フィットリハ新聞第1号
書きぞめ
いたち川
電柱に激突
雪の白銀公園
雪の白銀公園
一病息災
あと 1カ月で、94歳に なります。足腰が よわく なり、毎日の 散歩も サボリ がち。30歩
までは よしと して、300歩 あるき つづける のは ムリです。万歩計を つけて ナン千歩 あるいたか 記録した
のは、とおい むかしの はなし。
それでも、なんとか 自分の 力で 食事を したり、トイレに かよったり、フロに はいったり
できて います。年齢の ことを かんがえると、それだけ でも ありがたい こと です。
いまの 自分の 健康状態を ヒトコトで あらわすと したら、どんな コトバが ふさわしいで
しょうか? あれこれ かんがえた すえ、「イチビョウ ソクサイ [一病息災]」と
いうコトバを おもいつき ました。「一つか 二つ、病気を かかえて いるが、そのほか これと いった 災難は なく、なんとか 生きて いける」という ような 意味
です。
念のため、てもとの 辞典で しらべて みましたが、[一病息災]と いう 形での 成語は 見あたり ません でした。「息災」は、もと 仏教用語で 「仏の 力で 災いを 止める こと」と 解説されて います。そう いえば、「無病息災」と いう コトバが ありましたね。でも、そんな ヨクバリを いう つもりは
ありません。正直な ところ、病気と つきあい ながら、1年でも 半年でも ながく 生きて いたいと おもいます。
「フィットリハ新聞」 第1号
アピアの フィットリハは、年末の 30日
だけ 休業。正月6日 から さっそく 始業。
会場(教室)の 壁に 「フィットリハ新聞 第1号」が 掲示されて いました。
「新年明けまして…」から はじまって、健康に かんする クイズ まで。いそがしい 中、スタッフの
方たちが テマヒマ かけて つくりあげた 作品と おもわれます。じっくり 読んで みた わけでは ありませんが、この 時期、この 場で、こんな 作品を ながめて
いる だけで、なんとなく たのしく なります。
その あと、いつもの レッスンが 進行する かたわらで、毛筆や 半紙 など、書きぞめ 用具が
準備されて いました。休憩時間に なると、出席の みなさんが ひとこと づつ 自分の すきな コトバを 書いて いました。毛筆で 半紙に むかって カキゾメと
なると、いっぺんに 中学生 時代 まで タイムスリップした 感じ でした。
書きぞめ
その カキゾメ 作品が 次回 (1月13日)の 会場で 掲示され ました。
「幸・幸福・夢」などは、みなさん 共通の 願い。「馬・午」は、ことしの エト。
「輪」は、「今年(2013)の漢字」の ながれ。「空」は、「色即是空」の 「空」で しょうか?
中には、時間切れで 未完成の まま 提出(回収?)して しまったかと みられる ものもありました。
わたしは、ヨコガキで 「七ころび、八おき」と 書きました。ブログの タイトルにも つかった「座右の 銘」みたいな コトバ です。漢字は、数字の「七・八」だけで あとは ひらがな。ナマエは カタカナで 書きました。
みなさん、トシヨリ ばかり。ここ では、カキゾメという 名の 行事を 利用して、ワイワイ・ガヤガヤ・童心に もどって オマツリさわぎする ことに 意味が ある ようです。作品の 上手下手や
コトバの 意味の 深さ などは 関係 ありません。カキゾメ とか カルタ取り とか、一つの ことに 集中する ことで、イノチの センタクが でき、それだけ ワカガエリ
効果が 期待できる と いう こと でしょう。
いたち川
1月20日 午前8時15分 現在の いたち川は こんな ぐあい でした。このての 画像は、この ブログで くりかえし 登場 します。いわば 「定点観測」 みたいな
もので、いつも雪見橋 から 下流を ながめる 構図。短期的には、毎回 かわりばえ しない
景色 です。
日暮れ時 かと おもわせる、どんよりと くらい 空。川面は もっと くらく、コイの 姿もカモの 姿も 見えません。川岸の サクラ並木や 土手に つもった 雪の 白さが、わずかに新鮮味を 感じ させる ばかり。「春
遠からじ」と 自分に いいきかせて いる、「じっと ガマンの 子」の表情です。
大型 トラック、 電柱に 激突
散歩の かえり道、砂町の 交差点の ところで、たいへんな 光景を 見て しまいました。大型の トラックが電柱に 衝突し、その 衝撃で 電柱が 折れ、内部の 鉄線が むきだしになって います。警察の パトカー などの 姿は 見え ません でしたが、北電工の 人たちが 応急処置を して いる ようす でした。
信号機も
とりつけられた 電柱ですが、たくさんの 電線が 四方に はりめぐらせて あるため、簡単には たおれない ので しょうが、宙ぶらりんの 姿で 道路の センター方向へ
たおれかけて います。もし このまま たおれた と したら、大惨事 と いう
ことに なりかねません。
トラックは、どうして 電柱に 衝突した ので しょうか?運転手の 方は 無事だった のでしょうか?マキゾエに
なった ひとは いなかった でしょうか?
ただし、この 事故に ついて、テレビ でも 新聞 でも、いっさい 報道され なかった ようです。
雪の 白銀公園
1月22日。朝食の あと 寺田皮膚科医院へ でかけました。前立腺の 症状は 快方に むかって いる との ことで、こんどは
おなじ クスリを 2か月分 いただいて かえりました。
寺田医院 までは500mほど しか ないと
おもいますが、雪が ふって いた ことも あり、心配な ので、タクシーで ゆきました。しかし、お医者さんの コトバを きいて、すこし安心、すこし 元気が でて
きました。それに、タイミング よく 雪も やんで、あかるい空に なって いました。そこで、タクシーを つかわず、自分の 足で あるいて かえる ことに しました。
寺田医院を でると、すぐ 白銀公園が あります。いちめんに 雪が つもって いるだけで、まったく 人影が ありません。それでも、しばらく じっと ながめて いました。
電柱に 応急手当
22日午後、交差点の 電柱の ことが 気に かかって、見に いって きました。折れた 電柱は、そのまま
のこって いました。地上 2mほど まで シートを 巻きつけて あるだけ。どんな応急手当を した ものか、外見からは わかりません でした。
交通量の おおい 幹線道路の 信号機つきの 電柱で あり、一般家庭への 配電線の ことも あり、たった
1本の 電柱を とりかえる
のにも、たいへんな テマヒマが かかる と いう ことの ようです。