『古事記』を読む会 4/7
社会人大楽塾 4/11
ホーキができました 4/16
城址公園まで散歩A 4/18
城址公園まで散歩B 4/18
梨の花A 4/20
梨の花B 4/20
『古事記』を読む会 4/7
4月7日(日)。午前中、茶屋町豊川稲荷神社で開かれた「古事記」を読む会に出席しました。この日は、初めに「天孫降臨」について意見交換をすませ、そのあと「総会」にはいりました。意見交換の場で、「ウメ[梅]」・「アンズ[杏子]」・「キビ[黍]などはヤマトコトバか、それとも元漢語系の外来語か?」が話題になりました。ただ、印刷された書面での提案ではなかったので、みんなで議論することにはなりませんでした。
あとで考えてみたのですが、これは「ヤマトコトバとはナニか?」、「純粋語か、それともチャンポン語か?」の問題であり、やがて「コトバとは、ナニか?」という問題です。会員ひとりひとりの視点から、語彙資料の採集、比較分析などの作業をすすめ、その資料を持ちよって全員で討議してみるだけのネウチがあると思うのですが、いかがでしょうか?
いまこの場で、全面的な議論をする余裕はありませんが、たとえばウメ[梅]というコトバについて議論する場合、議論のあり方について、日ごろ考えていることがありますので、ここで提案しておきたいと思います。結論だけいいますと、ウメ[梅]の意味をたしかめるためには、ウメ[梅]だけでなく、動詞ウム[生・産・埋]や名詞ウマ[馬]・ウミ[海・生・産・膿]、形状言ウマ[味・甘]、形容詞ウマシ[味・甘・可美]などをいっしょにとりあげ、「音形と意味との対応関係」を追求するほうが、議論に客観性・合理性をもたらす、ということです。以下、その展開例;(解説は、ほぼ『時代別・国語大辞典・上代編』による。ただし、各項*印以下はイズミの責任)。
ウメ[梅]:うめ。いばら科の落葉高木。中国原産だが、古く日本に渡来し、万葉人にその気品ある花の姿を賞翫されたが、記紀にはこの植物の記載がない、ウメという名も直接か間接(たとえば朝鮮語を経て)、中国語にもとづくものであろう。ムメとも記されている。【考】ウメ[宇梅](万3906)・ウメ[烏梅](万819)などは[梅]をメの仮名に用いたものだが、ウマ[馬]がマとも言われるのと同じようにウメ[梅]をメといったかどうかは疑わしい。
ウマ[味]:形状言。良い・立派な、などの意をあらわす、⇒~イ[寝]・~酒・~人。
ウマ[味]:形状言。良い・立派な、などの意をあらわす、⇒~イ[寝]・~酒・~人。
ウマシ[味・可美](形ク)①うまい。味が良い。②よい。美しい。結構である。⇒~国・~道・~鏡・~物。*ウマ[馬]とウマ[味]もしくはウマシ[味]をくらべてみても、ただウマという音形を共有しているだけで、コトバの意味としては、なんの共通点もなさそうな感じです。
そこで、双方の中間にウム[生・産]という2音節動詞を立てて、もういちど比較してみます。動詞ウムはウマ(未然)・ウミ(連用)・ウム(終止)・ウメ(已然・命令)と四段に活用しますので、動詞ウム[生・産・埋]をはじめ、名詞ウマ[馬]・ウミ[海]・ウメ[梅]、形状言ウマ[味]、形容詞ウマシ[味]などはすべて、これらマ・ミ・ム・メ四段のどれかに納まってしまうようです。
具体的に考えてみると、ウム[生・産]は、ナニかがウマレルこと、もしくはウミダスこと。そして、ウミだすモノ・ウマれるモノがウマ。イノチをウミ[生]そだてるためには食物が必要ですが、その食欲をウミだすモノがウマ[味]・ウマシです。また、「牛飲馬食」というコトバどおり、人間とはケタちがいの食欲や「モノをウミだすチカラ」をもつ動物がウマ[馬]です。
ウマ[馬]:①うま。奇蹄目馬科。古く大陸より伝えられた。交通・狩猟に使用され、厩を設け、牧場に放牧もし、重要な交通路には駅馬が設けられた。人名・官名・地名などにも馬を冠するものは多く、その重要性を物語る。馬の声はイ、馬を追うにはソといった(この項の解説は『学研・漢和大字典』による)。*ウマの語源にかんする解説が見あたらないのが残念ですが、なによりまず、マ・ミ・ム・メ・モはじめm-音をもつヤマトコトバを採集し、比較・分析したうえで、m-音語に共通する基本義をたしかめ、日本語の音韻体系の中で整列しなおすことが先決条件になるかと思われます。漢語や英語などの音韻組織の中で、m-音が表わす共通基本義や分布状況などをあわせ考えると、ウマ[馬]というコトバが漢語バmag馬>mba>maからの外来語である可能性は高いと思います。ただし、その漢語音がもともと漢民族の語音なのか、それとも周辺民族語からの伝来かという問題の結論は確認できていません。
「上代語」の中には、ほかにもヱ[画・絵](⇒ヱシ[画師])・シ[師](⇒ホフシ[法師])など、もともと漢字音由来、つまり外来語と考えられるコトバがまじっています。こうした現象は、日本語にかぎったことではありません。成長期にある民族言語は、内部だけでなく外部とも積極的に交流する中で、あらたな語彙を取りこんだり、生みだしたりするようです。いずれにしても、このへんでいちど頭を冷やしたうえで、「純粋語」と「チャンポン語」の功罪について議論してみたらおもしろいかと思います。
社会人大楽塾
4月11日(木)。午後2時から9fで開かれた社会人大楽塾に参加しました。この日歌われた曲目は、「二輪草」からはじまり,「高原列車は行く」、「みかんの花咲く丘」、「浪花節だよ人生は」とつづき、「世界に一つだけの花」でオシマイ。
リーダーがフリツケをまじえながら歌う。それを見たり聞いたりしながら、参加者が歌う。とはいっても、リーダーは立ったままですから、フリツケどおり自由に動けますが、参加者は並んだイスに腰かけたままですから、となりの人にぶつからないように気をつけながら、かすかに手足を動かすだけ。それでも、ズップリ歌の世界にはまりこんだ感じで、たのしいひとときを過ごしました。
わたし自身も、みなさんといっしょに歌いたいところですが、あいにく声がうまく出てきてくれません。日ごろ、ウガイをしたり、発声練習のマネごとをしたりしているのですが、アイカワラズです。具体的にいうと、ヒビキのある声は、5秒までもちません。あとすぐ息を継がなければなりません。カスレ声でもよければ、息つぎにあまり気をとられずにしゃべりつづけることができますが、まわりの人には「聞きずらい」はずです。
ヒビキのある声が出ないのはザンネンですが、グチを並べるだけでは、問題の解決にはなりません。こんな場合は、ぎゃくの発想法にしたがうことにしています。カスレ声ではあっても、この歳になって、まだどうにか自分の口でしゃべることができる。この事実一つだけでも、それはすばらしいこと、ありがたいことです。のこりすくない人生、自分の目や耳が健在なかぎり、うた・おどり・ドラマなども楽しむようにしたいと考えています。
佐藤正樹詩集
『自転車の子・自選詩から』
4月15日(月)。千葉市在住の佐藤正樹さんから、「詩と他の雑文集」として、表記作品がとどきました。ほんの一部だけですが、ご紹介します。
<杖だより>
世界それぞれ
あちら車や若者の、こちら杖頼りは杖頼りの
歳
普段は生も死も考えていないーいつ死んでもいいと言いながら
カマキリ
舗装路に出ていた。次に会ったら平らにはって
洗濯機
ゴリゴリ何かやっている、隣の手洗いにしゃがんでいると
ポストへ、コンビニへ
走らない。急がない。杖を頼る。まるで初めてのお使い
加齢
自然歩きの無意識から、できたてロボット歩きへ
すたすた
ひとの足はすたすたすた。杖の脇をすたすたすたすた
手洗いのヤモリ
天井から頭にペタリ床にペタリ
明かりが急に点きおどろいたか
こちらもいるのを忘れていた
杖だより
狭まる視野
気付かなかった地面の凹凸
人のいない世界
ゆっくり流れる時間
<母を思う>
旧盆十六夜(昭和4年)
うら若くよそほふ妻の夜の目にもすがしと思へ橋に率て来つ
佐藤基『天のうてな』
父と母は同じ齢で昭和4年に結婚した。母は百歳まで生きたので、五一歳で死んだ父の分を埋め合わせて十分頑張った。二人の間に冬、春、夏、秋と四人の男の子が生まれた。太平洋戦争中は小中学生の息子たち。長野の田舎とはいえ、戦争一色の物のない時代に、男の子四人を育てた。戦争が終わって昭和二七年、父はこんな歌をつくっている。
家族を歌える
妻
幾年か妻が手がくる庭の花つぎつぎ咲きて我を慰ぐさむ
治
灼熱の都に残り勤めつつひとり汗あえて書(ふみ)読み居らむ
洸
日の本のはたてに立ちて水光る太平洋を今日見つるかも
二十歳の今ぞうれしく美しき大わだつみをはじめて見らむ
正樹
正樹
身も心もすこやかになり育ち行く正樹を見れば心楽しも
竜人
竜人は雲の上なる八が嶺の峯にのぼりて何思ひけむ
父
青だたみすがしとい寝(ぬ)るひまだにもひとりひとりの子を思ひやまず
佐藤基『天のうてな』
母の名は菊(庭の花)、長男治(都)、次男洸(水光る、大わだつみ)、三男正樹(木、すこやかに育ち行く)、四男竜人(竜、雲の上なる八が嶺)、父、基(たたみ)。長男苦学中。次男の現役からの大学入学を父は喜ぶ。三男の事故や浪人時代をまだ知らず。四男、元気者で中学生の友人仲間と八ヶ岳に行っていた。
<自選詩から>
そよ風
様々な石の広がる頂上、樹林の中に頂上、眺めの頂上
―人形石、西吾妻山、西大巓―
夏山も終わり雪の始まる前の人気のない山々が広がる
麓へ自分を運び下ろす前に腰を下ろしひととき天空の
雲と向き合う
時々耳の後ろをうろうろと風が流れる
枯草の音がさやか
それからあとはー
耳鳴りがするほど静かだ
高原の声
真昼間
空と地の間に
空からと思えば地から
地からと思えば空から
低い
しみとおる
ねぼけた
さとった
とぼけた
高原の声
ひといろの虫の声
歩く子
ぶつかり歩くきみ
テーブル端に突進
TVに突進、厚いガラス戸に突進
足で歩くというよりも体全体で歩く
だからどこへ行くかわからない
安心は親の足元か
手繰られるようにもどる
たらいまの子
家の中のあちこちから
たらいま
と覚えたての言葉が出てくる
たらいま
舌足らずでも赤ん坊語でもない
ちゃんとした自分の言葉
今も階段腋からたらいまと帰ってくる
ホーキができました
4月16日(火)。午後、「機能訓練」のフロクとして、アヤトリの練習をしました。ヒモの両端を結んでできたワ[輪]を使って、さまざまなカタチをつくるアソビです。まずは、ホーキづくりに挑戦。左手の親指と小指に輪をひっかけ、そこにできたタルミ部分を右手指でつまみ、引きよせ…。そのあと2~3テマかけて、ごらんのとおり、みごとなホーキができました。なんべんも失敗したあげく、やっとできたという達成感。なんともいえませんね。ついでにもう一つ、ユビヌキというのも習いました。
じつは、1か月ほどまえに、いちど習って、たしかに成功していました。ところが、その数日後にはすっかり忘れてしまいました。こんども、またおなじことかもしれません。それでもよいと思います。スタッフのみなさんにとっては常識のようですから、いつでもまた教えてもらえるでしょう。アヤトリのヒモだけは、たいせつに保存してあります。
城址公園まで散歩
4月18日(木)。午後2時すぎ、めぐみの入居者数名にスタッフ2名がつきそい、300㍍ほどさきの城址公園まで散歩にでかけました。ぽかぽか陽気で、24°とか。オーバーコートなしでOK。お堀に面した石のベンチに腰かけて、一休みしましたが、そのベンチも、ホッカホカのあたたかさでした。スタッフの話では、つい先日まで、鴨が何羽か泳いでいたとのことですが、この日は姿を見せませんでした。サクラのハナビラがわずかに散らばっているだけでした。
それにしても、都会のどまんなかだというのに、この静かさはフシギです。幹線道路なので信号機の切りかえ時間が長くなり、クルマが南北方向に流れているあいだは、東西方向の流れがすべてストップ。クルマによる騒音が、あっという間に消え去ります。
パソコン不調(?)
4月19日(金)。午前中に入浴。午後1時すぎ、6fで散髪。
2時、Ysd先生に来ていただき、ブログづくりについて教えていただきました。ミダシを「パソコン不調」としましたが、ほんとうに不調なのはパソコンではなく、わたし自身のアタマのようです。パソコンそのものは日進月歩で順調なのでしょうが、わたしのアタマがもともとメカ音痴で、高齢による不調が拍車をかけているというのが実態かもしれません。ミエをはって、「パソコン不調」といってしまいました。
わたしはこれまで、はじめにワードで原稿をつくり、それをコピーする方式でブログをつくってきました。数年来ずっとおなじ方式でやってきたつもりでしたが、前号のブログで、やたら改行だらけの文面になってしまい、ビックリしました。こんなことになるハズがない。
パソコン不調だ!てっきり、そう思いこんでしまいました。
ワードの原稿とブログの文面をチェックしたあと、先生がいわれました。
「ワードの原稿に改行のマークがついているので、ブログでも忠実に改行しただけ。パソコン不調とはいえません」
そういわれて、ワードの原稿を読みなおしてみました。たしかに「改行マークを多用した文面」と「改行マークなしで、つづけ書きした文面」がまじっています。「改行マーク」の意味(役割)も分からないまま、これまで作業してことを思い知らされました。
これでは、ブログをつくる資格がないな、と痛感しています。しかし、これでブログをやめるというわけにもゆきません。ブログづくりは、いまわたしのイキガイみたいなものですから、サイゴまでガンバルしかありません。
これでは、ブログをつくる資格がないな、と痛感しています。しかし、これでブログをやめるというわけにもゆきません。ブログづくりは、いまわたしのイキガイみたいなものですから、サイゴまでガンバルしかありません。
このさき、いつになったら、ブログが正常の状態にもどれるか、まだメドがつきません。
ご迷惑をおかけしていますが、どうかお許しください。
耳鼻科受診
4月24日(水)。午前11時すぎ、Mioriさんのクルマで、加納耳鼻科医院へいってきました。左右の耳アカをとり、聴力検査・酸素吸入をすませ、ツムラの「麦門冬湯」を処方していただき、ホームへ帰りついたのが、ちょうど12時。テーブルに昼食のご膳がならんでいました。
できれば、この日のうちに皮膚科も受診したいと予定していたのですが、あいにく、はげしい雨・風がつづいていたので、それは後日にまわすことにしました。
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