2018年3月28日水曜日

竜宮と松川とスマホ



信子の一周忌祭壇 3/10



 『古事記』を読む會 3/11


松川散歩(A) 3/17  


松川散歩(B) 3/17  



画像について

スマホを修理に出し、㈹行機もトラブルつづきで、ブログ原稿に予定していた写真がつぎつぎ「行方不明」状態になってしまいました。そのため前号のブログは、写真ゼロ、パソコンでスキャンした画像だけとなりました。今号の紙面についても、画像ゼロではさびしすぎるので、いちど掲載ずみですが、「松川散歩」の写真(181111日号)に再登場してもらうことも考えました。①「神通川船橋跡」解説掲示板付近。②松川がつくる水かがみ。 

 ところが、修理ずみのスマホがもどってきたあとになって、「行方不明」の寫眞数枚がパソコンのピクチャーの片すみで発見されました。

  信子の一周忌祭壇(310日、長念寺)。

  『古事記』を読む会(311日、豊栄稲荷神社)。

  松川散歩(A)(3月17日)。

  松川散歩() 3月17日)。

ごらんのとおり、①と②は前号ブログ記事にそえて掲載予定だった写真です。1号おくれの掲載は、まさに「六日のあやめ。十日の菊」。どうにもカッコウがつかない話ですが、これがいまのわたしの実態です。オワライください。



松川散歩

317日(土)、晴れ。めぐみのスタッフがつきそい、数人で松川べりまで散歩に出かけました。ホームからここまで、わかい人なら5分もかからないかと思いますが、わたしどもの年になると、途中で一服したいほどの距離です。去年の5月にホームへ移ってから、これが3度目くらいの松川散歩になります。一行のうち、3人ほどはさらにさきにある高志の国文学館へ向かいましたが、わたしは松川べり遊歩道をゆっくりたのしませていただくことにしました。

 松川の水は、いつものとおり、ゆっくり流れています。遊歩道のあちこちに設置された彫刻も、いつもとおなじ表情をしています。松川の水は神通川の分流ですが、このさきすぐいたち川と合流します。いたち川は常願寺川の分流ですから、あれこれ総合して、「常願寺川と神通川が合流して海へそそぐ」姿をイメージすることができます。

 松川の水の流れを見ていると、なんとなく安らかな気分になってくるのがフシギです。そのうち、いつのまにか自分の体がその流れに乗せられ、いたち川へ合流、やがて日本海へそそぎこまれるような感じがしてきました。日本海といえば、オオウナバラ。海の水は、世界のいたるところ、スミからスミまでスミコミ、シミワタルことができます。いいかえれば、これで全世界・宇宙とつながることができる、そんな感覚です。

 客観的に見て、ごくちかい将来、イノチが尽きはてて火葬され、大地にかえされるわが身です。ムダな抵抗はヤメにして、できるだけ安らかな往生をとげたいものです。



三味線を聞く会

3月21日(水)。午後、9Fで「三味線を聞く会」が開かれました。出演者は、いつもお見えになる男性と若い女性のお二人…お名前をぞんじあげないので、ごめんなさい。この日の曲目は;津軽じょんがら節。といちんさ。こきりこ節。花笠音頭。真室川音頭。ソーラン節。黒田節。炭坑節など。たいへんな熱演でした。

スマホ(代行機)で一枚だけ寫眞をとりましたが、そのあとパソコンにコピーする段階で、またしてもトラブル。さきほど「行方不明だった寫眞が見つかった」といいましたが、この写真だけは相変わらず行方不明のまま。残念です。



『大職冠図屏風』に学ぶ

3月23日(金)。午後1時半から、茶屋町豊栄稲荷神社日本海文化悠学会の総会が開催されましたが、そのまえにまず、針山康雄さんから「『大職冠図屏風』に学ぶ」と題して研究報告がありました。

 針山さんは、311日の『古事記』を読む会でもおなじテーマで報告・提案されました。『大職冠図屏風』について、なんの予備知識もないわたしにとって、「この屏風図からナニを学ぶか」という問題そのものが、おおきな宿題となってしまいました。

『大職冠図屏風』に描かれた物語などを中心にして、そこから日本歴史の真実をさぐるという方法もあるでしょう。あるいは、純粋に美術・文芸の問題として、その表現技術を追求するなどの研究方法もあるでしょう。「ナニを学びとることができるか」は、「ナニを学びとりたいか」によってきまる、といえるかもしれません。

 わたし自身、「ナニを学びとることができたか?」前号のブログで、さしあたりの感想を申しあげました。針山さんから再度報告を聞かせていただいたいまも、ほぼ変化なしの状態ですが、ここであらためて、自分にいい聞かせるつもりで、なるべく簡単に、なるべく具体的に書きしるしてみます。

 「『古事記』日向三代」、「大職冠図屏風」、「浦島子伝説」などに共通してみられる「竜宮訪問物語」は、日本人の宇宙観の一部を構成するものだったと考えることができる。その宇宙観によれば、この宇宙は、垂直な軸によって支えられ、上から下へ、三つの世界に区分される。①タカマガハラ[高天原](天上界)。②クニ[](トヨアシハラミズホノクニ。アキツシマ。ヤマト)。③ウナハラ[海原](海外。海中。竜宮)。     

 いまのわたしには、このていどのマトメしかできません。これでは客観的・合理的な研究とは呼べないでしょう。研究方法がピンとはずれだった可能性もあります。

 正直な話、わたしにはもっと身近なところに、いますぐとりあげ、みなさまといっしょに議論してみたい問題があります。たとえば『古事記』日向三代、ホヲリ命の「竜宮訪問」のくだりで登場する「ワタツミ大神」というナノリの問題です。ワタツミの基本義をさぐるキーワードはワタ。ワタの音形をもつ上代語として、名詞ワタ[海・綿・腸]・ワタクシ[]・ワタナカ[海中]・ワタリ[]・ワタリゼ[渡瀬]、動詞ワタス[]・ワタル[]・ワタラフ[]などが成立している事実に注目したいと思います。これらの語彙資料から、ヤマトコトバのワタwata英語のwater()に対応する語音ではないかというのが、イズミの仮説です。参考までに、英語の辞典をしらべてみると、waterは語根 wed-( wet湿った)からの派生語で、wet, wash, winterなどと同系と解説されています。 

 こんなふうにみてくると、ワタ[海・綿・腸]は、いずれもグニャグニャしていて、「形がきまらない」、それだけぎゃくに、どんなせまいスキマにも自由にスミコム・シミコム・シミワタルことができる。つまり、ワタ[海水]=シミワタルもの=waterと解釈して、なんの不都合もなしということになります。ついでにいえば、日本語のアラフ[]ども、もともとワラフの語頭w-音脱落と解釈できそうです。ワラフ[](口をワル)アラフ[ワリこんで、ヨゴレをとる]同源で、英語のlaugh(笑う)とも対応しそうだとなると、話がウマすぎて、ワラッチャイますね。

 ダメでもともと。万が一、やがて公認されれば、「世紀の大発見!」かたくるしいことはヌキにして、コトバあそびのゲームとしてもおもしろそうだ、と思われませんか?一人でチャレンジしていてもアキないのですが、二人・三人・五人、仲間がふえれば、それだけ「新発見」が量産され、ますます盛りあがってくると思います。



日本海文化悠学会総会

 この日は2017年度最後の月例会なので、総会が予定されており、「年度事業・決算報告」、「新年度事業計画・予算」などについて報告・提案され、審議されました。また、昨年にひきつづき、今年も会誌「悠学」第2号を発行することについて、「ほぼ順調に進行中」との報告もありました。「予定原稿は全部そろった」とのこと。わたしも「ヤ[矢]・[也]・ARROWの系譜」と題した原稿(A510)を提出ずみです。



スマホの修理完了

3月24日(土)。美織さん、Zyunさん、親子そろって来訪。修理が終わったスマホを受けとりにゆき、とどけてくれました。Zyunさんは藤木家の次男。パソコンやスマホにはくわしいようなので、これからもいろいろ教えてもらえそうです。よろしくたのみます。

なにはともあれ、日ごろ使いなれたスマホがもどってきたことで、まずは一安心。元気をとりもどして、ブログづくりをつづけたいと思います。




2018年3月20日火曜日

春のオトズレをまつ


かざはなkazahana演奏会 3/8

  大職冠図屏風、A 3/11 


大職冠図屏風、B 3/11 



 
  大職冠図屏風、Ⅽ 3/11



春のオトズレを聞く

3月といえば、ハル[]。草や木の芽がハリだす季節。ウメやモモ、そしてやがてサクラの花芽がハリだし、一枚一枚の花びらがハリサケル季節です。その「ハリサケル音」が、老人ホームめぐみまでオトズレてきました。

37日(水)。午後9Fで「音を聞く会」。定期的においでになる「歌のおねえさん」が春らしい歌をとりそろえて紹介。白板に大判歌詞カードを、つぎつぎ掲示。

「どこかで春が」、「ひなまつり」、「ああ人生に涙あり」、「真室川音頭」、「花は咲く」など。

出席者たちも、歌詞カードを見ながら、声を出していました。

3月8日(木)。前日につづいて「Kazahana演奏会」。オグマ・アキラ[小熊昭良]さんの尺八タカサキ・エリ[高崎英里]さんのコト[]の演奏会がありました。小熊さんは魚津市出身、氷見市在住。米谷流尺八準師範。富山県芸文協会員。民謡尺八教室、津軽三味線皇室開講中。高崎さんは、生まれも育ちも嫁ぎ先も氷見。生田流正師範。富山県芸文協会員。お箏教室開講中。

 「かざはなkazahana2014年結成、尺八と箏の和楽器デユオ・ユニットです。世の中には実に多くの種類の楽器があふれていますが、箏・尺八という邦楽器をもっと身近に親しんでほしいと思っています」

 この日は、老人ホームめぐみでの演奏会のために、ていねいなプログラム(演奏曲目、歌詞とも)を印刷して配布。

 演奏曲目:北国の春、花は咲く、川の流れのように、早春賦、うれしいひなまつり、365日の紙飛行機、ふるさと、など。

 なによりも、この道にかけるお二人の熱意が伝わって来て、たくさんの元気をいただきました。ありがとうございます。このさき、kazahanaのご活躍。ご成功をいのります。



信子の一周忌法事

信子の一周忌法事を310日につとめることになったので、めぐみでの生活日程を一部調整しました。39日(金)の午前中に「内科検診」。「掃除」をすませ、午後、東京からかけつけた西田恵美子さん、幸恵さんといっしょに「のんの(旅館)へ移動。ここで合宿。明日は、ここから式場(長念寺へ直行することにします。

3月10日(土)。10:30から長念寺で、信子の一周忌の法事をつとめさせていただきました。出席者11名。つづいて、五万石で会食。15時すぎ、ホームへ帰りつきました。おかげさまで、ようやく無事に「一件落着」。ほっとしました。



スマホが不調

8日夜ごろから、スマホがおかしな状態になりました。機体が熱くなったので。電源を切ろうとしましたが、切れません。9日、幸恵さんに相談。修理に出すことになり。代用機をわたされましたが、機種がちがうと、メカ・オンチのわたしには使い方が分かりません。

美織さんに教えてもらって、ようやくカメラとしてシャッターを切り、映像をたしかめることができましたが、その映像をパソコンのピクチャーにコピーしようとする段階で、またトラブル…。そんな次第で、今回のブログでは、スマホ・カメラによる写真はゼロ。ごらんの画像は、入手できた資料をパソコンでスキャンしたものだけです。



『古事記』を読む会

311日(日)午前中、茶屋町豊栄稲荷神社『古事記』を読む会研修会に出席。この日のテーマは「日向三代」について。はじめに出席者全員でテキストの「日向三代」(アマツヒダカヒコホノニニギ命・アマツヒダカヒコホホデミ命・アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアヘズ命)の部分を輪読。そのあと、「『大職冠図屏風』に学ぶ」と題して。針山康雄さんが提案・報告されました。

 「日向三代」は、『古事記』という物語の舞台が「高天原」(神代)から「日本列島」(天皇の時代)へ移動する中間の時代として設定されています。「日向」、「高千穂宮」などの地名が出てくるので、九州宮崎県あたりかとも考えられますが、物語の内容はホヲリ(アマツヒダカヒコホホデミ)命海宮(竜宮)をおとずれ、海神の娘トヨタマ[豊玉]姫と結婚する話が中心で、日本国内のことはほとんど語られていません。この事実をどう考えればよいか?いろいろな解釈があるようですが、その一例;「日向三代」の記事は、「イザナギ・イザナミ」、「アアテラス・スサノヲ」、「オオホクニヌシ」の記事とならんで「上ツ巻」を構成するもの。つまり、『古事記』編纂者としての「宇宙観」、「世界観」、「国家観」などを記したものであり、「中ツ巻」以下の「歴史的事実を記す」記事とは異質のものである。

 さて、「大職冠図屏風」の話に移りましょう。「大職冠」は、大化3年(617)に制定された七色十三冠階の最高位。じっさいにこの冠職名を受けたのは中臣(藤原)鎌足だけなので、鎌足の代名詞となっています。「大職冠図屏風」は、鎌足にちなんだ物語(竜宮訪問)をえがいた屏風図で、全国各地で収蔵されているとのこと。県内では、高岡市伏木国府の勝興寺にも収蔵され、県指定文化財となっています。形式は、押貼絵屏風の六曲一双屏風。

 そこで問題は、この「大職冠図屏風」からナニを学ぶかですが、学習不足のわたしには、提供された資料の豊かさ・華麗さに目をうばわれるばかりで、どう考えればよいか、まだよくわかりません。このあと23日の「悠学会」研修会でも、針山さんがおなじテーマで報告される予定になっておりますので、その場でもう少し学習したうえで、じぶんの考えをまとめたいと思います。



第二外国語習得の効用

313日(火)。「日中学院報」3月号がとどき、「瞳みのる先生講演会報告」を読みました。とりわけ「第二外国語を習得することの効用」を力説しておられるくだりで同感させられましたので、ご紹介させていただきます。

 …第二外国語で中国語のような外国語を学ぶかどうかで、客観性を養えると思うのです。逆に言えば、1つの言語しか知らないと、客観性を以て物事を判断しないのではないかと思うのです。母国語だけでは視野が狭く、第二言語が増えても、一対一対応で意味を暗記して覚えるだけにとどまるかもしれないのが、第二言語をもって第三番目以降の他言語に接した場合、母国語と第二番目の言語に足して比較して考え、母国語をも客観的に見ることができるのではないかと思うのです。とくに英語、日本語、中国語というルーツが全く違う3言語では、その比較は非常に興味深くなると思います。

≪参考≫

 瞳みのるさんはもとザ・タイガース(沢田研二・岸部一徳・岸部四郎など)のドラマーとして活躍、そのご慶応大学へ進学、日中学院・北京語言学院(現北京語言大学)で中国語を専攻。「中国語は自分にとって救世主といっていい存在」と語っています。



ブログのモクジづくり

316日(金)。数日まえから、ブログ「コトダマの世界」の「もくじ」づくりを思いたち、ようやく一段落したところです。このブログは、201112月から公開しはじめ、20166月でいちおう中止。「象象形言語説」にしたがい、「64音図」方式にあわせて、日本語(単語)を採集・分類し、単語家族としてまとめる作業。「語根と派生語」の集団として、日本語の語彙体系をまとめる。日本語の戸籍簿づくりのための、基本的な作業だと考えています。

コトバはオト(音声)イノチ。日本語では、どんな音形を使ってどんな意味(事物の姿)を表わすことになっているか?考古学・歴史学の研究法に学んで、まずは『古事記』、『萬葉集』などの中から古代日本語=ヤマトコトバの音韻資料を採集・観察し、ヤマトコトバの音韻組織にかんする原理・原則をさぐります。また、ヤマト民族はもとはすべて世界各地からの移住民だという現実を考え、あわせて周辺の民族言語の音韻組織についてもしらべます。イズミの場合、日本語・漢語・英語の3民族言語にしぼっていますが、それはイズミ個人の能力がとぼしいからであり、本来ならばアイヌ語・琉球語・朝鮮語・モンゴル語・満州語なども必要です。多数の民族言語と音韻面での対応関係が分かれば、日本語が人類語の中で占める位置関係についても、あらたな情報が得られることと思います。




2018年3月5日月曜日

土地数枝さんをおくる


ゼンザイ 2/27


 数枝さんの祭壇  3/1


ひな祭のご膳 3/3 




山川のゼンザイ

227日(火)。この日は信子の月命日。午前11時、長念寺住職志田常無さんにお経をあげていただきました。。

午後、美織さんのクルマで砂町の自宅へ。先日からの雪で、いろいろ心配していましたが、どうやら無事でした。2階のベランダは日当たりがよいためか、すっかり雪が解けていました。ただ、1階台所やトイレの水はいちど凍結したようで、水の出がわるく、しばらく茶色のサビが出ていました。この程度の被害ですめばと、ひとまず安心しました。

そのあと、ついでにということで、数枝さん(美織さんの母で、信子の姉)のお見舞いにゆくことにしました。美織さんの話では、先日すこし容態が変化したため、医療生協の協立病院(豊田町)へ入院したばかりとのことでした。

病院の奥まった一室で、数枝さんに面会しました。しばらくぶりの面会でしたが、これまでの数枝さんとは、様子が一変していました。口からの食事ができなくなり、点滴だけで栄養を補給しているとのこと。ベッドによこたわっているだけ。目はあいてはいるがウツロな様子。わたしが来たことは、わかったらしく、なにかしゃべっているようですが、コエとして出てきません。わたしは、すぐに信子が亡くなったときの様子を思い出していました。あの時とソックリなのです。これはアブナイなと思いました。

病院からオームめぐみへ帰る途中、泉町のヤマカワ[山川]によってゼンザイをたべることになりました。ヤマカワはヤキイモやコオリミズでも有名ですが、ゼンザイもなつかしい味をもっています。

 ごらんのとおり、あまいゼンザイののワキに、ちょっぴり塩からいキザミ昆布がそえられています。人生、ハッピーな毎日だけがつづくわけではありません。ゼンザイのようなあまい思い出と、キザミ昆布のような塩からい思い出と、両方からみあって出てくる。それが人生の実態なのかもしれません。



数枝さん亡くなる

228日(水)。美織さんから電話があり、数枝さんが亡くなったとの知らせでした。きのう面会してきたばかり。あのとき「アブナイな」と思ったことは事実ですが、まさかその翌日のきょう亡くなるとは、予想できませんでした。

 電話している美織さんがナミダ声になっていることがわかり、このさき美織さんのことが心配になってきました。これで、美織さんはたちまち「喪主」となり、通夜・葬式・七日の法事・四十九日の法事などの日程をこなしてゆかねばなりません。それだけであありません。葬式から1週間後の310には、信子の一周忌法事の日程も組まれています。名義上の喪主はわたしですが、じっさいはすべて美織さんにダンドリしてもらっています。

信子の一周忌法事は、もともと427日の予定でしたが、数枝さんの症状にあわせて39日にくりあげたものです。結果的には、美織さんにやたらきびしい日程をおしつけることになりました。申しわけないことです。

 31日(木)の通夜、2日(金)の葬儀、七日の法事など、すべて西番のオークス・セレモニーホールでおこなわれました。東京からかけつけて通夜に参加した西田恵美子さん、伊藤淳子さんなど(イズミも)、数人がワキの部屋で宿泊しました。

 現役の社会人ではないことから、ごく内輪の家族葬とし、3日付新聞の「おくやみ欄」でも「葬儀は終了しました」という記事になっていました。



人生の達人

33日(土)。「最後の面会」から「七日の法事」まで。わたしとしては、「あれよ、あれよ」というばかり。ナニか考えることも、ナニかしゃべることもできなかった三日間。そして、「葬儀は終了しました」。

しかしぎゃくに、法事が一段落して落ちついたイマだからこそ、じっくりと考え、いろんな角度から議論してみたいという気持もあります。数枝さんの「一生」(イキザマ)を一つの素材として、「イキルとは、どういうことか」、「一人の人間の生死に、どんな意味があるのか」などについて議論してしてみたらおもしろそうだと考えるのですが、どうでしょうか。

 数枝さんは菓子製造販売業の一家に生まれ、外国航路の貨物船機関士と結婚,一男一女の母となる。夫はめったに休暇が取れず、たまに国内に寄港したときは、子供たちを妹の信子にあずけて寄港先へかけつける。外国航路機関士の収入はかなり高額のはずだが、じっさいの仕送り金額は充分とはいえなかったらしい。それでも、数枝さんはグチをこぼしたことがない。ミシンをふんで婦人子供服をつくるという特殊技能をもっていたからだ。

 やがて、が病気のため帰宅、富山で療養生活をつづけ、ついに死亡。二人の子供がそれぞれ結婚する。そしてある日突然、交通事故にまきこまれ、治療後も要介護5、移動は車いす、食事も排泄も、すべて介護が必要となる。不幸中の幸いというか、加害者が富山交通(富タク)という会社で、ていねいに補償してくれたので、金銭面で家族に負担がかかることはなかった。入れ歯があわないとのことで、ハグキで直接カム(?)だけでの食事だったが、食欲は旺盛。食事にかぎらず、世間一般のことについても、一家言をもっていた。

 このような人生を「平凡」と見る人もいるでしょう。しかし、わたしには考えれば考えるほど、「波瀾万丈の人生」、「人生の達人」といったイメージがうかんできます。「99までの人世の中で、1本のスジガネみたいなものを身につけた」、「スジガネを身につけたことで、99歳までイキノビルことができた」、そんな感じがします。



ひな祭りのご膳

33日(土)。この日の昼食のご膳を見て、「きょうはひな祭りの日だ」と、あらためて実感しました。ご膳の正面に、「ひな壇をかたどったカード」をかざり、「菜の花ちらしずし」、「かき揚げ」、「菜の花おひたし」のほか、食後の口直し用に「さくら餅」まで並べてありました。

老人ホームでの生活は、とかく単調で、殺風景なものになりやすいのですが、このような食品が出てくると、まずは目で見て楽しみ、ひとくちほおばって舌で楽しみ、食事のあとも、しばらくいろいろな思い出を楽しむことができます。

 そういえば、先月25日、わたしの誕生日にも、「オサジミ」のご膳がふるまわれ、、同席のみなさまから「オオメデトウ」と声をかけられました。

 老人オームを運営するがわとしても、入居者たちが心身ともに健康な生活を楽しめるようにと、いろいろくふうしていることがわかり、ありがたいと思っています。