雪が積もりました 12/29
カルタとり 1/2
三味線の会 1/7
音の会 1/9
初釜 1/10
雪が積もりました
12月29日(土)。朝起きてみると、昨晩雪が降って、あたり一面まっしろになっていることがわかりました。朝食のあと、ホームから数十メートル先の十字路あたりまで、雪の状態を見にいってきました。あまり「寒い」という実感はないのですが、写真でごらんのとおり、まとまった量の雪が積もっていました。市街地の道路には融雪装置もあり、いずれ2~3日中にはすっかり消えてしまうでしょうが、「富山に冬が来た」と実感させられました。
昨年ホームへ入居してから、ビルの7階で一人暮らし。食事・入浴・リハビリ、週1回の内科検診まで、すべておなじビルの中で済まされ、めったに外出しません。安全で便利なことはたしかですが、そのかわりシャバの空気が読めません。たまにこうしてビルの外へでてみることで、ようやく季節の変化を実感することができました。これでようやく、東京などから雪見舞いの電話をいただいた場合、あまりピンぼけした応対にならないですむかと思います。
あけまして、おめでとうございます!
1月1日(火)。午前10時すぎ、東京からitkさん夫妻が来訪、ていねいな新年のごあいさつをいただきました。信子の姪itaさんの次男で、通信機器関係の仕事をしておられるとのことで、わたしのブログのやり方を点検し、助言をいただきました。
そのついでに、わたしが日ごろかかえているナヤミについて相談してみました。「自分のブログで、漢字・カナ・ローマ字まじりでワカチガキの文章を作りたいが、うまくゆかない。なんとかならないか?」 「せっかくワードの半角スペースを使い、ワカチガキの原稿を作っても、ブログに切りかえたとたん、半角スペースの部分で改行されてしまい、ワカチカキにならない」という実態についての相談です。
itkさんのこたえは悲観的なものでした。いまのブログは、英文(ローマ字文)のワカチガキはできるが、漢字まじり文のワカチガキはできないシステムになっている。あらたなシステムを開発するには、それなりの研究開発費と年月が必要になるが、いまのところ、業界で問題として取りあげられている気配はないとのことでした。ざんねんです。
業界としては、採算が取れない商品を作るわけにはゆかないということでしょうが、そこまでゆけば、日本の文科省当局や国立大学や国立国語研究所などは、いったいどう考えているのだろうかという問題になると思います。
そもそも、日本の国語教科書にヨコガキの文章がひとつも採用されていないという実態が「時代おくれ」の証拠なのですが、文科省当局にその自覚がないとすれば深刻な問題です。
韓国も北朝鮮も、数十年まえに漢字をやめてハングルにきりかえ、国語教科書をはじめ新聞・雑誌まで、すべて左ヨコガキにしました。よくよく考えたうえでの判断です。
いま漢字をたよりに文書を印刷しているのは、世界中で日本と中国だけです。その中国では、数十年まえに「簡体字」を制定し、漢字の徹底した略字化をはかりました。コクモツ[穀物]のコク[穀]を同音のコク[谷]と表記するなど、日本人にはすこし違和感があるかもしれませんが、中国語の音韻感覚では、それでスッキリ意味がとおり、なんの違和感もありません(実は、ヤマトコトバでもおなじ感覚。石や板などの固いものではさみ、コク[扱]・シゴク姿です)。
また、「簡体字」と並行して「中国式表音ローマ字」を制定し、小学校入学と同時にまずローマ字つづりを習得、そのローマ字つづりによって漢字のヨミカタ(全国共通語音)を習得できるようにしました。つまり、ローマ字という表音モジを使うことによって南北方言のちがいをのりこえ、義務教育の課程を終わった段階で、ひとりのこらず全国共通語(北京語)を話せるようになったわけです。
さらにいえば、中国式ローマ字を制定したかげに、「ローマ字つづりを武器として、やさしい中国語を全世界にひろめる」という世界戦略が準備されています。最近日本各地で見られる「孔子学院」なども、その一環といえます。
それにくらべて、日本でも小学校でローマ字を習得させることになっていますが、それはカンバンだけの話。「習得できている」といえる実績がありません。そもそも公式の「日本式ローマ字つづり」さえ確定したとはいえない現状ですから、教育現場でも「ナニをドウ指導すればよいか」迷うのがあたりまえでしょう。
junさんのお宅拝見
11時過ぎ、mioriさんのクルマで藤木家へ向かいました。といっても、じつさいおうかがいしたのは、藤木家の次男junさんの新居。ここで藤木家一同そろって会食するので、その席へわたしも呼んでいただいたというわけです。
男ばかり3人兄弟のうち、長男と3男はすでに結婚して子供もいますが、junさんだけは40歳代にはいって、いまだに独身です。北日本新聞の地区販売店の次男として生まれ、家業にとって大きな戦力となっているようです。junさんの家を訪問したのははじめてですが、本家(販売店)とも近く、通勤に便利、1~2階の部屋の配置や設備などを見ても、本人の個性や趣味が反映していることがわかり、ビックリしました。とりわけパソコンや音楽関係の機器についてくわしいようで、これまで何回か、わたしのsosにこたえて、パソコンを見に、ホームめぐみまで来ていただいたことがあります。
なにもかもそろっていて、申し分なし。足りないものは、ただ一つ。みなさまのまわりに、彼のパートナーになっていただける女性がおられないでしょうか?その彼女が、「こんな部屋がほしい」といわれたら、さっそくその希望を受けいれてくれるだけの「やさしさ」も彼は持ちあわせているはずです。
見通しがつかない時代
藤木家の会食で、お酒もすこしいただき、お正月のごちそうで、おなかが満腹状態。ホームめぐみへもどったのは、午後4時すぎでした。6時には夕食がまっています。食べ残しをすると、スタッフの方がいろいろ心配されることを考え、かなりムリをして、どうにか完食しました。
夕食後、やっとすこし落ちついたところで、さて新年・2019年はどんな年になるだろうかと考えてみました。
ことしは、平成天皇退位の年。この4月には、元号も平成から次の元号に変わり、新たな時代をむかえます。ここで、さっそく一つ問題が出てきます。元号とは、もともと君主主義時代の遺物。明治-大正・昭和までは別として、民主主義をとなえる日本国にとって、元号は有害無用の存在です。せっかく世界共通のコヨミがあり、日本でも便利に通用しているのに、わざわざ日本国内だけにしか通用しないコヨミをつくる必要があるのか?元号が好きな人たちが集まって、仲間うちだけで元号をつかうというのなら、どうぞご自由に。ただし、元号を法令で権威づけ、全国民に強制しようというのは、話のスヂミチがとおりません。メートル法になれた人たちに、あらたな尺貫法改訂版を押しつけるような暴挙であり、民主主義に反するというほかありません。
さらにおかしな点があります。こんどの改元にあたって、「元号制度の是非」について、さいごまで、ほとんどなんの議論もおこされなかったこと、そしてそのあいだに、正体不明の「専門家」たちによって新元号名などが準備されており、ドンヅマリに新元号名が発表されても、あとは「問答無用」の状態がつづくと考えられること。つまり、すべて「君主主義の亡霊集団」の手もとで作成されたシナリオどおりに芝居が進行しているようにおもわれてなりません。わたしのカンちがいでしょうか?
また、沖縄基地・北方領土・拉致問題・憲法改正などは、このさきどんな展開をみせるでしょうか?政治にかんしては、安倍総理の健闘に期待したいところですが、日米安保条約との関係もあり、トランプ大統領の出現で、いつ・どこで戦争がはじまるか、見通しがつきません。安倍総理に「白紙委任」というわけにはゆかないようです。
トランプ大統領の言動が世界の常識からはずれているせいで、中国の習近平主席のほうが比較的常識のある行動をしているように見えるというのも皮肉な現象ですが、その中国も一党独裁・個人崇拝、あるいはチベット問題など、深刻な問題をかかえているようです。
こうしてみると、日本にかぎらず、世界中どこもかしこも「見通しがつかない」状態がつづくということでしょうか?
ピンチこそ、チャンス
新春早々、なるべくあかるい話題からと思っていたのですが、ぎゃくにグチをこぼしたみたいに聞こえたとしたら、ごめんなさい。ほんとうはグチなどこぼしたつもりはありません。わたしはこれまで半世紀あまり、日本語と漢語・英語との音韻比較をつづけるなかで、日本語は「人類のコトバ」として、「すばらしい言語組織をもつ民族言語の一つ」だと自信をふかめています。また、この民族言語を守り育ててきた日本民族の能力もすばらしいものだと信じています。
ただし、わたしがとらえている日本語(ヤマトコトバ)とは、もともと奈良県ヤマト地区の一方言にすぎなかったものが、つぎつぎまわりの地域の言語をとりいれ、やがて日本列島全域にほぼ通用する民族言語にまで成長したもの。つまり、民族言語として成立した当初から(ヤマトコトバを核とした)チャンポン語でした。
自分たちの民族言語について自信を持つことは必要ですが、ただおめでたいだけの「はだかの王さま」になってしまってはおしまいです。長所には、短所がつきもの。日本語は、ヤマトコトバを核として、漢語・英語およびその他の外来語を取りこみ、世界規模でゆたかな民族言語にまで成長しました。しかし、そのかげで、たくさんの同音異語を生みだしたことも事実です。そのため、パソコンで文書をつくる場合など、転換ミスに気づかないまま発送されることもすくなくありません。同音異語の印刷ミスが多発すると、コトバの流通回路に脱線・転覆のような事故がおこり、民族言語としての資格がなくなるおそれがあります。いまのうちに、根本的な改革が必要だと思います。ピンチこそ、チャンス!かなり困難な作業ですが、みんなでよく相談し、体制をととのえてとりくめば、かならず成功すると信じています。
カルタとり
1月2日(水)。午後、カルタとりに参加。小人数(4人)で、トランプやいろはカルタを楽しみました。トランプでは「7ならべ」と「ババぬき」をやりましたが、なんべんやっても、わたしがビリの成績。「7ならべ」では、全員等分に配布されたカードの中から7のカードをぬきだしてテーブルにならべ、あとは席の順番に(テーブル上のカードにつづくカードを所持していれば)、1枚ずつ出してつないでゆきます。そして、最初に手持ちカードがゼロになった人が優勝となります。あいにく該当する番号のカードがなければ、パスすることになり、手持ちカードが残ったままです。作戦としては、手持ちカードのうち、7に近いカードをキープして、まわりを牽制する方法がありますが、いまのわたしにそこまで計算・判断する能力はありません。
いろはカルタの場合は、むかしおぼえた「コイの滝のぼり」、「ハナより団子」などの文句がそのまま並んでいたので、その記憶をたよりに、ひとりでに手が飛び出してゆきました。ここでも、コトバのハタラキについて、いろいろ考えさせられました。
三味線の会
1月7日(月)。午後2時から、9fで「三味線の会」。いつものとおり男女お二人で登場。きょうは「仕事はじめの日」ということで、まずは郷土民謡「こきりこ節」にはじまり、「黒田節」、「もういくつ寝るとお正月」、「花笠音頭」、「北国の春」など、新春むきの歌がつづき、さいごは「八尾おわら節」。男性の歌と三味線にあわせて、女性のおどりも披露されました。
音の会
1月9日(水)。午後2時から、9fで「音の会」に出席。曲目は、正月にちなんで「一月一日」、「富士の山」、
「黒田節」、「会津磐梯山」、「北酒場」など、「めでたい・たのしい」ものが選ばれていました。出席者全員に2本ずつバチがわたされ、歌にあわせてバチをウチアワセル(リズムをとる)ことのたのしさが感じとれるようになっていました。
歌や音楽にかんして、わたしはまったくの音痴でしたが、この要領でやってみることで、「リズムにのる」ことはなんとかできそうです。つぎはメロディの問題。たとえば「一月一日」、「富士の山」というタイトルを見ただけでは、あまりピンとこないのですが、「年の始めのためしとて…」、「あたまを雲の上に出し…」などの歌詞を見せられると、たちまちそのメロディが思いだされます。また、「黒田節」の歌詞を読んで「北酒場」のメロディで歌いだすということもありません。アタリマエといえばアタリマエのことですが、フシギな現象だなと感心してしまいました。
考えてみると、ウタ[歌]は動詞ウツ[打]の名詞形。相手の心にむかって「ウツ・ウチカカル」文句がウタです。コトバはもともと、鉄砲玉とおなじ飛び道具。話し手の口から飛び出し、音波となって宇宙空間をとびわたり、聞き手の耳をキックするスグレモノですが、
「ハナス[放・話]」から「キク(聞。kick)」までは一瞬のこと。どう聞こえたかたしかめるヒマもなく、音声そのものが消えてしまいます。
歌のコトバヅカイには、作詞した人の思い(感情・願いなど)がつづられています。その思いをもういちど音として復元するものがリズムやメロディだと考えればよいのかもしれません。ホームへ入居して、毎回三味線や歌を聞かせていただいたおかげで、ようやく歌のリズムやメロディのおもしろさに気づかされた感じがします。おはずかしい話ですが、うれしいです。
初釜
1月10日(木)。午後9fで「初釜」のもよおしがありました。わたしはお茶の作法を習ったことがないので、すこし迷いましたが、「気楽なままでよいから」とすすめられ、出席することにしました。はじめにひと口、甘いものをいただき、お師匠さんが立てられたお薄茶を、ゆっくりかみしめるようにして飲みこみました。お菓子の甘みとお茶のほろ苦さがからみあい、しばらくのあいだ、正月らしいゆったりした感じにひたりました。ホームに入ったことで、つぎつぎこうしたボランティア活動のサービスをうけるのは、一つ一つがよい思い出づくりになります。ありがたいことです。