2013年11月30日土曜日

日本海文化悠学会11月研修会 

 
悠学会11月研修会 
 
 
 
 いたち川土手 赤い実
 
 
 
 紅葉
 
 
 
 落葉
 
 
 
 歩道の ガードレール
 
 
 

悠学会研修会 
11月22日、日本海文化悠学会 研修会豊栄稲荷神社で 開かれました。きょうの 報告者は 山口悦子さん と 五十嵐俊子さんの お二人。

  伝言ゲームの 妙味…古沢用水を 作った 人」…山口さんは『古沢用水顛末記』(藤記義一)の 記述内容を「高浪家文書」など と チェックした うえで、「歴史的事実」が「伝承ゲーム」の 中で 変化した(させられた)と 指摘されました。

  野積谷の 謎」…五十嵐さんは 古文書を 解読・整理して「野積谷関係年表」を まとめあげ、「山の 資源開発 と 都市部への 輸送」を 担当した 技術者たちの 動きに 注目した 研究に ついて、中間報告 されました。 

わたしは、歴史上の 事実に かんしては、はじめて お聞きする こと ばかり。「よく ここまで 調べた ものだ」と 感心して いました。ただ、そこに 出てくる 地名・人名 などの コトバヅカイに ついては、人一倍 こだわって しまいます。「地名人名には、命名した人たちの メッセージが こめられて いる」と 考えている から です。

この日も、報告の中に「鍛治町、古澤屋二右衛門」、「ツキトメ[築留]」、「金草村」、「ニンブ[仁歩]谷」、「オオナガタニ[大長谷]」、「室牧」、「牛ヶ首(用水)などの 固有名詞が 出てきました。

「大長谷」や「室牧」は もと 地形名 でしょうが、地形は 住民の 生活・職業 と 密接な 関係が あります。「ナガタニ[長谷]」は、地域により「ハセ」 と よばれることが あり、「室牧」も「室巻」(山々が ムロを トリマク)の 意味 だった かも しれません。

また、「鍛治()」は そのまま「鍛冶職()」の 存在を しめし、「金草」は「カナクソ[金屎]」で、金属精錬の 遺物と 考えられます。

「二右衛門」は、いかにも 漢語ふうの いかめしい 人名に なって いますが、もとは「ニへモノ[贄物・贄者]」、つまり 食糧調達 担当の 職名 だったと 思われます。

ニンブ[仁歩]()」に ついては、「ニフ[丹生](=ハニフ[黄土・赤土])」の ような地質を 表わす コトバ だった 可能性が あります。

「牛ヶ首(用水)」に ついては、「牛の首を 難工事の 現場に 埋めよ との 神託に したがった」という 伝説に なって います。しかし わたし には、この 伝説の カゲに、「難工事を 成功させた 新式工事法」に かんする 自信の ほどが 見えかくれ して います。

ウシ[]=フシ[](の 頭子音 脱落)(=イシ[] ・骨格)

クビ[]=クヒ[](クイコム・ウチコムもの)。

ウシガクビは、「土・草・木」だけで なく、「石」も クイ[]や カベ[]として つかい、用水の 氾濫を クイとめる 工法を あらわす 技術用語 だったとも 考えられます。技術者と しては、おおきな 声で さけびたい ほど ホコらしい 反面、くわしい 情報は 企業秘密として 公開禁止だった かも しれません。ひらたく いえば「イシ[]のクイ[]」とか「イシガコイ[石囲]」とか いう ところを、わざと 暗号 めかして「牛ヶ首」と いった のでは ないか?わたしは、そんな ふうに 妄想を めぐらして います。

来年2月の 研修会で、仙石正三 代表が「牛首と 牛ヶ首の間」と 題して 発表される 予定との こと。たのしみに して います。

 

いたち川べりの 紅葉
この 季節に なると、めったに 外出しません。朝の 散歩も、いたち川の 遊歩道 だけ。それも、雪見橋 あたりに かぎられて きます。

23日朝、ひさしぶりの 晴天。雪見橋 付近の 紅葉を ケータイに おさめました。サクラ並木の 紅葉も あらかた おちて、やがて 丸坊主に なりそうです。

遊歩道 いちめんに ちりばめられた 紅葉が 朝日に てりかがやく 姿も、そろそろ 見納めかも しれません。

 

雪見橋 歩道に ガード レール
前回の ブログで 「補修工事 完了?…車道と 歩道の シキリも しっかりした ものが とりつけられた よう ですが、まだ なにか 部品を とりつける 途中のようにも見えます」と 書きました。こんど やっと、その ナゾが とけました。「車道と 歩道の シキリ(コンクリート製)]を 土台として ステンレスの ガード レールが とりつけられて いました。これで、歩行者たちは 安心して 雪見橋を わたる ことが できると いう わけです。
それに しても、ガード レールの とりつけ 工事 だけ、どうして こんなに おくれたのか、やっぱり フシギです。

2013年11月21日木曜日

サムサがシミルころ

 
いたち川べりの紅葉、A 
 
 
 
 同上、B
 
 
 補修工事完了?
 
 
 
いたち川べりの 紅葉
ことしは、10月に なっても あつい 日が つづきました。それで、秋の 紅葉が だいぶ おくれた 感じ でした。ところが10月下旬には、すずしさを とおりこして サムサを 感じる ように なり、27日には とうとう コタツを すえて しまいました。
紅葉が おくれた のは、あつい 日が つづいて、昼と 夜の 寒暖の 差が ちいさかった から だと いいます。温度差が15℃ あると、紅葉が 飛躍的に すすむ との こと。サムサが身に シミルころになると、草木も いそいで 葉緑素を 分解して黄色に ソメたり、糖分を ためこんだり するのだ そうです。
いたち川べりの 紅葉(116)も、けっこう キレイで、シミジミ たのしませて もらいました。
 
補修工事 完了?
11月17日。散歩の おり 見た ところ では、「工事中」の カンバンが はずされて いました。これで、雪見橋の 補修工事は 完了した ので しょうか? たしかに ランカンの ギボシ[擬宝珠]と 梅鉢紋が 補修され、塗装されて います。車道部分・歩道部分 とも 全面的に あらためて 舗装されて います。車道と 歩道の シキリも しっかりした ものが とりつけられた よう ですが、まだ なにか 部品を とりつける 途中の ようにも 見えます。
むかし でしたら、地元の 住民の あいだで「雪見橋 改装 記念 祝賀会」みたいな企画が でてくる ところで しょうが、このところ ずっと 不景気風が シミつき、みなさんの フトコロ ぐあいが サムイ ので、オマツリさわぎを する 気分には なれない よう です。
 
須弥山と シュメール語の 話
すこし 話が さかのぼりますが、1021丸十さんで「越のまほろば」公開講座が ひらかれ、木本秀樹さんが「山・海の持つ文化の基層性…古代社会からの残像」と 題して 講演されました。じつは わたしの 不注意で、欠席して しまった のですが、ブログ「山川旅人日記」1024日号に 当日の 様子が 報告されて います。その 一部を 要約して 引用させて いただきます。
…好奇心旺盛な会員が「須弥山シュメル人からきたのか」という質問ができるのも、アマチュアの気安さ、そういう質問を出しやすいところがこの公開講座の面白さです。
wikipediaは、須弥とは漢字による音訳で、意訳すれば「妙高」である。須弥山頂上には帝釈天(インドラ天)が住み、阿修羅と戦い続けている。阿修羅はゾロアスター教のアフラ・マズダとミスラに対応すると書いています。そこからシュメルまでたどり着ければ難問一つ解決となります。
ヤマと云うは、ヤは高き義なり、マは圓(まどか)なるをいふなり」…こういう話(新井白石『東雅』)ならイズミさんエリアだったのに欠席は残念でした…(下線は引用者)
ここで イズミの ナマエが 出てきましたが、それは「須弥山」「シュメル人」あるいは「は…に通ず」(周礼)など、平生 あまり ききなれない コトバヅカイが みなさんの 興味を さそった からだと おもいます。悠学会の 研修会で 「スミノエ神は Mr. Smith だった」を 発表させて いただいた わたし としては、おなじくs-m音を もつ スミセン[須弥山]シュメールに ついて、すすんで 議論に 参加させて いただく べき ところ でした。
とは いうものの、この 問題に ついて、わたしは まだまだ 勉強が たりません。いまのところ 日漢英の 音韻比較 だけで 精いっぱい。シュメール語 までは なかなか 手が とどかない のです。
いま わたしが いえる ことは、つぎの ような こと です。
[須弥]は、サンスクリットSumeruに 漢字音を あてた もの。これ だけで、「妙高山」「妙光山」を 意味しますが、漢語では さらに []を つけて [須弥山]と しました。日本語では、スミ とも シュミ とも よんで います。[須弥]の つく 漢語に、[須弥座][須弥壇]が あります。いずれも「周囲 より 一段 すぐれて 高い」姿 です。仮説として いえば、su-super(above, over)(スギル[]、コエル[])の 姿、-mer モリ[盛・杜](もりあがる もの=)の 姿と 解釈できます。
サンスクリット[須弥]Sumeruシュメール語Sumerianとが どう 結びつくか、それが 問題ですが、時間を かけて しらべて ゆけば、つながる 可能性は あると おもいます。サンスクリットが インド・ヨーロッパ語として 認められた のも、わずか200年 ほど まえの こと です から。
山は…三に通ず(周礼)に ついては、わたしも ジェジェジェ でした。サン[山]の上古音はsanで、基本義は「三角形につきでる」姿。サン[三]の 上古音は samで、基本義は「上下2線の 間に、さらに 1線が ハサマル」姿。たしかに 区別が ありました。ただし、そのごs-m, k-m などの 漢語は すべてs-n, k-nの ように 変化して います。山は 三角形です から、その点では「山は…三に通ず」と いう ことに なります。ⅿ-音が n-音に 変化する ことは ヤマトコトバ でも おなじです。ミナ[]ニナ。○○サマ[]→○○サン など。
                
シュメール語と古代日本語との関係
須弥山と シュメール語との 関係を さぐる のも たのしい ユメ ですが、シュメール語と古代日本語との 関係を 真正面 から 追求している 研究者も おられる ようです。こんどたまたま ネットで さがし あてました。名古屋大学 言語文化部 国際文化研究科、近藤健二さんの「シュメール語と エラム語の 系統]と いう 研究論文です。
近藤さんは たくさんの 語彙資料を とりそろえ、シュメール語と 中国語・韓国語・日本語を 比較した 一覧表を しめした うえで、こう 断言して います。
「上の一覧表は、シュメール語が中国語と同系の言語であることを如実に物語っている。そしてまた、シュメール語が日本語や朝鮮語とも同系であることを示している。これらの言語間では、非常に多くの語が語根のレベルにおいて驚くほどに一致している。」
日本語と 外国語との 比較研究は「掃いて 捨てる」ほど ありますが、このように 語根レベル まで たしかめての 語彙比較は 説得力が あり、貴重な 研究だと おもいます。
シュメール語日本語の 対応例として、a-la-kuアルク[歩]a-ma アモ[母]ba-lヤブル[破]ホル[掘]・ハル[墾]・アブル[溢]ba-r バ[場]、ki-rキル[切]など、日本語の 音感覚で そのまま 理解でき そうな シュメール語が たくさん 指摘されて います。いちど じっくり しらべてみる ネウチは あり そう です。
中国語資料と しての 漢字表示方法 など、いくつか ナットク できない 点も ありますが、まだ ざっと よませて いただいた だけ なので、まずは もうすこし 勉強して からに します。

2013年11月10日日曜日

田の神のお祭り

 
悠学会研修会
 
 
 
 晩秋の いたち川 
 
 
 
 カモ一家
 
 
 
 延命地蔵尊
 
 
 
 ユズ
 
 
 

田の神のお祭り
1025日、日本海文化悠学会の 研修会に 出席。会場は 豊川稲荷神社 図書室。きょうのテーマは「田の神の お祭り_新川地方_」提案者は、北代 縄文記念館 代表 森喜美さん。

門外漢の わたしには、分からない こと ばかり でしたが、いただいた 資料を たよりに、なんとか おさらい してみます。

森さんは まず、日本全国の「田の神」を 3種類に 分類します。

  農耕神・作り神等、耕作に 関係する 名前を もつ もの。

  恵比寿 または 大黒 など、農耕 以外の 神に 関係する 名前を もつもの。

  その他。

そのうえで、北陸3県の「田の神」の 名前に ついて 報告されました。

富山県黒部市や入善町の「オーベッサマ」、「エビス迎え

同  小矢部市 水島地区や 南砺市 福光地区の「タンボノカンサマ

同  富山市 岩稲地区(旧細入村)の「お鍬さま

同  魚津市 経田地区の「オーベッサマ

石川県 奥能登の「アエノコト

福井県 越前市の「アイノコト

 

わたしは、「田の神」=「農耕の神」と 考えて いました ので、「農耕 以外の 神に 関係する 名前」と いう のが、どうも ピンと きません。「タンボノカンサマ」や「お鍬さま」と いわれれば「田の神」として 理解できますが、「オーベッサマ」、「エビス迎え」と いわれても、エビス神は「漁業の神」であり、「農耕の神」では ありません から、これを「田の神」と 認定する こと には 疑問を 感じます。

アエノコト」、「アイノコト」の ばあいは、この マツリの 中で「田の神」と いう 名前が よばれ、「エビス神」が よばれない こと など から、これを「田の神(まつり)」と よぶ ことに 違和感は ありません。

森さんは、「田の神 祭り」伝承と 仏教(曹洞宗・真言宗・浄土真宗)との 関係に ついても指摘されました。「田の神」に かぎらず、古代日本の「神まつり」の実態に ついて 議論したり 判断したり できる 資料が 不足して います。「オーベッサマ」や「アエノコト」などの 調査 から 神仏習合の 経過が 分かって くれば、ぎゃくに 古代「神まつり」の 実態を さぐる 手がかりが つかめる かも しれません。神道(?)に くらべて 仏教 関係では、信頼できる 文献資料が たくさん あります から、神仏習合の カラミ から、「神祭り」の 実態に ついても 客観的・合理的な 判断資料が でてくる ことが 期待できます。

 

晩秋の いたち川  
1028日。しばらくぶりに 雪見橋 から 下流の 景色を カメラに おさめました。毎日 ながめて いる 景色ですが、いたち川 両岸の サクラも だいぶ 紅葉して きた 感じです。雪見橋が 補修工事中 だからと いう わけ でも ない でしょうが、この ところ しばらく鯉の 姿は 見えません。

 

カモ 一家
112日。雪見橋の すぐ 上流で、ひさしぶりに カモ 一家を 発見。かぞえて みると、9羽の 大家族でした。(右はしの 1羽 だけ、画面 から はみだして います。) 

 

延命地蔵尊
112日。石倉町の 延命地蔵尊に おまいり。土曜日 なので、花屋さんが 店を 出して いました。あいかわらず、クルマで「お地蔵さんの 水」を くみに くる 人たちで にぎわって いました。

 

ユズ 
113日。Hさん 来訪。例によって、柿・里いも・大根・ねぎなど、どっさり いただきました。それに もう 一つ、枝つきの でっかい ユズを 1個。

Hさんの お宅は 黒部市 ですが、長年 富山の 保健所 などに 勤務して おられ、信子の姉・小柴菊枝さん(華道教師。故人)の お弟子さん でも ありました。彼女とは ただ それだけの ご縁 でしたが、ご実家が 農家と いう ことで、四季 おりおりの 作物を 小柴家に とどけられ、ついでに わたしどもの ところ まで くばって ゆかれます。それが、もう ウン十年 つづいて います。

いただいた 柿は 50個 あまり。うち 10個ほど 皮を むいて 干し柿と して つるし、あとは サワシ柿に しました。でっかい ユズは、23日 へやに かざって ながめ、そのあと 湯船に うかべました。