2016年5月31日火曜日

目線の はなし



ちいさい花 5/15


「小竹貝塚から見えてきた…」 5/16



シャクナゲ 5/19 


絵本 5/20 


高岡市万葉歴史館 5/21 



 天晴海岸 5/21


[亀清]若旦那の講演会 5/26 


ちいさい 花
515()、晴。いたち川の サクラ並木は ミドリ 一色。遊歩道を 歩いて いても、めぼしい 花は 見あたり ません。そう 思い ながら、ふと 足元を 見ると、ちいさな アカムラサキの 花が いっぱい 咲いて いる ことに 気づき ました。あまり 日当たりの よくない 場所ですが、せいいっぱい がんばって、これだけの 花を さかせた のでしょう。先日から ずっと 咲いて いたのに、こっちが 気づか なかった だけの こと。気が ついても、ナマエが 分からず、ナマエで 呼んで あげる ことも できません。ごめんなさい。



「小竹貝塚から 見えて きた…」
 516()午後、高志会館で 県教職員厚生会 退職厚生部 富山支部の 総会が あり、町田 賢一(埋蔵文化財 調査事務所 調査課主任) さんが 「小竹貝塚から 見えて きた、6000年前の とやま」と 題して 講演され ました。

小竹貝塚 とは?

いつ…縄文時代 前期 中葉から 末葉(6.2005.600年前)で、前期後葉(6.000)を 中心と する“縄文海進期に あたり、今より2~3度 気温が 高く、海面が 上昇して いて、全国的に 平野部の 多くには 水域が 広がって いた。

2.どこ…富山市 呉羽町北・昭和町で、あいの風 富山鉄道の 呉羽駅 北側。標高 約3mの 低地。

3.なに…低湿地性 貝塚(地表下 深くに ある 貝塚)で、日本海側 最大級の 貝塚と 呼ばれる。

4.発掘調査…北陸新幹線 建設に 先立って、20092010年に 公益財団法人 富山県文化振興財団 文化財調査事務所が 行った。遺跡の 範囲は 53.000m²にも 及ぶが、発掘した のは 約1.000 m²で、1割にも 満た ない。

  ついで、「小竹貝塚から わかる こと」に ついて

  縄文時代 前期(7.0005.500年前)では、国内最多と なる 埋葬人骨が みつかった。人骨には アクセサリーを 身に つけて いたり、生前の 持ち物を 供えて いる ものがあり、個人の 所有物が あきらかに なった。

  ヤマトシジミに よる 厚さ 2mに 達する 貝層が みつかった。潮干狩りの でき ない富山県を はじめ、日本海側には、貝塚は ひじょうに 少ない。その中での 大規模な 貝塚だと いう ことが わかった。

  低湿地性 貝塚なので、後世の 攪乱や 土壌に よる 分解が 進まず、多くの 貴重な 遺物が みつかった。福井県 鳥浜貝塚と 似た 木製品、東北地方の 影響を 受けた 土器、南海産の 貝で つくった ブレスレット、精巧な 漆製品など、全国的にも 数少ない モノが 多く 見つかった。

 さらには、竪穴建物が 10棟 見つかり、遺跡は お墓(埋葬人骨)、貝層(ゴミ捨て場) だけでなく、すまい(竪穴建物)も ある ことが わかり、低地にも 大きな 集落を かまえて いた ことが わかった。県内の 縄文時代研究 だけで なく、日本海側の イメージを 変える 遺跡で あり、古い 時期の 人骨は 人類学でも 研究対象として 貴重な 資料と なっている。

 町田 さんには、たくさんの 映像を つかって、分かりやすく 解説して いただき、ありがとう ございました。

 お話の 中で、「富山の 人は エンリョ ぶかく、身内の ことを 自慢したり しない」という 指摘が ありました。実態は、どうで しょうか?自分で よく 調べてみて、ほんとに スバラシイと 感じたら、まわりの 人たちにも 紹介したいと 思う のが あたりまえ。勉強不足で、他人に 説明して 納得して もらえる 自信が もてない ので「エンリョして みせる」と いう ことは ないで しょうか?「北陸新幹線」の 時代です。日本各地から、また 世界各地から、富山を 訪れる 人たちが おおく なる ことで しょう。そのとき、「小竹貝塚」や 「あいの風」などに ついて ヒトコト 説明できれば、旅行者たちに とって、富山の 印象が よく なる かも しれません。



シャクナゲ
 519()。今月から、週2(月・木) ディ ケアに 通う ことに なりました。妻の信子は ことし 92歳。家で フロに はいるのは よいと して、そのあと フロ場の 掃除を する 体力は なく なって います。その点、ここで 週2回 フロに はいる ことが できる ように なった ので、まずは ひと安心と いった ところです。

 施設の 一画、大型の 窓ガラスを へだてて、ちょっと した 庭が あります。そこに 先日から シャクナゲが 花を 咲かせて います。この日 入浴を すませた あと、しばらく ガラスごしに ながめて いましたが、せっかく ならと 思い立ち、許可を いただいて、靴をはきかえ、庭に でて スマホの シャッターを 切りました。



1枚の 絵に イノリを こめる
520() 午後、茶屋町 豊栄稲荷神社で、日本海文化 悠学会の 研修会が あり、佐藤 芙美 さんが「美の 力」と 題して 報告され ました。佐藤 さんは、悠学会の 会誌 『悠学』第1の 表紙デザインを 担当された だけ でなく、各作品や 記事に 使われる 画像や 写真などの あつかい(白黒か、カラーか など)に いたる まで、「一人でも 多くの 人たちに 読んで いただく ために」、「最高の 演出効果が あらわれる ように」、さまざまな提案を されたと きいて います。

 この日は、「日本美術家連盟 会員・洋画家と しての 経歴」、「会報『悠学』の 装幀」、「福音館の 絵本 づくりに 参加」、「南ミシシッピ大学 美術館で 個展」などに ついて 報告され、あわせて「絵に よせる 思い」、「美の力への 信念」を 語られ ました。当日 いただいた 資料にも、「美の ちから…社会が 美を はぐくむ のでは なく、美こそが 社会を 育んで きた のだ」と いう コトバが 引用されて いました。佐藤 さんの この 信念は、どこから 生まれた ので しょうか? 門外漢の わたしが いうのは 失礼かも しれませんが、それは1枚の 絵を 描く とき、その 素材(1輪の 花、1篇の 童話、1群の 作品集)と 向きあい、対話し、共鳴・共感する ものが あった から 筆を とったと いう ことで しょう。それは 対象を 精確に 写しとろうと する 作業で あると ともに、自分自身の 思いを 精確に 表現し、見る 人に 伝えようと する 作業 です。つまり、1枚の 絵が できるまでに、さまざまな 手順が ふまれ、その 絵に 作者の イノりが こめられる と いって よいで しょう。

佐藤 さんの お話を きいて いて、わたしは 絵と コトバの 役割に ついて 考えて みたいと いう 気に なりました。そう いえば、絵も コトバも、もともと「思いを 伝えるための 手段」と して くふう された もの。絵は、一貫して 人の 視覚に うったえ、形状(点と 線と 面)や 色彩 などを 表現する ことが できます。コトバは、もともと 人間や 動物の 聴覚に うったえる 信号と して 生まれた もの。トリ・ケモノを 呼びよせたり、おどしつけたり する 信号と しても 使われ ました。発達の 途中で モジが 発明された ことで、音声言語と 書面言語との ちがい などの 問題も おこりましたが、基本的には 音声言語と して 考える べきで しょう。人類の 言語は、民族などの ちがいで 数百種類に 分かれるとの こと ですが、どの 民族言語 でも、文>句>単語>音節>音素 まで 分解する ことが でき、音素段階では、その 基本義は ほぼ共通 (この30年来、わたしが 日漢英の 音韻比較を つづけて きた 結論) の ようです。

 なお、私事に わたりますが、いただいた 資料 (p.3)に のって いた「作者紹介」記事を 読んで びっくり しました。佐藤 さんが 福音館の 絵本 づくり(「日本の 昔話」)に参加した ときの 再話 作者「小澤 俊夫」さんに かんする 記事です。「1930年、旧満州 生まれ。筑波大学 名誉教授。グリム童話の 研究から 出発して、日本の 昔話研究や 昔話の比較研究を 行って いる]と 紹介されて いました。あとで ネットでも 確認しましたが、小澤 征爾 さんの お兄さんで あり、お父さんが 小澤 開策 さんと いう ことです。

 1939年夏、わたしが 東京外語(中国語部)3年生の とき、夏休みを 利用して 中国旅行に 出かけた ことが あります。当時は 一般の 中國渡航は 禁止されて いた のですが、わたしは 新民会の 東京事務所に 頼みこんで、「新民会の 要員」と いう お墨付きを いただき、ようやく 中国旅行が 実現しました。この 旅行では 旧満州の 新京(長春)で 学校の 先輩を たずね、「ノモンハン事件の 真相は、公式発表とは 正反対、全面的な 敗北だった」と 聞かされる など、あちこち寄り道した あと、北京へ 到着。さっそく 三条胡同の 小澤公館(小澤 開策 さんの 自宅)を たずね、数日 滞在。そのあと、北京郊外の 農村実験区で 実習。旅行を 終わって 東京へ もどった のは、9月に はいって から でした。ワカゲの イタリと いうか、大陸ボケと いうか、とにかく ムチャな 旅行でした。そして ムチャクチャ 勉強にも なりました。

 そんな 経過も あり、1941年 春、華北交通(株)へ 就職した ときも、三条胡同の 小澤公館へ ごあいさつに うかがい ました。四合院の 中庭で うつした 白黒写真(就職後なので、セビロ姿)は、いまでも わたしの タカラモノです。

 この 項、くわしくは ブログ 『七ころび、八おき』の 「東京外語の ころ(中)」(2010-12-21// 華北交通の ころ①」(2011-1-25)を ご参照 ください。



高岡市 万葉歴史館
521() 午後、五十嵐 俊子 さんの クルマに 便乗させて いただき、高岡市 万葉歴史館へ 向かいました。ここを 会場と して 開催された「日本歌謡学会 春季大会」の「公開 講演会」を 聞く ためです。はじめに 高岡市 万葉歴史館坂本 信幸 さんが「歌謡と万葉歌」と 題して 講演。[1]記紀歌謡と 万葉歌の 関係、[2]記紀の 作者と 万葉の 作者との 関係、[3]「歌謡」と、文学と しての「歌」との 相違、などに ついて、くわしく解説され ました。

 ついで、立命館大学 藤原 享和 さんが「スメラミコト[天皇]の オホミハブリ[御大葬]に 歌ふ 歌」と 題して 講演。[1]『古事記』中巻[景行記]倭建命の 最期の 条、[2]古代に おける 大御葬歌…殯宮儀礼説とその 批判,[3]前近代の 天皇葬儀と 大御葬歌、[4]近代の 天皇大喪に おける 大御葬歌(誄歌)、などに ついて 解説。とりわけ「オホミハブリ[御大葬]の 歌」の 実態に ついて、ご自身の 修士課程の 論文作成当時の 失敗と 成功の 経験を おりまぜて 報告され ました。『古事記』や 『万葉集』を 読む ばあい、その 記事を そのまま 事実と して ウノミに する こと なく、その まわりに ある資料を チェックし、ウラヅケを とる ことの 必要性を 教えて いただきました。



天晴海岸
 万葉歴史館から 富山へ 帰る 途中、五十嵐 さんは「せっかくの 機会だ から」と、伏木一の宮・雨晴海岸・伏木高校・越中国分寺跡・勝興寺(越中国庁跡)などを 案内して いただき ました。五十嵐 さんは こちらの ご出身だ との こと でしたが、わたし 自身もむかし(高校に 中国語コースが 開設される 直前の ひと夏)、中国語講習の ため 伏木高校に かよった ことが あります。伏木 独特の あの 起伏に 富んだ 地形の 記憶が、ひさしぶりに よみがえって きて、なつかしい 思いを しました。



カメセイ[亀清] 若旦那の 講演会
 526() 午後、富山駅前 CIC fで、富山市民 国際交流 協会 総会が あり、そのあと 記念講演として タイラー リンチ さんが「国に よって 異なる 外国人 観光客の おもてなし」に ついて 語られました。

タイラー リンチ さんは、1970アメリカ 西海岸 シアトル市 生まれ。ワシントン 大学 国際学部 卒業後、長野県 上田市で 英会話の 講師を つとめる。千曲市に ある 旅館「カメセイ[亀清]」の 娘 さんと 知りあい、 シアトルで 結婚、貿易会社に 11年間 勤務。2005年、妻の 実家の 女将が 引退する との ことで、「この 昔風な 和の宿の 後継ぎを やらせて ください」と 家族を 連れて 日本に もどる。そのご、若旦那と して 活躍すると ともに、外国人の 目線で「地域の 魅力」を 国内外に 発信して いる、とのこと。

  これだけの 経歴を 聞いた だけ でも、新生「亀清」の「おもてなし」に ついて いろいろ 想像して みたく なります。日本の 人口減少 傾向 ひとつ 考えて みても、軍事力や 大量生産の モノヅクリで 日本が 世界を リードして ゆく ことは 考えられ ません。これからの 日本で、観光産業が 重要な 役割を しめる ことは あきらかです。観光産業の 原点は、観光客への 「おもてなし」で あり、「客の 気もちを 思いやり、その 期待に こたえる」こと。相手が 日本人でも、外国人でも、その 基本は 変わらないと 思います。問題は、日本人 同士なら その「期待」の 内容も ほぼ 見当が つく けれども、外国人のばあいは なかなか 見当が つかないと いう ことです。

 だれも 経験した ことの ない事業を はじめる ばあい、失敗するのが 当たりまえ。自分の 無知・不勉強を みとめ、いちから 勉強しなおし、万全の 策を 立てて もういちど チャレンジ すれば よい わけです。むかし ならった 孫子の コトバを 思いだしました。

敵を 知り、己を 知れば、百戦 殆(危)うからず。



2016年5月11日水曜日

ミヤ[御矢・宮] モノガタリ 

 
悠学会研修会  4/22
 
 
k-t, k-s音の擬声・擬態語 
 
 
k-t音の 動詞 
 
 
k-s音の 動詞  
 
 
立山が くっきり 5/5
 
 
 

魚沼神社蔵『大般若経』に ついて(五十嵐 俊子 さんが 報告)
 422日() 午後、豊栄稲荷神社で 日本海文化悠学会の 研修会が あり、五十嵐 俊子さんが「魚沼神社蔵『大般若波羅蜜多経』に ついての 私見」と 題して 報告されました。当日 配布された 資料に よれば、この 経文は1386年から1396年に かけて、越中 宮川庄地域で 書写された もの ですが、「1573年に 上杉 謙信が 富山城を 包囲し、稲荷・岩瀬・二宮・押上に 陣して、神通川 以東を 制圧…この 地に あった 七社宮から 大般若経を 戦利品として 持ち帰った」と されて います。新潟県の 魚沼神社 所蔵で、2001年に 県文化財に 指定 されて います。

 五十嵐 さんは、「写経に かかわった 人々=寄進者と 執筆者」を くわしく 調べて、一覧表に まとめると ともに、宮嶋(寄進者右馬次郎らの 住所)の 所在に ついて、「現 小矢部市 地域の 宮島保では、写経の 場所から 遠すぎる ので、おなじ 神通川 流域の「現 富山市 婦中町 宮ヶ島」と 推定する 方が 合理的だろうと、結論づけて います。

 歴史学には 門外漢の わたし ですが、文献資料を まじめに・ていねいに 整理して ゆく ことで、歴史の 真実を さぐりあてようと する 報告者の 姿勢に 敬意を 表したいと思います。

 じつは この日も、報告や 討論を きき ながら、そこで かわされる コトバ(用語)の 意味を おいかけて いました。とりわけ 気に なった のが、「越中 宮川()()・「宮嶋」・「宮ヶ島」・「宮島保」などの ミヤ[]と いう 語音です。ミヤは、ふつう 漢字で []と 表記される ため、神を まつる 宮殿を 連想する ことに なりますが、ヤマトコトバの感覚と しては もともと「[]+ヤ[]」の 構造を もつ コトバです。

ヤ行音(ヤ・ユ・ヨ)は、母音iから 他の 母音a, u, oなどに 変化する 語音で、拗音と 呼ばれ、「ヨル・ヨジレル」感覚を ともなう ことに なります。ヤジリを「イする」姿が ユ[]・イル[入・射]。「イル・イレル・イク・ユク もの」が ヤ[]。もとはヤジリだけ でしたが、やがて ヤガラや ハズを とりつけた もの、さらには 発射装置 ユミに セットする ものも ヤ[]と 呼ばれて います。

 それだけでは ありません。ヤジリに ヤガラ・ハズ・ハネなどを セット した ものを ヤと よんだ 古代人たちは、ヤダケ[矢竹]などを 組みあわせた 構造物(=家屋)[屋・舎]と よぶ ことに なります。

 さらに、さらに、タニ・サワ・カワなどと 呼ばれる 地形に ついても、おなじく []と 呼んで います。クマガヤ[熊谷]・シブヤ[渋谷]・ヨツヤ[四谷]・ヒビヤ[日比谷] などの ヤ[]が そうです。山と 山との スキマを 縫う ように ツキススム 水の流れを 「矢が イク[射來]・ユク[] 姿」と 見る 人たちが 生みだした 用語と 考え られます。

 日本列島は、○○プレートと 呼ばれる ものが ひしめき あって できた もので、単純な 構造では ない そうです。地震や ツナミは こまりますが、全国 いたる ところに 温泉が ある とか、四季 それぞれの 楽しみ方が できる とか いう ことも あります。日本列島の 住民も、けっして 単純な 民族構成では なく、世界 各地 から それぞれ 独自の文化を もつ 人たちに よる 複雑な 構成だったと 考え られます。

 おなじ 一つの 地形に ついて、タニ・サワ・ヤなど 多数の 地形名が つかわれて いると いう ことを どう 解釈すれば よい でしょうか?それぞれの 用語が 生まれた 背景に、それぞれの 視点や 音韻感覚が ある はずで、どれが 正しく どれが マチガイと いう 問題では ありません。日常の 生活で、たがいに 話しあう とき、同一の 事物に ついては 同一の 用語を 使う 方が たがいに 便利だと いう ことも あります。しかし、こうした 機会に、タニ・サワ・ヤなどの 語源に ついて 考え、「同一の 事物に ついても、視点・発想の ちがいで、まったく ちがった 語音の コトバが 生まれる」ことが 理解できると いうのも 悪く ないと 思います。

 

k-t音語と k-s音語の 系譜」に ついて                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  
 51()午前、豊栄稲荷神社で 『古事記』を 読む 会の 研修会が あり、イズミから 「k-t音語と k-s音語の 系譜」に ついて 報告させて いただき ました。

 もともと 昨年9月の 研修会で 服部 征雄 さん から『古事記』の 中の 医療関係記事として、「カツラ[桂・楓・香木]と キサカヒ[𧏛]」に ついて 報告された のを うけて、イズミが これを「k-t音語とk-s音語」の 例として 研究する ことを 提案し、この ブログ(427日号)でも とりあげて きたと いう 経過が あります。

 こんどの 報告では、『古事記』に かぎらず、現代日本語を ふくめて「k-t音語とk-s音語」に ついて 考える ことを めざし、資料を 準備しました。配布用 資料「k-t音語とk-s音語の 系譜」(k-t音語とk-s音語を 対照できる ように 配列した もの)の ほか、掲示用 資料を3枚 用意しました(画像参照)

  k-t音語と k-s音の 擬声・擬態語。
(aカタカタ:カサカサ// キッチリ:ギッシリ// クツクツ:クスクス など、k-t音語とk-s音語が 一種の 音感覚を 共有しながら 整列して いる 感じが する。また、k-t音・k-s音 発生の 順序に ついては、はじめに k-t音語が うまれ、おくれて k-s音語が 生まれたと 考え られれる。理由は、省エネの 法則破裂音 t-にくらべ、摩擦音 s-の ほうが、話し手も ツカレが すくなく、聞き手の 耳にも やさしく ひびく。

(b)「擬声語は、を 表わす だけで、意味とは 関係が ない」などと いう 人も おられる よう だが、それは 擬声語の 実態を 知らない 人の 発言では なかろうか?たとえば カタカタは、「カタナ[]・カタ[]・カッター などで カットする」ときに 発生する 音。調理を はじめ、モノづくりの 基本作業を 連想させる 音で、カタカタの 語頭 子音が 清音から 濁音に 変化すると、この 作業が ガタついて きた ことを 表わす ことに なる。

(c)擬声語は、そのまま 擬態語と しても 使われる。擬態語に ついて、「意味は ない」と いう人は いない ようだ。ただ、擬態語の おおくは、名詞や 副詞と して 使われて いる のが 実態。

(d)k-t音語としての 基本義は 共有し ながら、母音の ちがい意味の ニュアンスの ちがいを 表わす。たとえば、クツクツ・クスクスは、「口の 開きを おさえ ながら 笑う」姿。ケタケタ・ゲタゲタは、「ケタ ちがいに 大きく口を 開いて 笑う」姿。

 

  k-t音の 動詞。
(a)上代語の 段階で、2音節 動詞 カツ[合・搗・勝]・クツ[]・ケツ[消す]が 成立して いる。その先に、カタス[]・カタル[]・クダク[]・クタス[]などの 動詞が 再生される。

(b)k-t 2音節 動詞の 基本義は 大同小異。やがて、漢語 カツ[]や 英語 cutにも 通じる。人類語と して 世界規模で 共通する 音韻感覚を もつ コトバと いえる。

(c)動詞 クツ[]クサル[]の 意に 専用されて いる ようだが、もとは カットする(クダク[砕・]・クヅス[])姿。クタ[]・クチ[]・クツ[]・クヅ[]は、その 名詞形と 考え られる。

(d)クツ[]に ついては、漢語 クツ[屈・掘・窟](くぼめる、カットする 姿)を 参考。また、ケツ[]に ついては、漢語 ケツ[穴・決・抉・決・玦・缺](カットする 姿)を 参考。

 

  k-s音の 動詞。
(a)上代語の 段階で、2音節 動詞 カス[借・貸]・キス  [著・服]・ケ
  ス[]・コス[越・超‣漉](越え させる)が 成立して いる。

(b)カス[借・貸]は、Aの 持ちものの 一部を カット(カチワル)して Bに 渡す(カツケル・クツケル) 姿。カサ[]・カシ[]・カセ[枷・桛]・カゼ[]は、その 名詞形で、「カス[貸] もの」。カス[糟・滓]は「カットされた もの」の 意で、動詞 基本形が そのまま 名詞形と なっている。カシ[徒歩]は、「カチ[歩・徒歩]の 東国語と されるが、「両足を コンパスの ように 動かし、地面を 一歩ずつ カットする」姿。英語caseの つづりを ローマ字ふうに よめば カセと なり、カセ[枷・桛]に 通じる。

(c)キス[著・服]は、着物を キセル[着]姿。キシ[岸]は 波が 砂浜や 岩に 衣服を キセル[] 姿。また、kissする(唇を キセル[]) 姿。

(d)ケス[]は「動詞 キル[]に 尊敬の 動詞語尾 スが 接した もの」と 解説されて いるが、漢語 ガイ[]は、上古音kab、現代音gaiで、「フタ。カサ。カブセル」の 意。また、「全体に カバーカブセ、おおまかに 考える」の 意。日本語の 文脈では、副詞ケダシ・ケダシク[]を 成立させた。ケタ[]は、[柱の 上に 板を カブセル]姿。ゲタ[下駄]も おなじ 姿。ケス[]は、もと ケツ[]の 語尾子音が t-から s-に 変化した もの だが、「フタを カブセ、カバーし、カットする」姿と 解釈する ことが できる。そう なると、ケサ「袈裟」に ついても、動詞 ケス[]の 名詞形=「僧が キル[] もの」と 解釈できる。

(e)コス[越・超]・コシ[]の コは 甲類コシ[腰・輿・層]の コは 乙類]と、強調されて きたが、甲・乙の チガイが どの 程度の ものか、解明され つくした とは いえない。とりわけ コや トに ついては、はやい 時期から 甲乙の 区別が つかなく なって いたとの 指摘も ある。ヤマトコトバを はじめて モジで 表記したのは 漢字・漢文。漢字は もともと 表意モジ だから、ヤマトコトバの 語音を そのまま 表わす ことは できない。ヤマトコトバの 音形に ちかい 漢字を えらんで 表音モジと してつづる ことに なる(万葉ガナ)。担当者は 漢語音に 精通した 研究者。甲乙カナの区別も、漢語音韻研究の 成果を ヤマトコトバの 分析に 応用した ものと 考えられる。コス[ ]の ばあい、同義語の スグsugu[]に 母音u-が あり、漢語クヮkuuarguoにも 母音u-が ある ことから、同系の 音形と された 可能性も ある。参考 までに、甲類の コに 当てられた 漢字を 上古音別に あげると、kag[古・故・姑・固・顧]k’ag[枯・庫]kog[]kuag[]など。乙類の コに 当てられた 漢字はkiag[居・虚・挙・拠]k’iag[]giag[]gieg[]hiag[]など。つまり、拗音(ia, ie)をもつ ものが 乙類と されて いる。

 

立山が くっきり
 55() 午後、デイケアの バスで 帰る 途中、西へ 向かって 走る 通りの 正面に、白雪の 立山連峰が くっきり 見えました。あまり キレイ だった ので、カメラに おさめて おきたいと 思い、帰宅して から もう いちど、近所を 歩きまわった のですが、ドンピシャの 場所が 見あたり ません。山がよく見とおせる ところは、クルマの 往来が はげしくて 危険。安全な ところ では、手前の 建築物が ジャマ。結局、いつもの 場所、雪見橋の 歩道から 立山を ながめて シャッターを 切った ものを ご覧に いれる ことに なりました。この 写真では、せっかくの 立山連峰の 雄姿が ビルに かくされ、青空との 境界線も 分かり にくく なって いますが、いまの わたしには これで 精いっぱいと いう わけ です。

 申しおくれ ましたが、わたしは これまで 週1回 デイケアに 通って いましたが、5月から 2通う ことに なりました。毎回 入浴して、マッサージも 受けられる ので、体調の 維持管理に ついては、ほぼ 安心して います。自宅で フロを わかし、あとで フロ掃除を すると いう 作業から 解放された ことも、たいへん ありがたいと 思って います。その おかげで、こちらは のんびりと「ミヤ[御矢・宮]→ヤシロ[矢代・社]」など、ユメ みたいな モノガタリを カタル ことが できる のです から。
ただし、デイケアでは こんな ユメモノガタリを 聞いて くれる 人は まず いません。もっぱら 保育園の 園児に なった つもりで、身も 心も わかがえり、よみがえる ことを目ざして います。壮年時代・青年時代を 思い出して 歌ったり するのも 悪くは ありませんが、純粋な 気持ちに 立ちもどると いう 点では、保育園の 園児を めざすのも アリだと 思います。