2014年5月26日月曜日

ひさしぶり アオサギ君に 会う

 
 
寺田医院
 
 
花壇(白銀公園) 
 
 
富山市民国際交流協会総会  
 
 
カモ  
 
 
アオサギ 
 
 
 
寺田医院
515日。寺田 皮ふ科 ひ尿器科 医院へ いって きました。
自宅から 300メートル ほど しか ない のですが、とちゅう 3回も たちどまり、一服しながら、ようやく たどりつきました。
前立腺の 経過に ついて、内心 いろいろ 心配して いた のですが、お医者さん から「順調」「心配ない」と いわれた とたんに、元気が わいて きました。
前回と おなじ クスリ 60日分を いただいての かえりみち、病院の すぐ むかいに ある 白銀公園で、花壇や 子供用遊具が ある あたりを、しばらく ぶらついて から 家に むかい ました。
 
富山市民国際交流協会総会
めったに 外出しない のですが、5月22日 午後 「富山市民国際交流協会」の 会合に 出席しました。総会 から 講演会・懇親会 まで、約 4時間。
総会の 席で、協会の 人事異動 などが 発表され ました。前会長 犬島 紳一郎さんが 名誉顧問に、富山商工会議所 会頭の 高木 繁雄さんが 会長に、前副会長の 小川 弘さんが 顧問に、それぞれ 就任。新村 節子さんも 任期満了で、総務企画委員長の 職を 石野 まり子さんと 交替された との こと。あらためて、時代の 流れを 感じ させられました。
講演会では、熊本市国際交流振興事業団事務局長の八木浩光さんが「新幹線開通にむけて…求められる国際交流協会の新たな取り組み」と題して講演。「新幹線が 開通した というだけで 地域振興が できる わけ では ない。それぞれの 地域の 特性を 見きわめ、課題を 明らかに した うえで、もっとも 効果的な 対策を 立てる ことが 必要」と 強調されました。
さいごの 懇親会の 席で、わたしは 顔なじみの 数人の 方に 近況報告の 意味を かねて「スミノエ神は Mr. Smith だった(コピー)を わたし、しばらく じぶん かってな おしゃべりを させて いただき ました。考えて みると、足腰がよわく、ふらつきやすく、お酒も 人なみには 飲めなく なった わたしが、これだけ 長時間の 会合に おつきあい した という のも、じつは この おしゃべり タイムが ネライ だった かも しれません。
いずれにしても、協会の 役員が つぎつぎ 交替し、運動体 としてのフ ンイキも 時代と ともに 変化して きています。わたし 自身、いまの 体調 から 考えて、総会出席は これが 最後に なる かもと 思いました。
 
カモ と アオサギ
5月24日。散歩の おり、雪見橋 から 下流を ながめて いると、カモ 一家の 姿が 見えました。
遊歩道 づたいに 数十メートル 下流へ 移動、その 姿を カメラに おさめた 直後。こんどは 土手の すぐ 下の 水ぎわに アオサギ君が ジッと 立って いる 姿を 発見。ウン十日 ぶりの ご対面 です。
できる だけ アオサギ君を シゲキしない ようにと 気を くばり ながら、そーっと シャッターを 切りました。よくばって、すこし 移動して、ちがった 角度 からも パチリ。計7回。その あいだ アオサギ君は、ずーっと その場に 立ちつくした まま でした。ひょっと して、こちらの 姿に 気づいて いながら、毎度の こと なので、それほど 警戒しない ように なって いたの でしょうか?
アオサギ君、きょうは ありがとう。このあと 毎日でも よい から、また 顔を 見せて ください!
<追記>
先日 東京 から 西田尚信・規子 夫妻が 来富した とき、県庁 ちかくの 松川べりで アオサギの 姿を カメラに おさめて います。松川は その すぐ 下流で いたち川に 合流しており、雪見橋 から 1~2 キロの 距離。 アオサギ君に して みれば、毎日の 行動範囲=ナワバリ内 と いう こと でしょうか。

2014年5月17日土曜日

ミドリ、ミドリゴ、「古事記を読む会」

 
 
ミドリの 遊歩道
 
 
ミドリ児  ハルト[悠人]君 、A 
 
 
ミドリ児  ハルト[悠人]君、B 
 
 
 


ミドリの 遊歩道
いたち川 遊歩道の サクラは すっかり ミドリ色に 変わりました。

しかし よく見ると、先日 ま で歩道に 敷きつめて いた サクラの 花びらの かわりに、こんどは 花の 柄の 部分 までが 散って、歩道を 赤茶色に そめて いました(5月2日)。

 

ミドリ児  ハルト[悠人]
512日、東京 から 西田尚信・規子夫妻が 長男 ハルト[悠人]ともども 来富しました。

1日 夜、藤木芳明・美織夫妻も 参加して 夕食会を 開きましたが、3歳児 ハルト君の 成長ぶりが いちばんの 話題に なりました。去年 会った ときは まだ カタコト しゃべりの ヨチヨチ 歩き でしたが、こんど 会って みると、よく しゃべる こと、よく 動きまわる こと! そのうち、なにか 歌ったり おどったり しはじめ ました。規子さんの 話では、「ふれあい コトバ」とか いう 幼児むけの 歌も できて いて、ネットで しらべれば 分かる との こと でした。

いずれに しても、ミドリの 季節に ミドリ児に 会って、その エネルギーを わけて もらう という のは、めでたい かぎりです。

<追記>

5月15日、規子さん から メールが あり、「先日の 旅行に ついて オンライン アルバムを 作成しました」との ことで、すぐ アクセスして みました。「20140501GW富山旅行」という タイトルで、悠人君 富山滞在 2日間の 記録写真 数十枚が おさめられて いました。「なるほど、こんな ことが できる 時代 なんだ!」と 感心しました。

 

「古事記を 読む 会」第2回 例会
46日に 発足した ばかりの「古事記を 読む 会」第2回 例会が 53日、茶屋町 豊栄稲荷神社 社務所で 開かれました。

前回と ほぼ おなじ 要領で、テキストを 輪読。上巻「イザナキ命のミソギ」から「スミノエ大神・アマテラス大神・スサノヲ命誕生…マサカツカツカチハヤヒアメノオシホミミ命誕生」まで、一気に 読みあげ ました。そのあと、しばらく 時間を とって、参加者 全員で 感想を 出しあい ました。  

わたし 自身の 感想…

『古事記』は わたしの 愛読書の 一つですが、いつも 黙読 ばかり。こんな ふうに 声に出して 朗読した のは はじめてです。おおぜいで、ぶっつけ本番で、これだけの 分量を輪読した のも はじめて。緊張しました。いつも でしたら、途中で 会場風景を ケータイの カメラに おさめて おくのですが、この日 気がついいた ときは もう 会合が 終わって から でした。

『古事記』の 文面を 目で おいかける だけ でなく、声を 出して 読む、また それを 耳で 聞いて 意味を 考える という のは、たしかに 一つの 方法だと 思います。ただ、じっさいの ところ たいへんな 苦行です。まず「書き下し文」とは いっても、文章が 現代文と かけはなれた 文語体。内容も 現代生活 から 想像も つかない 神代の 時代の 話。暗号の ような 神名・人名の 洪水。はじめての 読者に とって、ハードルが 高すぎる 感じも します。

さいわい、テキスト(小学館版)には 現代語訳も ついて います。また、かなり くわしい注釈も そろって います。テマヒマ かけ さえ すれば、いちおう「読んで 理解する」ことは できる でしょう。しかし、問題は その先です。

 

なんの ために 『古事記』を 読む のか?
「古事記を読む会」の みなさんは、いったい なんの ために 『古事記』を 読もうと して いる ので しょうか?また、どんな 目標を 立て、どんな 方法で 研究を すすめられる ので しょうか?例会を かさねる うち、しだいに 分かって くる ことと、楽しみに しています。

ところで、ひとさまの ことは 別と して、わたし自身 どんな 目的、どんな 目標を 設定し、また どんな姿勢、どんな 方法で『古事記』と とりくんで いるか? あらためて 自問自答して みました。自戒を こめて、書きだして みます。

  『古事記』は「宝の山」
『古事記』は、『日本書紀』『万葉集』などと ともに、1級品の 古典であり、「宝の 山」だと 思います。ただし、この「宝の山」から どれだけの タカラを 引きだせるかは、読む 人の 読み方 しだいです。「ないもの ねだり」は ダメ ですが、「古代日本人の 世界観・国家観」、「歴史観」、「言語観」など さまざまな テーマに わたって、貴重な 情報資料が えられるに ちがい ありません。

  歴史観について
いっぱんに『古事記』は「歴史書」として 読まれる ことが おおい よう ですが、その 実態は「歴史書の 体裁」を もたせた「大和政権の 政治報告書」だったと 考えるほうが より 正確と いえる でしょう。しかし、それだからと いって、『古事記』の 価値が へる わけでは ありません。
序文に 出てくる「稽古照今(イニシエ[]を カムガエ[] 今に テラス[])」という 文句は、当時 いちばんの 先進的 歴史観に もとづいて『古事記』が 編纂された ことの 宣言です。そして 21世紀の いま、考古学・歴史学・歴史学・言語学など 最新の 理論や 技術を 総動員して『古事記』を 読みとく こと こそ、「稽古照今」の 伝統を まもる ことに なる でしょう。

  コトバに こだわる
まったく 個人的な こと ですが、わたしは もともと 中国語 専攻で、この 数十年来「日本語・漢語・英語の 音韻比較」作業を つづけて います。たとえば、カツ[搗・勝]とカツ[]cut、サム[]some、スミ[炭・住・澄]smith、テラ[]・テラス[]terraceなど。この 作業で、日本語(ヤマトコトバ) 比較資料の 原典 として、『古事記』(とりわけ 歌謡の 部)や『万葉集』が欠かせ ません。
『古事記』の 用字法を しらべて みると、モジを もたなか
った 日本人が、表意モジの 漢字を 表音モジ として つか
ったり、もとの 漢字音と 関係のない ヤマトコトバに あて
て 読んで みたりしてきた 経過が よく 分かります。
モジの 発明・発達の 歴史は、コトバの 発明・発達の 歴
の くりかえし かと 見られる こと から、古代日本語の
成立・発達の 過程に かんする ヒントを あたえられる こ
とも あります。
  
日漢英 3言語の 音韻を 比較し、その 共通点・相違点を
あきらかに する ことが できれば、インド・ヨーロッパ語
と 日本語や 漢語との 関係も あきらかに なる かもしれ
ません。その点 からも、『古事記』や 『万葉集』は 「
界文化遺産」といってよいでしょう。

2014年5月6日火曜日

新緑の 季節   

 
 
ツノを出す松
 
 
  悠学会例会 
 
 
ガラス戸越の新緑 
 
 
  雪見橋から 
 
 
 
佐藤正樹詩集 
 
 
 

松の 枝が ツノを かざす
サクラの 花が 散りました。新緑の 季節に はいります。
散歩の 途中 いつも 見なれて いる 松の木 ですが、けさ ハッと 気がついた ことが あります。松の木の 枝と いう 枝が いっせぃに、その トンボ先に 茶褐色の 花を つけています。それぞれの 花の 真ん中の シベが、ツノ[]の ように ツンツン 天に むかってつきのびて います。松の木の 生命力を 見せつけられる 思いが しました。(423日)。

 

悠学会 4月 例会
25日 午後。茶屋町 豊栄稲荷神社悠学会 例会4月 研修会が 開かれ。五十嵐顕房さんが「二つの神社の式年遷宮に思う」と題して 発表されました。

五十嵐さんは「式年遷宮」、「出雲大社と 伊勢の神宮」、「大社造と 神明造」、「出雲王権と大和王権の 遺跡と 墳墓」などに ついて 解説された あと、のこされた 課題として つぎの3点を あげました。

  (弥生時代の 邪馬台国を 引き継いだのが 大和王朝と 考える 場合)倭の女王 卑弥呼が 亡くなった 年から 崇神天皇即位までの 20年あまりの 間に、日本の王権に どんな できごとが あった のだろうか。

  大国主神長髄彦の「国譲り」伝承は、どのような できごとを 伝えようと した ものだろうか。

  奈良県で ヤマト王権の中心と なって いた 所に、出雲系の神々が 祭られている。このことは、出雲王権の 人たちが、先住民として 奈良県で 生活して いて、「所の守り神」として 定着して いた こと、その神社が 皇室の「近き 守りの 神」として受け継がれた ことを 示す もの だろうか

さて、日本の「神社」や「神道」の実態に ついては、まだ 情報公開が 不十分で、客観的・合理的な 議論を すすめるための 資料が 不足して いる ような 感じが します。その点、「神道」関係者の 方々は せっかく たくさんの 情報・資料を もって おられるので、積極的に 提供し、議論に 参加して いただければと 思います。

「人の 振り見て 我が振り 直せ」という コトワザも あります。「海外で 生活してみて、はじめて 日本の国の よい ところが 分かった」という 話も よく 耳にします。「神道」の 実態に ついても、「仏教」や「キリスト教」などと、じっくり 時間を かけて 比較し、共通点相違点を たしかめた うえで 議論を すすめる ように したい ものです。

この日の テーマに 関連して、ひとつ 提案したい ことが あります。それは(アマテラスの)「テラス[]」という コトバの 意味用法に ついて 考えて みよう という ことです。この「テラス」は「タラス[帯・足]」や「シラス[]」と ともに、(地域や国家を)「統治する」の意味用法を もって いますが、もとは 仏教寺院の テラ[寺](テル[]・デル[]姿の 屋根)と 同族の コトバです。たまたま 神道と 仏教が ライバル関係に なった ため、神道がわが テラ という 語音を「アマテラス」専用とし、「テラ[]」を 禁句とした 時期が あった よう です。おなじt-rの コトバ、たとえば 日本語の タル[]・タラス[]漢語スイdhiuarchuiテイterdi英語テラスterrace(邸の張り出し部分)なども 参考に なると 思います。

 

ガラス戸 越しの 新緑
424日に、本田内科医院を たずねました。これまでも 塚本神経外科で いろいろ 検査して いただいて いるので、いちおう 安心して いる のですが、「前後左右の バランス 感覚が よく ない」とか、「ここ しばらく、かるい セキが でる」など、心配に なる 材料は いくらでも あります。たまには 内科の 先生にも 見て いただこうかと いう ことになりました。

問診・触診、聴診器を 当てたり、口を おおきく 開けさせたり、「これが 内科の 診察法」という 感じ でした。ついでに 血液検査も して いただきました。この日は、そこまで。26日、血液検査の 結果に ついて、くわしい 説明を 受け、5日分の クスリが 処方されました。「かるい セキが でる」ことに ついては、「格別の 治療が 必要な 状態では ない」との ことで、安心しました。

病院の 待合室は、ガラス戸 越しに 庭を ながめられる ように なって いました。サクラの花が 散った あとの、キミドリ色の 樹木。初夏の やわらかな ヒザシ。ながめて いる だけで ヤマイが イヤサレル 感じでした。

 

佐藤正樹 詩集
4月の はじめに、佐藤正樹さん から 詩集「ヌーベス・雲、歩いて 日々、山野歩きの 記録」が おくられて きました。1997年に「泰山木、その時の 山、房総丘陵 歩き、山行き記録」を いただいて から、こんどで 6冊目に なります。

こんど いただいた 作品の 中から、ほんの 一部だけ ご紹介します。タテガキヨコガキに したり、ベタガキの 文の 途中に スペースを いれて ワカチガキしたり して みました。作者の 意思が 正確に 伝わり やすい ようにと 考えての 実験ですが、ご無礼の 点は おゆるし ください。

 

歩いて― 五月

    風

  窓を 開け 手を 出すと 五月  顔を 出すと 緑の 中

 

        鳥の 影

  真っ向 から 頭を スキャンして いった

 

    若さ

  自転車たちが 抜けて 行く  触れると はねられ そう

 

    今日

  つややかな 光の なか 昨年の 五月は すでに 懐かしい

 

    自身へ

  一緒に 歩いて いる ようだが どこへ

  そちら から こちらが 見えるか

 

    老若混合 ソフトボール 試合

  全員 ユニホーム

  落球、トンネル、おおらかに 受け入れて

 

      西洋 タンポポ

  地面 から 浮いて 咲いて いる 首が 細い ので

  名も 知らぬ 青い 小花も

 

        小学校 前

  爆走 バイクを 見送る (何かに 当たったら)

  歩いて 当たっても 痛い ものを

 

    家路

  暑からず 寒からず 心地 よい 夕方

  葉っぱたち そよぎの ハイ タッチ

 

佐藤さんに かぎらず、日本の 詩人たちは 句読点を 使うのが おきらいの ようです。短歌・俳句など からの 伝統と いう ことで しょうか?

伝統を まもる ことは よい こと です。しかし、作者の 気持ちを できるだけ 正確に 読者に 伝える ため には、積極的に 句読点を 使った ほうが よいと 思う のですが いかがで しょうか?

佐藤さんも「落球、トンネル、おおらかに 受け入れて・・・」の ばあいは 読点を 使って おられます。伝統と いう 点では、短歌・俳句の 世界では、句読点も さること ながら、「スキャン・ソフトボール・ハイタッチ」などの カタカナ語も 使用禁止と いうのが 伝統だった ように 記憶しています。

そうした「古い伝統」を かなぐりすてて、自由な コトバヅカイでの 表現を めざした のが 自由詩・新体詩では なかったかと 思います。
漢字 だけ、カナ だけの ベタガキは よみにくい。そこで ワカチガキすれば という ことに なります。ところが、いざ ワカチガキと なると、こんどは どこで クギルかが 問題に なります。漢字・カナ まじり文の ばあいは、漢字を たよりに クギリを つけ、文脈を たどって いる というのが 実態 でしょう。ワカチガキでは 単語 ごとに クギル のが原則です。リクツは その とおり ですが、これまでの 習慣も あり、どの 程度に すればよいか、まだ しばらく テスト期間が つづき そう です。