2018年6月27日水曜日

記念講演:「神岡での研究」など 


記念講演:「神岡での研究」6/16


サラリーマン川柳コンクール展    6/16 


脱水対策の勉強会 6/19 


三味線を聞く会  6/20 




臨時理容室で髪をカット

615日(金)午後、6Fで臨時理美容室開設。「髪や・金沢支部」(南砺市福光)から2名の女性理美容室師さんが毎月出張してこられ、ホームのみなさんが利用しておられます。わたしはカットだけしてもらいました。髪型の注文を聞かれ、「適当に」と答えたところ、坊主頭にちかい姿になってゆくことがカガミを見ていて分かりました。内心、「あれっ?」とも思いましたが、このさき「あつい夏日」がつづきますので、このほうがすこしでも「若くて、元気そう」に見えるかもしれない。そう考えて、ナットクしました。



講演会:「神岡での研究」

616日(土)、午後、富山国際会議場メインホールで冨山健教育会創立130周年を記念した講演会があり、東京大学宇宙線研究書所梶田隆章所長が「神岡での研究」と題して講演されました。わたし自身は、むかし中学校理科の時間に「分子・原子・電子」などの名前を教えられた程度の知識しかありません。せっかくスライドを使って「原子核・陽子・中性子・ニュートリノ・重力波」などについて解説していただきましたが、わたしの頭で理解できる限界をこえていました。おはずかしい話です。

理論的に、まともに理解することはできませんでしたが、それでもこの講演会に出席したことはムダでなかったと思っています。理屈は別として、講師梶田さんの人間性みたいなものを感じとることができたからです。

配布された「講演要旨」に、つぎのように書かれています。

 神岡でのニュートリノの研究が始まって既に30年以上が経ちます。この間の神岡での研究について振り返り、今後の展開を考えていきます。。また、近年進めている重力波の観測に向けた研究についても触れたいと思います。

全体を通して、現在の基礎科学研究の一端を紹介し、学校教育の今後を考えるうえで、何かヒントになる材料を提供できればと考えています。

物理学・文学・言語学など専門分野の区別をこえて、学問研究者としてののセナカ[背中]を見せていただいた感じです。うろおぼえの用語で表現すれば、「ある種のニュートリノが体内を通過した」みたいな感覚です。

なお、入場するまえ、会場受付の方に、『コトダマの世界Ⅱ1冊を富山県教育会へ寄贈させていただきたいと申しこみ、受理していただきました、。もともと自分の足で県教育会をおたずねして、寄贈の手続きをする予定にしていたのですが、いまの体調ではそれができません。失礼な点は、おわび申しあげます。



サラリーマン川柳コンクール展

この日、会議場1Fで、「サラリーマン川柳コンクール」の入選作品が展示されていたので、ついでにのぞいて見ました。、富山国際会議場主催、第一生命(株)協力。

  スポーツジム 車で行って チャリをこぐ

  「ちがうだろ」妻がいうなら そうだろう

  ノーメーク 会社入れぬ 顔認証

  効率化 進めて気づく 俺が無駄

  電子化に ついて行けず 紙対応

  父からは ライン見たかと 電話来る…(以下省略)

 現役をはなれて数十年のわたしとしては、たまにこうした作品とジックリつきあってみりのもよい「アタマの体操」になると思います。

入選作100点のなかで、わたしがいちばん共感でき、またさらに深く考えさせられたの

が、第4位とされる「効率化 進めて気づく 俺が無駄」という作品です。



言語習得の効率化とムダ

 ここで、しばらく話が脱線することをおゆるしください。わたしがとりあげたいのは、いま日本の小・中・高校で実施されている日本語・外国語の学習指導法が「どれだけ効率化され、どれだけムダをはぶいているか」という問題です。

文科省の「学習指導要領」の中には、「言語教育のムダをはぶき、効率化する」ための具体的な方法が示されていないようです。その点から見て、現行の「指導要領」それ自体がムダではないか、という問題がでてきます。まじめに効率化を考えれば、「オレがムダ」と気づくのが当然。もし気づかないとすれば、それこそ「まじめに効率化を考えていない」証拠だと思います。具体的に、言語学習指導の実態を観察してみましょう。

 日本語学習にかんしていえば、ふつう「国語」と呼ばれ、とりわけ小・中学校の段階では、「コトバの学習」というカンバンをかかげながら、じっさいは「漢字のヨミカキ練習」、つまり「モジの学習」に追われているだけです。小中学校の国語学習指導要領には、「コトバとはナニか?」、「日本語はどんな音韻感覚のコトバか?」など、生徒たちの自発的な言語活動をうながす場面の設定が示されていないようですから、学校の先生や生徒たちが、「オレがムダ」と気がつかないのもアタリマエなのかもしれません。

 英語など外国語学習の実態はどうなっているでしょうか?これまで、小学校でも、国語の時間にローマ字を学習することになっていますが、じっさいはきわめて不十分。中学校でもういちど基本から学習しなおすことになります、ここにもおおきなムダがあります。

 言語学習の基本は、その言語の音韻感覚を習得することであり、日本語と英語ではそれぞれ独特の音韻感覚になっていることは事実ですが、その反面、おなじく人類語の一つとして、共通の感覚をもっていることも事実です。生徒が母語として日本語を習得する過程で身につけた音韻感覚のうち、英語と共通する部分についてはそのまま通用させ、相違する部分、日本人がニガテとする語音に重点をおいて練習することによって、効率化することができるわけです。このことは、日本人が第一外国語として英語を習得したあと、さらに第二外国語として中国語などを習得しようとする場合、さらにいっそうの効率化が期待できることを示しています。ただし、そのためには、国語学習と外国語学習ともども、「コトバは音声言語が基本。モジはコトバを記録するための道具」という言語観が一貫していなければなりません。

ここで、もう一つちがった視点から、この問題を考えてみましょう。そもそも日本語とはどんな言語かという問題です。いま「ムダをはぶいて、効率化」が求められているのは、現代日本語についてであり、『古事記』『萬葉集』時代の日本語についてではありません。

『古事記』『萬葉集』時代の日本語は、ほとんどすべてヤマトコトバだけで構成され、漢語などの外来語はほんのわずかでした。それにくらべて、21世紀の現代日本語は、ヤマトコトバの音韻感覚を中心におきながら、漢語・英語など大量の外来語をとりこむことによって、ゆたかな語彙体系をもつ言語になっています。「ゆたかな語彙体系」という点でではすばらしいことですが、そのために「おおきなムジュン」をかかえこんでしまい、どうしたらよいか、こまっています。たとえば、同音異義の漢語が多すぎること。コウエン[講演・香煙・公園・公演・後援・好演・高遠]など、漢語の世界ではそれぞれちがった音形なので区別して聞きとれますが、日本漢字音ではすべて同一の音形コウエンとなり、耳で聞いただけでは区別がつきません。同音異義のコトバは、コトバの伝達回路の途中で脱線や衝突などの事故をおこす恐れがあり、公式のコトバとしては失格とすべきです。漢字の正確な字形をおぼえていないでも、機械がかってに漢字に転換してくれるので便利だとおもっていたら、転換ミスで同音異語に転換され、ミスにきづかれないまま、文書として送達される、という事故が多発しています。漢字という表意モジにたよっているかぎり、この種の事故をなくすることはむつかいいようです。

 ここまで来ると、「効率化」どころのさわぎではありません。ここで「オレがムダ」と気づかないようなら、あとはレッドカードを切るほかないでしょう。

 現代日本語のなかに、これだけ大量の外来語をかかえこんだ以上、いわゆるヤマトコトバの音韻感覚を習得するだけで、現代日本語の音韻感覚を習得できる道理がありません。ヤマトコトバだけでなく、外来語それぞれの音韻感覚についても、「どの点で、日本語の感覚とちがうか」など、ひととおりわかってからでないと、現代日本語をマスターできるわけがありません。ところが、「学習指導要領」にその「要領」が示されていない。「オレがムダ」の見本みたいなものになっています。



脱水対策の勉強会

619日(火)午後、9Fで「脱水対策の勉強会」が開かれました。講師として、大塚製薬工場の方が見えられ、「夏の熱中症対策」、「熱中症予防のための体調チェック」などについて解説されました。「脱水症状の発見方法」なども、よい勉強になりました。熱中症については、先月なかばの一件でこりこりごりなので、よくよく気をつけて、無事この夏をすごしたいと考えています。



三味線を聞く会

 620日(水)。午後、9Fで「三味線を聞く会」。今回はお一人で登場。沖縄民謡「安里屋ゆんた」、「」からはじまって、東北の民謡や北海道の「ソーラン節」、最後は富山の「こきりこ節」、「八尾おわら節」まで、「三味線の音」をじっくり楽しませていただきました。   

あとでネットでしらべてみると、三味線の皮としてヘビ・ネコ・イヌなどの皮が使用されており、動物愛護運動の人たちから「ネコのイノチをうばわないで」と抗議の声が上がっているとのことでした。ナルホドとも思いますが、むつかしい問題です。「ネコはダメ」というなら、「イヌやヘビもダメ」といわなければ、話のスジミチがとおりません。「イノチをうばう」という点では、「精進料理」なども「植物のイノチをうばう」点で同類です。この問題を解決するには、なによりまず「自分ひとりの力では生きてゆけない。まわりのイキモノのイノチをいただく、そのおかげで生きてゆける。つまり、生かされているだけ」という「真実」を自覚することが基本課題だと考えていますが、どうでしょうか?


2018年6月10日日曜日

まつりの季節



幻想;竜宮城(!?) 5/28


こども神輿 5/28 


山王さんの獅子 5/31 


おはらい 5/31 



 おまつりのご膳 6/1


『古事記』を読む会  6/3  




幻想;竜宮城(!?)
 528日(月)午前、郵便局まで行ったついでに、諏訪神社境内をうろついてみました。ここにはちょっとした泉水があり、コイカメに会うことができます。ガマのしげみもあって、秋になれば、あのガマの穂の色を楽しむこともできます。ただし、もともと神社の庭園としてではなく、防火用水として設計されたということで、やたら四角四面の感じで。なんともフゼイがありません。カメラを向けると、駐車場のクルマやビルの姿が映りこんでしまい、こっちのイメージどおりの絵になりません。それでも、水面に浮かんできたヒゴイの姿にひかれて、シャッターを押しました。
 境内の一画に、こども神輿が置いてあったので、それもカメラにおさめました。前日、諏訪神社の祭礼があり、ホームめぐみのまえをワッショイ・ワッショイ引いていった、あのこども神輿にまちがいありません。どうもオツカレサマでした。ゆっくりオヤスミください。
さて、ホームへもどってから、あらためてスマホの写真を開いてながめました。ヒゴイのかわいらしい姿の背景に、対岸のビルがさかさまに映りこむなど、まったく予想外の映像になっていました。「どうして、こうなるの?」しばらく考えこんでしまいました。。
 そのあと、「視点が変われば、映像も変わるのは当然。この映像を21世紀版『竜宮城』の映像と見てはどうか」と考えることにしました。幻想はあくまで幻想にとどまり、現実ではありません。しかし、幻想にはそれなりの役割や効果があることも現実です。たとえば、オリンピックで金メダルをとれる選手は1名だけというのが「現実」ですが、「金メダルを夢見る(幻想する)」ことが、大多数の選手に、きびしいトレーニングを「耐えぬく力をあたえる」というのも現実です。

山王さんの獅子
531日(木〕。山王神社のおまつりで、めぐみのビルに獅子が来られるとのことで、入居奢たちも多数出席しました。まず,1F玄関に祭壇がおかれ、お米やお神酒などが並べられます。赤と黒二組の獅子がそろったところで獅子おどりがはじまり、参会者ひとりひとりの頭をかんでまわります。これで、この先1年間、無事息災で過ごせるとのこと。
  獅子おどりのあと神主さんが登場、参会者一同頭をさげ、おはらいを受けます。さいごに、祭壇に供えられたお神酒やお米などが献上され、儀式がおわります。
考えてみると、獅子おどりおはらいを、これだけじっくりと観察できたのは、はじめてです。山王さんのお獅子が赤と黒、二組そろっていることに気づいたのも初めてですが、よくみると、踊り手たちの衣装も舞子全体の衣装も、すっかり現代風になっていることが分かり、ビックリしました。ご覧の写真は、赤組の獅子がビル玄関に到着し、黒組の獅子をまっている場面ですが、わたしの感覚では、ついついモダン・バレーのダンサーを連想してしまいました。
 おまつりの儀礼には、むかしからの伝統・様式を忠実にまもるという一面があります。同時にまた、古くなったイノチをひきつぐものとして、新たなイノチを育てようとする一面もあります。時代の変化をこえて、おまつりを盛りあげてゆくには、まずわかい人たちの「イノチの共感」を集めることが要求されるようです。

自己流のテアテ法
6月1日(日)。夜中にトイレのため目をさましたのは2回だけでした。トイレのためといいましたが、じっさいは左右とも足のツマサキしびれて、その痛さで目を覚まし、ついでにトイレをすませるというべきかもしれません。一晩に3回以上、そうなります。外科でも見ていただきましたが、「レントゲン検査の結果も、異状なし」といわれました。それから数カ月たちましたが、痛みはつづいています。ここまで来ると、自分でテアテ法を考えるほかありません。
そこで気がつきました。わかくて健康なころは、毎日3,000くらいは歩いていたかと思います。いま、ホームでの生活を観察してみると、1日当たり数百歩どまりになっているでしょうか。歩くときは、全体重を左右の足で支えることになります。さらには、立つ・すわる・はしる・横を向くなどの場合、足のツマサキ最大の負担がかかることになります。そのことを考えれば、「夜中に足のツマサキがしびれる・痛む」そのこと自体、「足のツマサキの生理を無視し、毎日数千歩歩行の習慣をさぼった」ことへの天罰だということになりそうです。
足ふみをする、ツマサキをマッサージするなど、ほんのわずかなことしか思いつきませんが、結果として「ツマサキのシビレ・イタミ」がすこしでもおさまってくれればありがたいです。

おまつりのご膳
この日は日枝神社・山王さんのおまつりということで、ホームの昼食もご覧のとおり「おまつりのご膳」仕立てとなりました。赤飯・すまし汁・てんぷら・ごまあえ・べっこう。それに竹林堂の「ついたち・まんじゅう」までそろっています。。
 砂町に住んでいたころ、正月と夏祭りだけは二人そろって山王さんへお参りしていました。菓子屋の娘として生まれ育った信子は、アルミの弁当箱をつかってベッコウをつくるのが得意で、わが家の食卓には一年中とぎれることなくベッコウが並んでいました。そしてマンジュウといえば、中央通り(砂町のとなりの町内)の「酒マンジュウ」がお気に入りでした。

『古事記』を読む会
6月3日(日)。午前10時から、茶屋町豊栄稲荷神社で、『古事記』を読む会研修会が開かれ、考古学者藤田富士夫さんが「火の神を斬る」と題して解説されました。
まずは慣例どおり、出席者全員で『古事記』上巻、「伊邪那岐命と伊邪那美命…③国生み・神生み。④伊邪那美命の死」の部分を輪読。そこに登場する神たちのナノリ意味役割など)をチェックすることから、解読作業がはじまりました
 伊邪那美命は国生みのあと、さまざまな神を生みつづけますが、さいごに火之迦具土神を生んだために「みほと炙かえて」死亡したとされています。そのとき、タグリ(嘔吐物)から生まれた神が金山毘古(毘女)神クソ[屎]から生まれた神が波邇夜須毘古(毘女)神ユマリ[尿]から生まれた神が弥都波能売神、つぎに和久産巣日神
 そのあと伊邪那美命によって斬り殺された迦具土神の死体からも、つぎつぎあらたな神(イノチ)が生まれます。頭に正鹿山津見神。胸に淤ド山津見神。腹に奥山津見神。蔭に闇山津見神。左手に志芸山津見神。右手に羽山津見神。左足に原山津見神。右足に戸山津見神。                                                                                                                                  
 このような記述の仕方から、『古事記』が書かれた当時の日本人がもっていた宇宙観・世界観・生命観などを推定するテガカリがつかめそうで、興味をひかれます。その場合、『古事記』上巻の記述は日本史の縄文時代から弥生時代にわたるものなので、どの記述がどの時代の歴史事実を反映するものなのか、整理する作業も必要になります。
 縄文時代の土偶については、早期から晩期まで、全国各地で出土しているだけでなく、身体各部がバラバラの状態で発見されることがおおいとのこと。前記カグツチ神の死体からおおぜいの山津見神が生まれたという記述とおなじ発想法によるものでしょうか?
 7月の研修会でも、藤田さんがひきつづき「黄泉の国」と題して解説してくださるそうで、楽しみにしていましたです。

体調で、一喜一憂
6月5日(火)。午後、機能訓練のとき、いつもよりややだるい感じがしました。そのあと、入浴まえの体温検査で38。あわてて、当日の入浴は中止1F内科で診察を受けたあと、アイスノンで頭を冷やし、ひたすらネル・ネムルことにしました。
6月6日(水)。おかげさまで、体温・血圧とも平常にもどりました。午後、9Fで開かれた「音を聞く会」に参加。6月はJune Brideの季節ということで、恋愛・結婚にまつわるメデタふうの曲を特集。「青い山脈。ここに幸あり。バラが咲いた。港町十三番地。柔」など。1曲ずつ、大判の歌詞カードを掲示し、歌詞について解説したうえで、出席者全員で歌います。ここは老人ホーム。「歌謡教室」ではありませんので、歌の上手下手は関係なし。なによりまず、歌を聞いたり、自分で歌ったりする気分になること。つまり気分転換が第一目標。出席全員にタンバリン・鈴などの小道具を持たせたりするのも、そのため。今回はさらに、リハビリ用機能訓練のフリツケをとりいれるなどの方法もとりいれました。ただし、その場合、自分の手足がまわりの人と衝突しないだけのスペースが必要。現状では、ちょっとムリかと思われます。
6月9日(土)。前夜10時就寝から6時起床まで、トイレのため目をさましたのは2だけ。足のツマサキのシビレ・イタミで目をさますことはありませんでした。午前中1F内科の検診では、「体重が2キロ以上増えている。フシギだ」といわれました。
 いまのわたしとしては、「体重」もさることながら、「ツマサキのシビレ・イタミが、このままおさまってくれれば…」、それがいちばんの願いです。



2018年5月31日木曜日

カッコつけていますが、実はヨロヨロ 



高志の国文学館 5/16


三味線を聞く会 5/16 



 富山市民国際交流協会総会  5/24


日本海文化悠学会研修会 5/25 




散歩のつもりが熱中症に

516日(水)朝、散歩をかねて、高志国文学館まで出かけました。先日から中西進さんの『ひらがなでよめばわかる日本語』をよませていただいたこともあり、その中西さんが館長をつとめておられる高志国文学館に、わたしの作品『コトダマの世界Ⅱ』を1冊寄贈させていただきたいと願っていたわけです。

あるくのがニガテなので、本はカバンにいれて肩にかつぎ、左右2本のストックをつくことにしたので、これで万全を期したつもりでした。ところが、この日は、32度の真夏日

予想をこえたカンカン照りでした。ようやく文学館の事務所にたどりつき、本の寄贈を受けつけていただきましたが、帰り道がたいへんでした。松川の遊歩道までもどってきたところで、足の感覚がなくなり、一歩もふみだせなくなりました。2本のストックでも支えきれず、芝生にへたりこんでしまいました。

幸運なことに、すぐ近くにおられた女性の方が、心配して声をかけてくださいました。すこし落ちついたところで、ホームまで帰るタクシーの手配もしていただいたのですが、住所が「丸の内1丁目」と分かったとたん、「そんな近くなら」といって、タクシーの手配をキャンセル。すぐ近くの車庫からクルマを引きだし、わたしをのせてホームめぐみまで送ってくださいました。そして、わたしがまともにお礼のコトバをのべる間もなく、「つぎの予定があるから」といって、すぐ帰ってゆかれました。

おかげさまで、わたしはどうにか無事自分の部屋まで帰りつくことができ、水分を補給したり、しばらく横になったりしているうちに、すこし元気をとりもどし、昼食も、完食しました。それと同時に,命ひろいをさせていただいた方のナマエもうかがっていなかったことに気がつきました。

「体調が回復したら、さっそくお礼にゆかなければ」と思います。しかし、ナマエも住所も分からないままでは、どうにもなりません。

まったくもって、ドジマヌケな話ですが、これがいまわたしの実態だと思います。この年齢になってブログを公開したり、「日本語と漢語と英語に共通する音韻感覚」を提唱するなどなど、ちょっとカッコよさそうなことをする能力は残っているようです。しかし、毎日の生活に必要な実務的な能力がとぼしくなっています。モノゴトを認識・判断し、対策を考え、処理するなどの能力がほとんどゼロです。

 そこで、どうすればよいかが問題です。コマッタ・ヨワッタとナゲキ・カナシム方法もありますが、それで問題が解決されるわけではありません。グチをこぼすことは、自分自身ミジメな思いをするだけでなく、まわりの人たちに余計な心配をかけることにもなるでしょう。  

それくらいなら、ぎゃくに「ひらきなおる」方法がよいかもしれません。人間オギャーと生まれてきたときは、まったくの無一物。財産も生活力もゼロ。老齢で死ぬとき、赤ん坊とおなじく無一物なのはアタリマエのこと。そういう発想法です。

 わたしの場合、このさきどれだけの余命か分かりませんが、せっかく与えられた人生ですから、なるべくまわりに迷惑をかけない範囲で、自分のすきな生き方を楽しみたいと願っています。ミアラクモン無益任と思われるかもしれませんが、おゆるしください。



三味線を聞く会

 この日午後、9Fで開かれた「三味線を聞く会」に出席しました。出演者は、いつもの「三味線のお兄さん」と若い女性のお二人。曲目は、「といちんさ」、「こきりこ節」、「八尾おわら節」、「花笠音頭」、「そうらん節」など。民謡の音色にさそわれて、日本列島を一挙に縦断といった感じでした。また今回は、歌声と三味線だけでなく、民謡おどりのフリツケについても、実演・解説するというサービスつきでした。

 わたし自身は、午前中のショックがのこっていたようで、やっとの思いで見たり聞いたりしていました。



後遺症はなし

 518日(金)。美織さんがホームへ来てくれましたが、さしあたり衣がえのダンドリに追われ、熱中症の件はいいだせませんでした。21日夜、ようやく美織さんへ報告。27日にお礼にゆく予定をくみました。

 519日(土)。午前、内科検診を受けましたが、格別には異常なし。おかげさまで、熱中症の後遺症はないようです。。



冨山市民国際交流協会総会

524日(木)。午後3時からCIC3Fで開かれた冨山市民国際交流協会総会に出席。総会にひきつづき講演会があり、富山大学教養教育院教授ヨフコバ四井エレオノラさんが「日本語教師になって30」と題して、ご自身の経歴を中心に報告されました。

四井さんはブルガリアで生まれ、首都ソフィア大学古典および現代言語学部東洋語東洋文化学科卒業。日本東京大学、大学院で博士号取得。東京外国語大学大学院非常勤講師、東京大学非常勤講師などを経て、2018年から現職。

 四井さんは講演の最後の部分で、「外国から来た留学生に教える日本語」についても話題とされました。外国からの「留学生・研修生の日本語習得」については、ささまざまな問題が議論されていることなので、留学生の経歴を持つ日本語研究者として、どんな問題を意識しておられるか、ぜひおうかがいしたかったのですが、質疑・応答の時間が設定されていなかったのがザンネンです。



懇親会の席で

 講演会のあと、東急15Fリコモンテで開かれた懇親会にも出席させていただきました。会場へ入ったとたん、ビックリしました。ひろい会場に、中華料理の大テーブルが3台並んでいるだけでした。

 最近1年ほど、信子の入院や葬式などに時間をとられ、わたし自身協会の活動に参加してこなかったことは事実です。しかし、それにしても、この日の懇親会出席者はすくなすぎます。ひょっとして、最近の社会(世界)情勢の変化を反映したものか、など。ついつい、余計なことを心配していました。

 こうした会合には、かならず出席していた内山恵美子さんの姿も見えませんでした。出席者の話によると、持病が悪化して一時入院、いまも自宅で療養中とのことでした。信子と女学校時代の同期生で、わたしどもとは家族ぐるみのおつきあいをしてきました。はやくにご主人を亡くされましたが、社交家で、その場のフンイキをにぎやかに盛りあげるのが得意。いくつも持病をかかえながら、協会の世話役をつとめていました。本来ならば、いち早く入手できたはずの情報が、こうした形でようやく伝えられたということ自体、わたし自身の環境変化をしめすものだと思い知らされました。

出席者がすくなかったおかげで、まわりの人たちとじっくりお話ができたともいえます。また、この席をかりて、持参した本(『コトダマの世界Ⅱ』)3を協会へ寄贈させていただきました(内、1冊は講師の四井さんへ)。

さらには、講師の四位さんと直接面談する時間もありました。わたしから「現代日本語がかかえている問題点」について、私見をのべさせていただきました。

*留学生だけでなく研修生などの場合、業務上やたら難しい日本語をおぼえることが要求される。この点では、いまの日本語そのものが改善されるべきではないか?

*日本の国語教科書の中にヨコガキの文がゼロというのも、現代日本語の実態を無視したものであり、世界の流れから見ても、まったくの時代おくれではないか?

*日本語が21世紀の競争世界で生きのこるためには、中西進さんの『ひらがなで読めばわかる日本語』に見られるような言語観が日本人一般の常識となることが前提条件と考えるべきではなか?

 ただし、イズミの私見を一方的にお伝えしただけで、具体的な回答を求めることはしま

せんでした。外国籍で、日本の国立大学教授という立場を考えれば、文科省の言語教育政

策を批判するような発言をすることは、かなりムリだと考えたからです。うっかりホンネ

はいた場合、たちまち「外国人による内政干渉」などと攻撃されるおそれもありますね。



日本海文化悠学会研修会

525日(金)。午後1時半から茶屋町豊栄稲荷神社で、日本海文化悠学会研修会が

かれ、4月に刊行された『悠学』第2集に掲載された2編について、補足的な研究報告がありました。

  出雲・古志国間の夢游談」…佐藤実さん。

 佐藤さんは『悠学』第2の中で、「出雲と古志の関係」を研究する方法の一つとして、「独人式ブレーン・ストーミング」を提案されました。すこしだけ具体的にいうと、「想定(仮説)」を明確にしないで、漠然とした出雲国と高志国の関係する情報を広く収集し、収束するという方法です。

 この日の補足提案では、もとの提案をかなり整理したうえで、あらたに「仮説と検証」などの例をあげるなどして、それだけ分かりやすく、説得力のある提案になってきた感じがします。

 情報量がおおいだけの、マンネリ化した研究報告ばかりでは、あまりおもしろくありません。奇想天外、目をみはるような仮説も歓迎したいという意味では、こうしたブレーン・ストーミングも必要だと思います。ただし、実際数人がこの方式で討論をはじめるとなると、なによりまず、(佐藤さんもご指摘のとおり)それなりのルールをまもることが必要です。そうしないと、ただストーム(あらし)をまきおこしただけになるおそれがあります。その手続きがめんどうだからといって、自分ひとりでストーミングをおこなった場合は、そこでたどりついた仮説を、ただの「おもしろそうな仮説」ではなく、だれがどんな視点から見ても納得できるような「客観性・合理性のある仮説」とするために、仮説の一言一句にいたるまでチェックし、ミガキあげる作業がもとめられます。たとえば;

*東地域の住民を「矢族」、西地域の住民を「谷族」と呼んでいますが、一方では住民の利器に着目して命名し、他の一方では地域の地形に着目して命名するという姿勢では、「客観性・合理性のある結論」を期待できるでしょうか?一方を「矢族」と呼ぶなら、他の一方も、「地域住民が得意としていた利器」にちなんだ族名で呼ぶべきではないでしょうか?また、地形にに着目しての命名ということであれば、「谷族」・「沢族」と呼んだ方がすっきりしないでしょうか?

*また、「この分布図の作成にあたり朝鮮・台湾・中国本土の五万分の一地形図を見分したがが、(沢)を語尾に持つ川の名は、いずれも見いだせなかった。それに対して、(谷)の語尾を持つ川の名は、朝鮮に多くみられる台湾・中国本土には見いだせない」とのこと。たいへんご苦労さまでした。敬意を表します。ついでに教えていただきたいことがあります。「朝鮮に多くみられる」「(谷)の語尾を持つ川の名」というのは、漢字の「字形」のことでしょうか?それとも、(漢語とは異系の)朝鮮語でしょうか?どんな語音(音形)でしょうか?

*わたしが漢字の字形よりも音形にこだわるのは、コトバはもともと音声信号であり、音形のちがいによって意味のちがい表現され、伝達されるからです。モジはコトバを記録する道具(視覚信号)にすぎません。

*民族言語は、それぞれ独特の音韻感覚によって組織され、異質の言語をとりいれることはめったにありません。しかし、たとえば金属利器の発明などにともなう先進技術用語などについては、国籍や民族のワクをのりこえ、地球規模でひろがることがあります。

*くわしく説明する時間がないので、一つだけ例をあげます。漢語コク[谷]は、t-tタイプの語音。漢字の字形としては「水源の穴から水が分かれ出る(=岩盤にカコマレ、シゴカレ、クグル)姿。k-k音の日本語でいえば、音義ともコク・シゴク[]に近い語音です。現代漢語では、このコク[]コク[]の簡体字として使い、コクモツ[谷物]と表記しています。日本人がみたら「まさか?」と思われるかもしれませんが、漢語の音韻感覚としては、コク[谷・穀]は「まわりを固いカラ[]でカコマレたもの」として同じ姿。なんの違和感もないようです。コトバとは、そういうものなんですね。



  日本人のルーツ、高林英紀さん

【おわび】

 わたしの学習不足で、この項の原稿をまとめきれぬまま、「時間切れ」状態になってしまいました。まことに申しわけありませんが、どうかおゆるしください。



お礼のごあいさつ

527日(日)午前、長念寺志田常無住職さんが来訪、故信子月命日のお経をあげて

いただきました。そして午後、美織さんといっしに、先日お世話になったお宅をだずねることにしました。

ナマエも電話番号も不明。記憶しているのは、クルマの車庫だけ。とりあえず現場付近のお宅で、車庫利用者の所在をおたずねしてみました。「案ずるより産むが易し」。「車庫とおなじ棟のMrkmさんですよ」と教えていただきました。そのナマエを聞いたとたん、美織さんが「ここは藤木家と縁つづきの家にまちがいない」といっていました。玄関の戸はカギがかかっていましたが、チャイムをおすと、年配の女性が応対してくださったので、わたしから先日お世話になった件について報告し、お礼のごあいさつがおくれたことのおわびを申しあげました。クルマの持ち主(車庫の利用者)はMrkm家の娘さんであり、先日の件についても、本人から話を聞いているとのことでした。

 おくればせながら、お礼のごあいさつをすますことができ、一つだけ宿題をはたしたような気分になりました。それにしても、イズミ~藤木~Mrkmなど、人間同士どこでどんなふうに縁がつながっているのか、フシギなものですね。



ヤ[矢]の系譜とワ[輪]の系譜

 わたしはこの数年来、yaという語音に注目し,ヤ[矢・屋・谷・哉]の系譜…日本人の宇宙観をさぐる』という小論を発表してきました(『コトダマの世界Ⅱ』第19)。それは、日本人が長い間、弓矢にたよって衣食住ににわたる資材を調達してきたという歴史上の事実があり、その結果として、多くの分野にわたる用語にヤyaが使われるようになったと考えているからです。

 このような現象は、日本語だけでなく、漢語(中国語)や英語にも見られるようです。ただ、ya(ヤ行音)とワwa(ワ行音)はそれぞれ一種の「拗音」だということもあり、それぞれ民族語内での分布状態は一様ではありません。今後、日本語(ヤマトコトバ)と外国語との音韻比較作業を進めるに当たっては、このヤya(ヤ行音)音、ワwa(ワ行音)

がキーポイントの一つになるだろうと考えています。

 そのわたしが、ヤ音とならぶフシギな語音として、ワ音ととりくむようになったのは、ごく最近のことです。

 ワwaは、母音同士uからaに移行するときに生まれる語音。口形が変化し、音形も変化することから、ヤ行音とともに「拗音」と呼ぶことができます。ワ行単音節の上代語として、[輪・曲・勾]・ヰ[井・猪]・ウ[卯・鵜・居・得]・ヱ[絵・画・餌]・ヲ[雄・男・夫・峯・尾・緒・麻・小]などの用例が見られます。ただし、[絵・画]については、編集者から「字音語か」との注釈づきです。このことは、日本語(ヤマトコトバ)が初期の時代からまわりの住民の言語を取りこみながら発達してきたこと、つまりチャンポン語の性格を持っていることを示すものと考えてよいでしょう。チャンポン語ということになれば、当然さまざまなムジュンを抱えこむことになりますが、ぎゃくにそれをバネにして、日本語がさらに大きく成長することができたと見ることもできます。



ワタ=ワタルもの=water!?

 という語音(音形)とワ[輪]という意味(事物の姿)との対応関係などについては、前回のブログ(「三輪山伝説のナゾをとく」の項)でもとりあげましたので、ここでは省略します。わたしがあらためてワwaの語音ととりくむことになったのは、ワとワタの関係、ワタとワタル・ワタスとの関係、さらにはワタ・ワタルとwaterとの関係に気づいたからです。

 上代語の段階で、ワタ・ワタル・ワタス・ワタリなどのコトバがすべて成立しています。しかも、ワタという同一の語音3種類の事物[海(水)・腸・綿]の呼び名としています。

現代人の感覚でいえは、海(水)と腸と綿とのあいだに、ナニ一つ共通項が見あたりません。しかし、漢字もカナもなかった時代、音声言語だけをたよりに意志を通じあっていた時代の話ですから、命名者の視点から見て、「おなじ姿に見えた」から「おなじ語音で呼んだ」にちがいありません。そういわれてみると、海の水や、腹のワタや、メン[綿]のワタなどに共通な姿が、すこしずつ見えてきます。どれもみな「安定した形」がありません。両手でつかまえようとしても、クネクネ・グニャグニャしているだけで、つかまえどころがありません。容器に入れると、容器の形にあわせて安定した姿になりますが、容器にアナが空いたりすると、すぐにモレだし、あたり一面にシミワタルことになります。とりわけ海水のワタの場合は、雪・氷(固体)や水蒸気(気体)と姿を変え、宇宙空間を自在にワタリつくすことができる、フシギな存在です。

 そのワタ(海水)英語のwater()と音韻対応の関係を持つコトバでないかと気づいたとき、わたしは音韻比較のおもしろさにシビレました。念のため、英語の辞典で」waterの単語家族をしらべました。語根・基本義・派生語の順で、次のとおり解説されています。

 語根wed-1//. 基本義water, wet湿った//.派生語water, wet, wash洗う, winter,whiskeyウイスキー, vodkaウオッカ.

 こんなふうに見てくると、ワタル[渡]は「ワタ(水)の姿になる」、「ワタのハタラキをする」ことであり、ごく自然な造語法だということが分かってきます。

 さて、日本語のワタが英語のwaterと対応関係にあるとすれば、漢語についても対応関係を持つコトバがあるのではという気がしてきます。しかし、残念ながらこれまでのところ、「ワタ(水):water」と肩を並べられるような漢語音が見つかっていません。このあとの課題とさせていただきます。

2018年5月18日金曜日

「三輪山伝説」のナゾ、など 



音を聞く会     5/2


みどりの日 5/4


訪問販売  5/10 


『古事記』を読む会 5/13



講演「富山の文学者たち」 5/14




を聞く会

52日(水)。午後、9Fで「音を聞く会」。いつものとおり「歌のお姉さん」が出演。大判の歌詞カードを、つぎつぎ白板に張りつけて、歌唱指導。この日の曲目は、季節にあわせて「 鯉のぼり」、「鐘の鳴る丘」、「ちゃっきり節」、「みかんの花咲く丘」など。みなさん、昔なじみのメロデイーにさそわれ、歌詞カードを追いかけながら声を出していました。



みどりの日

54日(金)。「みどりの日」ということで、昼食は写真でご覧のようなメニューでした。

もちろんお金をかけた豪華版というわけではありませんが、まずは「みどりの日」のカードをそえてフンイキをととのえ、ご飯はちょっと目先を変えた混ぜご飯。食後のデザートとして静岡産のお茶プリンをセットするという演出。なんとなく楽しい気分になりました。



訪問販売

510日(木)。午後、9Fで訪問販売。品目は、イチゴ・バナナ・ミカン・トロロこぶ、など。それらにまじって、アズキとキナコを1個ずついれてワンパックにした「おはぎ」が並んでいました。「きょうはこれにしよう」と思い、それだけ買って、部屋へかえりました。べつに、腹がへっていたわけではありません。ホームでは、毎日「三食・ヒルネつき」、めったに外出せず、カイモノもしない生活がつづくことになります。たまにも自分のサイフをさらえてカイモノすることによって、しばらく童心にかえることができ、よい気分転換になります。こんなお客さんばかりででは商売にならんといわれるかもしれませんが、こんごともよろしくお願いします。



『古事記』を読む会

513日(日)。午前10時から茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた『古事記』を読む会に出席。今月のテーマは,「【崇神】三輪山伝説」。たまたまこの会の有志一行が5月下旬に、23日の日程で、三輪山を中心に研修旅行を予定しているということもあり、その事前研修をかねて、さまざまな意見。提案が出されました。

五十嵐俊子さんが『神社の起源と古代朝鮮』(岡谷公二著、平凡社新書)および『出雲と大和』村井康彦著、岩波新書)を紹介。「大和の三輪山に出雲の神がまつられていること」のナゾをとく参考にすることを提案。

また、三輪山伝説に登場する「ヲ[麻]」に関連して、服部征雄さんから「前回の補足」説明がありました。

魏志倭人伝では、邪馬台国では「稲・からむしを植え」と読まれている。しかしの時代の図巻には「稲・あわ[禾]・麻・からむし[苧]を植え」と記されている。つまり邪馬台国では大麻が栽培されていたと解釈できる。後漢書の東夷列伝でも禾・稲・苧・麻となっている。

古代日本の植物繊維としては、大麻が主であったと思われるが、次第に苧麻に代わってきている。上杉謙信アヲソ[青苧]の栽培を奨励して、現在でも越後上布として受け継がれている。

アサヲ[麻苧]麻の別称。玉串や大麻の麻苧を木綿と呼ぶ。

アヲソ[青苧] カラムシの別名。原料としてつくった衣料。大麻と苧麻を組みあわせた布もある。

カラムシ[苧麻]

ジョウフ[上布] 会津上布。越後上布。能登上布。近江上布。宮古上布。八重山上布。薩摩上布。

五十嵐さん、服部さんにつづいて、イズミから「ミワ・ミモロの系譜…地名にこめられた情報をさぐる」と題して、自己流「ナゾとき法」を提案させていただきました。

伝説記事の中から「ミワ・ミワ山・ミモロ山」などの用語を採集し、これをキーワードとして、当時の社会生活の実態(=歴史の真実)をさぐり出す方法です。結論だけいいますと:ワは[輪]であり、ワ[吾]・ワラ[]・ワリ[]・ワル[割・悪]・ワレ[吾・割]などの語根に当たる語音。ミは動詞ム[生・産]の語尾母音が-iに変化して、「ウム[生・産]こと」を意味する名詞形となったもの。[水・神・見・三・御]はもと1。土器づくりとは、まず粘土ヒ[]をつくり、その輪をつみかさねる、つまり「モノをウミだす」作業。

イクタマヨリヒメの親が「スヱツミミ命」だったとの記事とあわせて、当時「ミワ一族が三輪山のあたりで、スヱキ[須恵器]を生産していた」という「歴史事実」を想定することができるという発想法です。

 この種の話は、論理性や精密さが求めれれるので、それだけ話がややこしくなります。くわしくは、つぎの項目をご覧ください。



三輪山伝説のナゾをとく

『古事記』中巻、崇神天皇のくだりに「三輪山伝説」と呼ばれる記事がのっています。現代文に直してみると、ほぼこんなお話です

活玉依姫(いくたまよりびめ)という美しい娘の元に、夜になると立派な男性が訪れ、姫は身ごもった。しかし、男性の正体がわからなかったため、着物の裾に麻糸のついたを刺し、翌朝たどることにした。すると、麻糸は戸の鍵穴から通り抜け、たどってみると、三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)の社に留まっていたので、おなかの子は大物主神の子とわかった。この時、麻糸が3残っていたので、この地を三輪と名付けたとされる。

(2012-04-26 朝日新聞 )

 伝説とか物語としては、けっこう楽しめるお話だと思いますが、さて歴史研究の視点から読む場合、どれだけの「歴史の真実」を読みとることができるでしょうか?まったくの自己流ですが、わたしも「三輪山伝説」のナゾときに参加することにしました。

 伝説の内容は、その伝説が生まれた時代の社会状況の反映であり、その範囲をハミダスことはありません。「三輪山伝説」についても、これを精確に読みとくことで、当時の日本社会がどこまでの発達段階にあったのか、判断材料を見つけることができるはずです。

 具体的なナゾとき作業として、まず伝説記事の中からキーワードを採集し、その意味(情報)を追究することにします。オホタタネコ[意富多多泥古]・イクタマヨリヒメ[活玉依毘]・ハニ[赤土]・ヘソヲ[巻子紡麻]・ハリ[]・カギアナ[鉤穴]・ミワ[]勾・ミワヤマ[美和山]など。これらのコトバは、「伝説」を語るための意味用法になっているので、これを「歴史の真実」を語るための意味用法にホンヤクする作業が必要になってきます。それには、「三輪山伝説」直前の項目「神々の祭祀」の中の用語、とりわけ「イクタマヨリヒメ=スヱツミミ命の女」、「ミモロヤマオホミワの大神の前を拝き祭り…天のヤソヒラカを作り、天神地祇の社を定めまつり」などの記事もチェックしなければならず、さらには考古学上の資料も参考にすべきでしょう。

 以下、いろいろ作業をすすめ、これまでにえられた結論(試論)をご報告して、みなさまのご教示をいただければと願っています。

*「三輪山伝説」は、当時の住民たち(客観的には権力者たち)の「モノの見方」(宇宙館・世界観・生命観)を語ったものと考えてよい。

*「三輪山伝説」のナゾをとく、いちばんのキーワードはミワ。さらにいえば、ワ[輪]そのもの。waを発声するとき、口が大きく開かれ、クチビルが[](マル)の姿になる。そこで、ヤマトコトバでは、ワという語音(音形)がひとりでにワ[輪]という意味(事物の姿)をあらわすことになる。このワ音は、ワク・ワル・ワラ・ワタ・ワタツミ・ワタルなどのワ(やがて英語waterに通じる語音)。男性マラ・マロは女性のワ[輪]にワケ入り、精子をマル[放]ことにより、やがてあらたなイノチが生まれ,ワ[輪](子宮)からワキデル、ワカレルことになる。ミワ・ミモロのミは「敬語の接頭辞」とされているが、もともとム[生・産](ウム・ウマレル)の基本義をもつ語音である。

*決定的なキーワードは、スヱツミミ命(タマヨリヒメの親)。以上のキーワードを総合して、当時「ミワ一族が三輪山のあたりで、(弥生土器・土師器以上製作以上に高度な技術による)スヱキ[須恵器]を生産していた」という「歴史事実」を想定することができる。



講演:「富山の文学者たち」

514日(月)午後、市内13高志会館で開かれた県教職員厚生会富山支部総会に出席。総会のあと、講演「富山の文学者たち」を聴講。高志の国文学館主任学芸員綿引香織さんが同館常設展で紹介している文学者たち23人の代表作などについて解説・紹介されました。その中に、わたしと縁のある3人の方の名前があることに気づき、あらためて「人間の縁のフシギ」について考えさせられました。

  翁久允さん:わたしの兄タケヨシ[長嘉]の奥さんが翁一族だったこともあり、わたしが富山市の中学校に勤務しながら、友人仲間とともに文芸サークル「ちんぐるまの会」を立ちあげ、機関誌「ちんぐるま」を創刊したとき、むりやりお願いして、会長になっていただくなど、たいへんお世話になりました。

  岩倉政治さん:わたしの住所砂町から約2㎞、自転車で気楽にゆけるところ(奥田町)に岩倉さんのお宅があり(奥さまが歯科医院を開業)、なんべんもオジャマさせていただきました。そこでナニがあったか?具体的なことは、あらかた「忘却の彼方」ですが、そこには、さまざまな分野の人たちがつぎつぎたずねてきて、「いま、この時代をどう生きるか」などについて語りあっていました。わたしは、自称「親鸞の弟子」として、「唯物史観と他力本願の接点」を求めてウロウロしていた記憶があります。

  遠藤和子さん:故信子の女学校時代の同期生であり、わたし自身とも、富山市立学校の教員同士として交流する場がありました。いまも、たがいに作品を交換したりする仲間関係がつづいています。

 講演会のあと、懇親会が予定されていたので出席しました。講師の綿引香織さんがおられれば、ぜひごあいさつしたいと思い、自分の本(『コトダマの世界Ⅱ』)も持参していたのですが、講演終了後すぐお帰りになったようで、ザンネンでした。

 懇親会の席では、悠学会の仙石正三さんにお会いしたほか、むかし中学校で同僚だった木澤隆さんとも、ひさしぶりにお会いでき、もと同僚mtsさんのことなど情報交換をしました。そのついでに、わたしが持参した本を1冊お持ち帰りしていただきました。また、わたしが98歳だと聞いて、わざわざわたしの席まで足をはこばれた女性の方お二人にも、1冊ずつお持ち帰りしていただきました。

 わたしの年齢では、こうした会合に出席するだけで精いっぱい。席を立って、まわりの人たちに酒をついで廻るほどの気力・体力がありません。それでも、どうにかして、せっかく会場まで持参した本を、人さまの手にお渡しすることができました。このあとも、この本が一人でもおおくの人の目にふれ、「この本を読んでよかった」と思っていただける人にめぐりあえるようにと願っています。