土曜朝の花市
新装の五百石駅
泉家の墓
泉一族
お盆休みということで、ブログをしばらく休ませていただきました。それはそれでよかったのですが、ブログに予定していた記事がたまって、古くさくなった感じで、頭をかかえています。このあと、すこしピッチを上げて宿題を消化してゆくようにしましょう。
土曜朝の花市
まえにもご紹介しましたが、毎週土曜日の朝、石倉町延命地蔵尊まえでお花と野菜の市が立ちます。画像は、わたしが散歩にでかけるのに、たまたま信子がいっしょに花市をのぞいて見たおりのスナップです。愛用のシルバーカーも写っています。信子の背中はすっかり丸くなっていますが、このシルバーカーを押して、週に2回ぐらい近所のスーパーまで買い物にでかけています。
お墓まいり
8月13日、立山町沢端にある泉家のお墓まいりにいってきました。地鉄バスにのって、五百石駅前で下車。信子が新装の五百石駅(立山町元気交流ステーション)を見るのは、はじめてです。
このあとタクシーでお墓へ向かいますが、まずはイトコの泉俊光さんを表敬訪問します。わたしは兄タケヨシ[長嘉]に代わって泉家の墓をまもる立場にありますが、じっさいは年に一度お墓まいりにくるのが精いっぱいです。草取りその他、ほとんど全部俊光さんにおまかせの状態です。いつも元気で、威勢のいい俊光さんですが、1年ぶりで会ってみたら、すこし足腰がよわってきているようで、気になりました。
タクシーの運転士さんは、泉家の墓の場所をおぼえていてくれました。心配していた雨もふらず、無事お墓まいりをすませることができました。
泉進さん一家来富
8月17日、横浜から泉進さん一家3人が来富。名鉄ホテル越路で夕食会によんでいただきました。ひとり息子の悠太君が、この春大学へ進学したので、ひさしぶり一家3人で富山を訪問したということです。3人は、あくる18日、レンタカーで墓まいりや親せきまわりをすませ、立山国際ホテルに宿泊、19日大町ルートで横浜へ帰るとのこと。
なにはともあれ、こんど悠太君が現役で東大法学部に合格したことは、泉一族としてメデタイ話です。父の進さんは理系ですが、祖父のタケヨシ[長嘉]は中央大学で法律を学びました。曾祖父の長蔵も、東京の槇男爵家や北海道旭川市の弁護士事務所で書生をつとめたあと、ようやく裁判所の書記になりました。このさき悠太君がどんな進路をえらぶか分かりませんが、祖父や曾祖父の念願をかなえたという点で、たいへんな孝行者だといってよいでしょう。
悠太君とまともな話をしたのは、こんどがはじめてですが、「いまどき、こんなに素直な大学生がいるのか」とおどろきました。「反抗期というものを経験していないのでは」と、よけいな心配をするほどです。
考えてみると、思いあたる点があります。父親の進さん自身が、きわめて素直で温和な性格で、息子と話すときも「上から目線」ではなく、しずかに話しかけています。そういえば、祖父のタケヨシ[長嘉](わたしの兄)もそうでした。東京外語在学中の4年間、わたしはずっと兄の下宿にイソウロウ[居候]状態でしたが、いま思いだしてみても、兄から「上から目線」で話しかけられた記憶がありません。とりわけカナモジ会など国語運動にかんしては、はじめからナカマ(同志)としてあつかってくれました。
さらにいえば曾祖父の長蔵(わたしの父)にも、そんなところがありました。一家の長男でありながら、親がかかえこんだ借金のために田んぼを手放し、北海道へわたりました。けっして故郷をステタわけではありません。ぎゃくに望郷の思いはつよく、さいごまで本籍地は富山のままにしていました。また長男の立場から、弟や妹たちの相談にものっていたようです。晩年、北海道から富山へもどってからは、できるだけ息子たちに負担をかけないようにと気を配っていました。
お盆で墓参りの季節ということで、一人まえに殊勝なことを考えこんでしまいました。いや、現実はお盆はとうにすぎて、もうすぐ9月。いや、いや、八尾の「風の盆」がはじまるから、まだ盆のうちか?ややこしい。
それにしても、連日のこのアツサ!そろそろおさまってほしいです。