デイサービス「まちなか」外観
フロント
浴室付近
マッサージ機などの部屋
アピアの フィット リハ
いきなり こんな
話に なって、ごめん なさい。わたし 自身、これまで 「介護制度」の問題を
ブログで とりあげる こと など 考えた ことも なった のですが、最近 いろいろ あって、こんな ことに なりました。しばらく おつきあい ください。
わたしは 2013年11月 から ことしの 8月末
まで 毎週1回、市内の リハビリ
施設にかよって いました。わたしの ばあい、「要支援1」と いう ことで、介護保険を 利用できます。この 施設は、稲荷元町 アピア1Fに あり、「アピア フィット リハ」と
呼ばれて います。この道 30年の 実績が ある との ことで、スタッフも 施設(レッド コードや トレーニング
マシン など)も 充実して いる 感じ です。
わたしが いちばん 感心した のは、「通所者の 安全第一」と いう 意識が スタッフの みなさんに
徹底して いる こと です。毎回 スタッフが クルマで 通所者 自宅の 玄関まで 迎えに きます。無事に 乗車・着席できた のを たしかめて から シートベルトをしめる。そのあと 運転手席に もどって、発車。運転も「安全第一」。交差点では、クルマの流れが
途切れる まで じっと まちます。施設に 到着すると、べつの スタッフが まちかまえて いて、荷物を もったり、(よろけそうに なったら)体を ささえたり します。
ここでの リハビリは、おもに レッド コードや トレーニング マシンを 使って、身体の 機能を 維持(回復・増進)する
こと。その 結果と して 日常生活の 中で、ツマヅク・コロブ などの あやまちを 予防する こと。そして、できれば 死ぬまで、人手を 借りずに 飲食・排泄・入浴などの 作業が できる ように する こと でしょうか。
デイ サービス「まちなか」
わたしは
アピアの フィット リハで 十分 満足して いた のですが、とつぜん ことし9月 から 千石町の デイ サービス「まちなか」へ
かよう ことに なりました。それは、妻 信子の 希望に あわせたと いう こと です。
ことし、わたし95歳、信子91歳。結婚した のは 1945年2月、大日本帝国 敗戦の 直前でした。わたしどもの 結婚生活は 日本国 敗戦直前に はじまり、すでに 70年の歴史を きざんで います。安倍 総理は、「終戦 70周年」を 機会に「積極的
平和主義」を唱えて おられる との こと ですが、95歳 老人と しては、敗戦後 せっかく 立てた「不戦の ちかい」を
いまさら 捨てる 考えは さらさら ございません。
いや、ここは 天下国家の 話を する 場 では ありません。わたしども 夫婦の 話に もどります。70年間の あゆみを ふりかえって みると、人生の 転換点と いえる 時期が いくつか ありました。
① 敗戦後、天津で
帰国船を まちきれず、(日本再建の 道を さぐる ため)旧華北交通の知人に さそわれて 張家口(八路軍地区)へ まいもどった 時。
② 帰国後、ようやく
公立学校 教員と して 就職しながら、「なんとかして、中国語に つながる 仕事を したい」と 考え、52歳で 退職を
申し出た 時(日中国交回復 直前)。
そんな 時、方向転換を きめるのは いつも わたしで、信子は だまって ついて きて くれました。そのかわりと いうか、わたしの
イキザマに かんする 基本方針に 反しない かぎり、なるべく 信子の 希望に あわせる ことに して います。帰国 当時、わたしの 両親が いた 北海道へ 帰る
予定に して いましたが、途中 信子の 実家に たちより、信子の 母のつよい 希望も あって、そのまま 富山に 住みつく ことに なった のも その 一つ です。
ことしの 夏、信子の 体調が よく ない ことに 気づき、週に 1回 くらい
デイ サービス などの 施設を 利用する ことを 提案しました。はじめは アピアの フィット リハをすすめましたが、本人が うんと いいません。姪の 美織さんも
心配して、最近 できた ばかりと いう 「デイ サービス まちなか」を 紹介して くれました。すると、こんどは いっぺんに 気にいった 様子で、そのあと 毎週
欠かさず かよって います。そればかりか、わたしにも「まちなか」へ 変更する よう 提案しました。
わたし 自身は アピア フィット リハの 方式で 十分 満足して いましたし、スタッフや お仲間の 人たちと おわかれする
のも さびしい きもちが しましたが、いまは なにより 信子の 体調回復が 最優先の 課題。一も二もなく、信子の 提案に したがう ことにしました。
デイ サービスの 内容
アピアの フィット リハ から デイ サービス「まちなか」に 切りかえた ことで、あらたに 見えて きた ことが いろいろ
あります。まず 第一に、おなじく 介護施設と いっても、設立の 目的や 基本的な 運営方針には チガイが あり、利用できる サービスの 内容も マチマチ です。利用者と
しては、まず 複数の 施設に ついて「どんな スタッフ、どんな 設備が そろって いて、どんな サービスが うけられるか」を 検討し、納得できる 施設を えらぶ
ように したら よい でしょう。
信子が まちなかを えらんだ 理由の
第一は 「ゆったりした 気分で フロに はいれる」と いう こと
でした。フロに はいる だけ なら、自分の うちの フロでも おなじ だろうと 考えると、そこが オオマチガイ。うちで フロに はいった あとは、カビ防止の ため、かならず フロ場 掃除を しなければ なりません。これが 高齢女性に とって、かなりの 重労働と いう ことに なる ようです。いっぺんも フロ場 掃除を した ことの ない わたし ですが、ナルホドと 思いました。
そこで、あらためて
まちなかの 施設全体を ながめて みると、最初から この 施設の目的に あわせて、十分に
計算し、ねりあげられた 設計だと いう ことが 分かります。浴室・トイレ・通路など、すべてに
ゆとりが あり、安全感・清潔感が あります。集会室 などを とりまく 通路を 一周すると、けっこうな 歩行訓練 コースにも なります。
全体と して、女性目線 からの 提案が 多数 採用されて いる 感じです。
介護施設の ヨビナ
それに
しても、介護施設を めぐって さまざまの ヨビナが あり、どうも 分かりにくい ですね。まず カイゴシセツ [介護施設]と いう ヨビナは、お役所ふうで
固い 感じがする ためか、民間の 介護施設では 「フイット リハ」「デイ サービス」「デイ
ケア」など、ハイカラな ヨビナを 使って いる ところが おおい ようです。
カイゴ[介護]と いう コトバは、 もともと 日本語と しては なじみの うすい 漢語です。もっと 分かり やすい コトバが あれば、呼び変えて
よいと 思います。しかし、フイットや リハと いう コトバの ほうが 日本語と して
定着して いるとも いえない でしょう。その点では、デイ サービス くらい なら 大多数の 人に 分かって もらえる かも しれません。
分かり にくい 介護用語
毎月 地域包括
支援 センター から「サービス 利用票」と いう 文書を いただいて います。その「サービス 内容」と して「予防通所 介護1」と
書かれて います。ここまでは 分かりますが、つづけて「予防通所介護運動機器機能向上加算」と
書かれて いる のは、どんな 意味 なのか 分かりません。「予防通所に よる 介護」の うち、「運動機器を利用して 身体機能の 向上を はかる 場合の (費用)加算」と いう 意味かも しれませんが、テニヲハ ぬきで 漢字だけ
ならべて みても、日本語と して 通用しません。
こうした 意味不明の
日本語を つくりだし、通用させた のは だれか?それは 日本中央政府の お役人さんたち
です。地域包括 センターの 事務担当者たちは お役所の 指示に したがって、この「意味・国籍不明」の用語を
使い、事務を 処理して いる だけ なの でしょう。
日本語は、わたしたち 日本人 みんなの
もの です。お役所の 指示を まつ までも なく、まず 自分たちで よく 考え、分かり やすい コトバを 育てあげ、広めて ゆく ように したい もの です。
はじめまして、渥美と申します。
返信削除不躾ながらコメント欄に投稿をお許し下さい。
実は、わたくしの祖父が華北交通だったらしく、父が足跡をたどってますが、何ひとつ確証が得られず、落胆しております。
先日も都内にある満鉄会に伺ったそうですが、華北交通の資料はなく母と途方に暮れて帰ってきました。
父は満州で生まれ、引き上げてから直ぐに祖父は病に倒れ帰国後2年の33歳で亡くなりました。
父は3才で親をなくしました。
写真しかない父親の姿を定年後、ずっと追ってますが、混乱の時代と資料が乏しい現在、何も掴めずにいます。
祖父の名前は渥美武夫、大正3年2月4日生まれ。現在の東京大学出身。
当時妻忠子と子供3人でくらしてました。祖父は体が弱かったようなので、事務関係ではないかと推測してます。
華北交通にお勤めであったおきんぼ様に調べるアドバイス等いただけたら幸いです。
何卒、なにとぞ宜しくお願い申しあげます。
メール chokotomato@gmail.com
電話
0467952161
渥美あずさ