2016年10月29日土曜日

「終活」に 追われ ながら 



赤と みどり 10/15


遊歩道  10/15 


クモ 10/15 
 


オニックス マーブルの 話 9/18 


「ヘルパー活動 記録簿」など 10/16 






画像に ついて

その日 ぐらしの 生活が つづいて います。ブログ更新も おくれっぱなし です。「古事記を 読む 会」の 研修会では、服部 さんの 提案を めぐる 討議に 参加させて いただいて、たいへん 楽しかった ところ までは よかった のですが、会場の スナップ 写真(ブログ用) を とる こと 忘れて いました。ウカツ でした。

  画像と 本文 とが、かっちり かみあって いない ことも わかって いますが、そのこと自体、いまの わたし 自身の 生活実態を 反映した ものと いう こと  かも  しれません。



まずは 寺まいり

「就職する ための 活動」を ちじめて 「就活」と 呼ぶ  ように 、「人生を 終了するに あたっての 活動」を「終活」と 呼ぶ そう です。この年に なって、わたしも 毎日 「終活」に 追われて います。

わたしは4人兄弟の 次男坊。泉家 累代の 墓は、立山町の 沢端に ありますが、兄は 大学卒業後、すぐ 通産省に 就職しました ので、めったに 富山へ 来る ことが できません。それで 墓の 移転 とか、父母の 法事 などの 時には、兄に かわって、分家の わたしがお寺さんや 親戚の 人たち との 連絡がかりを つとめて きた という 経過が あります。

昨年 あたり から 信子の 認知症が すすみ、自分自身も 気力・体力の 衰えを 痛感する ことが おおく なり、「いよいよ 終活の 時期だな」と 考える ように なりました。たとえば お墓とか、お寺さんとの 関係。沢端に ある 泉家の墓は、むかし兄が 先頭に 立ち、わたしも 連名して 建てた もの なので、そこへ お骨を おさめて もらう ことに なりますが、そのまえに いちおう 葬式の場で、お寺さんに お経を あげて いただか なければ なりません。さて、どちらの お寺さんに お願い したら よいか?と いうのは、これまで どこの寺の 檀家にも なって いなかった から です。泉家は 代々 上市町Jtk(浄土真宗) さんの 檀家 でしたが、その後 あることで トラブルが おこり、わたし からJtk寺の 檀家と  なる ことを おことわり したと いう 経過が あります。

いまさらJtk寺さん と いう わけにも ゆかず、しばらく 迷いましたが、結局  一番 よ

く かよった ことの ある 長念寺(浄土真宗)さんに  お願い する ことに しました。

いまは もう 昔話と いう ことに なりますが、先代の 住職 志田 延義 先生が ご健在の ころ、「教行信証」、「浄土和讃」、「歎異抄」などの 研修サークルが 企画され、志田先生が 全力投球で 講義され ました。サークルの 場 だけで なく、わたし ひとりで おうかがいして、自分の 書いたものを 読んで いただき、助言を お願いした ことも あります。

917()、長江東町の 長念寺 住職、志田 常無 さんを おたずねし、今後の こと(葬儀など)に ついて お願い しました。即座に 「承知」の ご返事を いただき、これで「終活」に、一つ メドが ついた 感じが しました。

追記:そのあと、信子と ともに 再度 長念寺を 訪問、永代供養 などの ことに ついても教えて いただきました。



富山県の 石、オニックス マーブル

918()午後、千代田町の 丸十 2Fで 「こしの みちの なか」公開講座が あり、黒部市 吉田科学館 学芸員 久保 貴志 さんが 「富山県の 石、オニックス マーブル 認定を めぐって」と 題して、報告 されました。2016510日、日本地質学会が、富山県 宇奈月 オリタテ[下立]産の オニック スマーブルを「富山県の 石」として 認定した と いう ことです。
 
「富山県の 木=タテヤマ スギ」、「富山県の 花=チューリップ」、「富山県の 鳥=雷鳥」などは よく見たり 聞いたり しますが、「富山県の 石=オニックス マーブル」と いう のは 初耳です。それ どころか 「富山県で 大理石が 産出された こと」、「その 大理石が 国会議事堂で、有名政治家坐像の台座として利用されている」などとは、考えても いませんでした
 
それに しても、久保 さんは 若手 バリバリの 地質学 研究者。地層の 成立年代に ついて、一千万年 とか、一億年 などの 年数を 並べられても、わたしども には、いまひとつ ピンと きません。そんな タヨリナイ わたしどもに 対しても、 終始 情熱をこめて、「富山県の 石、オニックス マーブル」に ついて 語られ ました。ただの 「理系の 研究者」だけ では おさまらない だろうと 敬服し ました。



ゴミ屋敷から 解放

919日(月)。この  5日 から、毎週 3ヘルパー さんに きて いただく ことに なって、ちょうど2週間 たちました。ネズミ 対策・ゴキブリ 対策 から はじめ、この 日は、ひさしぶりで あちこちの 部屋に 掃除機を かけて いただきました。これで やっと、ゴミ屋敷 から 解放された 感じに なりました。

デイ サービスの 場合は、施設側で 「連絡帳」を つくり、毎回 観察記録などを 記録する 仕組みに なって います。また、ヘルパーさんの 場合も、「ヘルパー活動 記録簿」に 毎回 具体的な 記録が 残る ように なって います。本人は もちろん、家族まで 混乱している 状況の 中で、こうした 記録資料が 残される ことは、たいへん ありがたい ことです。これまでの 経過が 客観的・具体的に わかり、このさきの ことを 考える 上で、貴重な 資料になると 思います。



古事記を 読む 会

102() 午前、茶屋町 豊栄稲荷神社で「古事記を 読む 会」が あり、服部 征雄 さん から「出雲の 国の 神話 めぐり」として、討議資料が 提出 されました。

1.キサガイヒメウムガイヒメは 出雲大社の 境内に 祀られて いた。

2.キサガイヒメと ウムガイヒメの 行為は、看護の 発祥と 考えられる。

3.出雲大社の 境内には、大国主と 因幡の 素ウサギの 神話を 思わせる 像や 絵画が 沢山 あるが、ガマが 一本も 生えて いない。

4.出雲大社 (宗教法人 出雲大社教)には、少彦名を 祀って いない…何か 意図は あるのか。

5.北島家(宗教法人 出雲教)には、少彦名を 祀る 社が 建立されて いた。

6.少彦名春日大社(二番納札社・三輪神社 少彦名命)、大神神社 (磐座神社)では 祀られて いる。

7.少彦名が 伝えた 酒の 発酵 技術

 単発酵酒…酵母に よる 糖の 自然発酵。南方では、椰子酒は 孔雀ヤシの 実 が 自然と発する(猿酒)。わが国でも、ヤマブドウ・ヤマグワ・キイチゴなどの草木の実を発酵できる。

 複発酵酒…澱粉が主成分の穀物類を発酵させる技術で、澱粉を糖化酵素により、糖に変える。唾液のアラミーゼを利用する「噛み酒」や、コウジカビを利用する方法がある。

  大隅の国風土記…「一家に水と米とを設けて…男女一所に集まりて、米をかみて 酒 槽に吐き入れて、チリ自利に帰りぬ。酒の香のいでくるとき、又集まりて、かみて吐き入れしものどもこれを飲む」(廣野卓著『食の万葉集』から)

  仲哀天皇、酒楽の歌其の御祖 息長帯日売命、待酒を酵み 献りき…御歌に 曰く。この神酒は 我が神酒ならず。クシノカミ[酒司] 常世に座す イワタタス[石立] スクナミカミ[小御神]の 神寿き 狂ほし 豊寿き 寿きモトホシ[] 奉り来し 神酒ぞ あさず ヲ[]せ ささ…

 8.八岐大蛇に 飲ませた 酒は、単発酵酒か?

  日本書紀神代上第八段に、①アシナヅチ[脚摩乳]・テナヅチ[手摩乳]をしてヤシオオリ[八醞]の酒を醸み…②「イマシ[]はアマタノコノミ[衆菓]を以て酒ヤハラ[八甕]を醸め」…③「悪式酒を醸みて飲ましむ…」とある…このシーンが展開する舞台は、出雲国斐伊川の川上。衆果とは、中国山脈に自生していた野ブドウや野イチゴの類.酒悪とは、身体が痺れるキノコでものませたのだろうか。(同上書、中公新書)

  

『古事記』を読む 視点

『古事記』を 読む 会の メンバーは 多彩です。その中で、服部 征雄さんは 薬学・薬品化学の 研究者として 一家を 成され、その視点 から『古事記』を 読み、「薬品・医療・看護」などに かんする 記事を 採集・整理し、話題として 提供されて います。「なるほど、こういう 読み方も あるんだ」、「古事記には、こんな 資料も ふくまれて いたんだ」など、毎回 気づかされ、敬服して います。

 わたしの 場合は、『古事記』を 日本語の 語彙資料として 利用する ことに しています。もうすこし 具多的に いえば、『古事記』が書かれた 時代は ヤマト政権が 古代国家としての 体制を 固めた 時代で あり、一地域の 言語に 過ぎなかった ヤマトコトバが 日本列島 共通の 言語に まで 成長した 時代。したがって、『古事記』の 中には、ヤマトコトバの 出生・成長・変身ぶりを 示す 資料・証言が 埋めこまれて いると 考える わけです。



オホと スクナの 語源

たとえば、オホクニヌシと スクナヒコナの 関係。こんど 服部さんが 話題として とりあげられた 中でも、「大国主・少彦名」など という ナマエが くりかえし 出てきます。しかし、「それは 固有名詞だから」という ことで、その 命名の 由来を 追求しない のが普通の よう です。わたしは、「人名・神名・地名など には、命名した 人たち からの、さまざまな メッセージが 埋めこまれて いる はず。その メッセージを ていねいに 解読する ことに よって、ヤマトコトバの 成長過程に かんする あらたな 証言が 得られる のでは ないか」と 考えて います。

オホクニヌシは 漢字で [大国主]と 書かれますが、そもそも オホという 語音が どうして 漢語 ダイ[]の 意味を あらわす ことに なった ので しょうか?また、スクナヒコナの スクナは どうして 漢語 ショウ[]の 意味を あらわす ことに なった ので しょうか?そういった「語音と 意味の 対応関係」を たしかめた うえで 議論を すすめてこそ、科学的・実証的な研究と いえる のでは ないで しょうか?

 オホ[]と スクナ[]の 語源解釈に ついて 考えて みたい のですが、ここでは 議論を 単純化する ため、まず イズミの 解釈を のべる ことに します。 

オホ 関連の ヤマトコトバと して、上代語の 段階で、オフ[覆・負・追・生]オブ[佩・帯]などの 2音節動詞が 成立して います。また、その まわりに オビ[]・オフ[白貝] などの名詞や オホ[凡・大] などの 形状言も 成立して います。国語辞典の 解説を 見ても、オフ[白貝]が どんな 貝なのか、実態は 未詳との こと ですが、日本列島 各地で 貝塚 遺跡が 発見されて いる こと から みても、古代 日本人の 生活が 貝の身や カイガラに ささえられて いた ことが 推定 されます。

 カイ(カヒ)[貝]の 生態を 観察すると、「カヒガラが、カヒの 身を オフ[覆]・カバフ〔庇〕・カフ[飼]」姿で あり、視点を 変えれば、「貝の身が、カヒガラを オフ〔負〕・オブ[佩・帯〕]姿でも あります。このこと から、オフ[白貝]は、動詞 オフ[覆・負]の名詞用法と 解釈する ことも できそう です。ちょうど 動詞 ハル[張・墾]と 名詞 ハル[] (草木の 根や 芽が ハリだす 季節)の ような もの です。

 貝の身は、だいじな 食料資源 でしたが、カイガラも 食品 などの 容器と して、また身に オビル[佩・帯] 装飾品と して 利用され ました。さらには、大型の カイガラで 地面の土を スクイとり、イモの 種を 埋めこむ など、農耕具と して 利用された ことも 考え られます。

 スクナヒコの 語源に ついても、同様に 分析 できます。ヒコ[]に ついては、ヤマトコトバの ヒコ[日子] (日の御子)に 漢字 ゲン[]を 当てたと 解釈して よいで しょう。問題に したいのは、スク・スクナの 語源 です。わたしの 結論は、スクナ=スク[]・ナ[名・刃] です。

スクを めぐっては、上代語と して サク[咲・開・裂・割・放・離]・シク[及・敷・布]・スク[鋤・送・漉・次・助]・スグ[]・セク[]・ソク[退]などの2音節 動詞が 成立して います。また、サ[坂・界・境・冠・尺・積・酒・逆]・サガ []・サキ[前・先岬]・サギ[]・サケ[]・シカ[鹿]・シキ[磯城]・シギ[]・シゲ[繁・茂]・スガ[]・スキ[鋤・襷・村・次]・スギ[]・スケ[]・スゲ[]・セキ[塞・関]・セコ[背子]・ソキ(①木を薄くそいだ板。②はて。ソク[退]の名詞形)・ソコ[底・塞]などの2音節名詞、ソコ[其処]などの 代名詞、サカ[]・シコ[]などの 形状言、シカ[]などの 副詞が 成立して います。

 これら s-k音語の 世界では、動詞 語尾 母音が ア・エ・イに 変化すると、「~する もの(こと)」と いう 意味の 名詞形に なります。サカ[]=サケル[裂・割] 地形。サカ・サケ[]=イネ・ムギ・キビなどの 細胞が サケル[裂・割](発酵する)姿。スキ[]=スクスク・スクスク 地面を スキ起こす 道具。セキ[]=セク[]の 名詞形で、交通の流れを セキとめる こと(もの)。ざっと、こんな 具合に なります。

 こうした 流れ から 考えて、スクナは もと「スク[鋤]・ナ[名・刃](ナリモノ)」の構造を もつ コトバで あり、先進技術・スキ[]使用に よる 列島改造の シンボルと されました。鉄利器が もたらした 省エネ 効果は、石器・木器などとに くらべ 抜群でしたから、やがて 形容詞 スクナシが 成立し、漢字 ショウ[](スクナイ。スコシ。わかい)が 当てられ ました。ちなみに、漢字thiogshaoは、siogxiao (ちいさい。スコシク)と ともに、もと s-k音の コトバです。

 スクナヒコナを とりあげると すれば、タケウチノスクネ[建内宿祢]などの スクネとの関係も 考えて みる 必要が あります。さらには、「神代・歴代天皇系図」に 登場する 「s-k音の 神名・人名」にも 注目したいと 思います。コノハナノサクヤヒメ[木花之佐久夜[](大山津見神の 娘。ニニギ命と 結婚)・イスケヨリヒメ[伊須気余理比売](大物主神の 娘。神武天皇の 皇后)シキツヒコタマデミ[師木津日子玉手見](安寧天皇)・オホヤマトヒコスキトモ[大倭日子鉏友](懿徳天皇)・オシカヒメ[忍鹿比売](孝安天皇の皇后)・ウツシコメ[内色許売]命(孝元天皇の 皇后)・スクナヒコタケヰココロ[少名日子建猪心]命(孝元天皇の 子)・イカガシコ[伊迦賀色許売]命(開化天皇の 皇后)・ヤサカノイリヒメ[八坂之入日売]命(景行天皇の 皇后)・オキナガスク[息長宿禰]王(神功皇后の 父)・オホサザキ[大雀] 命(仁徳天皇)・オホクサカ[大日下]王(仁徳天皇の 子)・ヲアサヅマワクゴノスク[男浅浅津間若子宿禰]命(允恭天皇)・オサカノオホナカツヒメ[忍坂之大中津日売]命(允恭天皇の 皇后)・サカヒノクロヒコ[境之黒日子]王(允恭天皇の 子)など。

 天皇と 皇后は 一体の 関係ですが、天皇の まわりには 天皇と 血縁関係の 部族たちが います。また、皇后の まわりにも 皇后と 血縁関係の 部族たちが います。ここに 紹介した 「s-k音の ナノリを もつ 人たち」の 名簿を ながめて いる だけでも、当時の ヤマト政権を めぐる 部族たちの 攻防が 目に 浮かんで きます。日本列島の中 だけで なく、海を へだてて 朝鮮半島、中国大陸との 交流の あとも 見られます。そのことが ヤマトコトバの 成長・発達に おおきく 影響した ことも 考えられます。
 なお、オホ[]と スクナ[]に ついては、この ブログでも とりあげた ことが あります(20151210日号)。ご参照 いただければ、幸せです。

2016年10月15日土曜日

老老介護 日誌 


雪見橋から 10/7


遊歩道 10/7 


デイサービス まちなか、A 


同上、B 


まちなか 敬老会、A 9/15 


同上、B 9/15 


藤の木病院 10/7 




いたち川 遊歩道

107()。晴れ。ひさしぶり、朝の いたち川散歩に でかけました。定点観測の 要領で 雪見橋の 上から 下流を ながめたり、遊歩道に うつる 桜並木の カゲや 枯れ葉の 姿に、秋の おとづれを 感じたり しました。

信子の 体調の こと ばかりが 気になって、朝の 散歩も サボリがち ですが、そのこと自体、96歳 老人と して 自然な 老化現象と いう こと かも しれません。考えて みれば、人間とは、地球という 自然環境の 中で 生まれた 生命体で あり、その点で 草や 木、虫・鳥・魚・獣と おなじ。また、地球 そのものが 太陽の まわりを めぐる 1個の 星で あり、地球上の 生物は 太陽の ヒカリに よって 生きたり 死んだり して います…ガラにも ない ことを 考えこんで しまいました。これも お歳の せいで しょうか。



ヘルパー 活動 記録簿

95()Mioriさんと ケアマネさん とも 相談。この日 から 毎週 3(月・水・土)介護ヘルパー さんに きて いただく ことに なりました。ヘルパー さんに どんな 作業を して いただける のか、あまり よく 分から なかった のですが、この日は「デイサービスに 出かける したく」「夕食用の おかゆ づくり」などを して いただきました。ヘルパー さんは、毎回 「ヘルパー 活動 記録簿」に 記入される ので、わたしども 家族に とっても、あとから ふりかえって、いろいろ 参考に なります。



デイサービスで「敬老会」

デイ サービス 施設 まちなかの ことは、ブログでも 紹介ずみ ですが、ここで また あらためて とりあげ させて いただきます。それは、いま わたしども 夫婦に とって イノチヅナ[命綱]の ような 存在に なって いますが、超高齢化社会に むかって つきすすむ日本国に とっても 重大な 課題だと 考えられる から です。

  わたしが 体験した 介護施設は「まちなか」だけ なので、富山県 あるいは 日本全国の介護施設の 実態が どう なって いるのか、それは 分かり ません。しかし、わたしは ここに 通う ように なってから 間もなく、「これこそ 本物の 介護施設だ」と ほれこんでしまいました。どこに ほれたか? ここの 通所者は、「要支援・要介護」の 老人 ばかりです。その 老人たちの 目線に あわせて 施設がつくられ、スタッフが そろえられ、日がわり メニューが 準備され、実行されて いる という こと です。

ずばり、具体的に いいましょう。まずは、通所者送迎の マナー。自宅の 玄関から クルマに 乗る まで、必要に 応じて 介護する。シートベルトを かける のも、はずす のも、運転者の 責任。こうした マナーの よさは、介護事業者と して の自覚・自負・使命感から くる もので しょう。この点に ついては、富山の タクシー業界や 交通関係の 行政部門の 方たちにも ぜひ 参考に して いただきたいと 思います。

ここまでは、ブログでも 指摘し、提案して きました。今回 紹介するのは、まちなかの「毎日の 活動スケジュールの 組み方」に ついて です。

スケジュールの 中には「入浴・体操・歩行訓練・マッサージ」など、毎回 おなじ ことの くりかえしと いう 部分も ありますが、「カラオケ・習字・〇〇ゲーム」など、日がわり メニューの 部分も あります。さらには 世間一般の 生活習慣に あわせた 「敬老会」「秋季大運動会」など、かなり テマ・ヒマの かかる ものも やりとげて います。

わたしが 出席した 915日 には「敬老会」のプログラムが組みこまれ、マッサージ担当の Mnm先生が 胡弓や 三味線の 技を 披露したり、スタッフの みなさん 総動員で ダンスを おどったり、たいへんな 盛りあがりを 見せました。最後は 通所者を 代表して Mtiさんが 「感謝の ことば」を のべる という 形で、「まちなか・敬老会」は 無事終了 という ことに なりました。

また、1013日には、「秋季運動会」の プログラムが 組まれ、通所者 全員が 紅白に分かれ、「選手宣誓」から はじめて、「スプーン レース」「満水 レ-ス」「パン食い レース」などの ゲームを 楽しみ ました。途中、扮装した スタッフたちに よる「チアリーダーの行進」も あり、全員 ドタバタ喜劇に 出演した 感じの ひととき でした。

こうした 施設や スタッフたちに よって、こうした サービスが 受けられる ことは、ありがたいと 思います。しかし、いまの 日本の 政治・経済 情勢、あるいは 世界情勢など から 見て、「いつ 戦争が はじまるかも しれない」、「戦争と なれば、老人介護 どころで なくなる だろう」と いう 心配も 消すことが できません。



藤の木病院で 点滴

 話が すこし 前後しますが、915日、信子の 妹 Emikoさん(四街道市在住)から 近況を たずねる 電話が ありました。また、信子の 姪のAtukoさん(東京在集)から、わたし あてに ゲキレイの メールが とどきました。

それからも いろいろ あって、1012日、藤の木病院 (Mioriさん かかりつけの 病院)血液検査や 点滴を 受ける ことに なりました。

 点滴の せいか どうか、よく 分かりませんが、すこし 元気が 出て きた ようにも 見えます。食欲も あり、おいし そうに 食べます。ただし、そのあと ハキモドシが あるのは、あまり 変化が ない よう です。このあと 19日にも 点滴を して いただく 予定です。なんとかして、ハキモドシが おさまって くれればと 願って います。