2014年1月25日土曜日

一病息災 

 
 
フィットリハ新聞第1
 
 
 
書きぞめ
 
 
 いたち川
 
 
 電柱に激突
 
 
 雪の白銀公園
 
 
 雪の白銀公園
 
 
 

一病息災
あと 1カ月で、94歳に なります。足腰が よわく なり、毎日の 散歩も サボリ がち。30歩 までは よしと して、300歩 あるき つづける のは ムリです。万歩計を つけて ナン千歩 あるいたか 記録した のは、とおい むかしの はなし。
それでも、なんとか 自分の 力で 食事を したり、トイレに かよったり、フロに はいったり できて います。年齢の ことを かんがえると、それだけ でも ありがたい こと です。
いまの 自分の 健康状態を ヒトコトで あらわすと したら、どんな コトバが ふさわしいで しょうか? あれこれ かんがえた すえ、「イチビョウ ソクサイ [一病息災]」と いうコトバを おもいつき ました。「一つか 二つ、病気を かかえて いるが、そのほか これと いった 災難は なく、なんとか 生きて いける」という ような 意味 です。
念のため、てもとの 辞典で しらべて みましたが、[一病息災]と いう 形での 成語は 見あたり ません でした。「息災」は、もと 仏教用語で 「仏の 力で 災いを 止める こと」と 解説されて います。そう いえば、「無病息災」と いう コトバが ありましたね。でも、そんな ヨクバリを いう つもりは ありません。正直な ところ、病気と つきあい ながら、1年でも 半年でも ながく 生きて いたいと おもいます。
 
「フィットリハ新聞」 第1  
アピアの フィットリハは、年末の 30日 だけ 休業。正月6日 から さっそく 始業。
会場(教室)の 壁に 「フィットリハ新聞 第1」が 掲示されて いました。
「新年明けまして…」から はじまって、健康に かんする クイズ まで。いそがしい 中、スタッフの 方たちが テマヒマ かけて つくりあげた 作品と おもわれます。じっくり 読んで みた わけでは ありませんが、この 時期、この 場で、こんな 作品を ながめて いる だけで、なんとなく たのしく なります。
その あと、いつもの レッスンが 進行する かたわらで、毛筆や 半紙 など、書きぞめ 用具が 準備されて いました。休憩時間に なると、出席の みなさんが ひとこと づつ 自分の すきな コトバを 書いて いました。毛筆で 半紙に むかって カキゾメと なると、いっぺんに 中学生 時代 まで タイムスリップした 感じ でした。
 
書きぞめ   
その カキゾメ 作品が 次回 (113)の 会場で 掲示され ました。
「幸・幸福・夢」などは、みなさん 共通の 願い。「馬・午」は、ことしの エト
」は、「今年(2013)の漢字」の ながれ。「」は、「色即是空」の 「空」で しょうか? 
中には、時間切れで 未完成の まま 提出(回収?)して しまったかと みられる ものもありました。
わたしは、ヨコガキで 「七ころび、八おき」と 書きました。ブログの タイトルにも つかった「座右の 銘」みたいな コトバ です。漢字は、数字の「七・八」だけで あとは ひらがな。ナマエは カタカナで 書きました。
みなさん、トシヨリ ばかり。ここ では、カキゾメという 名の 行事を 利用して、ワイワイ・ガヤガヤ・童心に もどって オマツリさわぎする ことに 意味が ある ようです。作品の 上手下手や コトバの 意味の 深さ などは 関係 ありません。カキゾメ とか カルタ取り とか、一つの ことに 集中する ことで、イノチの センタクが でき、それだけ ワカガエリ 効果が 期待できる と いう こと でしょう。
 
いたち川  
120日 午前815分 現在の いたち川は こんな ぐあい でした。このての 画像は、この ブログで くりかえし 登場 します。いわば 「定点観測」 みたいな もので、いつも雪見橋 から 下流を ながめる 構図。短期的には、毎回  かわりばえ しない 景色 です。
日暮れ時 かと おもわせる、どんよりと くらい 空。川面は もっと くらく、コイの 姿もカモの 姿も 見えません。川岸の サクラ並木や 土手に つもった 雪の 白さが、わずかに新鮮味を 感じ させる ばかり。「春 遠からじ」と 自分に いいきかせて いる、「じっと ガマンの 子」の表情です。
 
大型 トラック、 電柱に 激突  
散歩の かえり道、砂町の 交差点の ところで、たいへんな 光景を 見て しまいました。大型の トラックが電柱に 衝突し、その 衝撃で 電柱が 折れ、内部の 鉄線が むきだしになって います。警察の パトカー などの 姿は 見え ません でしたが、北電工の 人たちが 応急処置を して いる ようす でした。
信号機も とりつけられた 電柱ですが、たくさんの 電線が 四方に はりめぐらせて あるため、簡単には たおれない ので しょうが、宙ぶらりんの 姿で 道路の センター方向へ たおれかけて います。もし このまま たおれた と したら、大惨事 と いう ことに なりかねません。
トラックは、どうして 電柱に 衝突した ので しょうか?運転手の 方は 無事だった のでしょうか?マキゾエに なった ひとは いなかった でしょうか?
ただし、この 事故に ついて、テレビ でも 新聞 でも、いっさい 報道され なかった ようです。
 
雪の 白銀公園  
122日。朝食の あと 寺田皮膚科医院へ でかけました。前立腺の 症状は 快方に むかって いる との ことで、こんどは おなじ クスリを 2か月分 いただいて かえりました。
寺田医院 までは500mほど しか ないと おもいますが、雪が ふって いた ことも あり、心配な ので、タクシーで ゆきました。しかし、お医者さんの コトバを きいて、すこし安心、すこし 元気が でて きました。それに、タイミング よく 雪も やんで、あかるい空に なって いました。そこで、タクシーを つかわず、自分の 足で あるいて かえる ことに しました。
寺田医院を でると、すぐ 白銀公園が あります。いちめんに 雪が つもって いるだけで、まったく 人影が ありません。それでも、しばらく じっと ながめて いました。
 
電柱に 応急手当 
22日午後、交差点の 電柱の ことが 気に かかって、見に いって きました。折れた 電柱は、そのまま のこって いました。地上 2mほど まで シートを 巻きつけて あるだけ。どんな応急手当を した ものか、外見からは わかりません でした。
交通量の おおい 幹線道路の 信号機つきの 電柱で あり、一般家庭への 配電線の ことも あり、たった 1本の 電柱を とりかえる のにも、たいへんな テマヒマが かかる と いう ことの ようです。
 


 

2014年1月15日水曜日

ことしの年賀状

 
年賀状2014、A
 
 
 年賀状2014、B
 
 
 年賀状2014、C
 
 
 年賀状2014、D
 
 

年賀状 ウチキリ 宣言
じつは、2011年の 年賀状で「年賀状は ことし かぎりに して、あとは ブログに 集中する 予定です」と ご案内 しました。ちょうど ブログを はじめた ばかりで、毎日 パソコンに むかって 悪戦苦闘して いた 時期でした ので、かってに 「年賀状 ウチキリ 宣言」みたいな ことを して しまいました。

それで 12年 からは、年賀状の 数が ガタンと へりましたが、ゼロには なりません でした。「年賀状は ことし かぎり」と いう 文句に お気づきに ならなかった 方や、うっかり 宛名を 書いて しまった という 方、あるいは 返信を 期待せず、賀状を とどけたい という 方など、いろいろな 方が おられたか と おもいます。

足腰が よわって きて、外出して おしゃべり する 機会が すくなく なって いるので、年賀状の 文句や デザインを ながめて いる だけで、なつかしい おもいでに ふけったり、はげまされたり、たのしい ひとときを すごす ことに なります。ありがたい こと です。

 

ことしの 年賀状 から
ことしは ウマ年 という ことで、ウマに ちなんだ デザインが いろいろ ありました。

さん から いただいた 賀状には 葛飾北斎の 浮世絵「富嶽三十六景 隅田川 関屋の里」が コピーされて いました。富士を 遠景に、牛田堤をで 疾走する 3人の 武士が えがかれて います。

川述 昌子 さん からの 賀状 には、「木馬24年前の 版画です」、そして 俳句「一歩ずつ道ある限り 去年 今年」と そえがきして ありました。

わたしの おい、泉 進 さん からの 賀状は、「ハニワ風 子馬の 人形」を ならべた デザインで、「叔父さん 叔母さん、転ばない ように、風邪を ひかない ように…」と 書きそえて ありました。

さいごに もう 1点。むかし むかしの 生徒さん 福田 温亘 さん からの 賀状は、版画「岩殿山の桜と富士山」でした。正直な 話、毎年 力作を 鑑賞させて いただいて いる ので、「こんどは、どんな 作品 だろうか」と たのしみに して いました。

2014年1月5日日曜日

あのユメ、このユメ

石倉町延命地蔵尊
 
 
 正月3か日のいたち
 
 
 あさやけ
 
 

あけまして…
あけまして、おめでとう ございます。

ことしも、どうぞ よろしく お願いします。

さて、この 数年、初もうでに 山王神社 までは いって おりません。

ことしの 元旦も、ちかくの 石倉町 延命地蔵尊へ おまいりした だけ です。あいにくの雨もようで、ひとかげも まばら でした。

1月3日、ようやくの 晴れ間。雪見橋 あたり まで サンポ しました。3歩 以上、300歩くらい(?)この 季節、この 時間帯(8時過ぎ) では、この ていど しか ヒザシが とどかない よう ですね。

 

あのユメ、このユメ
「一年の 計は 元旦に あり」と いう コトバが ありあすが、あわせて、「ケイコ ショウコン[稽古照今]」と いう コトバも ある ことを 思いだし ました。「イニシエ[]ヲ カムガエテ[]…今ニ 照ラス」。『古事記』序 第一段の ミダシ文句です。

大みそかの よる、除夜の 鐘が なった とたんに、コヨミの うえでは 2013年 から2014年に かわります。そして、みんな くちぐちに「あけまして、おめでとう…」と アイサツを かわします。しかし、現実は どうで しょうか?20131231日 までの 現実世界は、201411日 から さき まで、そのまま ひきつがれて ゆきます。「クルマは、すぐには 止まれない」。慣性の 法則 です。

そんなの、分かりきった 話だ とも いえます。それでも「あけまして、おめでとう…」というのは ナゼで しょうか?めでたい ことは、このあとも つづく ように、かなしい ことや くるしい ことは、このあと めでたく おさまる ようにと、いのる 気持ちの あらわれと いって よい でしょう。ひとに よっては、年頭に あたっての「決意表明」とか、競争社会を いきのこる ための「自己暗示」の ような もの かも しれません。

わたしの ばあい、あらためて ことしの 計画と いう ほどの ものは ありません。この2月には94歳に なる 計算ですが、親や 兄弟の だれ よりも 長生き できた ことに 感謝する ばかりです。いつ ポックリ いっても 文句は ありません。とは いうものの、せっかく 生かされて いる この イノチ。一日一日を たいせつに して 生きて ゆきたいと 思います。

そこで あらためて「イニシエ[]ヲ カムガエテ[]…今ニ 照ラス」。

これまで 90年 あまり、自分で やりたい ことは やって きました。あらかたは 失敗ばかり ですが、失敗した おかげで つかんだ 成果も あります。1970年代に 発表した「象形言語説」は 学会で ほとんど 無視された まま ですが、この 仮説から はじめた「日漢英の音韻比較」作業は、自分でも 予期以上の 成果を あげたと 思って います。英語学習が小学校 から 必修と なった 時期、教育現場でも いやおうなしに 対応を せまられる 課題の 解決に 役だつ ものと、ひそかに 信じて います。

ことしも、こうした ユメを ブログで 語って ゆく ことに なると 思います。あわせて もう 一つの ブログ「コトダマの世界」も のぞいて いただけたらと 願って います。「日漢英の 音韻比較」と いうと、肩が こり そう ですが、落語か 漫才の タネ みたいな のがゾロゾロ でて きますので、わらって いただける はず。ワラウと いう ことは、ワカルと いう こと でしたね。