2016年8月29日月曜日

ウロウロ・オロオロの 日々



バラ 8/14


川柳にて 8/17 


雪見橋から 8/23 




ブログ 更新が おくれて
「8月は、夏休み」と いう わけでは ない のですが、ブログの 更新が おくれて、申しわけ ありません。わたし 自身、連日の 猛暑で バテ気味だと いう ことも ありますが、なによりも 信子の 体調が 回復せず、96歳老人が 92歳老人を 介護すると いう 事態に おいこまれ、新米主夫と しても、ビックリ したり、ただ ウロウロ したりの 毎日がつづいて います。

 わたしどもには 子供が おりません から、いつか こんな ことに なるかもと、覚悟はできて いた つもりです。信子は 若い ころ から、いつも 健康で 元気、そして ガンバリ屋 さん でした。どちらかと いえば 病身者 だった わたしが この年齢まで 生きて こられた のも、信子が 面倒を 見て くれた おかげです。

 その 信子が 認知症に とりつかれ、家事を 処理する 体力も 気力も なく なったとは、わたしには 信じがたい こと でした。数カ月 たった いま、ようやく「ほんとうに 病気なんだ」と 実感できる ように なりました。

「これでは、ブログ どころじゃ ないな」、「結婚 以来 70年の カリを すこしでも 返さ なくては」と 感じて います。ただし、ブログを 中止する つもりは ありません。そんな ことを したら、せっかくこれまで 応援して くれた 信子の 気もちに そむくことに なると 思います。

そんな しだいで、しばらくの あいだ、この ブログの ウロウロ・オロオロ状態が つづく かも しれません。どうか、お許し ください。



ハリの ある 花、バラ
 8月14日。散歩の おり、遊歩道ぞいの G家花壇で、また あの まっかな バラの 花を見つけ ました。この ブログで 2回(6/18, 7/8号)ご紹介 ずみ ですが、この 季節は アジサイの あと パリッと した 花が 見あたり ません。それで ブログ画像として 3回目の 登場を きめました。

 わたしは、バラという コトバが すきです。バラは、p-r音型の コトバ。ハル[張・開・貼・治・墾]という 2音節 動詞が あって、そのまわりに ハラ[腹・原]・ハリ[張・針]・ハル[]・ハレ[晴・腫]などの 名詞が 成立して います。草木の 芽や 根が ハリだす 季節が ハル[]。タラフク 食べて、今にも ハリサケ そうな ドテッパラが ハラ[腹・原]。ハル こと・ものが ハリ[張・針]。空一面に ハリ[張‣貼]ついて いた 雲が ハリ[張・割]キレタ 姿が ハレ[]。傷あとが ウミ[]、うすい 膜が ハル[] 姿が ハレ[]、と いった ぐあい。

 バラは、バラ科 バラ属で、トゲの ある 植物。つまり、ハリ[]を もつ 植物です。バラ・イバラは、もともと ハリ・トゲを もつ ことに 注目した 呼び名と 考えて よい でしょう。トゲトゲしい 言動は きらわれ ますが、ハリきって、バリバリ 仕事を する 人は 頼りに されます。 

そういえば、英語でもpretty girlと 呼ばれる のは、泣き虫 メソコ さん では なく、プライドを もって フルマウ 女性、ハリキリ娘の ほう でしょう。



ひとり 息子
8月17日()。東京 から、泉 進 さん(わたしの 兄の 長男) 一家3人が 來富 しました。ン十年 まえに 来た とき 食べた「薬膳料理」の 記憶が 残って いて、「ぜひ、もういちど 食べて みたい」と いう こと だった ので、清水町の「割烹・川柳」さんを 紹介しました。

 進 さんは、もと 東京都立大に 勤めて いましたが、いまは 横浜国立大に 勤務。そして 一人息子の Youta君は、東大法学部の 学生。来年 春 卒業予定で、就職先も 内定 ずみとの こと。富山訪問の 計画は、Youta君が 東大に 合格した とき 以来の 懸案で、こんど ようやく 実現した わけです。大学では、陸上競技部に 所属して いる との こと。文武両道の 達人と いった ところ ですが、じっさい 会って みた 感じでは、「素直で、クセ・イヤミが なく、老人に 親切な 好青年」でした。わたしの 兄に とっても、「自慢の 孫」だったに チガイ ありません。めったに 人を ほめた ことの ない 信子も、「ヨロヨロして いたら、手を 貸して くれた。よく できた 子だ」と ほめちぎって いました。

「日本の 将来に ついて、なんとなく 希望が もてる」、そんな 気分に なりました。



雪見橋 から  
 8月23日()。散歩の おり、いつもの とおり、雪見橋から 下流(西方)を スマホのカメラに おさめました。サクラ並木の 上、ビルの 白さと ならんで 区別しにくい のですが、マッシロナ 夏雲が ムクムク 吹きだして いる 姿が、すこし 気になり ました。暴風や 大雨が 來る キザシで なければ よいが。とにも かくにも、平安な 日が つづいてほしいと 願って ます。




2016年8月14日日曜日

墓まいりの 季節


「日文悠」夏の 懇談会  8/3


となりの コンビニ  8/12 


コーンポタージュ 8/12 


お墓まいり  8/13 


沢新にて  8/13 




「日文悠」夏の 懇談会

83()。夕方 6時から、千代田町 丸十 2階で、「日文悠」夏の 懇談会が 開かれました。8月は 夏休みで、正規の 研修会は なし。「暑気 ばらい」を かねて、気楽に 語りあおうと いう わけ。

会食に さきだって、会員の Skyさんが スライドを 使って、立山を 中心に、山を めぐる 地名・地形名、動植物名 などに ついて 解説 されました。よくも これほど 大量の 画像資料を 採集・整理された ものだと 感心して 拝聴しました。

つづいて 会食…丸十 さん 自慢の 料理を ごちそうに なりました。わたしは 最近 家では めったに 酒を 飲まない のですが、こういった フンイキの 席では、食欲も わき、お酒も おいしく いただけ ます。ビール なら、コップで 「乾杯」の 1杯目が 最高。あとは ニガミが 強く なります ので、日本酒を マイペースで ゆっくり 味わいたい ですね

会食の 後半からは、出席者が 順番に 自己紹介。さまざまな 人たちの 個性 あふれる話を きく ことが でき、楽しい ひとときを 過ごしました。

次回の 研修会は、923()。講師:木本 秀樹 さん。テーマ:「古代北陸道の 国制と 特質」(仮題)



認知症の 実態

 これまでも、認知症に ついて いろいろ 聞いては いましたが、どちらかと いえば「よそさまの 家の 話」と いう 感じ でした。それが こんど、自分の 女房が その 病気に なり、その 介護者の 役割を つとめる ことに なろう とは、まったくの 想定外 でした。

 おなじく 認知症と いっても、実態は さまざまで、信子の ばあいは まだ 比較的 軽いほうの よう ですが、わたしに とっては、毎日が マサカ・マサカの 連続 です。

モノワスレ…「今日は ○月 ○日、○曜日?」それが、すぐには 答えられ ない。この 程度の こと なら、わたしでも あります。でも、デイケアに 出かける 日の ことを 忘れて いると、大変な ことに なります。買い物に 出かける ときも、(冷蔵庫の 中を チェックしない まま)その場の 思いつきで 食品を 買い集め、家に 帰って から、肉や 野菜が だぶって いる ことに 気がつきます。やがて、大量の ナマゴミと して すてる ことに なります。

 シンコクな 話…夕食の メニューを 考えたり、調理したり する には、それなりの 体力・気力が 必用、と いうことが よく 分かりました。そこで、先月から 夕食(オカズ だけ)の 宅配を 利用する ことに しました。老人むけに うすあじで、栄養も 十分 計算されて いる ようです。スキキライの ある 信子も、いまの ところ ほぼ 完食の 状態。これは うまく いったと よろこんで います。ところが、ある日、こんな ことが ありました。わたしが デイケア から 帰って からの 4時半 ころ、近所の H食堂 さん から、冷やし そうめんと かつ丼が とどき ました。いつのまにか、信子が 電話で 注文して いたのです。「腹が へった ものだ から」なの か、「弁当が 来ている のは 分かって いたが、ゴハンが ついて いなかった から」なの か、それとも「ゴハンを たくのが メンドウだった から」なの か、よく 分かりませんが、結果と して、当日 配達された 弁当は 残飯と して 冷蔵庫で 保存される ことに なりました。この「とりあえず 冷蔵庫で 保存」という 食品が 毎日の ように 発生し、やがて 大部分が ナマゴミと して 処理される ことに なります。食材は、もともと イネ・ムギ・野菜・肉 など、イノチ そのもの。残飯をすてる ことは、せっかく いただいた イノチを ムダに する こと なので、たいへん 申しわけ ないと 思って います。

 現実の 生活では、自分自身の イノチが まず 第一と いう ことに なります。ことしのように 猛暑日が つづくと、「2年、3年 先の ことは いわない。とりあえず なんとか して この夏だけは のりこえたい」と 願う ことに なります。ムリして 残飯を 食べて 食中毒に なるのは イヤ なので、ナマゴミと して 処理させて いただいて います。ごめんなさい。



8月の スケジュール

 年齢から いって、「毎日が 日曜日」の はず なの ですが、本人の 感覚では「けっこういそがしい」感じで 日を 過ごして います。そう 感じる には、それなりの 理由が あります。第1.高齢に なると、体力・気力が おとろえ、行動力が 落ちる ので、世間一般には「通常」の スケジュール でも、高齢者 には「過密」と 感じられる こと。第2.たとえば、週2回 デイケアに 通う のは、もともと「フロに はいったり、マッサージを 受けたり」、ノンビリした 気分に なる 時間の はず ですが、ぎゃくに「週2回 通所と 規制された」と 感じとる こと。

 わたしに とって、とりわけ この 8月は スケジュールが こんで いる 感じ です。「日文悠」も 「古事記を読む会」も 8月は お休み ですが、「日文悠 懇談会」(3日)、「墓 まいり」(13日)、「親戚 来訪」(17日)、「NHKから 来訪 取材」(23日)、「『教育・文芸 とやま』応募原稿 シメキリ」(25日)などの スケジュールが つまって います。「周2回 デイケア」との 調整も 必要で、96歳 老人に とっては やはり 「かなり つまった 感じ」です。ただし、文芸誌への 応募原稿 作成も、TV局からの 取材に 応じる のも、自分が すき好んで している こと、「生きている ことの アカシ」と して やっている こと ばかりです。マイナスの イメージは なく、「充実した スケジュール」と いった 感じです。



コンビニを 見なおす

  一昨年、となりに コンビニが できましたが、「コンビニは、若い人たちが 利用する もの」「老人には 縁がない」と 考えて いました。しかし、最近 すこし コンビニを 見なおすように なりました。万が一、非常事態の ばあい、老人は クルマの 運転も できず、パニック状態に なりがち です。でも、すぐ となりに コンビニが あれば、食品が 手にはいり、イノチを ツナグ ことが できそう です。費用の 面に ついても、食の 細い 小人数の 世帯では「食材ロス」、「ナマゴミ発生」が おおく なる ので、かなりの ムダヅカイを している わけです。体力・気力の ことや 調理の 時間の ことを 考えれば、コンビニで 間にあう ものは、なるべく コンビニ利用に 切りかえた ほうが、かえって 安あがりに なるのではと 考えて います。

 ただ 問題は、人には それぞれ スキキライが あり、どれだけ 栄養価が あっても、「食べる気に なれない」、「ムリに 食べようと しても、体質的に 受け入れ ない」などの 例も あります。わたし 自身は、ビンボー 一家の 4人兄弟の 一員と して きたえられた(?)おかげで、魚でも、肉でも、野菜でも、「どうしても キライ」な 食品は なさそう です。先日も コンビニで「コーン ポタージュ」などを 買って、味噌汁 がわりに 味わって みました。和風・洋風など、いろいろな 食習慣が ある よう ですが、いまの わたしには 「イキル こと」、「イノチを つなぐ こと」が 最優先の 課題です。コンビニや 近所の 食品店に、信子が「食欲を 感じる」だけでなく、「現実に 消化・吸収できる」食品が、どれくらい あるか、いろいろ テストして みる つもりです。



墓まいり
いろいろ 日程を 調整した あげく、13日(土)に 墓まいりと いう ことに なりました。

 お墓に そなえる 線香と ロウソクは 仏壇の ヒキダシ から、お花は となりの コンビニで 用意 できました。11時半、タクシーを 呼んで 出発。

 空は 快晴。カンカン照りの 猛暑 ですが、雨降り よりは マシと いった ところ。

常願寺川 大日橋(日置の橋)を わたり、立山町 五百石 商店街で イトコの Tsm さんにごあいさつ。そのあと、地鉄 田添駅西の 墓地に むかい ました。用水の 水を 汲んで、墓を 洗い、花を 生ける ツボに そそぎ ました。ローソクや 線香を 立て、マッチで 火を 灯そうと しましたが。風が つよい ので あきらめました。すること 為すこと、すべて 子供の ママゴト みたいな こと しか できませんが、この年齢で ここまで 足を はこんだ 気持ちだけは くみ取って いただけたらと 思っています。正直な ところ、来年の お盆に、また 墓参りに 来る ことが できるか どうか、あまり 自信が ありません。

  お墓まいりを すませた あと、沢新Mskに 向かい ました。沢新は、わたしの 母ヤイ(八重)の 出身地で、いまも もとの 場所に、イトコの Stk さん 一家が 暮らして います。わたしが 東京外語の 学生時代、冬休みや 春休みに なると、「沢新の おじいちゃん」の うちへ ころがりこんで、さんざん お世話に なったと いう「思い出」が あります。
 家に帰って、「ヤレヤレ」と つぶやいた とき、時計は 13時を まわって いました。

2016年8月7日日曜日

地蔵祭りの 季節



いたち川遊歩道 7/24    


石倉町延命地蔵尊 7/24 


ムクゲの花 7/2 


志田延義先生を偲ぶ会 7/24 




地蔵祭りの 季節

 724()、朝の 散歩で、雪見橋の 上流、石倉町・泉町上流の 遊歩道を 歩きました。ちょうど 地蔵祭りの 季節で、「南無 延命地蔵尊」と 染めぬいた ノボリの 赤い 色が 木の ミドリと 対照的 でした。この日 夜には、恒例の 灯篭流しも 行われる との ことで、石倉町の 地蔵尊堂では、世話役の 人たちが 祭りの 準備を して おられました。対岸の 泉町でも 同様 でした。

<追記>25北日本新聞紙上に「いたち川の 川面を 幻想的に 照らす 灯篭24日夜)」の 写真が のって いました。



志田延義 先生を 偲ぶ 会

24() 午後2時から、市内 長柄新町の 長念寺で、「志田延義 先生を 偲ぶ 会」が 開催され、前 日本歌謡学会 会長(第1回 志田賞 受賞者)真鍋昌弘 先生の 記念講演が ありました。タイトルは「志田 歌謡史を 基盤として 『閑吟集』と 『田植え草紙』を 読む

 わたし 自身、歌謡学会の 会員では ありませんが、志田延義 先生に たいへん お世話に なりました ので、「偲ぶ 会」には できるだけ 出席させて いただいて います。わたしが とりくんで いる テーマが「日漢英の 音韻比較」なので、『古事記』や『萬葉集』などの 歌謡は 比較的 ナジミが ありますが、平安以後の 歌謡までは なかなか 手が 出ません でした。数年 まえ、たまたま「偲ぶ会」に 出席した ご縁で、書家の 藤原彰子 さん から 著作『閑吟集を 書く』、『梁塵秘抄を 書く』を いただく ことに なり、目から ウロコが 落ちる 思いが した ことを おぼえて います。

 真鍋 先生は、この日の 講演の ために B413枚に およぶ 資料を 用意し、出席者に配布 されました。その目次を ご紹介します。

1. 閑吟集』を 読む』、

1.1.肩書き「吟」173番・209番を 読む(吟=吟詩句、小=小歌)

1.2.酒宴歌謡

1.3.「うそ」を突く

2. 『田植え草紙』を読む

2.1. 鹿の歌

2.2.のうた

 当日の 講演では、真鍋 先生 一行が 平成209月、中国河北省 邯鄲市の 重要文化財、黄梁夢呂仙紫祠を 訪問した ときの 思い出から はじまり、まずは 『閑吟集』「吟」173に たどりつきます。

世事邯鄲枕、人情灩澦灘(セイジ[世事] 邯鄲の 枕、ジンセイ[人情] エンヨ[灩澦]の ナダ[])

  「邯鄲の 枕」とは、趙国の 邯鄲で 蜀国の 盧生が、導士(仙人)呂翁の 不思議な 枕で 眠り、人生の はかなさを 悟る 話。灩澦灘は、長江ク[-]塘峡に ある 巨石の 名。灩澦堆とも。1958年、航路整備の ため 取り除かれた。この地区に 残る 船曳を 収録して、「船頭や 牽引夫の 労働・俗信・生活」を 調査した との ことです。

 ついでに 209

鶏声茅店月、人迹板橋霜(鶏声茅店の 月、人迹板橋の 霜)

[口語訳] にわとりの 声を 聞きながら、寒々とした 空に 残る 冬の月を ながめて、田舎の 宿を 出立した。ふと 見ると こんな 早朝にも かかわらず、板橋の 上に 置いた 霜の 上には、だれかが、すでに 通って いった ので あろう、足跡が ある。

さらに もう 一つ、210番 小歌。

帰るを知らるるは、人迹板橋の霜のゆへ()

[口語訳] わたしが 帰って ゆくのを、人に 知られる のは、霜の上の 足跡の せいだよね。

 途中 省略して、『田植え草紙』鹿の 歌へ。

朝霧にさしこめられて小牡鹿が

  ゆくかたのふては和歌をよむ

さしやこめられ小歌もよまれぬ

鹿の腹毛をぬいては筆に結われた

筆に結ふてはみな法華経をかかれた(6)

資料・『万葉集ホカヒビト[乞食者]のウタ[]

…シシ[鹿]待つと わが居る時に さを鹿の 来立ち歎かく、タチマチ[]に われは死ぬべし 大君に われは仕へむ わが角は 御笠のはやし わが耳は 御墨のツボ[] わが目らは 真澄の鏡 わが爪は お弓のユハズ[弓弭] わが毛らは 御フミテ[]はやし わが皮は 御箱の皮に わがシシ[]は 御ナマス[]はやし わが肝も 御ナマス[]はやし わがミゲ[]は 御塩のはやし 老いたる奴 わが身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しハヤ[]さね 申しハヤ[]さね(万3885

<参考>

峰に起き伏す鹿だにも、仏に成ることいと易し

己れが上毛を整へ筆に結ひ、一乗妙法書いたんなる功徳に(梁塵秘抄239) 
  この日、真鍋 先生の 解説を うかがった おかげで、上代の 『古事記』『萬葉集』から 中世の 『閑吟集』『田植え草紙』を 経て 現代歌謡に いたる までの 流れが、すこしだけ 目に見えて きた 感じが します。それは、日本列島の 住民たちの 生活が、狩猟中心から イネ農耕 中心に 変化した こと、ヤオヨロズの神の 時代から アマテラス 中心、さらにはテラ[](屋根瓦で 周囲を テラス堂塔)を もつ 仏教信仰の 時代へと、しだいに 変化して きた ことの 反映と いっても よい でしょう。まさに、「歌は 世に つれ、世は 歌につれ」ですね。