諏訪神社の鯉 10/22
社会人大楽塾 10/25
「慶寿会」(余興) 10/26
日本海文化悠学会 10/26
「富山マラソン」完走メダル
ハロウィンの昼食 10/31
富山城址 11/2
『古事記』を読む会 11/4
諏訪神社の鯉
10月22日(月)。郵便局まで出かけたついでに、諏訪神社の境内をのぞいてみました。ガマの穂を鑑賞するにはまだすこし早いようでしたが、泉水のほとりで水面をながめていると、錦鯉の群れがこちらのほうへ寄ってきました。ひょっとして、どなたか餌をあたえているひとがいるので、こんども餌を期待しての行動なのかもしれません。とたんに、先日のカモメと河童エビセンの光景を思いだしました。きょうは手ぶらできてしまって、ゴメンンナサイ。
社会人大楽塾
10月25日(木)。午後9fで「社会人大楽塾」開講。塾長の柳原正年さん、きょうは女性の方とお二人で登場。まずは「ワハハ」、「ありがとう」の発声練習からはじまり、やがて「ありがとう、あなた」、「笑いの手もみセラピー」、「里の秋」、「赤とんぼ」、「招き猫音頭」まで。
「長寿のひけつ」として、①笑顔、②歌う、③ありがとう、の3項目をかかげ、真正面からとりくみます。最初は作り笑いでも、じっさいに所作することによって、笑った時の記憶がよみがえり、「おもしろい」、「うれしい」気持ちになるというわけです。現実は老人ホームの7階や9階での生活で、めったに外出することもなく、「赤とんぼ」に出会うこともありません。きょうはこうして「歌を歌う」ことで、しばらく「里の秋」「赤とんぼ」の世界であそばせていただきました。
コトバはコト[事・言]のハ[葉・端]であり、カタリ[語]storyのワン・カットにすぎません。しかし、ウタ[歌]の文句となり、人の心をウツ[打]・ウツス[写・移]ことができるようです。
「慶寿会」に出席して
10月26日(金)午前、ホテルグランテラス富山で県教職員厚生会主催の「慶寿会」に出席しました。ことし2月に満98歳となりましたので、白寿の祝いをしていただけるということです。配布された名簿には白寿9名、卒寿168名、米寿205名、傘寿158名、喜寿194名となっていましたが、当日の出席者をみると、たとえば白寿の部ではわたし一人だけでした。そのわたし自身、指定された座席に座っているだけで精いっぱい。よそのテーブルまで移動して、酒をついで回るほどの元気はありません。それでも、何人かの方とひさしぶりにお会いすることができました。
開会まえの余興として、ソプラノ(広瀬美和)・フルート(諸見里亜由美)・ピアノ(小川麻衣)による合奏が披露されました。わたしは、音楽にかんしてまったくの門外漢ですが、3人の若手女性音楽家の演奏を見たり聞いたりしたことで、どなたのアイサツ以上につよい感動をうけました。
日本海文化悠学会
この日、午後2時半から、茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた日本海文化悠学会10月例会に出席。Mtさんから「戦国時代越中の抗争と七尾城・長連龍」について、くわしい研究報告を聞かせていただきました。ただし、わたしの歴史学習不足のため、「やたら複雑で、無意味な抗争をつづけた時代」という印象をつよくしただけで、いまひとつ「歴史の真実」をつかみかねていました。
あとで仙石さんのブログ(「山川旅人日記」18-10-28号)を拝読。さまざまな視点から見ること、また日本史全体の流れのなかの北陸版として考えることで、すこしだけ「実態」を捕らえかけた感じになりました。ありがとうございます
「富山マラソン」の完走メダル
10月30日(火)。午後2時から、女性スタッフの指導で機能訓練がありました。その訓練が終わったあとの余談として、28日に行われた富山マラソンにスタッフご自身が参加されたことを報告され、その完走メダルを見せていただきました(写真左2018年度、右2017年度)。参加定員12,000人、高岡市役所前から高岡大仏・海王丸パーク・新湊大橋・富山大橋・富岸運河環水公園をかけめぐる富山マラソンについては、新聞やテレビの報道で見たり聞いたりしてはいますが、老人ホームの住人としては、なんとなく別世界の話と感じていました。ところが、こうして「めぐみ」の女性スタッフが2年も連続出場し、完走メダルをもらっているという話を聞いたとたん、富山マラソンが身近なものに感じられてきました。
ハロウィンの昼食
10月31日(水)。きょうはハロウインの日だということで、お昼のご膳に「カボチャのクリーム煮」、「焼き栗コロッケ」、「ほうれん草のゴマ和え」、さらに「ハロウイン・デザート」まで並んでいました。ごちそうさま。
日本人はもともとマツリが大好きで、ヤオヨロズ[八百万]の神をまつっていたといわれています。それだけでも大変なのに、そのあと仏教やキリスト教が伝来するとともに、つぎつぎあらたなマツリが追加されています。この現象をどう考えたらよいでしょうか?「特定の神や仏を祭らない」ということは、「独自の宇宙観・人生観を確立できていないから」と解釈し、「もっと学習すべき」と考える人もいるでしょう。あるいは「真実は一つにまちがいないが、上下左右、どんな視点から見るかによって、さまざまな映像やコトバが生まれる。どの映像・コトバだけが正しいとは言えない」と考える人がいるかもしれません。
参考までにネットで調べた解説の一部を紹介します。
ハロウィン…毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
キリスト教の祭ではない。ハロウィンに対しては、本体キリスト教にとっては異教徒の祭りであったことから、キリスト教教会においては、容認から否定まで様々な見解がある。
ケルト人といわれれば、青銅器時代から鉄器時代初期にかけて、鉄製武器を身に着け、馬に引かれた戦車に乗って、中央アジアの草原からヨーロッパへ渡来した「騎馬民族」の姿が連想されます。いまのアメリカ人はあらかたキリスト教徒でしょうが、ハロウインはキリスト教に改宗以前、遠い祖先が行っていた祭りのなごり。日本でいえば、仏教伝来のまえ、列島各地でヤオヨロズの神が祭られていた、その一つということでしょうか。
富山城址まで散歩
11月2日(金)。午後2時から「機能訓練」の予定でしたが「中止」となり、そのかわり入居者数人のための「散歩」が実施されました。「めぐみ」を出て東へ、丸の内1丁目の交差点を渡ると、すぐ目のまえに「富山城址」が姿を見せてくれます。このあたりは、砂町の自宅への行き帰りなどで見なれているのですが、それはクルマの窓からながめて、通りすぎるだけ。自分の足で歩きまわり、お堀にうかぶカモの群れをながめたり、すきな場所から「富山城址」をスマホのカメラにおさめたりしたのは、これがはじめてです。
ふりかえってみると、5月中旬に散歩の途中熱中症でたおれたことがあり、その失敗にこりて, そのあと自分一人で散歩に出かけたことがありません。こんどはホームのスタッフが二人つきそっての散歩なので、安心して歩きまわることができました。
『古事記』を読む会
11月4日(日)。午前10時から茶屋町豊栄稲荷神社で『古事記』を読む会の研修会に出席。この日は、イズミが「ワ・ワタ・ワタル・waterの系譜(メモ)」と題して報告・提案させていただきました。
今回の報告は、昨年あたりまで追求してきた「ヤ行音の系譜」につづくものです。ヤ[矢・屋・家・谷]・ヤム[病・止]・イム[忌]・イル[射・入・容]・ユミ[弓]・ヨル[寄・依・因・夜]などのヤ行拗音語を採集・比較・分析したうえで、「ヤ行音の系譜」についていちおうの結論がえられたと考えています。その一部を『コトダマの世界Ⅱ』最終章に組みこんでおきました。
その「ヤ行音の系譜」をたどる作業が一段落したとたんに気がついたのが、「ワ行拗音ワ・ヰ・ヲの系譜」の問題です。ヤマトコトバの音韻組織を考えるための資料とされる「五十音図」には、カ行音・サ行音などとならんで、ヤ行音とワ行音というがワク[枠]が設定されています。縄文時代以来、日本人がヤ[矢]・ユミ[弓]などをたよりに生活して来たという歴史があり、またその技術用語などとして、「ヤ行音語の系譜」が形成されたという事実経過が確認されたからこそ、「五十音図」にヤ行音のワクが設定されたのだと考えられます。
もしそうだとすれば、ヤ行音だけでなく、ワ行音についても同様な歴史経過があったことが推定されます。さっそく、ヤ行音の系譜追求の経験を生かして、ワ行音語の採集・比較・分析の作業をすすめることにしました。
作業は、予期した以上順調にすすんでいます。まずはワ行拗音語の採集ですが、さしあたり上代語として用例のあるものに限定して取りあげます。単音節語としてワ[輪・曲・勾・吾]・ヰ[井・堰・猪]・ヱ[画・絵]・ヲ[雄・男・夫・峯・尾・紐・緒・絃・麻・苧・小]などがあります。
ここで、ワ・ヰ・ヱ・ヲなどの音形がどうして[輪・井・絵・尾]などの意味(事物の姿)と結びつくのか、きちんとチェックしておくことが必要なのですが、いまはそれだけのヒマがありません。ただ、ワwa音についていえば、発声したときの口形がひとりでにワ[輪]の姿になっているので、だれでもワwa音を耳にしただけでワ[輪]の姿を連想することができます。また、ワ[吾](代名詞。一人称)については、日本語だけでなく、現代漢語音で[吾wu]・[我wo]、現代英語音でwe[wi:]( 代名詞。一人称、複数。われわれ)などの用例があることも参考にすべきでしょう。
ワ行音の基本義をさぐるためには、ヰ・ヱ・ヲはいずれもワwaの語尾母音の交替形だと割りきって考えるのも悪くないと思います。また、ワ行音の原点という意味で、単音節語ウ[鵜・居・座・得]なども、同類としていっしょに考えるほうがよいと思います。たとえば、上代語の動詞ヲス[食](四)は「食う。飲む。②着る。③治める」を意味する尊敬語ですが、それはもともと「食品(=ヱサ[餌])をエル[得](下二)」行為であり、その時の姿勢をウ[居・座](上二。居る。すわる)と呼んでいます。そして、水辺でじっとウズクマリ、ヱサをねらっている水鳥がウ[鵜]と呼ばれています。
ついでに、ヤ行音とワ行音が表わす基本義のちがいについて考えてみました。いずれも拗音ということで共通点もおおいのですが、どちらかといえば、ヤ行音は「点と線」、ワ行音は「線と面」の姿といえそうです。いまどきヤ[矢]といえば、「ヤジリ[鏃]+ヤガラ[矢柄]」の構造をもつ「飛び道具」ということにきまっていますが、本来は「イム[忌・斎]・イユ[癒]・イル[射・入]」 ためのハモノ[刃物](黒曜石・十勝石など)の意味でした。それがやがてエ[柄]をつけて、「飛び道具」に変身、さらにユミ[弓]という発射装置をもつことで威力をますことになりましたが、全体としてやはり「点と線」のイメージがつきまとうようです。その点、ワ行音のワ[輪]・ワカ「若」・ワキ[脇]・ワク[枠・湧・分]・ワケ[別]・ワナ[罠]・ワタ[綿・腸・海水]・ワタル[渡]・ワタス[渡]などは、いずれも「曲がる。別れる」、「曲線」、「面」のイメージをもっているようです。
ヱ[画・絵]については、「もともと漢語音であり、ヤマトコトバとは認められない」とする説もあり、議論が複雑になります。かりに漢語音の借用だとすれば、漢語ではどうしてヱwe音がヱ[画・絵]を意味することになったのかという問題がのこります。ここで漢語のwa音語について議論しているヒマはないのですが、ひとことだけ解説しておきましょう。日本語ワに当てられた漢字リンliuen輪lunは、「車+音符liuen侖lun」の会意兼形声モジで、「幅のそろった車輪」の意味。リン[倫](そろった人間関係)・ロン[論](そろったコトバ)などと同系。上古音としてwe音を共有することから、wa音をもつワ・uar窩wo(あな。むろ)、グワgua瓦wa(かわら)などをふくめて、「語尾母音交替の関係」として考える方法もあると思います。漢語リン[輪]の用例をみても、「輪形・輪作・輪読・輪番・日輪・年輪」など、車輪にかぎらず、「円形をしたもの」、「順序よくめぐる」姿を表しています。
4日に発表した内容について紹介する予定でしたが、話が脱線してしまい、申しわけありません。「ワ行音の系譜」については、ご報告したいことが山ほどありますので、次回もぅいちど取りあげさせていただきます。
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