2018年3月5日月曜日

土地数枝さんをおくる


ゼンザイ 2/27


 数枝さんの祭壇  3/1


ひな祭のご膳 3/3 




山川のゼンザイ

227日(火)。この日は信子の月命日。午前11時、長念寺住職志田常無さんにお経をあげていただきました。。

午後、美織さんのクルマで砂町の自宅へ。先日からの雪で、いろいろ心配していましたが、どうやら無事でした。2階のベランダは日当たりがよいためか、すっかり雪が解けていました。ただ、1階台所やトイレの水はいちど凍結したようで、水の出がわるく、しばらく茶色のサビが出ていました。この程度の被害ですめばと、ひとまず安心しました。

そのあと、ついでにということで、数枝さん(美織さんの母で、信子の姉)のお見舞いにゆくことにしました。美織さんの話では、先日すこし容態が変化したため、医療生協の協立病院(豊田町)へ入院したばかりとのことでした。

病院の奥まった一室で、数枝さんに面会しました。しばらくぶりの面会でしたが、これまでの数枝さんとは、様子が一変していました。口からの食事ができなくなり、点滴だけで栄養を補給しているとのこと。ベッドによこたわっているだけ。目はあいてはいるがウツロな様子。わたしが来たことは、わかったらしく、なにかしゃべっているようですが、コエとして出てきません。わたしは、すぐに信子が亡くなったときの様子を思い出していました。あの時とソックリなのです。これはアブナイなと思いました。

病院からオームめぐみへ帰る途中、泉町のヤマカワ[山川]によってゼンザイをたべることになりました。ヤマカワはヤキイモやコオリミズでも有名ですが、ゼンザイもなつかしい味をもっています。

 ごらんのとおり、あまいゼンザイののワキに、ちょっぴり塩からいキザミ昆布がそえられています。人生、ハッピーな毎日だけがつづくわけではありません。ゼンザイのようなあまい思い出と、キザミ昆布のような塩からい思い出と、両方からみあって出てくる。それが人生の実態なのかもしれません。



数枝さん亡くなる

228日(水)。美織さんから電話があり、数枝さんが亡くなったとの知らせでした。きのう面会してきたばかり。あのとき「アブナイな」と思ったことは事実ですが、まさかその翌日のきょう亡くなるとは、予想できませんでした。

 電話している美織さんがナミダ声になっていることがわかり、このさき美織さんのことが心配になってきました。これで、美織さんはたちまち「喪主」となり、通夜・葬式・七日の法事・四十九日の法事などの日程をこなしてゆかねばなりません。それだけであありません。葬式から1週間後の310には、信子の一周忌法事の日程も組まれています。名義上の喪主はわたしですが、じっさいはすべて美織さんにダンドリしてもらっています。

信子の一周忌法事は、もともと427日の予定でしたが、数枝さんの症状にあわせて39日にくりあげたものです。結果的には、美織さんにやたらきびしい日程をおしつけることになりました。申しわけないことです。

 31日(木)の通夜、2日(金)の葬儀、七日の法事など、すべて西番のオークス・セレモニーホールでおこなわれました。東京からかけつけて通夜に参加した西田恵美子さん、伊藤淳子さんなど(イズミも)、数人がワキの部屋で宿泊しました。

 現役の社会人ではないことから、ごく内輪の家族葬とし、3日付新聞の「おくやみ欄」でも「葬儀は終了しました」という記事になっていました。



人生の達人

33日(土)。「最後の面会」から「七日の法事」まで。わたしとしては、「あれよ、あれよ」というばかり。ナニか考えることも、ナニかしゃべることもできなかった三日間。そして、「葬儀は終了しました」。

しかしぎゃくに、法事が一段落して落ちついたイマだからこそ、じっくりと考え、いろんな角度から議論してみたいという気持もあります。数枝さんの「一生」(イキザマ)を一つの素材として、「イキルとは、どういうことか」、「一人の人間の生死に、どんな意味があるのか」などについて議論してしてみたらおもしろそうだと考えるのですが、どうでしょうか。

 数枝さんは菓子製造販売業の一家に生まれ、外国航路の貨物船機関士と結婚,一男一女の母となる。夫はめったに休暇が取れず、たまに国内に寄港したときは、子供たちを妹の信子にあずけて寄港先へかけつける。外国航路機関士の収入はかなり高額のはずだが、じっさいの仕送り金額は充分とはいえなかったらしい。それでも、数枝さんはグチをこぼしたことがない。ミシンをふんで婦人子供服をつくるという特殊技能をもっていたからだ。

 やがて、が病気のため帰宅、富山で療養生活をつづけ、ついに死亡。二人の子供がそれぞれ結婚する。そしてある日突然、交通事故にまきこまれ、治療後も要介護5、移動は車いす、食事も排泄も、すべて介護が必要となる。不幸中の幸いというか、加害者が富山交通(富タク)という会社で、ていねいに補償してくれたので、金銭面で家族に負担がかかることはなかった。入れ歯があわないとのことで、ハグキで直接カム(?)だけでの食事だったが、食欲は旺盛。食事にかぎらず、世間一般のことについても、一家言をもっていた。

 このような人生を「平凡」と見る人もいるでしょう。しかし、わたしには考えれば考えるほど、「波瀾万丈の人生」、「人生の達人」といったイメージがうかんできます。「99までの人世の中で、1本のスジガネみたいなものを身につけた」、「スジガネを身につけたことで、99歳までイキノビルことができた」、そんな感じがします。



ひな祭りのご膳

33日(土)。この日の昼食のご膳を見て、「きょうはひな祭りの日だ」と、あらためて実感しました。ご膳の正面に、「ひな壇をかたどったカード」をかざり、「菜の花ちらしずし」、「かき揚げ」、「菜の花おひたし」のほか、食後の口直し用に「さくら餅」まで並べてありました。

老人ホームでの生活は、とかく単調で、殺風景なものになりやすいのですが、このような食品が出てくると、まずは目で見て楽しみ、ひとくちほおばって舌で楽しみ、食事のあとも、しばらくいろいろな思い出を楽しむことができます。

 そういえば、先月25日、わたしの誕生日にも、「オサジミ」のご膳がふるまわれ、、同席のみなさまから「オオメデトウ」と声をかけられました。

 老人オームを運営するがわとしても、入居者たちが心身ともに健康な生活を楽しめるようにと、いろいろくふうしていることがわかり、ありがたいと思っています。


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