奥村さんのブログ
療養手帳
入院診療計画書
奥村隆信さんブログを再開
癌の手術で入院され、途切れがちだった奥村隆信さんのブログが再開されました。
6月28付ブログ「癌日記」は「ケータイからの記事投稿」で、「手術は無事終わりました」とのこと。その末尾に一句、「とほほわれ 六十四の梅雨 おむつかよ 胃無斎」
7月9日になって、「近況ご報告」として長文のブログを公開。そして五七五作品も。
半夏生ナースの二の腕なまめけり
梅雨空に放屁三発、 I Did It !
われもまた ホモサピエンス せみを聴く
奥村さんの、この生命力に脱帽しました。そして、すこし安心しました。
[追記]奥村さん7/15ブログ「今日から抗がん剤開始」に、こうありました。
手術後3回目の入浴
わが姿 理科室標本 夏日射す
バスタブで屈葬真似てる夏の風呂
ゆらゆらり 骨皮筋右衛門 散文の夏
ヒトとしてのイキザマ
奥村さんのブログを読んでいると、次回もつづきを読んでみたい気になります。それは、そこに奥村さんの人柄とか、イキザマみたいなものが見えてきて、引きつけられるからでしょうか。イキル[生]とは、イキ[息]をすること。イキザマとは、イキの仕方。どこで、どんな空気を、どんな方法で呼吸するかです。奥村さんは、生死を分ける手術を受けながら、そのときの自分のイキザマを客観的にながめ、記録して、見せてくれます。そのかげに、「最期まであきらめないど根性」、「底ぬけの楽天主義」が感じられます。
こんどの手術で「胃を全摘(脾臓・膵臓も)」されたとのことで、これからの食生活が大変だろうと思います。それでも、呼吸器官の方はご健在のようなので、「これを機会に1日1刻を大切に生きて」いかれること、そしてまた引きつづき「奥村流五七五」を量産し、読者を楽しませていただけるものと期待しています。
イキザマとイキガイ
奥村さんのブログのタイトルは「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」となっています。このことからも、「日本語教師」が奥村さんのイキガイになっていることが分かります。
わたしの勝手な想像ですが、奥村さんはまずご自身が日本語のおもしろさのトリコになり、やがて「日本語のおもしろさを外国人にも伝える」ことがイキガイとなったのでしょう。
いいかえれば、そのイキガイが奥村さんのイキザマを決めたということでしょうか。
入院40日間の思い出
奥村さんのブログを拝見して、ただただ感服するばかりでしたが、そのあと「自分はどうだったろうか」と反省させられました。
わたしは奥村さんとちがって、もともと胃腸がよわく、しょっちゅう病院に通っていました。それでも、なんとか91才まで生きのびてきました。自分で考えてもフシギなくらいです。死を覚悟したことは、何回もあります。ただ運よくすりぬけただけでしょう。その一つが、2003年、83才のとき、「右顔面神経麻痺」で40日間入院したことです。
12月29日朝、洗顔のときカガミの中の自分の顔を見てビックリしました。右目が垂れさがり、クチビルがひんまがっているのです。すぐさま脳神経外科塚本病院に駆けつけ、30日から入院、40日間療養することになりました。病院では、「高気圧酸素療法」を20回ほど受けました。この療法のおかげで命びろいしたのかなと感じています。
朝夕、カラスの渡りを見る
入院中は、毎日「高気圧酸素療法」、「点滴療法」、「物理療法」などのスケジュールが組まれていて、その途中に空き時間があります。個別にテレビを見る人も多数おられましたが、わたしはテレビを見ないことにしました。そのかわり、新潮文庫の1冊「隠された十字架…法隆寺論。梅原猛」を読むことにしました。「分厚い本で、数行読んだら眠くなりそうな本」。つまり眠り薬がわりに用意した本です。寝る子は育つ。入院中は、シャバのことは一切わすれて、ひたすらネムルことにしよう。あきるほど眠ったら、イノチがヨミガエルかもしれない。そう考えました。
病状が安定したころ、病室が2階から3階へと移りました。ベッドに寝ながら、ひろいガラス窓から空を眺めることができました。そのうち、あることに気づきました。雲以外は、ふだん何にもない空ですが、朝方と夕方のいっとき、カラスの群れが大空を渡るのです。朝方は、西の空から東の空へ。夕方は、東から西へ。どこか西の方に、ネグラになる森があるのでしょうか。童謡「夕焼け小焼け」の中の「カラスといっしょに帰りましょう」というフレーズを思いだしたりしていました。
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