2015年10月29日木曜日

マキムク[巻向] から シラホネ[白骨] まで  

 
 
満山紅葉
 
 
白骨温泉・露天風呂 
 
 
泡の湯旅館前で 
 
 
 

106()午前、豊栄稲荷神社で「古事記を 読む 会」の 研修会が あり、「マキムクの日代の 宮」に ついて 報告させて いただき ました。要約すると、こういうことです。

古事記』に よれば、第12景行天皇の 皇居 所在地の ナマエが マキムク[巻向・纏向]です。そして 第21雄略天皇の 項で、あらためて 「マキムクの 日代の 宮…」(記. 100)の 歌が 記録されて います。さらに、『萬葉集』の中に 柿本人麿が マキムクを 歌った ものが 計11例 採収されて います。わたしは これらの 資料 から、「マキムク」という コトバに こめられた 意味(情報)を さぐると ともに、この コトバが 生まれた 時代社会の 状況との 対応関係を たしかめたいと 考えました。その 結果、いちおうの 結論を まとめて みました。「マキムクの 日代の 宮…」の 歌は、前方後円の 巨大古墳を きずいた 大王たちへの 賛歌で あり、基本的には 柿本人麿の 「児らが 手を 巻向山…」(萬.1093)の 世界観に 通じる もの だと 解釈した わけ です。

古墳時代の 歴史に ついて まったく 門外漢の わたしの 報告 でしたが、みなさん 熱心に きいて いただき、いろいろ 質問や 意見を 出して いただき ました。おかげさまで、じぶんの 勉強不足だった ことが よく 分かり、さしあたりの 課題も 見えて きました。

課題1.「おなじく 古墳時代と いっても、前期・中期・後期・終末期の 区別が ある」ことを 指摘され ました。『古事記』や『萬葉集』に みられる マキムクの 用例が、古墳時代の どの 時期と どう 対応する のか? 具体的に 提示する ことが できれば、もうすこし 説得力のある提案に なる かも しれません。

課題2.今回は、マキムクと いう 地名を 手がかりと して m-k音語の 面から 古墳時代の 人びとの 生活実態や 意識を さぐろうと しました。この 試みは ある 程度 成功したと 思います。このつぎは、地名に あわせて 人名を、つまり 古墳時代の 天皇と される 人たちの 呼び名に こめられた 意味(情報)を さぐる 方が より 効果的 だろうと 考え られます。具体的に いえば、12代 景行=オホタラシヒコオシロワケ[大帯日子淤斯呂和氣]。13代 成務=ワカタラシヒコ[若帯日子]。14代 仲哀=タラシナカツヒコ[帯中日子]。34代 舒明=オキナガタラシヒヒロヌカ[息長足日広額]。35代 皇極=アメトヨタカライカシヒタラシ[天豊財重日足]。37代 斉明(=皇極天皇 重祚)。いずれも、「タラシ(ヒコ・ヒメ)の ナノリを もって います。そのため、7世紀 前半に 在位した ことが 確実な 舒明・皇極(=斉明) 以前の タラシヒコ天皇(景行・成務・仲哀)は 後世の 造作と する 説が ある ほど です。さらに いえば、この タラシを [](古事記)と 書くか、[](日本書紀)と 書くかの 問題も あり、クサカ[日下・草香]と ならんで、いろいろ 議論が 分かれる テーマだと 思われます。

 

1019日(月)、東京から 伊藤夫妻(信子の 姪と ご主人)が 来富。20日 午前11時、伊藤さんの 愛車に のせて いただき、砂町を 出発。途中 飛騨の 紅葉を 鑑賞しながら、信州 白骨温泉(松本市)へ 向かい ました。泡の湯 旅館で 一泊。山の 奥ふかく、あたり一面 紅葉に かこまれた、しずかな 温泉宿。やたらと 広い 野天風呂が あり、乳白色の温泉に つかって いる 人の 姿が、部屋の 窓からも 見えました。ここは 桃源郷。シャバの 生臭い 生活を わすれ、おとぎ話の 世界に 移り住んだ 気分に なりました。 

温泉の 成分は、硫化水素(硫黄分)カルシウム。それで、わき出した 時には 透明な 湯が、時間が たつと 白く なる のだ そう です。シラホネ温泉と いう ナマエの 由来も、ほぼ 推測できます。いまどき、温泉地名と して 売り出すと したら、わざわざ シラホネ[白骨]と 命名する ことは まず ない でしょう。しかし、シラフネ[白舟]と いう 表記法も ある そうで、天然に できた 温泉の 姿が「白い ユブネ[湯船]」と よばれた ことは 想像 できます。

それに しても、シラホネ[白骨] などと いう エンギでも ない 地名表記の ままで、おおくの 観光客を 呼びよせる ことが できて いる のは、ナゼで しょうか? いろいろ あるで しょうが、やはり「白い ユブネ[湯船]」が もつ イヤシ(治療)効果の 実力に よるもので しょう。

そう いえば、ホネも フネも p-n音語 です。英語 でも 骨の ことを boneと いい、これもp-n音の コトバ です。英語boneの つづりを 日本ローマ字式に よめば、ボネ[]と なります。人間や 魚の ばあいは ホネ(骨格)の まわりに 身・肉 が ついて いますが、カニ・エビや フネの ばあいは ホネ(骨格)が 身・肉の まわりを カコム 姿に なって います。ホネ(骨格)のおかげで、生物の体形が造られ、ホネ(関節)のおかげで、いろいろな動作が できる わけ です。ホネとboneとの 対応関係は、日本語・英語双方の 音韻感覚の 中に 共通する ものが あった から 起こった 現象だろうと 考えられます。

シラホネ温泉の 成分は 硫化水素(硫黄分)カルシウム との こと。カルシウムと いえば、ホネを つくる 成分で、色は シロ[]。硫黄は 英語でsulfur。シロ[]sulfurも、s-r音語s-l音を 含む)です。Sir-音の 日本語は、動詞 シル[知・令知]を 中心に シラ[]・シラキ[新羅]・シラギヌ[白絹]・シラク(白くなる)・シラグ(白くする)・シリ[後・尻]・シル[]・シロ[白・代・城]・シロカネ[] などの 単語家族が 組織されて います。このsir-sil-)音は、英語のsilk(絹), silver(銀)にも 通じる ものと 考えられます。 S-は マサツ音。S-r音は、スル・サスル・コスル・セセル・ソソル姿を 連想 させます。袖触れ合うも、他生の縁。だれかの 情報を シリたければ、なんとかして スル・サスル(接触する)ほか ありません。大根の 味を シルには、スリおろして、その シルススル のが、いちばんの 近道 でしょう。

 シラホネに かぎらず、この辺、中部山岳 いったい、いや、日本全国 いたるところに シラ・シロの ついた 地名が あり、シラヤマ[白山]神社が 分布して います。このことも、むかし ヤマト朝廷が 成立した ころ、シラギの 国 から 金属を シラグ(精錬) 技術が もたらされ、山師たちが 鉱石を もとめて 日本列島を かけめぐった、その 足跡の ようなものかと 思われます。しかし、その話は また つぎの 機会に まわす ことに します。
  10月 26日、伊藤さん から どっさり 写真が とどきました。その中から 3枚だけ、この ブログに 使わせて いただきました。

2015年10月8日木曜日

デイ サービスの 話

 
 
デイサービス「まちなか」外観    
 
 
フロント  
 
 
浴室付近 


マッサージ機などの部屋
 
 
 

アピアの フィット リハ
いきなり こんな 話に なって、ごめん なさい。わたし 自身、これまで 「介護制度」の問題を ブログで とりあげる こと など 考えた ことも なった のですが、最近 いろいろ あって、こんな ことに なりました。しばらく おつきあい ください。

わたしは 201311月 から ことしの 8月末 まで 毎週1回、市内の リハビリ 施設にかよって いました。わたしの ばあい、「要支援1」と いう ことで、介護保険を 利用できます。この 施設は、稲荷元町 アピア1Fに あり、「アピア フィット リハ」と 呼ばれて います。この道 30年の 実績が ある との ことで、スタッフも 施設(レッド コードや トレーニング マシン など)も 充実して いる 感じ です。

 わたしが いちばん 感心した のは、「通所者の 安全第一」と いう 意識が スタッフの みなさんに 徹底して いる こと です。毎回 スタッフが クルマで 通所者 自宅の 玄関まで 迎えに きます。無事に 乗車・着席できた のを たしかめて から シートベルトをしめる。そのあと 運転手席に もどって、発車。運転も「安全第一」。交差点では、クルマの流れが 途切れる まで じっと まちます。施設に 到着すると、べつの スタッフが まちかまえて いて、荷物を もったり、(よろけそうに なったら)体を ささえたり します。

 ここでの リハビリは、おもに レッド コードや トレーニング マシンを 使って、身体の 機能を 維持(回復・増進)する こと。その 結果と して 日常生活の 中で、ツマヅク・コロブ などの あやまちを 予防する こと。そして、できれば 死ぬまで、人手を 借りずに 飲食・排泄・入浴などの 作業が できる ように する こと でしょうか。

 

デイ サービス「まちなか」
  わたしは アピアの フィット リハで 十分 満足して いた のですが、とつぜん ことし9月 から 千石町の デイ サービス「まちなか」へ かよう ことに なりました。それは、妻 信子の 希望に あわせたと いう こと です。

  ことし、わたし95歳、信子91歳。結婚した のは 19452月、大日本帝国 敗戦の 直前でした。わたしどもの 結婚生活は 日本国 敗戦直前に はじまり、すでに 70年の歴史を きざんで います。安倍 総理は、「終戦 70周年」を 機会に「積極的 平和主義」を唱えて おられる との こと ですが、95歳 老人と しては、敗戦後 せっかく 立てた「不戦の ちかい」を いまさら 捨てる 考えは さらさら ございません。

 いや、ここは 天下国家の 話を する 場 では ありません。わたしども 夫婦の 話に もどります。70年間の あゆみを ふりかえって みると、人生の 転換点と いえる 時期が いくつか ありました。

  敗戦後、天津で 帰国船を まちきれず、(日本再建の 道を さぐる ため)旧華北交通の知人に さそわれて 張家口(八路軍地区)へ  まいもどった 時。

  帰国後、ようやく 公立学校 教員と して 就職しながら、「なんとかして、中国語に つながる 仕事を したい」と 考え、52歳で 退職を 申し出た 時(日中国交回復 直前)。

 そんな 時、方向転換を きめるのは いつも わたしで、信子は だまって ついて きて くれました。そのかわりと いうか、わたしの イキザマに かんする 基本方針に 反しない かぎり、なるべく 信子の 希望に あわせる ことに して います。帰国 当時、わたしの 両親が いた 北海道へ 帰る 予定に して いましたが、途中 信子の 実家に たちより、信子の 母のつよい 希望も あって、そのまま 富山に 住みつく ことに なった のも その 一つ です。

 ことしの 夏、信子の 体調が よく ない ことに 気づき、週に 1回 くらい デイ サービス などの 施設を 利用する ことを 提案しました。はじめは アピアの フィット リハをすすめましたが、本人が うんと いいません。姪の 美織さんも 心配して、最近 できた ばかりと いう 「デイ サービス まちなか」を 紹介して くれました。すると、こんどは いっぺんに 気にいった 様子で、そのあと 毎週 欠かさず かよって います。そればかりか、わたしにも「まちなか」へ 変更する よう 提案しました。

 わたし 自身は アピア フィット リハの 方式で 十分 満足して いましたし、スタッフや お仲間の 人たちと おわかれする のも さびしい きもちが しましたが、いまは なにより 信子の 体調回復が 最優先の 課題。一も二もなく、信子の 提案に したがう ことにしました。

 

デイ サービスの 内容
 アピアの フィット リハ から デイ サービス「まちなか」に 切りかえた ことで、あらたに 見えて きた ことが いろいろ あります。まず 第一に、おなじく 介護施設と いっても、設立の 目的や 基本的な 運営方針には チガイが あり、利用できる サービスの 内容も マチマチ です。利用者と しては、まず 複数の 施設に ついて「どんな スタッフ、どんな 設備が そろって いて、どんな サービスが うけられるか」を 検討し、納得できる 施設を えらぶ ように したら よい でしょう。

 信子が まちなかを えらんだ 理由の 第一は 「ゆったりした 気分で フロに はいれる」と いう こと でした。フロに はいる だけ なら、自分の うちの フロでも おなじ だろうと 考えると、そこが オオマチガイ。うちで フロに はいった あとは、カビ防止の ため、かならず フロ場 掃除を しなければ なりません。これが 高齢女性に とって、かなりの 重労働と いう ことに なる ようです。いっぺんも フロ場 掃除を した ことの ない わたし ですが、ナルホドと 思いました。

そこで、あらためて まちなかの 施設全体を ながめて みると、最初から この 施設の目的に あわせて、十分に 計算し、ねりあげられた 設計だと いう ことが 分かります。浴室・トイレ・通路など、すべてに ゆとりが あり、安全感・清潔感が あります。集会室 などを とりまく 通路を 一周すると、けっこうな 歩行訓練 コースにも なります。

全体と して、女性目線 からの 提案が 多数 採用されて いる 感じです。

 

介護施設の ヨビナ
  それに しても、介護施設を めぐって さまざまの ヨビナが あり、どうも 分かりにくい ですね。まず カイゴシセツ [介護施設]と いう ヨビナは、お役所ふうで 固い 感じがする ためか、民間の 介護施設では 「フイット リハ」「デイ サービス」「デイ ケア」など、ハイカラな ヨビナを 使って いる ところが おおい ようです。

カイゴ[介護]と いう コトバは、 もともと 日本語と しては なじみの うすい 漢語です。もっと 分かり やすい コトバが あれば、呼び変えて よいと 思います。しかし、フイットや リハと いう コトバの ほうが 日本語と して 定着して いるとも いえない でしょう。その点では、デイ サービス くらい なら 大多数の 人に 分かって もらえる かも しれません。

 

分かり にくい 介護用語
毎月 地域包括 支援 センター から「サービス 利用票」と いう 文書を いただいて います。その「サービス 内容」と して「予防通所 介護1」と 書かれて います。ここまでは 分かりますが、つづけて「予防通所介護運動機器機能向上加算」と 書かれて いる のは、どんな 意味 なのか 分かりません。「予防通所に よる 介護」の うち、「運動機器を利用して 身体機能の 向上を はかる 場合の (費用)加算」と いう 意味かも しれませんが、テニヲハ ぬきで 漢字だけ ならべて みても、日本語と して 通用しません。

こうした 意味不明の 日本語を つくりだし、通用させた のは だれか?それは 日本中央政府の お役人さんたち です。地域包括 センターの 事務担当者たちは お役所の 指示に したがって、この「意味・国籍不明」の用語を 使い、事務を 処理して いる だけ なの でしょう。
  日本語は、わたしたち 日本人 みんなの もの です。お役所の 指示を まつ までも なく、まず 自分たちで よく 考え、分かり やすい コトバを 育てあげ、広めて ゆく ように したい  もの  です。