社会人大楽塾 1/15
カラオケ 1/17
諏訪神社 1/22
護国神社、A 1/23
同上、B 1/23
悠学会・新年会 1/25
nmtさんからメール
1月14日(月)。nmtさんからメールがとどきました。
…お元気そうで何よりです。お会いしたいと思いながら、年が明けてしまいました。
ねんりんピック、太極拳で、開会式のアトラクションに参加しました。そのため去年は、春から秋までバタバタしていました…百歳目指してください…
nmtさんは、ン十年むかし、わたしが勤めていた中学校の女子生徒さんです。体育会系で、いつ会っても元気いっぱいの彼女が、今度はいつ会いに来てくれるか、楽しみにしています。
社会人大楽塾
1月15日(火)。午後9fで「社会人大楽塾」がもよおされ、出席しました。前回とおなじ女性の方がリーダーとなり、「一番はじめは一の宮」、「踊る七福神」、「隣組」などの歌にからめて、「ありがとうございます」というセリフをとなえ、「ワッハッハ」というワライを演ずる形式で進行されました。
老人ホームでは、とかく身体機能のおとろえから病気や死の問題を考える機会がおおく、暗い気分になりやすいので、その応援団として「大楽塾」の活躍はたいへんアリガタイことです。ただ、ひと口に「身体機能」といっても、一人ひとり実態がちがい、どんな対応策がよいか考えるのに、いろいろ苦心しておられることと思います。
「一番はじめは…」の歌は、明治時代から歌いつがれてきた手まり歌・お手玉歌・わらべうたの一つで、この日示された歌詞はつぎのようになっていました。
一番初めは一宮。二は日光の東照宮。三は佐倉の宗五郎。四はまた信濃の善光寺。五つ出雲の大社。六つ村々の鎮守様。七つ成田の不動様。八つ八幡の八幡宮。九つ高野の弘法様。十で東京の招魂社(二重橋)。
なお、歌詞の内容(固有名詞)は、歌われた地域や時代によって交替しているようです(一の宮は全国各地に存在。また、三は讃岐の金比羅さんなど)。招魂社(靖国神社)と二重橋のどちらを歌うか、それをきめるのも時代感覚のちがいでしょう。
いずれにしても、ここで歌われているのはお宮さんやお寺であり、歌っているのは「てまりをつくワラベ」たち。壮年期から還暦をすぎてワラベ状態にもどった高齢者たちが、「介護者の苦労」、「神仏の加護」を感じとり、念仏をとなえたり、「アリガタヤ」と口走ったりする姿と一致します。ただし、この場面で、口元がわずかにホホエムことはあっても、大口をあけてワッハッハとワラウことは考えられません。
それにくらべて、「踊る七福神」の歌は、すこしちがった感覚です。歌詞は、ほぼつぎのとおり。
めでた、めでたい、めでたいな、めでたいな
福が来た来た、福が来た来た、みんなにも、七福神と宝船、
商売繁盛えびす様、出世開運大黒様、
弁天さまの歌声で、七福神が舞い踊る
踊れ、踊れ、踊れ、踊れ…
「一番はじめ…」はワラベたちの歌であり、また高齢者がしずかに口ずさむ姿ですが、「踊る七福神」は「商売繁盛・出世開運」をなしとげた壮年期の大人が大声で歌い踊る姿です。元気で、喜びにあふれ、ワハッハと高ワライする声が聞こえてきそうですが、それは七福神といっしょになって(対等の立場で)ワラウものであり、ワラベ歌が示すツツマシサが感じられません。そういった点で、この歌はホーム住まいの高齢者の心情にピッタリの歌とはいいかねます。また、2019年の日本や世界の現状と照らしあわせてみても、同様の結論になりそうです。
ワラウことが心身ともプラスになるということは、よくわかります。しかし現実問題として、「どんなワライをえらぶか」、「どうしたらワラエル(笑ってもらえる)か」考えはじめると、いっぺんにむつかしい話になってしまいます。
わたし自身は、「むつかしい話を聞かされたら、話のスヂミチがワカルまでしらべる。しばらくは、イキをひそめたまま。ワカリすぎたと感じたとたん、緊張がとけ、ひそめていたイキが口からフキだし、ワラウことになる」と解釈しています。
ついでにいえば、ワラウの歴史カナヅカイはワラフで、「ワラ+フ」の構造。ワラ[藁]は、イネ・ムギなどの茎を意味する名詞で、切り口が割れたワ[輪]の姿を表わしています。そのワラに接尾語フ[生]をつけて再度動詞化したものがワラフ。肺にたまっていたイキ[息]が
ノド(=細いクダ=ワラ)を通って口からフキだす姿です。
「隣組」歌詞は、つぎのとおり。
とんとん とんからりと 隣組
格子(こうし)を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり…(以下省略)
1940年(昭和15年)6月17日にNHKラジオ『國民歌謡』として放送され、戦時体制のもとで組織された「隣組」を宣伝啓発するため、隣組の利点などが歌われています。敗戦で隣組制度は廃止されましたが、メロディーが陽気なので戦後も歌われ、『お笑い三人組』(NHK総合テレビ)の主題歌や製薬会社CMソングの元歌などとして、ごく最近でも利用されています。
この歌の歌詞の中に直接ワラウ場面は見あたりませんが、現実はオワライ番組とふかい縁があったようです。そういえば、この歌がうまれた時代も現在も、「見通しがつかない時代」という点では共通しています。その「不安」をワライとばすため、ひそかに(さりげない顔で)オワライ番組をもとめていたのかもしれません。
カラオケの会
1月17日(木)午後、9fで「カラオケの会」が開かれました。「青い山脈」、「まつり」、「北国の春」、「先生」、「川の流れのように」、「上を向いて歩こう」、「天城越え」、「高校三年生」など、昭和時代の歌を中心に、ひとりひとり好きな曲をえらんで歌っていました。わたしも歌を聞くのは好きですが、自分で歌うのはニガテです。とくに最近は、歌うどころか、普通にしゃべりたいと思っても、すぐにカスレ声となり、ウルオイがなくなります。ウガイをしたり、自己流で発声練習をしたりしていますが、まだ効果が出ていません。
なくなった信子が美空ひばりのファンで、LP盤やドーナツ盤のレコードを数十枚買い集め、しょっちゅう聞いていたのをおぼえています。
諏訪神社の冬
1月22日(火)。午後、郵便局まで出かけた帰り道、ひさしぶりで諏訪神社の境内に入りました。鳥居だけはりっぱな大鳥居ですが、境内に一歩ふみこんだとたん、「やっぱり…」と感じ、ガッカリしました。
ふつうお宮さんにお参りするときは、なにはともあれ、まず拝殿まで直行し、お賽銭を上げ、二礼・二拍手・一礼の要領でお参りをすませ、そのあとゆっくりと泉水や樹木を鑑賞することになります。ここで、「賽銭を上げ、頭をさげる」行為は、神への「信仰告白」であると同時に、神への信仰をさらに一段深めさせる演出効果もあるようです。
ところが、この諏訪神社では、そういった「お宮さん」らしい雰囲気がまるで感じられません。大鳥居をくぐると、すぐ手前に角ばった池がありますが、これは、(前に指摘したとおり)もともと「消防車用の貯水池」として設定されたものであり、庭園としての泉水ではないとのこと。それでもこのまえ立ちよったときは、錦鯉の集団がおよいでいて、人の気配を感じて寄ってきてくれました。この日は、その錦鯉の姿も見えません。冬のあいだ、どこかへ移動したのかもしれません。どす黒い水面が広がって見えるだけでした。
池の片すみに、ガマ[蒲]の茂みが目に入りましたのでスマホのシャッターを切りましたが、この写真では、やせ細ったガマの穂が1本つき立っている姿が分かっていただけるでしょうか?どうも、迫力が足りませんね。
いちばん奥に拝殿があり、サイセン箱があるわけですが、ここでは、その存在感がほとんどゼロです。日本のお宮さんでは、やはり拝殿の正面にサイセン箱がデーンとかまえているほうが迫力があると思います。わずかながら、サイセンをささげる。そのかわりカネ[金]では買えない「生きぬく力」をさずかる。その「奇蹟」をウミ出す場所がお宮さん(神社)だと考えられるのですが、いかがでしょうか?
富山県護国神社
1月23日(水)。午後、mioriさんのクルマで、加納耳鼻科へ連れて行ってもらいました。ミミ・ハナ・ノドなど検査していただきましたが、ほぼ異常なしとのことで、安心しました。
検査を受けるまでの待ち時間ゼロ、検査も順調にすすみ、すこし時間の余裕が出てきましたので、ついでに磯部の護国神社をたずねることにしました。
訪問先に護国神社をえらんだのは、格別の理由がありません。ただの偶然です。できれば、ブログにのせられるような写真がとれればありがたい。ただし、前日たずねた諏訪神社の例もあり、いまは冬の真っ最中だから、「みどりの若葉」、「ピンクのさくら」みたいなものを注文すること自体がまちがっている。そう考えたうえで、「近所にあって、平生立ちよっていないところ」として、護国神社がえらばれたわけです。
大鳥居をくぐって、一歩境内へふみこんだとき、すぐに「ここは、諏訪神社とはチガウぞ」と感じました。境内の広さも関係しているかもしれませんが、拝殿や社務所のたたずまいや松・桜など老木の配置などをながめているだけで、「人間や動物・植物の生命力」が「ウズを巻いて、押し寄せてくる」姿を見せつけられる思いがしました。
そしてそのあと、期待していなかったご利益をさずかることになりました。境内の一画に
「ピンクの花」をかざしている樹木があることに気づき、さっそくスマホのシャッターを切りました。学習不足のわたしには、花の種類がわからなくて、申しわけありません。いまどき、サクラにしては早すぎるし、モモでしょうか、それともウメでしょうか?あとで、ネットで調べようとしたのですが、「…庭園には様々な桜の木が植えてあり、春になると満開の桜がとても綺麗…」と解説されていましたが、それ以上くわしい解説は見あたりませんでした。
悠学会例会と新年会
1月25日(金)。午後、千代田町の丸十さんで日本海文化悠学会の例会と新年会がひらかれました。例会では、山口悦子さんが「野積谷の鉄の話」と「越中稲荷神社のお化け燈籠」について報告されました。いただいたレジュメから要約してご紹介します。
野積谷の鉄の話…跡地を訪ねて
はじめに
近世の野積谷で、藩主懸りの鉄山開発が2度あったことについて、『富山県史』では、その実態は明らかではないとしている。さらに、高安家は第2次を否定している。現地を訪ねて検証してみたい。
Ⅰ.開発の記録
1. 記録
(A)『野積村誌』…万治3年、前田利次公野積谷山中、東布谷・(東)川倉・(東)松瀬・猟師ヶ原などに鉱山を発見し盛んに採掘…成績かんばしからず、漸次衰弱…宝永二年、正甫公、利次の遺志を継ぎ、民間に採鉱を奨励し、本村に再び採掘をはじめしが、得るところ少なくついに廃滅に終れり。
(B)『卯花村誌』…茗ケ原地内鎌ケ谷と称する山中の小盆地に金吹場あり、野積谷より鉱石を山越しに運び…
(C)『宝永二年覚書』…高安豊助(12代)のメモ。鉱山開発の職人を雇うため、西国へ2度出かけ、約束を取り付けたときのもの。
(D)『高安家の昔物語』(高安周吉著)…藩主の正甫が宝永3年に死去しており、この事業も頓挫したのは惜しい事であった。(但馬から)職人は来たけれど開発はなかった。
2.豊助の足取り…宝永2年、高安豊助が藩主(正甫)の命を受け、西国へ上り、鉱山師5 人(弥右衛門ほか)を雇い、9月に帰宅。同3年、再度西国を廻り、来春参る約束を取り付け、3月14日に覚書を作成(4月19日、藩主正甫が病死)。翌4年3月21日(3代藩主利興の時)、新規の職人25人を雇い、帰宅(合計30人の体制)。
…まとめていえば、宝永2年の5人は見分けのための先発隊であり、同4年の25人は本隊である。合計30人の鉱山師が但馬から越中積谷へやって来たのは、採掘可能であったからこそである。
(以下省略)
実は、ここまではまだ序の口で、このあと「現地調査、聞き取り」、「鉱山開発・操業の実態」、「開発の背景(富山城の修復と城下町づくり)」などについて解説し、「まとめ」の項で
…藩主懸りの鉄山開発が2度もあったことは、たしかである。ところが、開発の期間は短かった。その要因は、いずれも資源(砂鉄)の枯渇である。加えて、森林資源枯渇もあろう。
と指摘されました。
ていねいに解説していただいたおかげで、門外漢のわたしでもナルホドと納得できました。ありがとうございます。そのあとの「越中稲荷神社のお化け燈籠…ワシは鬼門除けじゃー」の解説も、楽しく聞かせていただきました。
例会のあと、引きつづき新年会が開かれ、丸十さんご自慢の料理をごちそうになりました。平生ホーム「めぐみ」では、お酒とは縁のない生活がつづいていますが、こうした場面では、「お酒もすこしだけ飲んでみようか」という気分になります。すきなだけしゃべって、すきなだけ飲み食いして、お正月気分にひたりました。そして最後は、五十嵐俊子さんのクルマに便乗、丸の内のホームまで送っていただきました。
日本語の系譜(第1回)
これまで、「象形言語説」の視点から、日本語の音形と意味との対応関係を中心に、あわせて漢語・英語の音韻組織とも比較しながら、「人類語の一つ」として日本語音の実態調査をすすめてきました。
ごく最近の調査では、「ヤ[矢・屋・谷・哉]の系譜」をさぐる中で、人類が弓矢にたよって生活してきた歴史の証言を見せつけられた思いがしました。また、そのあとつづいて「ワ・ワナ・ワタ・ワタルの系譜」にとりくむことになり、「弓矢」とならぶ武器・利器として「ワ[輪]・ワナ[罠]にたよる生活」という歴史事実を確認させられました。ワナについては、「ワ[輪]の形をしたナリモノ」ということでワカリやすいのですが、ワタ・ワタルについては、どうしてワ音がタ音と結びつくのか、すぐにはワカリません。ワタツミが「ワタ[海水]の神」と解釈できることから、ワタ[海・水]=安定した形がなく、トラエにくいもの=ワタ[綿・腸]と解釈できることに気づきました。もっと単純に、ワタ=ワ[輪]+タ[手]=輪の形をした手(手段・方法)と解釈したほうがよいかもしれません。そういえば、水の最小形シズク[滴]は、まるい輪の形をしています。
ワタ音の意味からワタル音の意味まで、どんなスジミチをたどればワタリきれるのか?それを考えるのに、また時間がかかりました。とどのつまり、ワタル=ワタ[海・水]+ル=水の姿となる(固体・液体・気体と変身することで、宇宙くまなくシミワタルことができる)と解釈することにしました。
そこまで来ると、こんどはヤマトコトバのワタ[水]と英語のwaterが音形・意味(事物の姿)ともに一致することに気づき、これはアジアの言語(ヤマトコトバ)とインド・ヨーロッパ語が接触・交流したことを示す証拠ではないかと考えるようになりました。英語waterはIE語根wed-からの派生語で、wet湿気, wash洗う, winter冬, whiskeyウィスキー, vodkaウオッカなどと同系。
さらに、漢語アッセン[斡旋](両者の間を取り持つ)のアツ[斡]も上古音が・uatで、「斗(北斗星)+乾の略体」の会意モジだということも分かりました。天上で北斗星が北極星をめぐって円をえがく姿は、地上で人が人(もしくは神)をめぐってワタリ歩く姿、また人をワタラセル姿と一致します。仏教でいえば、現実の此岸から念願の彼岸までワタル・ワタラセル姿です。
そんな次第で、2018年はかなりミノリある1年だったと思っています。2019年4月には平成天皇が退位され、あらたな元号がはじまるということなので、わたしもここで新春にふさわしいユメを語らせていただきます。ひと口でいえば、「これまでの調査研究の成果を整理し、まとめる作業」ということになりますが、その「まとめ方」について、いくつかの条件がつきます。
①
日本語語彙体系全般にわたって、総合的・計画的に調査をすすめる。
②
具体的な調査方法としては、インド・ヨーロッパ語の調査方法を参考にする、
③
擬声語・擬態語や固有名詞(人名・地名など)についても、その音形と意味との関係を調査する。
④
現代日本語がかかえている課題(同音異語など)の解決策など、実用的な資料が得られるように考えて調査する。
どんな順序で調査するつもりか?これまでも提案してきたとおり、64タイプのa-aタイプからはじめて、さいごのt-tタイプまで、一貫して走りぬける調査になればと考えています。a-aタイプでは、上代語の段階で2音節動詞アユ(下二。①こぼれ落ちる。②[肖]似る。あやかる)・イユ(①[癒]下二。癒える。②[射]下二。射られる)・ウウ(①[植]下二。②[飢]下二)・オユ[老](上二)などが成立し、そのまわりにアヤ[漢・綾・文]・アユ[鮎・年魚]・アユミ[歩]・アユム[歩]・オヤ[親]などが成立しています。まず自分の手と足を使い、その延長として弓と矢をたよりに生活していた古代人の姿が見えてくるようです。
ここまで、ことしによせるユメを語らせていただきました。ひとりでかってにホラを吹いているだけで、オメデタイやつだといわれるかもしれませんが、それは気にしません。「見通しがつかない時代」とグチをこぼしていると、気持ちがメイルだけですが、デカイ・ユメをもっていれば、このさきゆっくり楽しみながら作業をつづけることができると思います。
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