寺田医院
花壇(白銀公園)
富山市民国際交流協会総会
カモ
アオサギ
寺田医院
5月15日。寺田 皮ふ科 ひ尿器科 医院へ いって きました。
自宅から 300メートル ほど しか ない のですが、とちゅう 3回も たちどまり、一服しながら、ようやく
たどりつきました。
前立腺の
経過に ついて、内心 いろいろ 心配して いた のですが、お医者さん から「順調」「心配ない」と いわれた とたんに、元気が わいて きました。
前回と おなじ クスリ 60日分を いただいての かえりみち、病院の すぐ むかいに ある
白銀公園で、花壇や 子供用遊具が ある あたりを、しばらく ぶらついて から 家に むかい ました。
富山市民国際交流協会総会
めったに 外出しない のですが、5月22日 午後 「富山市民国際交流協会」の 会合に 出席しました。総会
から 講演会・懇親会 まで、約 4時間。
総会の 席で、協会の 人事異動 などが 発表され ました。前会長
犬島 紳一郎さんが 名誉顧問に、富山商工会議所 会頭の 高木 繁雄さんが 会長に、前副会長の 小川 弘さんが 顧問に、それぞれ 就任。新村 節子さんも
任期満了で、総務企画委員長の 職を 石野 まり子さんと 交替された との
こと。あらためて、時代の 流れを 感じ させられました。
講演会では、熊本市国際交流振興事業団事務局長の八木浩光さんが「新幹線開通にむけて…求められる国際交流協会の新たな取り組み」と題して講演。「新幹線が 開通した というだけで 地域振興が できる わけ
では ない。それぞれの 地域の 特性を 見きわめ、課題を 明らかに した
うえで、もっとも 効果的な 対策を 立てる ことが 必要」と 強調されました。
さいごの
懇親会の 席で、わたしは 顔なじみの 数人の 方に 近況報告の 意味を かねて「スミノエ神は Mr. Smith だった」(コピー)を わたし、しばらく じぶん かってな おしゃべりを させて いただき ました。考えて みると、足腰がよわく、ふらつきやすく、お酒も
人なみには 飲めなく なった わたしが、これだけ 長時間の 会合に おつきあい した という のも、じつは この おしゃべり タイムが ネライ だった かも しれません。
いずれにしても、協会の 役員が つぎつぎ 交替し、運動体 としてのフ ンイキも 時代と
ともに 変化して きています。わたし 自身、いまの 体調 から 考えて、総会出席は これが 最後に なる かもと 思いました。
カモ と アオサギ
5月24日。散歩の おり、雪見橋 から 下流を ながめて いると、カモ 一家の
姿が 見えました。
遊歩道 づたいに 数十メートル 下流へ 移動、その 姿を カメラに おさめた 直後。こんどは
土手の すぐ 下の 水ぎわに アオサギ君が ジッと 立って いる 姿を 発見。ウン十日
ぶりの ご対面 です。
できる だけ アオサギ君を シゲキしない ようにと 気を くばり ながら、そーっと シャッターを
切りました。よくばって、すこし 移動して、ちがった 角度 からも パチリ。計7回。その あいだ アオサギ君は、ずーっと その場に 立ちつくした まま でした。ひょっと
して、こちらの 姿に 気づいて いながら、毎度の こと なので、それほど 警戒しない ように なって いたの でしょうか?
アオサギ君、きょうは ありがとう。このあと 毎日でも よい から、また 顔を 見せて ください!
<追記>
先日 東京 から 西田尚信・規子
夫妻が 来富した とき、県庁 ちかくの 松川べりで アオサギの 姿を
カメラに おさめて います。松川は その すぐ 下流で いたち川に 合流しており、雪見橋 から 1~2 キロの 距離。 アオサギ君に して みれば、毎日の 行動範囲=ナワバリ内
と いう こと でしょうか。
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