日文悠研修会 3/24
Atukoさん来訪 3/28
花鉢 3/28
『古事記』を読む会 4/2
サクラがサイタ! 4/6
<日誌>
3月24日(日)午後、茶屋町の豊栄稲荷神社で日文悠の研修会があり、佐藤稔さんが「保度田八幡塚古墳出土の埴輪の一考察」と題して報告されました。研修会のあと総会も。
3月28日。東京から来られたAtukoさん(信子の姪)といっしょに藤の木病院へ面会に行ってきました。Atukoさんは、この数年来「春のサクラ」「秋の紅葉」の見物旅行で同行したときの写真アルバムを持参。それを見た信子も、あらためて当時のことを思いだし、なつかしんでいました。
Atukoさんから、お見舞いとして鉢植えの花(写真)をいただきましたが、病院へ持ちこむわけにはゆかないので、自宅に置いてあります。まだたくさんのツボミが残っているので、みんな咲いてくれるまで水やりをすることが、わたしの日課となりました。
4月2日(日)午前、茶屋町の豊栄稲荷神社で古事記を読む会の研修会があり、藤田富士夫さんの講話をきかせていただきました。第1部、太安万侶と『古事記』。第2部、八千矛神の歌物語。講話のあと、藤田さんをかこんでの昼食会となりました。
4月6日(木)。サクラが サイタ。つい先日まで、かたいツボミのままだったいたち川べりのサクラですが、きょうはみごとな花をさかせてくれました。「オマチドオサマ」とアイサツしている感じ。まだほんの2~3分咲きといったところですが、このあとが楽しみです。
水神社への遊歩道も、サクラが咲いたことで、いっぺんに春らしい感じになりました。
<コトダマ ひろば>
◆グンマ・クラモチとキョウ族の対応関係
3月24日、悠学会の研修会で、佐藤稔さんが「保度田八幡塚古墳出土の埴輪の一考察」と題して報告されました。群馬県高崎市の古墳から発掘された人物群像の中に「王が携帯する大刀の柄頭に記されたマーク」を発見したことから、このマークが「中国・美族を出自とする豪族のシンボルマーク」だとする仮説をたてたとのことです。歴史学や考古学の知識がとぼしいわたしには、分かりにくいことばかりですが、たいへんロマンチックで、おもしろいと思いました。
できれば、おもしろい「仮説」から、たしかな「通説」になってほしいと思いますが、それには、もういちど調査資料の客観性をたしかめ、仮説の客観性・合理性・説得力を高めるなどの作業が必要かもしれません。コトバの音形と意味との対応関係にこだわる立場から、わたしはつぎのような点に注目し、問題点を考えてみました。
① そのマーク十を当事者たちがどう呼んでいたのか(音声言語として)?…また、そのマークが周辺へ伝播する過程で、その呼び名はどうなったか?
② 美族を示す漢字キョウ[美]は、ショウ[祥]・ヨウ[羊・養・様]などとともに、音符羊を共有している。この事実をどう解釈するか?・・・ヨウ[羊・養・様]はいずれも上古音giang、現代音yangで、「神への供物として善い」姿なので、音義とも同系のコトバといえる。ショウ[祥]は上古音giang、現代音xiangだが、ほぼ同系のコトバ。
③ おなじくヨウ[羊]の字形を共有しながら、グン[群]・ゼン[善]・ビ[美]などは、音声言語としてはヨウ[羊]とは異質の音形となっている。この事実をどう解釈するか?…音声言語の世界では、音形がちがうコトバは、別のコトバとして区別しなければ混乱を招く。[グン[giuan群qun], [ゼンdhian善shan], [ビmiuer美mei]などの音形は、[ヨウgiang羊yang]との共通点がとぼしいので、同系のコトバとはいえない。ただし、しいていえば、これら[羊・群・善・美]の語音に、ya, yuなどのヤ行音(拗音)が組みこまれているという点では共通している。ここで、これ以上こみいった議論はムリだが、案外、そんなところから、あらたな議論のテガカリがえられるかもしれない。ヤギ[山羊]=みごとなヤ[矢](角)をかざす動物と考えれば、やがて日本語ヤナギ[楊・柳](ヤ[矢]のような枝をもつ木)と漢語ヨウdiang楊・陽yang(天空をとびかける太陽=矢の鳥)との接点がみえてくる。
④ 日本語地名グンマ[群馬]や人名クラモチ[車持]・イリヒコ[入日子]などの語音は、漢語キョウ[美]やヨウ[羊]などにつながるだろうか?…結論からさきにいえば、もともとムリな難題。テマ・ヒマかけてもムダになる可能性がある。まず、地名グンマ[群馬]とは、日本語か、それとも漢語のつもりか?クナガヒ[婚合]・クニ[国]・クニツチ[国土]・クヌカ[陸]・クヌギ[櫟]などのk-n音ヤマトコトバは成立しているが、クン・グン(語尾母音ゼロ)のような音タイプのヤマトコトバは成立していなかった。そうだとすれば、ヤマトコトバではどう呼んでいたのか?「グンマ[群馬]は、もとクルマ[車]と呼ばれたから」ということになれば、こんどはk-r音語なので、またしても問題はフリダシにもどることになる。
それくらいなら、「グンマは、もとケ[食]の国だったから」と解釈するほうがわかりやすくないだろうか?「カミツケの国」・「シモツケ[下毛]の国」に共通する「ケ[食・笥」の国]。 つまり、「豊かな食糧を生産する国(地域)」という誇り高い呼び名。そう解釈すれば、「ケノクニ」と「クルマ・クラモチ」との接点も見えてくる。イナニ[稲荷]がイナリ[稲荷]に変化したように、「ケノクニ」などのn-音がr-音に変化してクラ・クルマ・クラモチなどのコトバが生まれた可能性もある。
⑤ マーク十の「十」は、どう呼ばれているか?漢語では「よせ集めてまとめる」姿と見て、ジフdhiep十shiと呼ぶ。その点では、シフdhiep拾shi(ひろう)と同音・同義。やがて、「まとまったもの= とお(数の単位)の意味・用法となる。日本語ではトオ(トヲ)、ト・ソと呼ぶ。英語では、「タテの線をヨコの線で切る」姿と見て、crossと呼ぶ。こんなぐあいで、一つの事実を表わすのに、日漢英それぞれちがった語音(音形)となる。まったく無関係、テンデンバラバラのようにも見える。ただし、どこかでかすかにツナガッテいるようにもみえる。そこらに散らばっているものを拾い集める姿はダブダブ・デブデブの姿。やがて英語doubleの姿とダブってくる。日本語でいえば、人のからだをキル[切・斬]ことは、やがてコロス[殺]ことになる。英語で考えて見ても、cross=ヨコギル。十字架。Crossする(十字架にかける)ことは、やがて人をkill(殺す)することを意味する。この段階(音素の段階まで分解)では、日本語と英語は単語家族まるごとでかなりの対応関係を持つことが推定される。
◆オホとスクナのナゾとき
4月2日、古事記を読む会の研修会では、藤田富士夫さんから「太安万侶と『古事記』」「八千矛神の歌物語」など、貴重なお話をきかせていただき、よい勉強になりました。その感想もいろいろありますが、ザンネンながら時間がありません。カネガネ考えていることを、ひとことだけ申しあげます。
『古事記』は漢文調で書かれた「地の文」と万葉カナで書かれた「歌謡」の部分との合作になっています。当時はモジといえば漢字だけの時代。漢字は漢民族のコトバを表わすために考案された表意モジ文字なので、漢語を記録するには便利ですが、ヤマトコトバの音韻組織は漢語とがちがうので、漢字だけで意味を表わしつくすことができません。とりわけ助詞(テニヲハ)の用法などがそうです。そこで、表意モジの漢字を表音モジとして使う「万葉カナ」方式が考案されたわけです。
『古事記』では合計112篇、うち「八千矛神の歌物語」だけで5編(No. 2~5)の歌謡が採用されています。すべて表音モジで記録されているので、ヤマトコトバの音韻研究資料として第一級の貴重な資料です。
たとえば漢字[命]の漢語音は上古音mieng現代音mingだけで、あきらかに典型的なm-k音語だとわかりますが、日本語の文脈ではイノチともミコトとも読まれます。「大国主命」の[命]がイノチではなくミコトと讀まれるのはナゼか?それは、歌謡の中でミコト[美許等・美許登]・イノチ[伊能知]など、万葉カナで書き分けられていることがキメテになっています。
それからもう一つ。『古事記』の記事の中には、ヤマトコトバの語源解説そのもの、あるいは語源解釈のヒントになるものがゴマンとつまっています。その典型的な例の一つが、オホクニヌシのオホとスクナヒコナのスクナとの対応関係です。
人間関係としては、大国主命(神)が一国の王者で、少彦名神が外来の協力者ということのようです。ただし、国土開発や経営の面でみれば、大国主はその名のとおり大地主で保守派。少彦名は先進的技術をもたらすスケット[助人]で改革派。それまでの「ツキボウ[突棒]で穴をほり、種イモを埋める」、あるいは「焼き畑」農耕中心だった生活が、スキ[鋤](鉄利器)で地面をスキおこし、よりスクナイ労力でよりオホク[大・多]の食糧を収穫できるように改善された。日本列島改造のご先祖様みたいな存在でした。
音韻の面から、スク・スクナの意味・用法を整理してみましょう。上代語としてサク[咲・開・割・裂・放・離]・シク[敷・布・及]・スク[鋤・助・漉・送・次]・スグ[過]・セク[塞]・ソク[退・除]などのs-k 2音節動詞が成立しており、そのまわりにたくさんの名詞・動詞・形容詞などがが組織されています。スクナは、もと「スク[鋤]+ナ[刃]」の構造で、「スク[鋤]ためのナ(道具・利器)」を意味するコトバでした。
オホはa-p音タイプのコトバということになりますが、上代2音節動詞としてアフ[逢・会・合・和・敢・堪・饗]・イフ[言]・オフ[覆・負・追・逐・生]・オブ[佩・帯]・ユフ[結]・ヨブ[呼]・ワブ[侘]・ヱフ[酔]・ヲフ[終]などが成立しています。
(以下、結論だけいいます)
上代語にオフ[白貝]の用例が見られることに注目します。『上代編』の解説に「貝の名。ハマグリ[蛤]の大きなものか、というが、未詳」とあります。現代とちがって,ハマグリなどの貝は主食にちかい食料資源であり、また食品などの容器、工芸品、さらには通貨の役割をはたした例もあります。そのまま地名ともなっていたようです。
ハマグリなどのカヒ[貝]がオフとよばれるようになったのはナゼか?それは、「カヒの身がカヒガラをオフ[負]」姿だからです。オフ[負]姿は、オブ[佩・帯]姿ともいえます。
視点を変えれば、「カヒガラがカヒの身をオホフ」姿となります。「覆いつくす」姿は、カヒの身にくらべてカヒガラのほうが「より大きい」姿。そこで、具象的な名詞オフ[白貝]や動詞オフ[覆・負・追]から抽象的な形状言オホ[凡・大]が生まれたと推定されます。
以上、勉強不足のまま、粗雑な提案になりましたが、ご教示をお願いします。