『古事記』を読む会、総会
気多大社
総持寺祖院
ショーを見ながら夕食
のとじま水族館
能登のサクラ
いたち川 4/20
『古事記』を 読む 会・総会
4月10日 午前、茶屋町 豊栄稲荷神社で『古事記』を 読む 会の 総会が 開かれ、会員各自が
研究中の、もしくは 関心を もっている テーマを もちよって 報告しました。
① 「生死と
祭と 信仰」(五十嵐 顕房 さん)、
② 「ヒカゲノカツラ[日陰鬘]」(服部 征雄 さん)、
③ 「大国主命に
関する 考察」(村上 悦子 さん)、など。
10人 そこそこの ちいさな サークルですが、『古事記』に よせる 思いは、会員
ひとりひとり ちがって いる ことが よく 分かりました。自分 ひとりの 視点から では、どうしても 視野が かぎられて きます。さまざまな 視点からの 研究報告を
聞く ことができれば、それだけ 自分自身の 研究内容を 補強する ことに 役だつ かも しれません。
会員の 研究テーマや、研究の 進行状況に あわせて、年間の 研修会での 報告・提案者の 予定が くまれる ことに なります。さしあたり
5月1日の 例会では、イズミが「k-t音語と k-s音語の 系譜」に ついて 報告させて
いただく ことに なりました。
昨年9月6日の 研修会で、服部 征雄 さん(元 富山大学
和漢医薬学 綜合研究所長)が、『古事記』の
中の 医療関係記事と して、「カツラ[桂・楓・香木]」や「キサカヒ[𧏛貝・赤貝]」に ついて 解説された のを うけて、わたしが「日本語の 音韻組織」の 視点からカツラや キサ貝と いう 用語を とりあげる 作業を はじめた、という 経過が あります。
カツラに ついては、植物と しての カツラ[桂・楓・香木・葛]の ほか、その 加工品としての カツラ[鬘・縵]も あり、かなり 複雑な 意味用法が 見られます。語音構造に ついても、「カツ+ラ」と 解釈するか、「カ+ツラ」と 解釈するか、という
問題があり、わたしは さしあたり「カ+ツラ」、つまり k-t音語の 線で とらえて います。
また、キサ貝に ついては、「キサの 貝」(キサ・キザ・キダの ある 貝)と 解釈。つまり、k-s音語の 例と 考えます。あわせて、もとk-t音(キタ・キダ)から k-s音(キサ・キザ)へと 変化した ものでは ないかと 推定して います。その推論の 過程に ついては、ブログ「コトダマの 世界」で 報告する 予定です。
能登めぐりの 旅
ことしも 伊藤 広美・淳子 夫妻に さそわれ、能登めぐりの 旅行に いって きました。伊藤 さん 愛用の クルマに 便乗させて
いただき、ほぼ つぎの ような 日程です。
12日(火)…富山~気多大社~総持寺
祖院~和倉温泉(夕食・御陣乗太鼓)
13日(水)…和倉温泉~のとじま水族館~宇宙博物館~富山
信子は、能登島へ 2度ほど いった ことが ある そうですが、わたしは
千里浜 以外、能登半島は こんど はじめての 訪問です。それだけに、見るもの・聞くものが みな 新鮮で 予想外、よい 勉強に なりました。
実は、なんの 予習も しない まま 旅行に 出かけた ので、帰って きて から あわてて地図を 見たり、ネットで たしかめたり
して います。平生の 不勉強さを 思い知らされました。
気多大社の ナゾ
ケタ[気多]大社と いう ナマエは、ずっと まえから 気になって いました。ネットで見ると、
石川県羽咋市寺家町にある神社で、式内社(名神大社)、能登国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立 神社。旧称は「気多大神宮」。(中略)
社伝(『気多神社縁起』)によれば、第8代孝元天皇の御代に祭神の大己貴命が出雲から300余神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという[1]。
また『気多社島廻縁起』では、気多大菩薩は孝元天皇の時に従者を率いて渡来した異国の王子とし、能登半島一体を巡行して鬼神を追放したと記される[1]。『気多社祭儀録』では、祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、神代からの鎮座とする説もあると記される[1]。
一説として、孝元天皇の御代には七尾市に鎮座(現・気多本宮、位置)し、崇神天皇の御代に当地に遷座したとも伝えられる[1]。(中略)
奈良時代には北陸の大社として京にも名が伝わっており、『万葉集』に越中国司として赴任した大伴家持が天平20年(748年)に参詣したときの歌が載っている(文献上初見[2])。
歴史学・考古学 など からの 根拠は とぼしい ようですが、「現在は 神社本庁に 属さない 単立 神社」と いう あたりから
みても、普通の 常識とは「ケタはずれ」の 神社のようです。「気多神社」命名の 由来を どう 考えれば よいか?イネ 農耕以前の 日本列島へ、異質で 先進的な「ケタ文化」が 伝来した ことを 記念する 命名と 解釈しては どうで しょうか?ケタは、直接には 動詞ケツ[消]・ケヅル[削]に つながるk-t音の 名詞ですが、動詞 カツや
名詞 カタ・カチ・カテ・キダ・コト などとも 同系の k-t音語です。ハシケタ[橋桁]と いえば、土木建築の 技術用語.ハキモノの ゲタ[下駄]は、家屋や 橋の ケタ[桁]の 姿。動詞 カツ[合・搗・勝]は、もともと「カツカル・カチワル」姿。漢語カツ[割]、英語cutも、おなじく k-t音語です。
カツ(カチワル)作業の
結果が カタ[形]・カテ[糧]。その 道具が カタ[型](cutter)。大地を
両足で コンパスの ようにして カチワル 姿が カチ[徒歩]。ハモノでcutして
できた キズ・キザが キダ[分・段]。モノゴト・モノガタリを バラバラニ ブンカツ[分割]した、その ワン カットが カタ[片]や コト[事・言] です。そして、コトと いえば、「コトシロヌシ[事代主]神](大国主神の子)、「ヒトコトヌシ[一言主]大神」(雄略天皇を 平伏させた 託宣の 神)の 神名にも 用いられる k-t音語。英語でも、みごとな カタチに 仕上がった
作品を goodと いい、超ミゴトな
シゴトを する 存在を Godと
よんで います。「気多神社 = k-t文化の ヤシロ[社]]と 考えて よい でしょう。
総持寺 祖院の こと
総持寺 祖院は、輪島市 門前町門前に ある 曹洞宗の 寺院。山号は 諸岳山。通称、能山(のうざん)あるいは 岳山(がくざん)。曹洞宗の
大本山と して 瑩山紹瑾 禅師に より、1321(元亨元)年に
創建され ましたが、1898( 明治31)年の 大火で 境内が
焼失、本山は1910(明治43)年、神奈川 横浜市 鶴見に 移り、以後
祖院と 呼ばれて いるとの こと。
能登地方は、現在 石川県の 一地域 ですが、かって 「能登国」と 呼ばれた(『和名抄』)時代も あります。日本列島の 歴史の 中で、この 地域が その 地勢・地形・地質 などを ふくめて、一定の 役割を はたして
きた という 経過が あり、気多大社や 総持寺 祖院 などは、その 記念碑と
いう こと でしょう。
ディナー ショーの 感覚
12日の 夜は、七尾市 和倉温泉の「あえの風」で 一泊 しました。伊藤 さんの 解説では、「加賀屋は 有名 だけど、料金が 高くて 手が 出ない。ここは 加賀屋の
姉妹館と して、格安料金で 加賀屋流の サービスを 提供と いう のが 売り」だ そうです。
夕食の 場所が、ちょっと ディナー ショー みたいな 演出に なって いました。「花舞茶寮」と よばれる 一画で、中央に
ステージが あり、「御陣乗太鼓」の ショーが おこなわれ、その まわりの
席で 食事を する 人たちも います。さらに その 外側が 桟敷ふうの 個室に なって いて、わたしたちは その 個室で 食事を しながら、窓ガラス ごしにショーを
楽しむ ことが できました。
考えて みると、日本全国 いたる ところに 温泉が あります。と いう ことは、そこに競争原理が はたらくと いう こと。温泉の
魅力 だけでは 生きのこれ ない。そこで、食事や ステージ ショー などに 工夫を こらす ことにも なります。さらには、まわりの 歴史遺跡や 観光施設 などとの
連携 プレーも 必要に なって きます。一見 のどかに みえる 能登の 風景 ですが、その かげに「21世紀を 生きのこる ための 戦略」が めぐらされて いると 感じました。富山の 温泉地 宇奈月 なども、負けて いられ ませんね!
のとじま 水族館
13日は、のとじま 水族館や 羽咋の
宇宙科学 博物館 などを 見学しました。最近の 観光施設 などでは クルマいすを
用意して ある ところが おおく、水族館では ごらんの とおり クルマいすで 「ペンギンと
ご対面」と いう 場面も ありました。自分の アシでなんとか なると いう 気も しますが、万が一 ころんで ケガでも したら、たいへんな メイワクを
かける ことに なります ので、あえて ラクを させて いただき ました。乗って いる ほうは ラクチン ですが、途中 坂に なった ところも あり、押す ほうは
たいへん だったと 思います。ごめんなさい。
それに
しても、この 水族館は 日本でも 有数の 規模を ほこる 水族館の ようです。この 地域で これだけの 施設を 運営して ゆく その かげで、どんな 人たちが どんな 体制を組んで いる のでしょうか?そんな ことが 気に なりました。
能登の サクラ
こんどの
能登めぐりは、もともと「能登の サクラめぐり」と しての 企画 でした。ところが、富山の サクラは 予想を1週間
ほど 早く 満開と なり、富山を 出発した ときは すっかり 葉桜の 状態に なって いました。それで、能登路の サクラも おなじ 状況だろうと 考え、寺社 めぐりや
水族館 見物 などに 重点を おくことに しました。それが 意外な ことに、ゆく 先々で 能登路の サクラは 満開の 姿で わたしたちを むかえてくれました。
あとで 地図を 開いて 見て、よく 分かりました。平生の 感覚で、「能登は 石川県の 一画。金沢と ほぼ おなじ」と とらえて
いたのが マチガイ。金沢は 富山 よりも 緯度が 低い ですが、能登は 富山 よりも はるかに 緯度が 高い 位置に あります。自分が「常識」と 考えて いた
ことが、まったく デタラメ だった ことを、またしても 思い 知らされました。
ノト[能登]の 語源は?
さて、ノト[能登]の 語源は どんな こと でしょうか?ノト[能登]と いう 漢字表記は、その 地形 から「ノボル[登] ことが デキル[能]」と いう 好字(かっこいい漢字)を 当てた だけの もの。問題は、日本語(ヤマトコトバ)と しての 「ノト」の 意味です。上代語に「ノト[能登](国名」や「ノド[和]ニ」(のどかに。ゆったり)などの 用例が あること から(ノ・ト いずれも
乙カナ)、「ノ[箭]ト[跡](矢竹の アト。ゆるやかな 斜面)」が 原義では なかったかと 考えて います。
もっと はっきり いえば、ノト[能登]と ノド[喉]は もともと おなじ 音感覚の コトバだったろうと 思います。上代語に ノミド[喉](ノは 乙カナ。ドは 不明)の
用例が あり、ノド[喉]の 用例が ない こと など から「ノト[能登]=ノド[喉]」説は 少数派の
よう ですが、それは 「上代 甲乙 カナヅカイ」に とらわれすぎた 結果だと 思います。甲乙カナの 区別は たしかに 参考に すべき ですが、とりわけ コ・ト・ノ
などの 用法に ついては、疑問が 出されて います。上代語辞典 でも、「アト[足・跡]の トは もとは 甲類だが、トの 両類の 別は
やや 早く 失われる ので、乙類の 例も まじって いる」と 指摘して
います。
ちなみに、和倉温泉の
ワクラは、「湧く 浦」、つまり「湯の 湧く 浦(入り江)」であり、海の
中から 発見されたと 解説されて いる ようです。
いたち川 べりは 若葉 一色
富山へ
帰って から、能登めぐりの 報告を まとめて いた ところ、16日 さっそく 伊藤 さん から 旅行中の スナップ写真が おくられて きました。その うち 「気多大社」と
「のとじま水族館」の 2枚を、この ブログの 画像と して 使わせて いただきました。
20日、雪見橋で 定点観測の シャッターを 切りました。いたち川 べりの サクラは すっかり 若葉一色に なって いました。