2019年4月26日金曜日

梅の花と梨の花と老人の話


『古事記』を読む会 4/7


 社会人大楽塾 4/11 


ホーキができました 4/16


城址公園まで散歩A 4/18 


 城址公園まで散歩B 4/18


梨の花A  4/20  


梨の花B  4/20 



『古事記』を読む会 4/7              
47日(日)。午前中、茶屋町豊川稲荷神社で開かれた「古事記」を読む会に出席しました。この日は、初めに「天孫降臨」について意見交換をすませ、そのあと「総会」にはいりました。意見交換の場で、「ウメ[梅]」・「アンズ[杏子]」・「キビ[黍]などはヤマトコトバか、それとも元漢語系の外来語か?」が話題になりました。ただ、印刷された書面での提案ではなかったので、みんなで議論することにはなりませんでした。
あとで考えてみたのですが、これは「ヤマトコトバとはナニか?」、「純粋語か、それともチャンポン語か?」の問題であり、やがて「コトバとは、ナニか?」という問題です。会員ひとりひとりの視点から、語彙資料の採集、比較分析などの作業をすすめ、その資料を持ちよって全員で討議してみるだけのネウチがあると思うのですが、いかがでしょうか?
いまこの場で、全面的な議論をする余裕はありませんが、たとえばウメ[梅]というコトバについて議論する場合、議論のあり方について、日ごろ考えていることがありますので、ここで提案しておきたいと思います。結論だけいいますと、ウメ[梅]の意味をたしかめるためには、ウメ[梅]だけでなく、動詞ウム[生・産・埋]や名詞ウマ[馬]・ウミ[海・生・産・膿]、形状言ウマ[味・甘]、形容詞ウマシ[味・甘・可美]などをいっしょにとりあげ、「音形と意味との対応関係」を追求するほうが、議論に客観性・合理性をもたらす、ということです。以下、その展開例;(解説は、ほぼ『時代別・国語大辞典・上代編』による。ただし、各項*印以下はイズミの責任)。
ウメ[梅]:うめ。いばら科の落葉高木。中国原産だが、古く日本に渡来し、万葉人にその気品ある花の姿を賞翫されたが、記紀にはこの植物の記載がない、ウメという名も直接か間接(たとえば朝鮮語を経て)、中国語にもとづくものであろう。ムメとも記されている。【考】ウメ[宇梅](万3906)・ウメ[烏梅](万819)などは[梅]をメの仮名に用いたものだが、ウマ[馬]がマとも言われるのと同じようにウメ[梅]をメといったかどうかは疑わしい。
ウマ[味]:形状言。良い・立派な、などの意をあらわす、⇒~イ[寝]・~酒・~人。
ウマシ[味・可美](形ク)①うまい。味が良い。②よい。美しい。結構である。⇒~国・~道・~鏡・~物。*ウマ[馬]とウマ[味]もしくはウマシ[味]をくらべてみても、ただウマという音形を共有しているだけで、コトバの意味としては、なんの共通点もなさそうな感じです。
 そこで、双方の中間にウム[生・産]という2音節動詞を立てて、もういちど比較してみます。動詞ウムはウマ(未然)・ウミ(連用)・ウム(終止)・ウメ(已然・命令)四段に活用しますので、動詞ウム[生・産・埋]をはじめ、名詞ウマ[馬]・ウミ[海]・ウメ[梅]、形状言ウマ[味]、形容詞ウマシ[味]などはすべて、これらマ・ミ・ム・メ四段のどれかに納まってしまうようです。
 具体的に考えてみると、ウム[生・産]は、ナニかがウマレルこと、もしくはウミダスこと。そして、ウミだすモノ・ウマれるモノがウマ。イノチをウミ[生]そだてるためには食物が必要ですが、その食欲をウミだすモノがウマ[味]・ウマシです。また、「牛飲馬食」というコトバどおり、人間とはケタちがいの食欲や「モノをウミだすチカラ」をもつ動物がウマ[馬]です。
ウマ[馬]:①うま。奇蹄目馬科。古く大陸より伝えられた。交通・狩猟に使用され、厩を設け、牧場に放牧もし、重要な交通路には駅馬が設けられた。人名・官名・地名などにも馬を冠するものは多く、その重要性を物語る。馬の声はイ、馬を追うにはソといった(この項の解説は『学研・漢和大字典』による)。*ウマの語源にかんする解説が見あたらないのが残念ですが、なによりまず、マ・ミ・ム・メ・モはじめm-音をもつヤマトコトバを採集し、比較・分析したうえで、m-音語に共通する基本義をたしかめ、日本語の音韻体系の中で整列しなおすことが先決条件になるかと思われます。漢語や英語などの音韻組織の中で、m-音が表わす共通基本義や分布状況などをあわせ考えると、ウマ[馬]というコトバが漢語バmag>mba>maからの外来語である可能性は高いと思います。ただし、その漢語音がもともと漢民族の語音なのか、それとも周辺民族語からの伝来かという問題の結論は確認できていません。
 「上代語」の中には、ほかにもヱ[画・絵](⇒ヱシ[画師])・シ[師](⇒ホフシ[法師])など、もともと漢字音由来、つまり外来語と考えられるコトバがまじっています。こうした現象は、日本語にかぎったことではありません。成長期にある民族言語は、内部だけでなく外部とも積極的に交流する中で、あらたな語彙を取りこんだり、生みだしたりするようです。いずれにしても、このへんでいちど頭を冷やしたうえで、「純粋語」と「チャンポン語」の功罪について議論してみたらおもしろいかと思います。

社会人大楽塾
 411日(木)。午後2時から9fで開かれた社会人大楽塾に参加しました。この日歌われた曲目は、「二輪草」からはじまり,「高原列車は行く」、「みかんの花咲く丘」、「浪花節だよ人生は」とつづき、「世界に一つだけの花」でオシマイ。
 リーダーがフリツケをまじえながら歌う。それを見たり聞いたりしながら、参加者が歌う。とはいっても、リーダーは立ったままですから、フリツケどおり自由に動けますが、参加者は並んだイスに腰かけたままですから、となりの人にぶつからないように気をつけながら、かすかに手足を動かすだけ。それでも、ズップリ歌の世界にはまりこんだ感じで、たのしいひとときを過ごしました。
 わたし自身も、みなさんといっしょに歌いたいところですが、あいにく声がうまく出てきてくれません。日ごろ、ウガイをしたり、発声練習のマネごとをしたりしているのですが、アイカワラズです。具体的にいうと、ヒビキのある声は、5秒までもちません。あとすぐ息を継がなければなりません。カスレ声でもよければ、息つぎにあまり気をとられずにしゃべりつづけることができますが、まわりの人には「聞きずらい」はずです。
 ヒビキのある声が出ないのはザンネンですが、グチを並べるだけでは、問題の解決にはなりません。こんな場合は、ぎゃくの発想法にしたがうことにしています。カスレ声ではあっても、この歳になって、まだどうにか自分の口でしゃべることができる。この事実一つだけでも、それはすばらしいこと、ありがたいことです。のこりすくない人生、自分の目や耳が健在なかぎり、うた・おどり・ドラマなども楽しむようにしたいと考えています。

佐藤正樹詩集
『自転車の子・自選詩から』
 415日(月)。千葉市在住の佐藤正樹さんから、「詩と他の雑文集」として、表記作品がとどきました。ほんの一部だけですが、ご紹介します。
<杖だより>
世界それぞれ
  あちら車や若者の、こちら杖頼りは杖頼りの
  普段は生も死も考えていないーいつ死んでもいいと言いながら
カマキリ
  舗装路に出ていた。次に会ったら平らにはって
洗濯機
  ゴリゴリ何かやっている、隣の手洗いにしゃがんでいると
ポストへ、コンビニへ
  走らない。急がない。杖を頼る。まるで初めてのお使い
加齢
  自然歩きの無意識から、できたてロボット歩きへ
すたすた
  ひとの足はすたすたすた。杖の脇をすたすたすたすた
手洗いのヤモリ
  天井から頭にペタリ床にペタリ
  明かりが急に点きおどろいたか
  こちらもいるのを忘れていた
杖だより
  狭まる視野
  気付かなかった地面の凹凸
  人のいない世界
  ゆっくり流れる時間

  <母を思う>
 旧盆十六夜(昭和4)
 うら若くよそほふ妻の夜の目にもすがしと思へ橋に率て来つ
                      佐藤基『天のうてな』
 父と母は同じ齢で昭和4年に結婚した。母は百歳まで生きたので、五一歳で死んだ父の分を埋め合わせて十分頑張った。二人の間に冬、春、夏、秋と四人の男の子が生まれた。太平洋戦争中は小中学生の息子たち。長野の田舎とはいえ、戦争一色の物のない時代に、男の子四人を育てた。戦争が終わって昭和二七年、父はこんな歌をつくっている。
 家族を歌える
 
 幾年か妻が手がくる庭の花つぎつぎ咲きて我を慰ぐさむ
   
 灼熱の都に残り勤めつつひとり汗あえて書(ふみ)読み居らむ
   
 日の本のはたてに立ちて水光る太平洋を今日見つるかも
二十歳の今ぞうれしく美しき大わだつみをはじめて見らむ
正樹
 身も心もすこやかになり育ち行く正樹を見れば心楽しも
     竜人
 竜人は雲の上なる八が嶺の峯にのぼりて何思ひけむ
     
 青だたみすがしとい寝(ぬ)るひまだにもひとりひとりの子を思ひやまず
                             佐藤基『天のうてな』
 母の名は菊(庭の花)、長男治(都)、次男洸(水光る、大わだつみ)、三男正樹(木、すこやかに育ち行く)、四男竜人(竜、雲の上なる八が嶺)、父、基(たたみ)。長男苦学中。次男の現役からの大学入学を父は喜ぶ。三男の事故や浪人時代をまだ知らず。四男、元気者で中学生の友人仲間と八ヶ岳に行っていた。

  <自選詩から>
 そよ風
様々な石の広がる頂上、樹林の中に頂上、眺めの頂上
―人形石、西吾妻山、西大巓―
夏山も終わり雪の始まる前の人気のない山々が広がる
麓へ自分を運び下ろす前に腰を下ろしひととき天空の
雲と向き合う
時々耳の後ろをうろうろと風が流れる
枯草の音がさやか
それからあとはー
耳鳴りがするほど静かだ

高原の声
真昼間
空と地の間に
空からと思えば地から
地からと思えば空から
低い
しみとおる
ねぼけた
さとった
とぼけた
高原の声
ひといろの虫の声


 歩く子
ぶつかり歩くきみ
テーブル端に突進
TVに突進、厚いガラス戸に突進
足で歩くというよりも体全体で歩く
だからどこへ行くかわからない
安心は親の足元か
手繰られるようにもどる

 たらいまの子
家の中のあちこちから
たらいま
と覚えたての言葉が出てくる
たらいま
舌足らずでも赤ん坊語でもない
ちゃんとした自分の言葉
今も階段腋からたらいまと帰ってくる

ホーキができました
 4月16日(火)。午後、「機能訓練」のフロクとして、アヤトリの練習をしました。ヒモの両端を結んでできたワ[]を使って、さまざまなカタチをつくるアソビです。まずは、ホーキづくりに挑戦。左手の親指と小指に輪をひっかけ、そこにできたタルミ部分を右手指でつまみ、引きよせ…。そのあと2~3テマかけて、ごらんのとおり、みごとなホーキができました。なんべんも失敗したあげく、やっとできたという達成感。なんともいえませんね。ついでにもう一つ、ユビヌキというのも習いました。
 じつは、1か月ほどまえに、いちど習って、たしかに成功していました。ところが、その数日後にはすっかり忘れてしまいました。こんども、またおなじことかもしれません。それでもよいと思います。スタッフのみなさんにとっては常識のようですから、いつでもまた教えてもらえるでしょう。アヤトリのヒモだけは、たいせつに保存してあります。

城址公園まで散歩
4月18日(木)。午後2時すぎ、めぐみの入居者数名にスタッフ2名がつきそい、300㍍ほどさきの城址公園まで散歩にでかけました。ぽかぽか陽気で、24°とか。オーバーコートなしでOK。お堀に面した石のベンチに腰かけて、一休みしましたが、そのベンチも、ホッカホカのあたたかさでした。スタッフの話では、つい先日まで、が何羽か泳いでいたとのことですが、この日は姿を見せませんでした。サクラのハナビラがわずかに散らばっているだけでした。
 それにしても、都会のどまんなかだというのに、この静かさはフシギです。幹線道路なので信号機の切りかえ時間が長くなり、クルマが南北方向に流れているあいだは、東西方向の流れがすべてストップ。クルマによる騒音が、あっという間に消え去ります。

パソコン不調(?)
 419日(金)。午前中に入浴。午後1時すぎ、6fで散髪。
2時、Ysd先生に来ていただき、ブログづくりについて教えていただきました。ミダシを「パソコン不調」としましたが、ほんとうに不調なのはパソコンではなく、わたし自身のアタマのようです。パソコンそのものは日進月歩で順調なのでしょうが、わたしのアタマがもともとメカ音痴で、高齢による不調が拍車をかけているというのが実態かもしれません。ミエをはって、「パソコン不調」といってしまいました。
 わたしはこれまで、はじめにワードで原稿をつくり、それをコピーする方式でブログをつくってきました。数年来ずっとおなじ方式でやってきたつもりでしたが、前号のブログで、やたら改行だらけの文面になってしまい、ビックリしました。こんなことになるハズがない。
パソコン不調だ!てっきり、そう思いこんでしまいました。
 ワードの原稿とブログの文面をチェックしたあと、先生がいわれました。
 「ワードの原稿に改行のマークがついているので、ブログでも忠実に改行しただけ。パソコン不調とはいえません」
 そういわれて、ワードの原稿を読みなおしてみました。たしかに「改行マークを多用した文面」と「改行マークなしで、つづけ書きした文面」がまじっています。「改行マーク」の意味(役割)も分からないまま、これまで作業してことを思い知らされました。
 これでは、ブログをつくる資格がないな、と痛感しています。しかし、これでブログをやめるというわけにもゆきません。ブログづくりは、いまわたしのイキガイみたいなものですから、サイゴまでガンバルしかありません。
 このさき、いつになったら、ブログが正常の状態にもどれるか、まだメドがつきません。
ご迷惑をおかけしていますが、どうかお許しください。

耳鼻科受診
 424日(水)。午前11時すぎ、Mioriさんのクルマで、加納耳鼻科医院へいってきました。左右の耳アカをとり、聴力検査・酸素吸入をすませ、ツムラの「麦門冬湯」を処方していただき、ホームへ帰りついたのが、ちょうど12時。テーブルに昼食のご膳がならんでいました。
   できれば、この日のうちに皮膚科も受診したいと予定していたのですが、あいにく、はげしい雨・風がつづいていたので、それは後日にまわすことにしました。



2019年4月18日木曜日

平成から令和へ



日本海文化悠学会研修会 3/22



 お墓まいり、A  3/26


お墓まいり、B 3/26 



  はると君の作文 4/2 



 音を聞く会 4/3


お花見、いたち川べり 4/3  


お花見、松川べり 4/3 




 
日本海文化悠学会 
 3月22日(金)。午後、茶屋町豊栄稲荷神社で開かれた日本海文化悠学会研修会に参加しました。この日は、会員針山康雄さんが「近世初頭の京を歩く」と題して、「勝興寺本洛中洛外図」にかんする調査・研究の成果を報告されました。配布いただいたレジュメから、要約してご紹介します。
1.洛とは
  平安京⇒左京(東山)⇒洛陽、右京(嵯峨野)⇒長安
  大堰川の氾濫が多く廃退。御所も移動。
  秀吉による改造都市計画⇒お土井の築造
  賀茂川、紙屋川内及びお土井に囲まれた範囲が洛中
  要所に七口⇒長坂、鞍馬、大原、伏見、鳥羽、丹波、栗田
  上京と下京。祇園社と伏見社。
2. 洛中洛外図の鑑賞基本、一覧表
      〇〇〇本⇒収蔵先
      屏風の形式と呼び方⇒六曲一双、左隻、右隻、一扇(右より)


    日本全国に100点以上。国宝2点(上杉本、舟木本)、重文5点。

    紙本、絹本。着色、白描。

    構図、景観年代、主題

    描く視点(観方)、
      第一定型(南北、1600年以前)⇒名所、行事、出来事を雲で囲む。
      第二定型(東西、1600年以降)⇒モチーフに連続性を持たせるように描く。
    鑑賞の仕方⇒両側に立ててみる。並べてみる。
       景観模式図(内藤昌氏)の研究 
 ⑥  四季の表現 右隻⇒春、夏。左隻⇒秋、冬。

3.勝興寺本について
  ①法量
  ②   人物⇒勝興寺本917人、上杉本2,479人、舟木本2,782人、歴博甲本1,390
  ③  建物の概略
屋根の種類⇒檜皮葺き、こけら葺き、瓦屋根、石置き屋根、トントン葺
    き、藁葺き、梲
  ④ 主題⇒祇園祭
    左隻⇒山鉾巡幸 薙刀鉾、鶏鉾、四条傘鉾、油天神鉾、蟷螂鉾、月鉾。
    右隻⇒神輿渡御 東御座、中御座(ヤハシラノミコ)、西御座(スサノオ  
      ノミコ)。
  ⑤    町家と町並み
    むしこ窓2階建て、石置き屋根、トントン葺
  ⑥   町家の防犯と防災 
構え、天水桶、梲。
  ⑦  京の商業

  米⇒室町通り三条烏丸場米屋に⇒三条梯、誓願寺横、東寺の横、空車の馬車。

  ミセ⇒三条通り⇒瀬戸物屋(美濃焼が出土)、刀屋・絵草紙屋・薬種屋・線香
     屋など。 
        行商⇒青竹売り、扇屋、水売り、お茶売り、棒手振り。
     茶屋⇒中村楼の前の呼び込み、川床料理、参詣者用休憩所。
       ⑧公家町、町の風景

       御所の行事、雅楽と舞、蹴鞠、洗い張り。
        町家の風景⇒まつりの参加者と見学者。

        社会的弱者との共生⇒用水、いざり、親子喧嘩、盲人、芸人、乞食、琵琶法師。
        参詣者と女性の着物。

 ⑨乗り物
    駕篭⇒塗り駕篭武家用(自家用)、町人用(法泉寺駕篭)、庶民用あんぽつ籠。
    乗 夏馬⇒鍛錬(北野天満宮前)、出勤(所司代前)、伏見通り。

  ⑩服装
    小袖⇒慶長模様(全体を細かな模様で埋める)、元禄模様、寛文模様は大きな絵。
    帯⇒紐のように細い、元禄以降は広くなる。
       
⑪四季 春⇒伏見の桃、豊国廟の桜、三条以北の稲田。

      夏⇒誓願寺の柳、御所の行事、公家町の洗い張り、鴨川の鮎漁。
      秋⇒西山地区の苅田、嵯峨野の紅葉。
      冬⇒鞍馬貴船の雪山、二条城の鷹匠。
     
  ⑫参詣の寺院⇒賀茂社、北野社、嵯峨釈迦堂、天龍寺、臨川寺、法輪寺、東寺、本願寺、


            妙法院、清水寺、祇園社、知恩院、誓願寺。
       (以下省略)
 建物の様式や建築用語などについて、くわしく教えていただき、勉強になりました。これらの用語について、その音形と意味(事物の姿)との対応関係をさぐってみたら面白そうだなと感じました。たとえば、t-r音のヤマトコトバとして、2音節動詞タル・チル・ツル・テル・デル・テルが成立しており、それぞれすこしずつちがった意味(姿)を表わすコトバでありながら、「t-(ツキデル姿)にナル」という基本義を共有していることが考えられます。

 テル[照・輝]は、(光線が)デル[出]こと。そして、テルものが、テラ[寺]動詞テルの未然形で、そのまま名詞形となっています。寺の屋根はカワラぶきで、一般の民家(平屋)にくらべて一段と高く、天にむかったツキデル姿であり、日や月とならんでテリ[照]かがやく存在です。

 仏教グループが寺院建築のデル[出]・テル[照]姿を強調するのを見て、アマテラス大神を中心とする神道グループは、テラ[寺]というコトバを忌詞とし、カハラブキ[瓦葺]と呼ぶことにしました。テル・テラ・テラスなど、t-rが「権威・権力の集中」を表わす語音だと考え、これを自グループで独占使用することでライバルを圧倒する作戦だったのでしょう。

 デル・テル・テラなど、特定の音形が特定の意味「出る・照る・寺など」と対応する現象は、日本語だけにかぎりません。t-r音の漢語についても、似たような現象が見られます。いくつか例をご紹介しましょう(日本漢字音・漢字・上古音・現代音・基本義の順)。
スイ隹tiuerzhui.とり。ずんぐりと太い。△形。タレル[垂]姿。
スイ錐tiuerzhui. きり。重りをかけながら揉む。
ツイ椎diuerchui. 木の槌。
スイ推t’uerchui. ずっしり重みをかけて押す。
スイ垂dhiuarhui. たれる。「穂がタレル形+土」の会意モジ。
スイ錘diuarhui. おもし。おもり。タル・タレル[垂]もの。
スイ睡dhiuarshui. ねむる。ねむり。マブタがタレル[垂]姿。
ツイ・タイ堆tuerdui, zui. △形に積んだ土。
ツイ追tiuerzhui. 追う。タイ堆と同系。タレル[垂]姿。
ツイ・ヅイ槌diuer >chui. つち。うつ。
ツイ・ヅイ鎚diuer > chui. つち。つちうつ。
テイ・ダイ弟der >di. つぎつぎタレ[垂]さがる姿。
テイ・ダイ第der >di. ついで。順序。順番にタレ[垂]さがる姿。
テイ底ter di. そこ。とどまる。いたる。建物の下底のこと。
テイ低ter di. ひくい。垂れる。

テイ・タイ邸ter di. やしき。とどめる。屋根がタレさがる姿。

似たような現象はt-r, t-l音英語でも見られます(語根・基本義・派生語の順に表記)。
del-² (to recount数え上げる) tell告げる, taleものがたり, talk語る.⇔デル[出]・カタル[語]。
dhreg- (to drawひきずる) drinkのむ, drownおぼれる. ⇔ツル[釣・吊・蔓]
dhreu- (to dripしたたる, dropおちる) dripしたたること, dropしたたるもの。⇔タル[垂]・チル[散]。
tere-² (to pass throughスルリ通りぬける) thrillスリヌケルときの感覚, through~をツラヌキ通して. ⇔ツルリ・ツラヌク。
ters- (to dryかわく) thirstかわき, terrace台地。テラス.土壇。露台。⇔デル[出]・テル[照]。

お墓まいり
326日(火)。先日(3/16)長念寺さんで信子の三回忌をつとめさせていただきましたが、時間のつごうでお墓まいりができませんでした。Mioriさんのつごうがついたところで、おくればせながらお墓まいりをすませることができました。あいにくのくもり空で、すこし風があり、線香はどうにか着火しましたが、ローソクは着火してもすぐ消えてしまうので、あきらめました。記録のため、スマホのシャッターをきりましたが、逆光気味で、「南無阿弥陀仏」のモジもお供えの花もミバエがしません。
ただ一つだけ、この日のお墓まいりであらたな発見がありました。それは、これまでの集団墓地のすぐ横にあらたな感覚の集団墓地が造成されていたことです。写真でご覧のとおり、「北陸自動車道」を背景に「墓地分譲中」、「モニュメント葬」、「山岡石材店」などのノボリがハタめいている姿は、これだけで絵になり、宣伝効果バツグンだと感じました。いままでの墓地は、どちらかといえば暗いイメージなのですが、企業によって造成された墓地は、「便利で明るい」イメージです。それに「北陸自動車道立山IC」付近ということになれば、「墓地分譲」を希望する人たちの数も一気に増大するかもしれません。

太田英一さんの英語教育論
3月27日(水)。午前、太田英一さん来訪。「中学生英検1級合格を目指す小英会生徒募集」のチラシを持参されました。
そのA面では、「間違いだらけの日本の英語教育」と題して、その証拠を列挙しています。
(1)  中学・高校・大学と10年以上も英語を学習していて、日本語なら4・5歳児程度の簡単な会話もできないのが何よりの証拠!
(2)  最大の間違いは、発音が出鱈目であること!英語学習の最初から、正確な発音を徹底的に教えることが重要ですが、これは難しい!
(3)  言葉は音から始まります。発音は建物では土台です。土台を手抜き工事すれば、建物は傾きます。英語を話すには、無意識の内に呼吸、口、舌が正確に動くまで訓練する必要があります。
(4)  英語の呼吸は腹式呼吸です。試しに英語で数字を1から10まで、一息で言ってみてください。日本語の浅い呼吸では息が続かず、金魚が口をパクパク開けているようで、英語の音が出てきません。
(5)  英語の音を出す為には、喉、口、舌は楽器と同じで、ピアノやバイオリンを弾くのと同じくらいの猛訓練が必要になります。ただし、この訓練が必要なのは教師です。教師が出来れば、生徒は楽に出来るように成ります。教師が母親役を務めるからです。
(6)  言葉は生き物です。日々成長変化します。言葉が生きた人間なら、辞書は死体です。医師になるには、死体を解剖して人間の臓器について学びますが、生きた人間を診るのとは別です。ですから、医療の世界では誤診がつきものです。
(7)  一冊の辞書を初めから編纂するには最低で30年、大抵は5~60年かかると言われていますが、日々の変化を記事にした新聞には、辞書に載っていない新語が次々に出現します。
(8)  THE NEWYORK TIMESを教材に使うのは、小説などの原書よりも難しく、記事の背景として歴史、地理、政治、経済、文学の知識も必要で、考える要素が多いからです。
(9)  それですから、単語帳とか単語カードで単語をおぼえるような、考えない単純作業には問題があります。読書好きな子供は分からない単語に出会っても、話の筋を追うのに夢中になって辞書を繰らずに最後まで読み通しますが、前後関係で類推した意味が、後で辞書を繰ると合っていることがよくあります。無意識の内に考えるのは素晴らしい。
10)この類推の習慣が学科の学習ばかりでなく、全てのことに有益です。人間が生きていくのは過去に学んだものを未来に生かしていくわけですから、単語帳と単語カードは出来るだけ早く卒業してほしいものです。この意味で教科書ガイドなども感心しません。
(11) 考える学習をする!基礎的な中学英語や高校英語は出来るだけ速く修了して、原書や英字新聞を読むべきです。難しいから考えなければ分からないが、この考える習慣が大切です。英語は道具に過ぎず、考えるのは母国語で考えるわけですから、ゲーテが言ったように、外国語を学ぶことは母国語を学ぶことになります。日本人だから日本語が上手とは限りません。同様に英米人だから英語が上手とは限りません。
そして、B面が「小英会生徒募集」広告です。
時間: 土曜日午後1:30~3:30.日曜日1:00~7:00.
対象: 小学4・5・6年生・中学生・高校生・大学受験生・その他英語習得希望者。
教材: 中学・高校の教科書、ワーク、英検問題集、英語原書、英字新聞その他。
講師: 太田 英一: 英検1級優良賞受賞、旧運輸省通訳案内業試験(英語)合格、富山市立外国語専門  
          学校非常勤講師(現在まで30年以上勤続)、富山県警委嘱通訳。
内容: 個別指導で教科書の音読、発音指導を徹底正確に発音出来ない音は聞いても判らない。口、舌は楽器と同じで反覆練習が必要。これを怠れば、建物の基礎の手抜き工事と同じで、」建物が傾く原因となります。
月謝: 教材費等全てを含めて小学生¥15,000、中学生以上は¥20,000
場所: 富山市高内383 囲碁将棋サロン大沢野内。090-2034-5637(谷村康成)
 以下に南富山教室(☏076-421-8351)の実例を紹介します。
実例1.A君、小6123日入会。ABCから始めて、毎回英語の数字を1から1億まで1分足らずの猛スピードで発音訓練し、20日余りで中1の教科書修了。中2の教科書修了以前に1月末の英検では5級と4級のダブル合格。16月英検は3級と準2級のダブル受験。中110月英検で2に挑戦。2で準13THE NEWYORK TIMESを教材に使って1級に挑戦。大学は東大か国公立医学部志望。
実例2.Bさん、小611月半ばに入会1月英検は5級と4級のダブル合格ALT(外国語指導助手)から指名されてお別れ会で、英語でスピーチを行い満場の拍手喝さいを博したと喜んで報告してくれました。16月英検は3級と準2級のダブル受験中3で英検1に挑戦。大学は東大か国公立大医学部志望。
実例3:ℂさん、小5、110日入会ABCから初めて3月末に中学英語を修了し、66月英検では5, 4級を飛び越して3級と準2級に挑戦31級に挑戦
実例4: D君、中2の7月25日入会。英検は受験歴なし。10月の英検までの2か月半余りで、中2、中3と高1の教科書とワークを修了し、10月の英検では3級(満点近く)と準2級にダブル合格中3,6月の英検では2級と準1級をダブル受験の予定。高校は中部高校探求科、大学は東大か国公立大医学部志望。
 (以下省略)
 太田さんについては、ブログでもご紹介ずみと思いますが、わたしがはじめて富山市立東部中学校
諭として勤務したときの生徒さんであり、またその数十年後、富山市立外国語専門学校16年間非常勤
講師として勤務したときの同僚でもあります。太田さんはわたしのことを「恩師」と呼んでおられます
が、実はわたしのほうが年上だというだけの話。英語にかんする学識という点では、わたしは太田さん
の足もとにもおよばないことを自覚しています。
 ただ、わたしは自分の学力不足を自覚したことから、コトバの「音形」と「意味(事物の姿)との対応
関係という基本的なテーマにとりくむことになり、「象形言語説」を提唱したり、「五十音図」にかわ
るものとして「現代日本語音図」(「日漢英共通64音図」)を提案したりしてきました。
 コトバの基本は音声言語です。コトバの流通回路が成立するためには、なによりまず、話し手の口
ら出されたコトバの音形が、聞き手の耳を通して大脳まで、正確におなじ音形のままとどくことが必要
です。万が一その途中で、その音形にわずかな変化(ズレ)がおきた場合、コトバの流通回路の途中で
脱線・転覆のような事故がおこり、公共のコトバとして資格がなくなる心配もあります。
 現代日本語は、上代日本語(ヤマトコトバ)を中心としながら、そのまわりにたくさんの外来語(漢
語・英語など)をとりこむことによって、世界規模でゆたかな語彙体系をもつことができました。それ
はすばらしいことですが、ぎゃくに不都合なこともおこりました。その一つが、あまり大量の漢語をと
りこんだために、耳で聞いただけでは意味が確認できない同音異義」のコトバが大量に発生したこと
です。たとえばコウエンという同一の音形をもつコトバとして、「公園・公苑・公演・公宴・講演・好
演・口演・後援・高遠・弘遠・光遠・光炎・広遠・宏遠・後炎・後園・紅炎・香煙」などの漢語が通用
しています。
   漢語の文脈の中では、現代漢語音でも公園gongyuan, 公演gongyan, 好演haoyan, 口演Kouyanなど、さまざまの音形で区別できていたものが、日本語の文脈の中へ取りこまれたとたんに、すべてひとまとめにした音形コウエンとされ、区別がつかなくなりました。
 パソコンで文章をつづるばあい、漢字の字形をウロオボエでも、カナかローマ字で入力すれば、機械
のほうで適当な漢字をつぎつぎ提案してくれるので、たいへん便利です。しかし、メカが提案する字形
(漢字)のどれを選ぶか?決定するのは、メカではなく、ヒトの責任です。ところが、これだけ「同音
異議」のコトバがおおくなると、メカの提案する字形をえらぶ作業に追われ、つかれはて、転換ミスに
気がつかないことがおおくなります。
本人が手書きした文章にくらべ、パソコンで作成した文章に転換ミスの見落としがおおいことは、あきらかな事実。ミスの原因が個人の不注意にあることは分かっていますが、根源的には「同音異義」のコトバがおおすぎることが問題なのです。転換ミスは、いまや全国規模の社会現象であり、全国民が損害を受けている問題です。この期におよんでなお、文科が「同音異義」のコトバを野放しにしておくようでは、「職務怠慢」と指摘されるのが当然です。「漢字で書いたものを見れば、意味のチガイが分かるから、問題ない」と反論するつもりかもしれませんが、それは「耳で聞いただけでは、意味がよく分からない言語」の存在を「公認」するものであり、あきらかにまちがった言語観によるものです。
そんな次第で、文科省当局に言語観の修正を求める点では、太田さんとイズミは、おなじココロザシ
もつ仲間同士」ということになるかと思います。

「平成」から「令和」へ
41日(月)。この日、日本の元号が「平成」から「令和」に変わることが公表されました。エイプ
リル・フールではありません。世はまさに21世紀、民主主義国家のはずの日本で、君主主義国家のシ
ンボルのような元号制度を、今後も採用しつづけると、安倍総理大臣が宣言しました。
  新元号「令和」が実際に使われるのは、いまの天皇が退位され、新天皇が即位される51日からということですが、「令和」をめぐって、さまざまな意見があり、「お祭りさわぎ」状態もしばらくつづきそうです。

   元号制度の是非
そもそも元号とは「どんな制度」か?明治・大正・昭和・平成などの元号は、歴史上「どんな役割」をはたしてきたのか?まずは、そういった問題について議論すべきではなかったでしょうか?
昭和から平成へ改元のときは、そんなことを議論している時間がなかったと思いますが、こんどは十分な時間がありながら、その議論(手続き)をヌキにして、いきなり元号選定の作業・手続きをすすめてきました。「国民の日常生活に直結する重要な課題」だといいながら、じっさいは内閣(行政府)が国会(立法府)の議決をもとめることなく、実力行使しただけという感じです。
 たしかに「有識者会議」が開かれ、意見が求められたようですが、その場で「どんな」議論が「どれ
だけ」かわされたのか、公表されていません。実態は、まったくぎゃくで、有識者会議は、もともと新
元号を権威づけるために設定された、形式的な会議であり、有識者個人の意見は求めたが、それは参考
にしただけ。合同会議で議論をかわす場面はなかっようです。いいかえれば、安倍総理が一般国民の元
号によせる心情を「忖度」して行動し、「有識者」もまた、委嘱した安倍総理の心情を「忖度」して行
動しただけということでしょうか?
広辞苑』によれば、「忖度…他人の心中をおしはかること。推察」と解説されています。「他人の
心中をおしはかり、自分の行動をとりしまることによって、末永く平和共存の道が開かれる。これこ
そが日本流民主主義」。そういった論理になるのでしょうか?
「有識者」たちは、会議がおわったあとも、元号発表の完了まで、会議の内容について「一切発言し
ない」よう指示されていたことも、わかってきました。この機会に、元号制の実態を明らかにし、
史の真実をとらえるとともに、今後どう₊対処すべきかについても議論をつくすべきではないでしょう
か?
   レイワ[令和]について
 昭和・平成につづく元号として、レイワ[令和]というコトバが誕生したことで、日本中がお祭りさ
わぎの状態になっています。元号は、「時間をはかるモノサシ」みたいなもので、「一般国民の日常生
活に直結する重要な課題」ですから、新元号に関心をよせ、お祭りさわぎするのもよいでしょう。ただ
し、平成改元などとくらべて、こんどの令和改元では、その出典が中国古典ではなく、日本の古典『萬
葉集』だという点が強調され、「これは、日本文化が中国文化から独立できた証拠だ」と主張する議論
も聞こえてきます。その点については、もうすこし時間をかけて議論し、客観的・合理的な判断をくだ
すべきだと思います。
 まずは、レイワ[令和]という音形について考えてみましょう。『萬葉集』巻五、「梅花の宴」序文
(大友旅人作)の中にレイ[令]とワ[和]があったということですが、実態はどうなっていたのでし
ょうか?
 『萬葉集』に採集された歌は、基本的にヤマトコトバで書かれたものばかりですが、漢語音のレイ
[令]やワ[和]がそのまま歌の文句として使用されたわけではありません。歌詞そのものではなく、
歌集(三十二首)序文の中での登場です。三十二首の歌はヤマトコトバですが、序文は典型的な漢文(
国語)です。使用されたモジは漢字だけ。語順もまったく中国語の語法どおり。
 つまるところ、日本人(大伴旅人)が中国語で書いた作文の中に、たまたまレイ[令]とワ[和](いず
れも漢語)があったというだけのこと。この事実だけで、「日本文化が中国文化から独立できた証拠」
と主張するのは、いささか説得力がとぼしいと思います。
 ここで、レイ[令]とワ[和]の音形について考えてみましょう。ヤマトコトバの中に、ラ行音では
じまるコトバは一つもありません。その点で、ラ行音ではじまるレイ[令]という語音は、日本人にと
ってはナジミにくい語音だといえます。ただし、ぎゃくにラ行音以外の語音のあとにつく例としては、
カル・キル・クル、サル・シル・スル、タル・チル・ツルなど、たくさんの2音節動詞が成立しているな
ど、「きわめて相性がよい」造語力がある)語音だともいえます。
 漢字レイ[令]は、「△印(おおいの下に集めること)+人のひざまずく姿」の会意モジで、上古音
lieng、現代音ling。人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさま。清く美しいの意を含む。転じて、長
上のいいつけのこと。⇒号令・命令・伝令・法令・辞令・令名・令息・令嬢・令閨・令色。(『学研・
漢和大字典』による)
漢語ワ[和]の場合は、すこし事情がちがうようです。漢字ワ[和]は、「口+音符禾クワの会意兼
形声声モジ。クワ[禾]は、「穂の垂れた粟の形」を描いた象形モジ。いずれも上古音huar、現代音
he。ここで母音uaをもっていることに注目しましょう。ワ[]・クワ[]にかぎらず、上古音で母音ua
(=wa)をふくむ漢語は多数あり(クワ[果・菓・渦・過・化]・アツ[]・ワン[碗・腕・湾]など)、いずれ
日本語のワ音グループ(ワ・ワナ・ワタ・ワタルなど)と共通の基本義をもっているように思われま
す。
たとえば、クワ[果・菓]はクダモノのことですが、花が散りハテ[]たあと、そこに実がミノル[実・実乗]姿]。はじめは「ウ[]」、「低くウズクマル」、「wu音を発声するときの口形」の姿。やがて、その実が点から線となり、さらに円やワ[}の姿となるワケです。
クワ[]、「水+音符冎」の会意兼形声モジで、水の流れが整然とワ[]を描く姿。クワ[]は、まるい穴にはまる関節骨のこと。クサリ式に二つの輪をつなぐ姿。クワ[]は、その関節骨を「通りスギル[過]」、「ワタル[渡・輪足]」姿です。
同様に、ワン[碗・腕・湾]なども、ヤマトコトバのワ[]・ワナ[](ワ[輪]の形をしたナリモノ)などと共通の基本義をもつ語音だと考えられます。

音を聞く会
43()午後、9fで開かれた「音を聞く会」に参加しました。毎回おなじようなことをくりかえ
しているように見えるかもしれませんが、リーダーのかたはマンネリ化しないように、演出に工夫
くわえておられるようです。まずは、出席者の顔と名前をチェック。せっかく出席された人たちに満足
してもらえるよう、演出を考えるための基礎資料がえられるということでしょう。また、大判の手書
き「歌詞カード」を準備し、歌のタイトル、作詞家・作曲家の紹介、歌詞の解説などをすませ、その
歌のフンイキをつかんだうえで、歌「聞く」・「歌う」段階にはいります。
 この日歌われた曲目は、「はじまりの歌」、「荒城の月」、「さくら」、「世界は二人のために」、「千の風になって」など。それぞれ、独特のフンイキをもった歌ですね。はじめは、まわりの人たちが歌うのを聞いているだけだった人も、いつのまにか、その歌の気分にとけこみ、自分の声で歌いだすようになっていました。

お花見
4月4日(木)午後、めぐみのスタッフが運転する軽四で、お花見に行ってきました。まずはいたち川
べり、清辰橋付近のサクラを見物。八分咲きといったところでしょうが、わたし自身は満開の感じで
花見を楽しませていただきました。むかし、宮本輝さんが書いた小説「蛍川」が芥川賞を受賞。やが
映画化されたロケ地あとに、いまもモニュメントがのこされています(写真A)
      そのあと、いたち川ぞいに下流へ。石倉町「延命地蔵」や雪見橋あたりのサクラを見物。つづいて松
川べりのサクラも見物してから、ホームへ帰ってきました。いたち川べりにくらべて、松川べりでは、
花そのものもミゴトですが、花見客(花見)クルマでのニギワイが印象的でした。その人出を当てこん
露店商もたくさん並んでいました。

ハルト君の作文
4月5日(金)。Norikoさんからメールがとどき、長男はると[悠人](小学1年?)が添付され
ていました。春休みで、学校から教科書やらノートなどを一式持ちかえってきているのですが、その
なかから見つかったもの。「自分ががんばったこと」という題で書いた作文のようです。

 ぼくは二じゅうなわとびです。
 ぼくは」しっぱいにしっぱいをかさねて
やっとできるようになりました。
 はじめてなわとびをかってもらったのは、
とやまのおばあちゃんです。
 とやまのおばあちゃんは九十三さいで
なくなりました。すごくかなしかったです。

 Norikoさんご自身も「富山で信子おばさんがなわとびを買ってくれたなんて私知りませんでした…三
回忌終わった直後にしり、あの頃を懐かしく思い出しています」とのこと。
 わたしは、ハルト君の作文をコピーして、仏壇(仮設)信子の写真わきにそなえることにしました。
信子もよろこんでくれたと思います。

<お詫び> 
パソコン不調のため、たいへん読みにくい文面のまま公開させていただきました。申しわけありません。