『金草、速星神社』
悠学会第7回研修会
第15回「こしのみちのなか」公開講座
悠学会忘年会
山口さんへ寄せ書き
「古事記を 読む 会」第7回 例会
11月9日(日)午前、茶屋町 豊栄稲荷神社 社務所で 開催。出席者 7名。この日も 例のとおり、崇神(10代)から 垂仁(11代)までを 輪読しました。
平生 聞きなれない、見なれない 人名や 表記法に とまどい ながら、なんとか 声に出して 読みあげる のが 精いっぱい。いまは
まだ そんな状態 ですが、やがて 会員 ひとりひとりが 独自の 解釈を もちより、議論を たたかわす ように なる ことが、この会の 趣旨だと 思います。会員の
中には ベテランの 方も おられます ので、もう しばらく 時間を かければ、その ユメが 実現する ものと 期待して います。
おなじく「古事記を 読む」と いっても、「歴史書と して」、「文学作品と して」など、いろいろな 読み方が あると 思います。わたし 自身は「古事記は
万葉集と ともに 古代日本語の 宝庫」と 考えて います。さしあたりの 課題は、古事記に 出て くる 神名・天皇名 などに こめられた 情報を 読みとる こと です。たとえば;
崇神(10代)=ミマキイリビコイニヱ[御真木入日子印恵]…ヒコが「日の御子」を 意味することは 分かりますが、ミマキ・イリ・イニヱに ついては、まだ よく 分かり ません。
垂仁(11代)=イクメイリビコイサチ[伊久米入毘古伊佐知]…イクメ・イサチ などの 意味・用法が 分かり ません。
そのほか、オホモノヌシ・オホタタネコ・イクタマヨリヒメなど、分からない もの だらけ です。
日本海文化 悠学会、 第7回研修会
11月28日(金) 午後、豊栄稲荷神社 社務所で、日本海文化悠学会 第7回
研修会が 開かれ、山口悦子 さんが <「ソフガ岳」命名の なぞ>と 題して 報告されました。
山口 さんは、但馬の「蘇武岳」と 越中の「祖父岳」が 同音の「ソブガタケ」と 呼ばれて いる ことに 着目し、仮説を 立てて
います。それは、「但馬國 から 越中国へ 招かれて きた 鉱山師たち」が、「越中の カメヤマ[瓶山]」を ながめて 故郷の「蘇武岳」を 連想し、ソブガタケ[祖父岳」と 命名した もの、という 説 です。山口 さんの ような 発想法が日本の 歴史学や 考古学の 世界で どのような 評価を 受けて いる のか、門外漢の わたしには よく 分かりませんが、たいへん
おもしろいと 思います。ただし、この ばあい 山の ナマエを「蘇武」や「祖父」と する 表記法に ついては、疑問が のこります。
山口 さんは「考古学から言って、円錐形の山は聖なる山と考える」と
いう 藤田富士夫 さんの コトバを 引用し、「越中野積谷の祖父岳は円錐形(四角錐)をしていて大変美しい。信仰対象の山として十分」と して います。それでは、「円錐形(四角錐)の山」が どうして「聖なる山」「信仰対象の山」と
なった ので しょうか?それは、つぎの ような 事情 からと 考えられ ます(以下、イズミ仮説を 列記します)。
*(ソブガ岳など)山の姿が 円錐形(四角錐)で、カヒ[貝]の 姿に 見える こと。
*カヒ[貝](おもに 二枚貝)は、二枚の 貝が ツガヒと
なり、その中に 身を カフ[飼・養]姿に 見える こと。
*ヤマ[山]も 貝と おなじく、その 表面に 草や 木、さらには 水(川)を、また その 体内に 水・鉄・銅 などの 鉱物資源を
カフ[飼・養]姿に 見える こと。
*二つの 山に 挟まれた 地形(=峡谷)は、「二枚の カヒ[貝]が ヨリソフ[寄添](=ツガフ)」 姿に 見える ので カヒ[峡] と 呼ばれて いる こと。
*縄文時代 以来、貝は 日本人に とって 重要な 食料資源で あり、それだけ 神聖な 存在と されて いる こと。あわせて、山や 山の カヒ[峡]に ついても 同様な 姿や 役割が みとめられ、やがて 信仰の 対象と されて きたこと。
<追記>
この日、山口 さん から 参会者の みなさんへ 著書『金草・速星神社』(桂書房。2014.10.23,)が 贈呈され ました。山口 さんは、2013年11月の 悠学会 研修会 でも「伝言ゲームの妙」と
題して「古沢用水を作った人」に ついての 調査報告を して います。こんどの「祖父岳」報告を
ふくめて、すべて 一貫した テーマに もとづく 労作と いう ことに なります。
ところで、『金草・速星神社』に 登場する「富山古鍛冶町 古澤屋 仁右衛門」(古沢 野開願出人)と
いう 人物は、富山市の ニエモンマチ[仁右衛門町]と どんな 関係に なる ので しょうか? 仁右衛門町は
現存 しませんが、わたしが 住んで いる 砂町の すぐ 近所でも あり、なにより ニエモンと いう コトバの ヒビキに 興味・関心が あります。『角川・日本地名大辞典』には「ニエモンマチ[仁右衛門町]…町名の由来は 川のほとりに 仁右衛門という 船頭が 住んで いた ことに よる と いう」と解説されて います。わたしは
この [仁右衛門]は もともと ニエモノ[贄物・贄者]という コトバを 漢語ふうに 変身させた 表記法 だと 考えて います。ニエは 歴史 カナヅカイでは ニヘ[贄]。『古事記』神武東征の くだりで、ニヘモツノコ[贄持子]が 登場しますが、これも 現代ふうに いえば 水産業者・水産庁長官
などと いう 役どころに なる でしょう。
ついでに いえば、砂町の となりに あった
ヒガシアイモノチョウ[東四十物町]も 現存しませんが、そこに
あった 郵便局が 100㍍ ほど 移動した さきの 豊川町で いまも 営業を
つづけて います。「富山四十物町郵便局」という 局名が、「四十物町」の 歴史を
たどる テガカリに なって います(2010.8.31.号の ブログ「川に ゆかりの 地名」参照)。
「古事記を 読む会」忘年会
11月30日(日) 夜、富山駅前の 中華料理店 Big 5で「 古事記を読む会」の
忘年会が 開かれ ました。お店の あちこちに 「我家的厨房」 など 中国語の 文句が 掲示されて いる のを 見て、なんとなく なつかしい 感じが しました。お安い
会費で、おいしい お酒と 中華料理を いただいて、とにかく たのしい ひととき でした。ただし、この日は 「忘年会」だった せいで しょうか、あの席で、どんな
おしゃべりを した やら、それも すっかり 忘れて しまいました。
<「裏日本」都市 富山に おける 地方博覧会>
12月4日(木) 午後、千代田町 丸十 2Fで 「こしのみちのなか 第15回 公開講座」が
開かれ ました。テーマは<「裏日本」都市 富山における 地方博覧会>。1936年 富山市主催日満産業 大博覧会を 素材に、富山市 民族民芸村 主任 学芸員 尾島 志保 さんが 報告されました。
1936年と いえば、わたしは まだ 旧制中学 5年生で、北海道 旭川市に 住んで いた のですが、1937年に 東京外語へ
入学し、1941年に 中国の 鉄道会社(華北交通)に 就職した という 経緯が あります ので、「1936年 富山市 主催 日満 産業 大博覧会」の
実態に ついては おおきな興味・関心を もって いました。しかし、尾島さんの 詳細・綿密な 報告を きかせて いただいた 感想は、「これだけの カンバンを かかげる
から には、もう すこしは マジメに 研究し、準備し、実行して いた はずだと 考えて いた…この流れ では、やがて 大日本帝国の 敗戦も 当然の 結果」という
こと です。
それに しても、21世紀の 日本は 過去の 失敗 から なにを 学び、どれだけ
進歩した でしょうか?「従軍慰安婦」「靖国神社」「南京大虐殺」などを めぐって、韓国や 中国や アメリカ から どんな 注文が つくかと いう ことも 問題 ですが、いちばん
基本的な 問題は、わたしたち 日本人 自身の「モノの 見方」(人生観・宇宙観・歴史観 など)が、まわりの 人たちを 説得する のに 必要 かつ 十分な 客観性・合理性を
もって いるか どうか だと 思います。
山口 悦子 さんへ 寄せ書き 贈呈
尾島 さんの 報告会の あと、ひきつづき 悠学会の 忘年会が 開かれ、その席で 山口さんの『金草・速星神社』出版を お祝いして 出席者 一同で 寄せ書きを 贈る ことに なりました。
「古事記を読む会」12月研修会
12月7日(日)午前、豊栄稲荷神社 社務所で開催。出席者8名。この日は,12代景行天皇、13代成務天皇の くだりを 輪読 しました。
景行天皇の 名は、オホタラシヒコオシロワケ[大帯日子淤斯呂和氣]。ナノリ 要素を 分析して みると、オホ・タラシ・ヒコ・オシロ・ワケ という 比較的 複雑な 構成に なって います。文脈と
しては「オホタラシヒコ」の「オシロ・ワケ」と 解釈した ほうが すっきりする かと 思います。タラシ[帯]は 『日本書紀』では [足]と 表記 されますが、ヤマトコトバと
しては 語根tar-(タル[垂・足]姿)からの 派生語。タル[垂・足]・タラス[垂・足]・タリル[足] などと 同族語。さらに いえば、t-r音語として テル[照]・デル[出]・テラ[寺]・テラス[照]とも 同系語。テラスは アマテラス(大神)の テラスで、シル・シラス[知・治]に 通じる コトバ。だから こそ アマテラス派は
テラ[寺](テル[照] もの。仏教派の シンボル)と いう コトバを 禁句と した のです。
ここまでは ほぼ 見当が つきますが、オシロに
ついては、よく 分かり ません。もし この シロが シル[知・汁]・シロ[白・代・城] 関連の コトバだと すれば、シラギ[新羅] との 交流を しめす 証言と なる かも しれません。
成務天皇の 名は、ワカタラシヒコ[若帯日子]。こちらは 比較的 単純な 構成の ナノリ です。ワカと ワケは 同義語。子は、親の 血を ワケ[分・別]て もらった 存在。それだけ ワカイ[若] ワケ[訳] です。
0 件のコメント:
コメントを投稿