2013年1月24日木曜日

病気とのおつきあい

くすり袋
 
雪の白銀町公園
 
 
塚本病院
19塚本病院(脳神経外科)で診察を受け、となりのさくら薬局1か月分のクスリをもらって帰る。
気がついてみると、200212月に「右顔面マヒ」で2か月間入院してから、11年になります。当時の院長先生が亡くなり、高圧酸素室による治療システムも廃止され、病院のフンイキもすっかり変わりました。
それでも、わたしの頭のすみに「ここの高圧酸素のおかげで命びろいした」という思いがこびりついています。毎月1回、せっせと通いつめています。
データにしたがって、病院のがわから随時血液・MRICT・骨密度などの検査や測定などが提案されるので、患者としては安心です。
いま飲んでいるクスリは、血圧を下げるブロプレス錠4(朝1錠)と神経の働きを改善するビタミン剤メチコバール錠500(朝昼夕各1錠)2種類。11年間、おなじクスリです。
 
佐藤接骨院
新年早々ブログづくりでジタバタしたことは前号でご報告したとおりですが、10日ごろから、こんどは右腕の調子が気になりはじめました。むかしわずらった「四十肩」のことを思いだしましたが、それともすこしちがうようです。そのうち、ニッチン、カッチン動きがとれなくなり、16、ついに清水町の佐藤接骨院をたずねました。
「とりあえず湿布で冷やし、炎症をおさめましょう」とのことで、肩にはる湿布をいただいて帰りました。
しばらくブログはお休み。ひたすら肩のイタミがおさまるのをまちました。
21日、やっと右腕がすこし動けるようになりなりました。毎日通院して、右肩を温める治療を受けています。
 
寺田皮膚科医院
老人になると、体の部品があちこち故障をおこすようです。右腕につづいて、右足のツマサキまで調子がおかしくなりました。たまたま散歩でもしようかと、長靴をはいて歩きだしたところ、右足のツマサキに違和感があり、ひきかえしました。クツシタをぬいで見ると、右足オヤユビ(?)のツメが赤黒くなっていました。内出血をおこしたことはまちがいありませんが、さていつ・どこでこれほどのケガをしたのやら。ひとつも心あたりがありません。手でおさえてみても、ヒリリとしたイタミは感じません。応急処置として、秘伝()ニンニク酒で湿布をしておきました。
それでもやはり気になります。19寺田皮膚科医院で診察を受けました。
「この状態なら、特段の治療は必要ないでしょう。ただし、ツメの色が回復するには日数がかかりますよ」といわれました。
もしかして「化膿していて、手術が必要」などといわれたら…最悪の場合のことも考えていたのですが、お医者さんのコトバをきいて、いっぺんに安心しました。
家にかえる途中、白銀町公園のよこをとおりました。公園の中は一面に20㎝ほどの雪がつもっていて、ベンチにもすべり台あたりにも人影はありませんでした。
それでも、わたしはルンルン気分で、しばらくこの雪景色をながめていました。

2013年1月10日木曜日

ミ年への思い







ブログはじめで ジタバタ
16日。書きぞめならぬブログはじめと、はりきってパソコンに向かったのですが、タイトルをいれたあと、「画像挿入」の場面でいきなりつまづきました。なんべんくりかえしても、ダメ。ショックでした。やむなく、とりあえず画像なしのまま、文章だけのブログで公開しました。

17日。パソコンを教えていただいた吉田京子先生に電話でご相談しました。「日進月歩の世界なので、Googleのブログづくりの方式が最近またすこし変更された。そのため混乱をおこしているようだ」とのこと。チェックすべき手順を具体的に教えていただきました。ここで気をとりなおして、さらに挑戦。シッテンバットウ[七転八倒]しているうち、ひょいと「画像挿入」ができました。どうやら、画面にあらわれた指示を見落としていたらしいです。なにはともあれ、画像だけを「追録」として公開しました。

 

ミ年への思い
1月8日。今号の画像として、インターネットでフリーの[]年画像の中から、かわいらしいデザインをえらんでみました。
ことしは[]、つまりヘビ[]の年。ヘビは脱皮して成長することから、「復活と再生につながるとされているようです。また、ヘビは弁財天の使いとされ、金運にめぐまれるともいわれています。

地震・津波・原発事故、さらには領土問題など、八方ふさがりの日本ですが、[]にはいる直前、政府機構がまず脱皮しました(野田内閣→安倍内閣)。このいきおいで景気回復・災害復興や領土問題・拉致問題の解決にむけて動きだすようになれば、それはすばらしいことだと思います。

 

[]とヘビ[]の関係
それにしても、[]ヘビ[]の関係がフシギです。上代語にはヘビの用例がなく、もっぱらヘミと呼んでいたようです。bimiクチビルの音ですから、交替してもフシギではありません。

そうなると、[]ヘビのことですから、[]ヘミ[]は同源のコトバかと考えたくなるのですが、どうもそう簡単にはゆかないようです。国語辞典によれば、エトの[]乙類カナで、ヘミ[]甲類カナ。おなじミ音でも、発音や意味・用法が区別されていたというのです。

 

[水・神・見]とミ[實・身]の対照
甲類カナのmi1と乙類カナのmi2とで、どこがどれだけちがったのでしょうか?語頭子音m-は同音ですが、語尾母音-i-i1-i2に区別され、意味用法もちがうといいます。

甲類カナには[水・神・見・三・御]などがあり、乙類カナのミにはミ[實・身・箕・巳]などがあります。ここではなるべく議論を単純化するため、まずは1 [水・神・見]とミ2グループ[實・身・巳]にしぼって比較してみましょう。

どちらがどうと断定するのは危険ですが、mi1は、「ウム・ウミダス・ミツケル・ミタス」など、どちらかといえば積極的・能動的な姿を表わしています。くらべてmi2は、「コモル・コメラレル・ウマレル・ナカミ」など、どちらかといえば消極的・受動的な姿を表わしています。

たとえば、mi1[水・神・見]は「イノチをウム・マモル」、「ミツケル」姿だといえます。ミツケルことは、やがてウミダス[産出]ことになります。また、ミ乙mi2[實・身・巳]は「カラやカワの中にコモル(コメラレル)」、「~からウマレル」姿ということになります。

[]mi1で、カミ[]kami2だというのは、一見ムジュンしているようですが、mi1[]は「イノチをウミ[]そだてる神の姿」、kami2[]は「神が現実世界に出現する時の姿=カラやカワなどの中にコモル姿=mi2[實・身]の姿」と考えればナットクできそうです。

 

甲乙カナの意味をさぐる
mi1[水・神・見]mi2[實・身・巳]との対照関係はkami1[髪・上・守]kami2[]との関係にも、さらにはko1si[]ko2si[腰・層・輿]との関係にも見られます。

漢語や英語の場合、まったくの同音あるいはアクセントのちがいだけで自動詞・他動詞・名詞などに使いわけられるコトバがたくさんあります。しかし、それだからといって、漢字の字形や英語のつづりを変更したりしていません。リクツは別として、現実問題としてそこまですることは困難であり、その必要もないと考えたのでしょう。  

上代日本語甲乙カナヅカイの問題も、よく似たところがあります。平生はシゴトや生活に追われて、考えているヒマもない問題ですが、お正月など、たまにはじっくり考えてみてもよいでしょう。

上代語甲乙カナヅカイをたずねることで、古代日本人の言語感覚や自然観・世界観・宇宙観をさぐるテガカリがつかめるかもしれません。
おそまきながら、わたしのハツユメといったところです。

2013年1月7日月曜日

雪ごもりの正月(追録)

石倉町延命地蔵尊

カモ一家健在



雪の遊歩道


 
白と黒



年賀状,A




年賀状,B








2013年1月6日日曜日

雪ごもりの正月

<おわび>
パソコンの調子が悪く、画像がうまく出ません。とりあえず文章だけのブログでスタートすることになりました。申しわけありません。ことしのブログは前途多難のようです。




「お地蔵さん」に初もうで
1月1日。石倉町延命地蔵尊へ初もうでにいってきました。 むかしは、山王神社まで初もうでにいってこないと正月気分になれませんでした。 年齢とともに足腰がよわってくると、それがおっくうになりました。雪道でころんだりしたらたいへんだということもあり、すぐとなりの町内にある「お地蔵さん」におまいりするだけですませるようになりました。 ことしも、初散歩兼初もうでのあと、コタツにはいったままお雑煮をいただき、テレビの正月番組を見ていました。新聞は、あまり読みませんでした。 新聞といえば、元日の新聞の量はたいへんなものでした。カサバリすぎて、新聞受けからヌキだすのにさんざん苦労しました。新聞社さんにお願いします。どうかかよわいトシよりの購読者のことも考えてください。

年賀状のこと
ことしも、50通ほどの年賀状をいただきました。去年は100通あまり、おととしは150通ほどでした。この数字の変化のうらに、ちょっとしたイキサツがあります。 2010年、90歳になったとき、「ブログをはじめよう」と思いたち、そのあとどっぷりブログにはまってしまいました。週に1回更新するのが目標ですが、機械オンチの老人にはかなりきびしい作業です。 それまでは、毎年11月ころから年賀状の準備をしていたのですが、毎日ブログづくりに追いまわされていて、年賀状のことまで考えるユトリがありません。そこで2011年度の年賀状で「年賀状は ことし かぎりにして、あとはブログに集中する予定」と案内しました。しかし、この案内はわたしの「コトバたらず」だったようで、12年度も100通あまりの年賀状がとどきました。つまり、減ったのは3分の1だけでした。 昨年の失敗にこりて、ことしはいちおう年賀状の準備をしました。タテマエとして、こちらから年賀状は出しませんが、いただいた分にはご返事を出せるようにしておきました。きょう着信の分は、夕方までにしあげて、ポストにいれることができました。

スクラップの整理
1月2日。「一年の計は元日にあり」というわけで、きょうはひさしぶりにスクラップの整理をしました。ブログづくりの資料にもなると考えて、数年まえから新聞記事のキリヌキをつづけています。大小さまざまの記事を1件づつA判用紙にはりつけ、テーマ別に分類・保管する作業ですが、「はりつけ」「分類」の作業がとどこおりがちです。 これまでのところ「天地人」、「漢字物語」、「国際交流」、「いじめ」など、かなりたくさんのスクラップ資料がそろってきました。このあと、そろそろブログに活用してゆきたいと思います。

新春のいたち川
1月3日。散歩がてら、雪景色をカメラにおさめました。石倉町延命地蔵尊のあたりは、水くみにくる人もまばらでした。いたち川の水面では、10羽ほどのカモ一家が勢ぞろいしていて、健在のようすでした。雪の遊歩道は、しっとり・しずかな感じでした。
1月4日。けさも雪がつもりました。「雪の駐車場」、「雪見橋ランカンの雪」などのスナップ写真の中から「白と黒」(木の枝に積もる雪)をえらんで紹介することにしました。  

ブログはじめ
1月4日。きょうからブログづくりの作業をはじめます。まずは画像の準備。ことしの年賀状の中からは2点ご紹介します。
A. 川述昌子さん作ハガキ絵「へび」…故松村桃枝さん(もと華北交通張家口鉄路局文書科時代の同僚)の妹さんというご縁です。「12年前のハガキ絵をプリントしました」とのこと。    
B. 福田温旦さん作切り絵「新装東京駅」…昨年もご紹介しましたが、わたしがはじめて赴任した富山市立東部中学校の生徒さんです。