水仙a, 3/29
水仙b, 3/29
梅a(雪見橋)、4/2
梅b?(石倉町)、4/10
桜a(カモと)、4/12
桜b(雪見橋から)、4/12
チンドンパレード(北日4/10記事より)
チンドンの練習(北日4/10記事より)
花だよりこの冬がきびしかっただけ、春を待つ気持ちもひとしおでした。
3月29日。雪見橋下流の土手で水仙の一群がつぼみをふくらましている姿を発見。また、すこしはなれたところでは、一輪、二輪白い花びらを開いていました。長いあいだ雪の下にとじこめられていたのが、いまやっと自力で立ちあがり、花をつけたという感じでした。
4月2日。雪見橋ぎわに立つ梅の木がようやく花を咲かせました。例年なら、もっとはやい時期に、もっとはなやかに咲きほこり、春の到来を告げてくれました。花が散ったあとは、ウメ[梅・産]よ、増やせよといわんばかり、モモ[桃・百]ヨロズ[万]の小梅を実らせ、夏の到来を気づかせてくれました。その梅の木が、ことしはこのありさま。ザンネンです。
4月10日。石倉町のマンション前の遊歩道で、梅(?)の花が咲いているのを見つけました。こっちは樹齢が若いからでしょうか、元気な様子です。ながめているうちに、元気をもらいました。
4月12日。朝から晴。富山地方気象台が桜の開花を宣言。いたち川べりの桜もいっせいに咲きそろいました。高がサクラ、されどサクラ。これでやっと、富山にも春が来たという感じです。
チンドンコンクール復活
春といえばサクラ。そして富山ではもうひとつ、チンドンコンクール。昨年は東日本大震災などのため中止されましたが、ことしは復活しました。
4月6~7日の3日間、第58回全日本チンドンコンクールが富山市総合体育館をメーン会場に行われ、また城址公園・平和通り・松川べりなどでチンドンマンたちがパレードしました。専門業者たちのコンクールだけでなく、素人チンドンコンクールも行われました。
北日本新聞(4月6日)によれば、永年出場15回の表彰を受けた野尻博さんはエンターテインメント会社「サウンドマシン[作芸人磨心]事務所」(富山市有沢)の社長で、昨年5月宮城県気仙沼市で開かれた東日本大震災復興支援イベントにも参加しています。また、富山市浜黒崎小学校5年の中谷アヤネ[文音]さんは、母アツコ[安通子]さん(ピアノ講師)がチンドンコンクールに初出演した姿を見たのがきっかけで「自分もやってみたい」と思いたち、母とともに野尻さんの事務所で練習開始。さきの東日本大震災復興支援イベントにも参加。こんどの全日本チンドンコンクールに“初出演”することになったそうです。
富山の“祭り”として定着
考えてみれば、チンドンコンクールが始まったのは1995年。戦争末期の富山大空襲でいちめんの焼け野原となった富山市が、10年がかりでようやく復興の足場を固め、さらに新たな発展を目ざした企画だったのでしょう。それから半世紀以上もすぎた今、それは富山の“祭り”として定着してしまったようです。専門業者たちがチンドンの芸を見せるだけでなく、シロウトの住民たちも参加しています。やがて、もっとたくさんの住民たち、子供たちがパレードに参加するようになるかもしれません。住民たちがただ見物しているだけでなく、自分たちで企画提案したり出演したりする。それが“祭り”ですよね。