呉山・飛天からの展望 4/26
和風レストラン「呉山・飛天」4/26
花束
4/27
日本海文化悠学会研修会 4/27
「悠学」第2号 4/27
『ひらがなでよめばわかる日本語』
物干しセットを新調
4月18日(水)泉公美さんから電話あり。この23日ころ來富、泉家の墓まいりなどを予定していたのですが、ご本人が肺炎にかかってしまったので、予定を中止することになったとのことでした。こちらこそ、自分のことだけで精いっぱい、本家の法事に出席しておりません。いろいろ心づかいしていただいて、申しわけありません。
午後3時すぎ、美織さんが次男のZyunさんといっしょに顔をを見せてくれました。これまでの物干しセットが倒れやすく危険だということで、あらたな物干しセットを持参。Zyunさんが組み立ててくれました。こんどは4本足なので、ほぼ安心できそうです。
水野信利さんが来訪
4月25日(水)。午後、先日東京から電話してきた水野信利さんが来訪。わたしはまず(水野さんから贈られた)『学研・漢和大字典』について、あらためてお礼をいいました。
この数十年来、自己流で「日漢英の音韻比較」作業をつづけてきましたが、その土台となる語彙資料として、3冊の辞典を重視してきました。日本語については、『時代別・国語大字典・上代編』(三省堂)。漢語については、この『学研・漢和大字典』。英語については、A.H.D.(『アメリカの遺産、英語辞典』第3版)、とりわけ、そのフロク「インド・ヨーロッパ語の語根と派生語」(一覧表)(1993年秋、アメリカのペンシルバニア大学・デユーク大学の兼任教授で京都大学へ交換教授として来ておられたV.H.Mairさんにすすめられて購入したもの)。もしこれら3冊のうち1冊でも欠けていたら、おそらく「象形言語説」を提唱することもなく、この年齢まで音韻比較をつづける気力も生まれなかったと思われます。
水野さんが聞き上手で、だまって話を聞いてくれるので、ついついわたしの長談義がつづきました。あとでつくづく「教師というのは、ありがたい職業だな」と思いました。生徒さんに話を聞いてもらうと、そのことがハゲマシとなり、自分がかかえているテーマについてナットクゆくまで、真実を追究する気分になる。つまり、生徒さんのおかげで、教師がさらに一歩成長進歩できるのだと思います。
「呉山・飛天」で麦とろご膳
4月26日(木)。午前10時すぎ、長念寺住職志田常無さんに来ていただいて、故信子月命日のお経をあげていただきました。いろいろな事情で。一周忌の法事を4月10日にすませ、月命日も1日くりあげて、お勤めさせたいただきました。
この日の昼飯は、美織さんの提案で、和風レストラン「呉山・飛天」でということになりました。呉羽山の一画ですが、茶屋町の豊栄稲荷神社から呉羽山展望台をすぎたその先、地図で見ると北代のあたりに、別名「和風カフエ」ともよばれるお店がありました。
サクラの花は終わったあとですが、あたり一面黄緑の樹木にかこまれ、わかわかしい生命力が感じられました。立山連峰、新幹線、そして富山平野を一望でき、どの方向を見ても絵になりそうです。たまたま、富山駅を発車した新幹線列車の姿も見えました。
店の中はほぼ満席状態。どの席も外の景色を楽しめるようにくふうされています。天井は格天井。たしか、桜木町にあった奥田屋旅館が取りこわされたので、その古材を再利用したものだと聞きました。
ここで「ジネンジョの麦とろご膳」をいただきました。はじめに出された「ナマ野菜」はきわめてシンプルなものでしたが、野菜がもっている本来のウマミを思い知らされるものでした。麦飯のご飯、ジネンジョのとろろなども同様。この自然環境に身を入れると、目・耳など五官にたまっていたゴミが洗い流され、イノチのみずみずしさがよみがえってくるのかもしれません。
「故人の命日だというのに、生きのこった人間がこんなゼータクな思いをしていてよいのか」という考え方もあるかと思います。しかし美織さんの発想法は、そのギャクです。、「おばちゃんはいつも、おじちゃんが満足する食事づくりをイキガイとしていた。だから、こうすることが、おばちゃんの供養になる」と考えるわけです。いわれてみれば、結婚してから亡くなる直前まで、信子はずっとその基本姿勢で、わたしのイノチをささえてくれました。わたしが「食事がまずい」など、グチをこぼしてばかりいたら、信子は「何のために苦労したか」わからなくなり、いつまでも成仏できなくなるでしょう。
そこで、わたし自身も「おいしく食事をいただくこと。それがホトケの供養になる」と考えるようにしています。
さて、食事をすませたあとは砂町へ。Knkさんへ駐車場料金を納入、メガネのハラダで、先日注文したメガネを受領。
ホームへ帰ってみると、水野さんからみごとな花束がとどいていました。昨日は、わたしの一方的な長談義を聞いていただいただけだったのに、こんな花束をもらったりして…ただただキョーシュクです。
「悠学」第2号刊行
4月27日(金)。午後、茶屋町豊栄稲荷神社で、日本海文化悠学会例会。この日、会誌「悠学」第2号ができあがり、会員に配布されました、
第1号発刊から3年、予定どおり第2号が刊行されたことは、それだけでもすばらしいことです。おめでとうございます。かぎられた予算、かぎられた期間で、これだけ内容のある会誌を作りあげた編集委員のみなさま、ご苦労さまでした。
表紙の色をピンク色にしたこと、表紙うらを黄緑色にしたことなどについて、担当した佐藤芙美さんから、「第1号からの継続性とともに、新学期を迎えたような感覚も伝えたかった」との解説があり、なるほどと思いました。
問題は、作品の中味ですが、このあと時間をかけて読ませていただくことを楽しみにしています。
この日、五十嵐俊子さんと北河美智子さんから、掲載作品にかんする補足説明がありました。五十嵐さんのテーマは「越国の素環頭鉄刀」。北陸地方で出土した5遺跡6点の素環頭鉄刀について、綿密な調査報告をまとめておられます。
また、北河さんのテーマは「発見!埋められた銅鐸」。わたしとしては、当日補足説明資料として配布された「銅鐸の絵」の方に興味をひかれました。銅鐸の画面には、「狩人・シカ・トンボ・カニ・イモリ・スッポン(カメ)・カエル」などがえがかれ、一つの画面が一つの物語を構成していると思われます。それをどう読みとくか?銅鐸制作当時、これらの事物がどんなヨビナをもっていたか、たしかめることが必要。とりわけ、トンボについては、上代語にトンボというコトバの用例は見あたりません。『古事記』・『萬葉集』などの用例から見て、アキツと呼ばれていたことが考えられます。アキツは、「ア[阿]キ[杵]ツ[津]」(威力のあるキ[杵]と呼ばれる利器)という意味構造を持ち、ヲノ・マサカリ・ツルハシなどの利器のヨビナ。イタヤグシ[痛矢串](『記』神武東征)なども同類の利器(武器)かと思われます。
さらにいえば、アキツは英語ax(斧)などとの対応関係も考えられる語音です。ただし、いずれもイズミの仮説。学界の承認を受けたものではありませんが、さらに追究してみるのもおもしろいかと思います。
『ひらがなでよめばわかる日本語』
先日西田規子さんからSatieさんを通して、『ひらがなでよめばわかる日本語』という本をプレゼントされました。中西進著、新潮文庫。
まず、裏表紙のキャッチコピーを読んでみました。
(目・鼻・歯)も(芽・花・葉)も(め・はな・は)。太陽も焚き火も(ひ)…日本語はひらがなで考えると俄然面白くなる。漢字の影響を外すと日本語本来の形が見えてくる。言葉がわかれば人間がわかる。日本人の心はこんなに豊かだったのかと驚く。稀代の万葉学者が語る日本人の原点。『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』改題。
まえがきの部では、ずばり著者の言語観が語られています。
(日本人が日本人とは何かを真剣に考える場合)、知っていることばを洗いざらい取り上げて、日本人の正体をつきとめよう、ということでよいかというと、じつはそれは正しくありません。日本は歴史始まって以来、たくさんの外国語を受容してきたので、それらを
ごちゃまぜにして考えてみても、日本人の基本の考えは、出てこないからです。…そもそもの日本人の心を知るために、まず漢字を取り払ってみましょう。「は」とは、歯でも葉でもあるのですから、「漢字で書くと別だ」という考えを捨ててほしいのです。
次に、訓とおもわれるもののなかにも外国語があるので、それも除きましょう。「梅」は、音がバイ、訓がウメといっても、ウメはバイの訛ったものだから、ともに中国語なのです…。
(歯と葉と端は)、今日ではそれぞれ別物です。ところが、古代の日本人は同じものと考えたのだから、非科学的だ!といって怒る方もいるかもしれません。しかしそうではない。同じ立場や役割をもつものを一つの単語で呼び、ものとして、形態が違っていても区別しない、という考え方なのです。とかく、ものを分解したがる現代人にとってはびっくりするでしょうが、大事な考えではないでしょうか…本書を読まれる方々は、充分に挑発され,知の跳梁を求められるでしょう。どうか、そうしてほしいと願います。その結果、日本人の知のダイナミズムが見えてくるのですから。
このあと、4部門にわたって、著者独特の日本語論が展開されています。ここではモクジの一部だけを紹介させていただきます。
1 ひらがなで読めばわかる、自然界から生まれたことば
第1章 体のパーツ、なぜこうよぶの?…め・みみ・はな//ひたい・ほほ・かお//み・からだ・て//つめ//ち・ちち//け
第2章 人の一生は、草木の一生…もえる//さく・さいわい//さかり//なる//しぬ・しなえる//かれる (中略)
2 もう一度考えたい、たましいと対話することば
第1章 どうして命は尊いのだろう…いきる・いのち//いのちにむかう//たまきはる//たましい・こころ//いきのお//みたまのふゆ//ひつぎ (中略)
第2章 神とともにある暮らし…かみ//ほとけ//いわう・ねがう (中略)
3 知っていますか。日本人の考え方がわかることば
第1章 具体からはじまって抽象へ…もの//こと//とこ・つね//とき・ところ//かげ//うつし (中略)
4 誤解していませんか。日本語の基本ルール
第1章 音と訓とはなにか (中略)
第4章 失われた古代の発音
第5章 ことばは国境を越える
走り読みていどですが、一通り読ませていただきました。そして正直な話、ビックリしました。基本的な言語観の面でも、また具体的なヤマトコトバ(単語)の解釈の面でも、共感させられる場面の連続だったからです。
わたしは1970年に「象形言語説」を発表した後、仮説の検証作業や『現代日本語音図』(イズミ試案)作成作業などにおわれ、自分のまわりに「共通の言語観を持ち、連帯できそうな研究者」は見つかりませんでした。それが規子さんのおかげで、この本に出あうことができ、すっかりうれしくなりました。ありがたいことです。
中西さんは、有名な万葉学者であり、日本ペンクラブ副会長でもあるとのことですが、実は富山県「高志の国文学館」の館長さんでもあります。場所は、富山市船橋南町。ホームめぐみからの散歩コースにもはいっています。
残された問題
本のタイトル「ひらがなでよめばわかる日本語」は、文庫本本体の表紙では「ヨコガキ、1行」、背表紙では「タテガキ、1行」。ベタガキなので、正直なところヨミニクイです。その点、ブックカバーでは「タテガキだが、3行に分割」、「『ひらがな』だけ赤色印刷」などの方法で、ワカチガキ効果を演出し、読みやすくなっています。このことは、日本の文書表記法が時代おくれとなり、その場しのぎの状態になっていることを示しています。公式には、「文書はヨコガキ」と宣言しながら、新聞・雑誌・単行本の大多数がタテガキのまま。国語教科書もすべてタテガキ。部分的にでもヨコガキ教材をとりいれた国語教科書はゼロのようです。
朝鮮半島では、南北とも漢字という表意モジからハングルという表音モジに切りかえました。世界のなかで、漢字にたよっているのは日本と中国だけです。その中國では、中国語教科書をはじめ、新聞・雑誌・単行本などすべてヨコガキが主流になっています。そればかりか、小学校で漢字を学習するまえに、まずローマ字(音素モジ)を習得し、そのローマ字つづりをたよりに漢字の発音を習得できるようになっています。論より証拠。この政策を実施した結果、南と北の方言のちがいをのりこえ、共通語を中国全土にひろめることができました。それにくらべて、日本語の文書の現状はあまりにも保守的。このままでは、21世紀の競争世界で生きのこれる見通しがつきません。ぜひとも改革が必要です。
① なにより、まず「言語観」を切りかえること。コトバはオト(音声)がイノチ。具体的にいえば、数千にのぼる漢字をおぼえるというムダな作業をやめ、カナ・ローマ字など表音モジをつかい、耳で聞いただけで意味が通じるようなコトバで文章を書くことです。
② 国語教科書をはじめ、新聞・雑誌・単行本などのヨコガキを実行すること。
③ ワカチガキを実行すること。ヨコガキ文書のばあい、ひらがなのベタガキでは「ヨミニクイのでワカチガキを」ということになります。ところが、「単語のどこでくぎるか」、「ワカチガキの公式ルール」ができていないのが現状です。
④ パソコンや印刷機器の改善も必要。ワカチガキをするばあい、単語と単語の間隔を全角分あけると、かえって読みにくくなります。そこで英文用半角を利用してワカチガキの文書をつくることができます。しかし、そのさき、まだ問題がのこっています。たとえば、この原稿をブログへ転換しようとすると、途中で「全角」あるいは「改行」指示として処理されてしまうおそれがあります。これでは、ブログでのワカチガキは不可能となります。早急に改善を求められている問題であり、またやる気になれば、早期に解決できる問題だと信じています。
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