2011年11月15日火曜日

国際交流フェスティバル2011


フェスティバル2011ポスター


 1階、総合案内  


 1階、富山県南米協会写真展示


 5階、各国紹介ブース(入口付近)


 5階、各国紹介ブース(中国)


 5階、各国紹介ブース(ロシア)


 5階、各国紹介ブース


 5階ステージ、交流会(ハワイアン)


 5階ステージ、交流会(ハーモニカ)




国際交流フェスティバル2011
恒例の国際交流フェスティバルが開催されました。
富山で国際交流活動をつづけている各種関係団体が合同して、毎年1回もよおしているお祭りです。ことしも7月から実行委員会を4回開催、綿密な連絡・打ち合わせを積みかさねた上で、ようやく本番を迎えました。以下、そのポスターから概要を紹介します。

日時:1112()午後1時~5時
        13()午前10時~午後4時
会場:富山駅前CICビル
主催:国際交流フェスティバル2011実行委員会
共催:JICA北陸 // とやま国際センター // 富山市民国際交流協会
後援:富山県 // 富山市
参加団体:JICA北陸、青年海外協力隊富山県OB会、チングサラントガリ(友愛会)、富山外国語専門学校、富山県カンボジア王国親善協会、富山県国際理解研究会、富山県青年国際交流機構、富山県南米協会、富山県日韓親善協会、(公財)とやま国際センター、富山国際大学、富山市民国際交流協会、富山ユネスコ協会、富山ロシア協会、日独友好協会    など、計28団体。

5階会場
12
◆オープニング // 津軽三味線 // パラグアイのボトルダンス
13
◆外国人カラオケ大会 // アンデス民謡
両日◆各国紹介ブース、チャットルーム(韓国、中国、フィリピン、米国、カナダ、ジャマイカ、ブラジル、ロシア、オーストラリア、エジプトなど)
     
◆昭和のお店 駄菓子屋さん
3階会場
12◆ロシア語スピーチコンテスト、日本文化体験(着物の着付など)
13◆体験プログラム(中国) // ブラジルを知ろう!”CHA DA TARDE
両日◆大集合!とやまの国際交流・協力団体ブース(活動紹介)
1階会場
両日◆大集合!とやまの国際交流・協力団体パネル展示(活動紹介)

 会場入り口の受付、案内係
CICビル1階アトリウムに受付、総合案内係が配置されました。ビル1階の入口が数か所に分散していることもあり、CICビルへ来られたお客様のうち、どれだけ多く会場まで足を運んでいただけるか、なかなか難しいところです。
また両日とも、フェスティバル スタッフの受付という仕事もありますが、それは3階に特設の受付(女性陣)で担当することになりました。
わたしは2日間、10人ほどのお仲間といっしょに1階の総合案内でお手伝いさせていただきました。ここでの仕事は、①入場者にプログラムを渡し、スタンプラリーやアンケーとにも協力を呼びかけること、②その用紙に記入されたスタンプやアンケートを確認したうえで、商品・景品を渡すことなどです。いちおう担当時間割をきめ、あき時間にはほかの会場をのぞけるように設定されました。
スタッフは、男性・女性とも、この道のベテランぞろい。わたし91才老人、なんのお役にも立ちません。ただ、そこに座っているだけ、あるいはただウロウロしているだけです。それにしても、さすが富山市の玄関口にあるCICビル。入場者たちの顔・体格・服装などを眺めているだけで、人間ウォッチングを楽しませてもらいました。日本人・韓国人・中国人・アメリカ人・ロシア人・ブラジル人など、さまざま。「富山も、これだけ国際化されたんだ」と実感しました。

富山県南米協会の写真展示 
フェスティバルの主会場は5階と3階ですが、1階でも富山県南米協会など協力団体の活動を紹介する写真を展示していました。
ここで、ひさしぶりに橘秀雄さんにお会いしました。あらためていただいた名刺に「富山県南米協会・富山県海外移住家族会、事務局長」とありました。
わたしがはじめて橘さんにおあいしたのは数十年まえ、富山県庁の一室でのことでした。ヘブライ語と日本語の関係にかんする研究書を1冊お借りした記憶があります。
なつかしさのあまり、こんどは「小学生から英語必修」、「日系2世の日本語学習」などの問題について、しばらく話しこんでしまいました。

5階ホール、各国紹介ブースで
5階ホールでは、中央にステージが、まわりの壁面に各国紹介ブースが設定されています。ホール入口付近のブースでは、笠井睦子さんがスタッフとして参加していました。もと中国語教室(富山外国語専門学校中国語専修コース)の生徒さんです。中国語学習は、今も続けているそうです。
中國紹介のブースでは、銭輝さんが中国茶の試飲コーナーに出演していました。銭さんの日本語は、日本人が聞いても中国人とは気づかないほど完璧です。富山市国際交流センター職員(外国人相談員)で、富山市外国語専門学校講師(中国語)も勤めています。


スタッフの交流会で
12日午後5時半から6時半まで、5階ホールで、スタッフの交流会(ノンアルコール)が開かれました。中央ステージでハワイアン演奏があり、そのあとハーモニカ二重奏がありました。その一人が笹倉圭也さんです。彼ももと富山外專の生徒さんで、最近は富山国際大学で湯麗敏さんの講義を受けたり、中国人の生活相談に乗ったりしているようです。
むかしご縁のあった人たちが、いまも国際交流の最前線で活躍している姿を見ることができて、とてもうれしく、またたのもしい感じがしました。

2011年11月1日火曜日

有峰林道の紅葉 

いたち川の秋
 

有峰湖が見えた!



 有峰湖辺の紅葉

 祐延ダムの紅葉

有峰林道の紅葉A

有峰林道の紅葉B

有峰案内図(部分)


いたち川の秋
1012日、快晴。いつものとおり、朝のいたち川べりを散歩。平野部での紅葉は、こんな具合です。途中、雪見橋下流でカモ一家に会いました。昨年、上流の清辰橋あたりで見かけた一家とは別の一家だろうと思いますが、たしかなことは分かりません。実は前日の夜、東京在住の姪 伊藤淳子さんが ご主人の広美さん、愛犬ランちゃんといっしょに来県。1週間滞在。その間、ランちゃんはイズミ家であずかることになりました。
そして12日の天候が悪くなければ、有峰の紅葉を見にゆこうと、さそってくれました。

有峰湖が見えた!
10時過ぎ、伊藤広美さんの愛車で富山を出発。一行4人と1匹、有峰を目ざします。途中コンビニに立ちより、おにぎりと飲み物を準備。
カメガヤ[亀谷]から有峰林道にはいり、いくつもトンネルをくぐったあと、ようやく有峰湖が見えるところまで来ました。
有峰ハウス、有峰ビジターセンターなどを見学してから、湖水やまわりの紅葉を見わたせる展望台で、お弁当をいただきました。
この写真、無理やり湖水を写してみたのですが、逆光で画面が暗くなってしまいました。ごめんなさい。

有峰湖辺の紅葉
回れ右して写したのが、この写真です。 いたち川べりで見た風景とくらべて、たしかに紅葉が美しいと感じました。この日、ランちゃんも ごきげんでした。

祐延ダムの紅葉
ビジターセンターで、「ここよりも、スケノベ[祐延]湖の方が500メーターほど高いので、それだけ紅葉が進んでいるはず」と教えてもらったので、そちらへまわりました。
「なるほど!」標高差500メートルの意味を実感しました。
このあとは小口川線で、沿道の紅葉を楽しみながら富山へ向かいました。

有峰案内図(部分)
ビジターセンターでもらった案内図で、この日の行程をおさらいしてみました。「行きは小見線、帰りは小口川線」ということだったようです。
富山~岩峅寺~富山地鉄有峰口駅~小見~カメガヤ[亀谷]~(有峰林道)~有峰湖~スケノベ[祐延]湖~水須ゲート~上滝~富山。
林道は、途中5か所ほどトンネルがあり、最近全線開通したばかりとのこと。一部まだ工事中のところもありましたが、全体としてすばらしいドライブを楽しむことができました。
追記:数日後、伊藤広美さんが写した写真がとどきました。わたしの方はケイタイ電話のカメラで間にあわせているだけですが、伊藤さんの方はカメラも違うし、技術も段違いです。
有峰紅葉の思い出をプレゼントしていただいた伊藤広美・淳子夫妻に感謝!そして、1週間イズミ家の家族になってくれたランちゃんに感謝!

新ブログ「コトダマの世界」について、お願い
おかげさまで、ブログ「七ころび、八おき」が1025日号で無事完結できました。そのあと、新ブログ「コトダマの世界…コトバという名のトビ道具」を発行する予定です。こちらも、よろしくお願い申しあげます。118日初公開の予定です。

2011年10月18日火曜日

「詩と山歩きの記録」 


「叩く子・再訪の山…」2011


佐藤正樹さん年賀状、2011


 佐藤正樹さん年賀状、2009 


佐藤正樹さん年賀状、2002

「たらいまの子・山野歩き…」2006


叩く子・再訪の山・山歩きの記録
  先日、佐藤正樹さんから「叩く子・再訪の山・山歩きの記録」(2011.9.15)という作品をいただきました。あとがきに「詩と山歩きの記録,お受け取り、お読みいただければ幸いです」とあり、同封の便せんに「ご返信無用にお願いいたします」と書きそえられていました。
それから だいぶ日がたちましたが、ご指示にしたがって、いまだにお礼の手紙をさしあげておりません。
わたしは詩心がとぼしく、俳句や短歌も門外漢です。もちろん、きらいではありません。親戚や知人から句集や歌集などをいただくことがあり、そのつど楽しく読ませていただいています。
佐藤さんの作品はかなり凝っていて、読みごたえがある感じです。長年月にわたる「人生経験」と「山歩き野歩きの経験」がいっしょになって、はじめて生まれたと感じさせられるコトバが、いっぱいつまっています。
以下、わたしが共感をおぼえた部分を、かってに引用させていただきます。
 
叩く子
小さい手が叩く
這ってきて叩く
何でも叩く
叩いて在るのを確かめる
一緒につくばって叩いてみる
叩かれて新しく物は現われる
丸っこい手が叩く
ガラス戸を叩く
テーブルの脚を叩く
無心に叩く
大工さんのリズムで叩く
ガラス戸が生まれる
テーブルの脚が立ち上がる
誰かが見ているとも知らず
小さい手が無心にものをたたいている
 
はなやぐ祖母
てんめいは煎餅  やちゅうは野球
生まれたての片言に
ととここ とこ とこ
二本足の誕生に
 
中学同級会
にぎやかな幹事の声がする
「おれが壁に向かって立たされているよ」
動物園の檻のペンギン
小ぶりなペンギンたち
三々五々壁に向かって起立
しばらくすると動き出す
一羽だけ動かない
動く気配もない
反省中の―
それともひがんで意地を張ったおれ
 
山辺の土
日があたる土
気持がふくらむ
雨が降る土
気持にうるおい
土のおおらかさ
舗装世界から来た人へ
 
Mさんへの手紙(06826日)
(前略)戦中のことはたとえば軍歌の一節を流行り歌の一節のようにくちずさんでいることがあります。戦争は終わって がらっと世間が変わりましたが、子供の戦中体験は心のどこかに張り付いているようです。当時の大人はどう落とし前をつけているのか、今年815日の朝日新聞に掲載の大江健三郎さんの「定義集」で引用されている、南原繁の話に目を引かれました。
 《私は彼らに「国の命を拒んでも各自の良心に従って行動し給え」とは言い兼ねた。いな、敢えて言わなかった。(中略)、
私は学生と語った。「国家がいま存亡の関頭に立っているとき、個々人の意志がどうであろうとも、われわれは国民全体の意志によって行動しなければならない。われわれはこの祖国を愛する、祖国と運命を共にすべきである。ただ、民族は個人と同じように、多くの失敗と過誤を冒すものである。そのために、わが民族は大きな犠牲と償いを払わねばならぬかもしれない。しかし、それはやがて日本民族と国家の自覚と発展への道となるであろう」と》(南原繁著作集9巻)

年賀状の1行詩
佐藤さんからいただいた年賀状にそえられた1行詩を紹介します。
元日様…来てみれば不断の日で座っている(2011年)
頂で…飛んでいく今 そこにいる昔(2009年)
白馬三山 春の高みを想ひけり(2002年)

たらいまの子・山野歩き…
実は、2006年にも佐藤さんから「たらいまの子・山野歩き・山歩き野歩きの記録」という作品をいただいています。こんどの「叩く子・再訪の山…」は、その続編にあたります。
ついでに、前作の一部をご紹介します

たらいまの子
家の中のあちこちから
たらいま
と覚えたての言葉で出てくる
たらいま
舌足らずでも赤ん坊語でもない
ちゃんとした自分の言葉
今も階段脇からたらいまと帰ってくる

北アルプス・動かずの大展望
いくら姿がよくても 動かずに
いつもお互い見合っていてはあきるだろう
姿隠しの霧や雲が動いている
いい間をおいて
 
運針歩きの山
家庭科で中学生は雑巾縫いを習った
年を経て今日は山を運針のように歩いた

Mさんへの手紙(2002916日)
(前略)詩について、季語、文体、語調を特に考えることなく書いてきました。抽象画、時にひっくり返されて見せられても上下がわからないが、飽きなくて面白い抽象画のような現代詩も良いかも知れないが、誰でも書け、わかる詩、しかもどこか新しさのある詩を書きたいと思っています。実際は分かりにくい、独りよがりの表現になる場合も多いですが、この点は読んでくれる人の解釈におまかせ、の気持ちです。(以下略)
 
佐藤さんとのご縁
佐藤正樹さんとのご縁は、1990年ころ(?)、YKK生地工場の山本憲司さんの紹介で、佐藤さん(当時東京勤務)からお手紙をいただいたのがはじまりだったようです。YKKが上海事務所開設をまえに、若手社員を対象に中国語研修を実施。そのときの企画責任者が山本さんでした。1回、2年ほど(?)JRで富山~生地間を往復した記憶があります(ブログ:七ころび、八おき。中国物産コーナーのころ③)。
佐藤さんは、たしか東京外語スペイン語科、1961年卒。佐藤さんのご紹介で、19981月、貫井進さん(東京外語フランス語科、1959年卒)からお便りをいただきました。「1994年、北海道新聞社を定年退職。当面、東北地方以南に存在するアイヌ語地名を探索中。できれば、日本語・アイヌ語・朝鮮語3語間の関係をさぐってみたい〉とのことで、アイヌ語とヤマトコトバとの音韻対応例も示されました。
縁は異なもの。待てば海路の日和。どこで、どんな縁があるやら、わかりませんね。