2016年2月23日火曜日

春 遠からじ 

 
 
古事記を 読む 会
 
 
いたち川(定点観測) 
 
 
シラサギ 君、(A)

 
 
シラサギ 君、(B)

 
 
ハルト 君、 ()

 
 
ハルト 君、(B)

 
 
 

古事記を 読む 会
2月7日(日)、豊栄稲荷神社で「古事記を 読む 会」研修会が 開かれました。出席者全員で「葦原中国の 平定…大国主神の 国譲り…天孫降臨」の あたりを 輪読した あと、会員各自が もちよった 研究報告や 意見などに ついて 話しあいました。

所用の ため 出席 できなかった 服部 征雄 先生 から「サキガヒ[𧏛貝]」に かんするメモが よせられて いました。大国主神が 八十神の 迫害を うけて 大やけどを した とき、カミムスヒ[神産巣日]命が サキガヒ[𧏛貝]ヒメと ウムカヒ[蛤]ヒメとを つかわして、作り 活かす ように させた(小学館版)、という 記事が あります。つづけて、「𧏛貝比売 キサゲ[岐佐宜]集めて、蛤貝比売 待ち受けて、母の 乳汁を 塗りしかば、麗しき ヲトコ[壮夫]と 成りて、出で アソビアルキ[遊行]き」と 書かれて います。小学館版の 現代語訳 では、「𧏛貝比売が 石に 張り付いた 大穴牟遅神の 身体を こそげ集め…」と なって います。

服部メモは、「こそげ取るの(対象)は 赤貝で、大穴牟遅の からだでは ない」と 反論し、あわせて 他書(小学館版 以外)の 解説を 紹介して います。

 わたしは、服部メモの 指摘こそ 正解で あり、小学館版の 現代語訳は 古典解釈として初歩的な ミスを おかした 例と 考えます。人さまの こと では なく、じぶん 自身が、つい うっかり、そう いった まちがった 解釈を したまま、気が つかずに いる かも しれない という こと です。

 なお、キサグは「けずる。掻きこそげる」意の 動詞(下二)ですが、音形と しては

コソグと おなじ k-s-kタイプの コトバ。「キサ+グ」の 構造を もつ 動詞と 解釈 できます。この キサは、キザ・キズ[傷]・キザムと 同系。もともと、キダ[分・段]と 同義。ギザギザ[刻刻・段段]キザム[] なども、キダキダ[]キタフ[]に 対応するコトバと 考え られます(漢語の カツ[]や 英語の cut など とも 近い 語音)

 

パソコン 学習、やりなおし
 ブログを はじめて から 5年 あまりに なります。機械の 方は まちがいなく 日進月歩 ですが、こちらは 後期 高齢者。その 大脳には 機械の 進歩に ついてゆく 能力が ありません。それ どころか,5年 まえ たしかに 学習し、習得できた はず なのに、いまは も 足も 出なく なって いる ことが たくさん あります。

 そこで、ysd さんに お願いして、もういちど 基本的な こと から 教えて いただく ことに しました。「ブログの 下書き づくり」、「スマホで 写した 写真を パソコンに とりこむ 方法」、「ブログへの コメントや 統計資料 などの 見方」など。また、どんな 段階、どんな 場面で、どんな ミス・トラブルが おこるか。どう 対処すれば よいか、など。洗いざらい チェックし、勉強しなおし ました。この 作業の 中で、いろいろ 初歩的な ミスを おかして いた ことに 気づきました。

 

コメントの あつかいに ついて、おわび
 これまで、毎回 ブログの 原稿づくり から 公開 までの 作業に 追われ、そのほかの こと まで 考える 余裕が ありません でした。

自分が 書いた ブログを どんな 地域で、どれだけの 人が 読んで いただいたか、それは 統計の 項で しらべる ことが できます。そのことは、ブログ 入門の 段階で 知識として 知って いましたが、じっさいは そこまで 手が 回り ません でした。読者 から コメントを いただける ことは めったに ありません ので、コメントの 有無を たしかめる作業も めったに しません でした。こんど あらためて 「コメントの チェック法」を 教えて いただき、「こんなに 簡単に チェック できるんだ」と おどろき、自分の 不勉強ぶりを はずかしく 思いました。

 こんど コメントを チェックした 結果を ご報告 します。ブログ「いたち川 散歩」で4件(渥美 あずさ さん。匿名 さん。移民の 末裔 さん。板垣 友子 さん)。「七ころび、八おき」で 3件(渥美 あずさ さん。真船 賢吾 さん。くみ さん)。「コトダマの 世界」で 2件(姚 偉嘉 さん。平名 さん)。合計 9件。ただし、渥美 さん からの 2件は 内容が だぶって いる ので、実質 計 8件の コメントを いただいた ことに なります。

 これに たいして、これまで いちおう 対応ずみの ものは 4件。

  渥美 あずさ さん(15/10/26)…祖父が「華北交通」に 勤務して いた ころの 状況を 知りたい…(イズミ から)東大 出身との こと なので、「長安会名簿」(華北交通(株)学卒 定期採用者 名簿。出身校も 記入)などを 参考に 情報を 集める ことを 提案。

  真船 賢吾 さん(11/04/03)…先日、祖父 真船 信夫が 他界。華交 長安会の ことを しらべた ところで、こちらの ブログに たどり ついた。わたくし 自身、世界史の 講師を 務めて いた ことも あり、近代史の 貴重な 記録の 数々は とても 興味深く… (イズミ から)わたしの 手元に、19888月、真船 信夫 さん から いただいた ハガキが 残って います。「長安」33号 原稿募集の 案内で、その 最後に「小生の 編集担当も ココ までが 限度 カナの 心境、呵々」と ありました。

  Kumi さん(11/01/25)…華北交通に ついて 調べて いて、ブログを 拝見。祖父が 華北交通に 勤めて いた 当時の 話を、96歳の 祖母 から 良く 聞いて おりました ので、とても 興味深い ブログ でした。『知識創造企業』と いう 本を 読んだ ばかり ですが、内容が 重なる 部分が あります。ブログの 連載を 楽しみに して おります!…(イズミ から)「華北交通」の なまえを きいた だけで、たいへん なつかしい 気がします。『知識創造企業』に ついては、このあと 勉強させて いただきます。

  姚 偉嘉 さん(14/09/04)…中国 から 東京 桜美林大学 孔子学院へ 派遣された 中国語 教師です。日本の 近代中国語教育に ついて 研究中。ブログを 読んで、第2次 世界大戦 当時、東京外国語学校に おける 漢語教学の 状況が よく 分かりました。できれば、このあとも 文通したい。…(イズミ から)コメントに 気づく までに 時間がかかりすぎて いた ので、別便で おわびの 手紙を 送付。そのあと、姚 さんが 任期終了で 帰国 (同済大学へ 復帰)されて からも メールで 通信を つづけて います。

 

こんど はじめて 気づいた コメントが 4件 ありました。

  匿名 さん(15/01/27)…華北交通で 働いて いらした のですね。国策会社に ついて調べて いて、ブログを 拝見しました。私の 夫の 祖父は 富山市 出身、祖母は 滑川在住。ブログの 更新を 楽しみに して います。

  移民の 末裔 さん(12/05/29)…真剣に 親鸞の 教えを 説教する お坊さんの 姿 など、おきんぼ さんが 理想と する「親鸞の 教え」とは どう いった 事で しょうか?

  いたがき さん(12/09/06)…大学院で『急就篇』に ついて 研究して いる 中で、検索を かけて いたら 先生の ブログに たどりついた のです。包 先生に『急就篇』を 直接 教わった 世代の 方が ブログを なさって いる こと にも 驚きました。今まで 六角 先生、安藤 先生、牛島 先生 などの 著書で 当時の 東京外大の 授業の 様子を 読んで いましたが、今回は ブログ から 歴史が 飛び出して きて 動き 始めた 感が ございました。

  平名 さん(14/02/19)・・・言霊、面白い ですね。朝鮮って ハングル語。中国、日本 から 離れて、更に 徹底すると 解らなく なる。やっぱり 元の 漢字 残さないと 意味も判らなく なる。

 

せっかく コメントを いただき ながら、わたしの 不勉強・不注意の ために、長期間 見過ごして きた ことに ついて、こころ から おわび 申しあげます。読者の 方から コメントを いただく ことは、ブログの 書き手に とって、なによりも うれしく、ありがたいこと です。おそく なりましたが、あつく お礼 申しあげます。

 なお、移民の 末裔 さん から「親鸞の 教え」とは どう いった ことかと おたずねをいただきました。あの ブログを もういちど 読みなおして みて、「ずいぶん 調子の いいことを いったな」、と 反省して います。自称「親鸞の 弟子」と いう 気持ち(願望)は かわりませんが、いつか また しずかな 雰囲気の 中で、じっくり「親鸞」に ついて 語りあえればと 願って います。

 いたがき さん から、「包 先生・急就篇・東京外大」などに ついて コメントを いただき、ビックリ しました。姚 偉嘉 さんと 研究テーマが 共通の よう ですが、姚 さんとは 連絡が とれて いる ので しょうか?

 平名 さん から、「言霊、面白い ですね」、「元の 漢字 残さないと 意味も 判らなく なる」との コメントを いただきました。たしかに、そのとおりだと 感じられる 一面も あります。ただし、日本語(ヤマトコトバ)の ばあい、コトダマの コトは、もともと コト[]と コト[]を 区別して いません。タマも [玉・珠・弾・球・霊・魂]を 区別して いません。漢語では、それぞれ 字形も 音形も ちがい、別々の コトバ です。その 点で、コトダマ=[言霊]と 考えるのは、あまり 客観的・合理的とは いえません。もともと「ゲンレイ言霊yanling」という 漢語は 成立して いません。

もう ひとつ、「漢字 残さないと 意味も 判らなく なる」と いう のも、一面 そのとおりですが、ぎゃくに漢字に たより すぎる のも 危険だと思います。たとえば、『万葉集』や『古事記』の 歌謡は もともと いわゆる 万葉カナで 書かれて います。漢字が もつ 本来の 意味を すて、表音モジ として 使った モジ ですから、(漢語用)漢字の 意味に こだわって いると、かえって 文の 意味が 分からなく なります。ヤマトコトバの 音韻感覚に したがって、表音モジ として 読んで ゆけば、ひとりでに 意味が 伝わって くる という わけ です。

コトバの 基本は、音声言語。日本人も 中国人も、日常会話は もちろん、ラジオや テレビを 見たり 聞いたり する ときも、いちいち 漢字の 字形を 思いだして いる わけでは ありません。英語や 朝鮮語表音モジで 書かれて いる からと いって、その ために「意味も 判らなく なって いる」と  断定する ことは できませんよね。

 

シラサギ 君
 211日(木)。小春 びよりに さそわれて、ひさしぶりの 散歩に でかけました。雪見橋下流の 遊歩道に でた とき、いきなり 対岸に シラサギの 姿を 発見。いそいで スマホの シャッターを 切りました。人間の 視線に なれて いる ので しょうか。まっすぐ 立って、じっと 水面を みつめて いる だけ。飛びたつ 気配は ありません。こちらは、雪見橋から 下流の 風景を「定点観測」として シャッターを 切り、そのあと 対岸の 遊歩道 沿いに、シラサギに せまります。あとで 計算して みると、合計 7分 ほど、つきあって くれた ことに なります。シラサギ 君、ありがとう!

 

ハルト 君
 212日(金)。東京 から 西田 尚信・規子 夫妻が 長男 ハルト[悠人] 君と ともに来富。いとこ 同士の 土地 茂樹 さん、藤木 芳明・美織 夫妻が 夕食会を セットして くれました。ハルト 君 には 昨年12月にも 会って いる のですが、こんど 会って みて、その 成長ぶりに おどろきました。この日 午前中、立山山麓の スキー場で はじめて スキーに 挑戦、たちまち 滑れる ように なった との こと。夕食会の 席でも、そのあと イズミ宅でも、ずーっと しゃべり つづけ でした。お気にいりの サンダー バード 2号の プラモデルを もちだし、テレビ番組の ヒーローを 演じて 見せたり、チラシを ツギハギして スーパーマン(?)の お面や 衣装を つくったり…こっちも ノリノリで お手伝いしたり…

 保育園 年少組の 3歳児。考えて みると、コトバを 学習・習得するのに 最高・絶好の時期 です。日本語で あれ、外国語で あれ、これほど 楽しんで、これほど 熱中し、これほど くりかえし 練習すれば、最高の 学習効果が えられるに ちがい ありません。

ハルト 君の 様子を 見て いる うちに、ついつい 日本の 言語教育(国語・英語など)の問題に ついて  考えこんで  いました。
いよいよ「小学校 から 英語教育」の 時代に はいったと いいながら、「高校・大学を 卒業しても、英語が 身に つかない」と いう のが 現実です。文科省 当局は、中学校や 高校の 英語学習に ついて「到達目標」を 提示して いますが、その 目標を 確実に 達成する ための「学習指導法」に ついては 明示して いません。日本語でも 英語でも 中国語でも、それぞれ 独特の 音韻感覚を もって います。一つの 民族言語を 習得する ということは、その 民族言語の 音韻感覚を 身につける と いう ことです。このことは、保育園、小・中・高、あるいは 大学 でも、共通の 原理原則 です。なにより まず 必用なのは、学習者 (生徒・学生)(コトバの) 学習に 熱中する ような 環境を ととのえる こと であり、学習者が つまずき そうな 点を 予見して、的確な 指導・助言を する ことだと 思います。教育現場に それだけの 準備態勢が できて いる でしょうか?文科省 当局は ほんとうに 自信を もって いる ので しょうか?心配です。