古川まつり会館
起こし太鼓まえで
深山桜庵
梓川べり散策
河童橋あたり
平湯大滝
紅葉の 上高地へ
10月17~18日、モミジ狩りと いう ことで、飛騨古川・平湯・上高地 まで まわって きました。とは いっても、93歳 老人。自分で 企画したり、電車・バスを 乗り継いだり する 気力は ありません。例に よって、伊藤広美・淳子さん
夫妻の 提案で、広美さんの 愛車に イズミ夫妻と 藤木美織さんが 便乗して、上高地 あたりまで モミジ狩りに 出かけ ようと いう 趣向です。
このまえ8月に 立山室堂 まで いった
とき、高地で 気圧が ひくかった ことも あり、わたしは 足もとが ふらつき、室堂 ターミナルで 車いすを 利用させて もらった ことがあります。こんどの コース選定に
当たっても「上高地には 車いすが 配置されて いる」ことを 確認された そうです。
安全確保と いえば、淳子さんも 美織さんも 親御さんの 介護と いう 実績が あります。
こんどの 旅行は、ふたりの ベテラン 介護者 つきの 旅行と いう ことに なります。
古川まつり会館
平湯の ホテルに はいる まで 時間が あると いう ことで、途中「飛騨古川まつり会館」を 見学しました。
ここで、「起こし太鼓」や
3台の 祭屋台などを 見せて いただきました。
重要無形民俗文化財と して 国から 指定されて いる「飛騨古川祭」に ついて、担当者から
ていねいな 説明を うかがい ましたが、さいごに「後継者が いなく なって
います」と いわれました。その ひとことが グサッと 胸に つきささりました。
「都会へ 出て いった 人たちが、マツリの とき だけ 故郷に もどって ミコしを かつぐと
いった ような ことは…」と 質問して みましたが、「それは できません」と 否定されました。平生 この 土地に 住みつき、マツリの ために くりかえし 打ちあわせたり、練習したり
して、はじめて 無事故が 期待できる。それだけ、真剣勝負の ような マツリだと いう こと でした。
マツリは、住民の 生活の 中から 生まれる もの です。住民の 生活が 変われば、マツリも変
わらずには すみません。たしかに 残念な こと ですが、この マツリが 絶滅危惧品種の 運命に ある ことは まちがいない ようです。
さて、「古川まつり会館」の
写真で ごらんの とおり、こんどの 旅行を 機会に、外出する ときは ツエを
つかう ことに しました。これまで、「ツエに たよる なんて、トシヨリくさい」と 思って いた のですが、「車いす」の話 まで でて きました ので、ついにカンネン
しました。「ツエに すがって でも、10歩でも 100歩でも、じぶんの 足で歩く ほうが よい」と 考える ことに しました。
深山桜庵
17日は、平湯温泉 深山桜庵に 宿泊。ミヤマオウアンと 読む のだ そうです。この お宿は、ナマエも
ちょっと 変わって いますが、サービスの 内容も いささか 変わって います。
「館内の ご案内」に いわく。「ホテルシステムを取り入れた、新しいスタイルの和風宿です。客室にはサービス係がついておりませんので、サービス料は頂いておりません。」また、「『お客様のプライベートな時間と空間』を大切にしたいと考え…ご要望がない限りお部屋へは伺いません。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。」
浴衣も ありますが、部屋には サムイ[作務衣]が 用意して ありました。
梓川べり 散策
18日 朝、バスで 平湯 から 上高地へ むかいました。バスターミナルで 下車。ここで車いすを
借り、河童橋 まで 梓川べりを 散策しました。淳子さんと 美織さんが 交替で車いすを 押して くれました。舗装された 道路では ない ので、小石 なども あり、車いすを
押す のは たいへん だったろうと 思います。
すばらしい 景色を ながめ、すがすがしい 空気を ふんだんに すいこんだ おかげで、だいぶ
元気が わいて きました。河童橋 から バスターミナル までの 帰り道は、車いすでなく、ツエを つかって 自分の 足で あるく ことに しました。
平湯大滝
上高地 から 平湯に もどり、ついでに 平湯大滝を 見物して きました。りっぱな 滝だと思いましたが、地元の
人の 話では、例年は もっと 水量が 豊富だ との ことでした。
上高地と いう地名
どこか 旅行に でかける ときは、その 土地の 地形や 風景と 地名(の語音)が もつ イメージとの つながりを 考える のが クセに なって
います。そこで カミコウチと いう 地名の 由来は?
ネットで しらべて みると、こんな 解説が ありました。
上高地…「かみこうち」の名称は本来「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となった。「神垣内」とは、穂高神社の祭神・「穂高見命」(ほたかみのみこと)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。
(ウィキペディア)
ついでに『世界大百科事典』(平凡社。1965)の 解説を 見ると、つぎの とおり。
上高地…土地の人はもと<かみごうち>あるいは<かみぐち>とよび、<上河内><神河内>と書いた。
おなじ カミ でも、カミ[上]と カミ[神]では 意味が ちがいますし、漢字[垣内] だけでは カキウチ・カキツ・カイツ などの うち、どの ヨミカタ だったのか 分かりません。
それでも、カミカキウチ[神垣内]と カミゴウチ[上河内]と
ぐらい なら、ヤマトコトバとして ほぼ おなじ イメージの コトバと 解釈 できるでしょう。
しかし、コウチ[河内]を [高地]と 表記する と なると、これは
たちまち 漢語と いう ことに なります。漢語と しては、[上高地]は「上の高地」あるいは「高地に 上る」のような 意味と なり、地名表記法と
しては あまり 感心できません。
それでも カミゴウチを [上河内] では なく [上高地]と 表記する ように なった のはナゼで しょうか?当時の 時代感覚と して、ヤマトコトバ[河内] より 漢語 [高地]の ほうが カッコイイと 感じられた のかも しれません。
もう 一つ、こんな 事情も あったかと 思います。漢語コウチ[高地]の 現代音は gaodiで、ヤマトコトバの カワチkawatiや コウチkootiと よく にた 語音だと いう ことです。上高地の 地形は、梓川の 岸べに できた 盆地です から、川に
くらべて 高地(一段高い土地)だと いわれれば、たしかに その とおりです。
カミコウチと いう 地名 ひとつ にも、ヤマトコトバと 漢語の 語音が こんな ふうに カラミあって いた とは! 宮崎海岸で、ヒスイの 原石を ひろった ような 気分に なりました。
<付記>
今回の画像は すべて 伊藤広美さんの 作品 から 借用させて いただきました。