1枚 ポストに 入れました。『教育・文芸とやま』(富山県教職員厚生会 発行の 文芸誌)への 投稿 申しこみ ハガキです。毎年12月に1回発行する だけの 文芸誌ですが、わたしは この10年 あまり 毎回応募して います。昨年(20号)は「『アユの風』を考える…ヤ行音の意味」を のせて いただき ました。ことし(21号)は、「メヒと ネヒと ニヒ…富山県の 地名を 考える」という テーマを 予定して います。

 富山県内の 地名と しては 、古代 から「メヒノ コホリ[ 婦負]」、「ネヒノ コホリ[婦負]」、[ニヒカハ[]」などの 用例が 見られますが、これら メヒ・ネヒ・ニヒなどの 語音が どうして 富山県内の 地名として 定着した のでしょうか?メヒ ネヒは どうして 同じ 漢字[婦負]と 表記される ので しょうか?メヒ[婦負]と メヒ[]は 音韻的に どんな 関係に なる のでしょうか?ニヒカハ[新河]ニヒ[]は、ニフ[丹生]・ニハ[庭・丹羽]・ニハカ[]などと 関係が ある のでしょうか、ない のでしょうか?

まずは、ヤマトコトバの 音韻組織に かんする 原理・原則に 照らして、これら m-pn-p音語の 音韻構造を 音素単位 まで 分解した うえで、あらためて m-pn-p音語の 共通基本義を 考える ことに します。こうした 手順を ふむ ことに よって、さきほどの 疑問に たいする「客観性・合理性の ある 解答」が 得られる のでは ないかと 考えて います。
 必要な 資料は、ほぼ そろって います。あとは、どう まとめるかで 時間が かかります。原稿提出 期限は、825日。ブログの ほうを 夏休みに して、提出原稿の とりまとめに 追われる ことに なる かも しれません。

2015年6月4日木曜日

「牛ヶ首 用水」の ナゾ 

 
 
日本海文化 悠学会 例会 5/22
 
 
 
ウメの 実 発見 
 
 
雪見橋 から 5/24  
 
 
いたち川 遊歩道 5/27  
 
 
石倉町 延命地蔵尊 5/27
 
 
ツツジ 5/30  
 
 
ムラサキの きみ(?)5/30  
 
 
 
 
日本海文化 悠学会 5月 例会
5月22日()豊栄稲荷神社日本海文化 悠学会の 研修会が あり、仙石 正三 さんが「『牛ヶ首用水』地名考」と「研究ノ-ト」に ついて 報告され ました。その中で「加賀藩・富山藩の 用水名は、地名に 由来する ものが 普通で、唯一の 例外が 『牛ヶ首用水』である こと」、「加賀藩は 当代一流の 技術力を 有して いた こと」などを 指摘したうえで、「牛首伝承は 史実では ないが、迷信でも なかった。住民の 生活の 柱と なる 伝承で あった。開発規模の 大きさ、牛頭天王 まで 登場する 用水名の 謎 など、『史実と 伝承』の 見事な 対応例で ある」と 結論づけ られ ました。

 専門外の わたしと しては、仙石さんが 採集した「牛ヶ首用水」に かんする 史実や 伝承資料の 豊富さに 圧倒され、「なるほど」「おみごと」と 感心して いる ばかり でした。ただ、「牛ヶ首」と いう コトバヅカイに ついて、また「牛の首」と「用水建設技術」との 関係 などに ついては、かねがね 考えて いた ことが あります。

  仙石さんが 指摘された とおり、「牛ヶ首 伝承は、史実では ないが、迷信でも なかった」と、わたしも 考えて います。「ウシガクビ」は ヤマトコトバです から、ヤマトコトバの 原理・原則に したがって 解釈すべき です。イズミ仮説に したがって いえば、ウシ[牛]は もと フシ[節]から 変化(語頭子音が 脱落)した コトバで、ウス[失・碓・薄]・ウシ[大人]・ウソ[嘘]などと 同系。ウシ[牛]が みごとな フシ[節](ツノ[角])を かざして ツキタツ 姿を あらわして います。

 クビ[首]クヒ[杭]と おなじくk-p音の コトバ。胴体や 大地に「クヒツク」姿を あらわす 語音です。クビという 語音に 漢字 []だけで なく [][]が 当てられて いる ことも、語音アタマ[]との ちがいに よる もの です。

ついでに いえば、k-p音 カハ[河・川・皮・革]・カヒ[貝・峡]・カベ[] なども、すべて 大地・生物 などに「カブリツク、カブサル」(カバーする)姿です。

古事記』にも、「イクヒ[斎杙]」、「マクヒ[真杙]」、「カリクヒ[苅杙]」(切り株)などの 用例が ありますが、その クヒ[]は やがて そのまま 土木建設用の クヒ[]に つながる もの です。また、『萬葉集』には 法師の ヒゲを クヒ[]に 見たてた「ヒゲノ ソリクヒ[剃杭]」という 用例が あり、「その クヒに 駒を つないで 引っぱらせ たら、さすがの 法師も 泣きだす だろう」(. 3846)と からかって います。

 日本語の 音韻漢覚と して、クヒ[杙・杭]と クビ[首・頸・衿]は まったく おなじ 姿で あり、上代語の イクヒ・マクヒも 近代の 牛ヶ首 伝承の クビも、ともに 川や 用水の 無事安全を いのる マツリの 道具 です。「牛ヶ首用水」伝承に ついて 考える には、そう いった「コトバの 歴史(伝統)」に ついても あわせ考えて みる ように したいと、わたしは 思って います。

  ウシ[]・クヒ[杙・杭]・クビ[首・頸・衿]などの 語音に ついて、すこし つっこんだ 議論を して みたいと 考え、ブログ「コトダマの世界」の「クヒコム姿、クハ[]・クヒ[]・クビ[]」(2015.5.29)として 公開しました。ご一読 いただければと 願って います。

 

5月の いたち川 遊歩道
  最近は あまり 散歩らしい 散歩を して いません。2~3年 まえ まで、上流は ドンドコ(かっちゃ あと) あたり まで、下流は 松川との 合流点 あたり まで 足を のばしていた のですが、いまは 雪見橋か 石倉町の お地蔵さん あたり までで おしまいです。毎日 散歩する のが アタリマエの 生活だった ので、日記がわりの 意味で、ブログ名を 「いたち川 散歩」と 名づけた ことを 考えると、まったく おはずかしい かぎり です。

 正直な 話、足腰が よわく なりました。それに、あるいて いて 体の 左右の バランスが 不安定 なの です。いや、あるきだす までも なく、そこに ただ 立って いる ばあいでも、左右とも 片足立ちが 3秒と つづき ません。そんな 具合です から、散歩する といっても、足先が スクスクと ツキススム ことには なりません。おもい足を ひきずって、左右に 重心を ゆらす ことに なります。この 身体機能の 老人が、遊歩道の 途中、手すりの ない 階段を つたって 水面ちかく まで のぼりおり する 作業は、わかい ころに 経験した 立山登山に 相当する 難行だ、と いえるかも しれません。

 そんな 96歳老人が、たとえ 3歩でも 30歩でも、自分の 足で 散歩できる というのは、それ だけで アリガタイ ことだと 思います。とりわけ この 5月は、よい お天気が つづいて、若葉の 季節から 一気に 真夏の季節に つっこんだ 感じ でした。以下、5月下旬、スマホで うつした いたち川 遊歩道の 風景写真の 中から いくつか ご紹介します。

 

ウメの 実 発見 5/24…雪見橋 づめ、本田和裁学院 わきに 立つ ウメの 木が ことしも たくさんの 実を つけました。いまは「飽食の 時代」。道行く 人たちの うち、この ウメの木の 存在に 気づく 人は めったに いない よう です。まして、その 青葉の シゲミの中に そだつ ウメの 実を 見つけて くれる 人は さらに すくない でしょう。それでも ウメの 木は 毎年 白い 花を つけ、やがて 青い 実を つけ、それが やがて 遊歩道 いちめんに こぼれおちる ことに なります。

雪見橋から 5/24 …いつもの 定点観測です。いたち川 両岸の サクラ並木が すっかり 夏の色に 変わりました。

いたち川 遊歩道 5/27…この日は、ハガキを ポストに いれた ついでに、石倉町ぞいの 遊歩道を 散歩しました。

石倉町 延命地蔵堂 5/27…ひさしぶりで お地蔵 さんの 水を いただきました。

ツツジ 5/30砂町ぞい 遊歩道の ツツジ です。この 時期,いたち川 遊歩道は いたるところ ツツジの まっさかり です。

ムラサキの きみ(?)5/30…ツツジの すぐ そばで、ムラサキ色の ちいさな 花を つけた 草を 見つけました。おそらく 毎年 この 季節に この 姿で 咲いて いた のでしょうが、わたしが 気づいた のは これが はじめて です。正式の ナマエも 知りません。とりあえず、かってに 「ムラサキの きみ」と よばせて いただき ました。無神経で、不勉強で、ゴメンナサイ。