2014年7月28日月曜日

ナンカン と カモリ

 
ナンカン(カボチャ[南瓜])
 
 
 
カモリ(カモウリ[氈瓜])

 
 
 
画像に ついて
ナンカン(カボチャ[南瓜]) カモリ(カモウリ[氈瓜])の 画像は、ネット から 借用させて いただきました。本当は 自分の足で ヤオヤさん まで でかけて、写真を とらせて いただく べき ところ ですが、連日の あつさで、それだけの 体力・気力が ございません。おゆるしください。 
 
アピアの フィット・リハで
地鉄稲荷町駅の 近くに ある アピアフィット・リハに かよう ように なって、半年あまりに なります。毎週1回 定期的に リハビリの トレーニングを 受ける ことで、これまで「毎日が 日曜日」だった 生活に、一種の リズムが うまれました。スタッフの みなさんは、その道の ベテランが そろって いて 信頼できます。会員の みなさんも それぞれ 個性的な 方たちで、毎回 顔を あわせるのが 楽しみです。
リハビリの 内容は、マシンを つかって 筋肉の 機能を 回復・維持 もしくは 促進する とか、レッドコード(赤い ヒモ)に ぶらさがって 安全を 確保しながら、いろんな ポーズをとり、それぞれ 特定の 筋肉を きたえる など、カラダの 体操が 主流です。あわせて、認知症予防の ために、アタマの 体操として 「シリトリ」などの コトバ遊びも くみこまれて います。
先日は「野菜づくし」ゲームの 中で 「ダイコン・ニンジン・ハクサイ・キュウリ・カボチャ」に つづいて、「ナンカン」が とびだし、ひとしきり 話題に なりました。
 
カボチャの 富山弁、ナンカン
平生 なにげなしに つかって いる コトバですが、漢字で ナンカ[南瓜]と 書いて、どうして カボチャ もしくは ナンカンと よめる のか、たしかに フシギです。家に かえってから、『広辞苑』(第1版)で しらべて みました。
カボチャ[cambodia・南瓜] (インドシナのカンボジャから伝来したからいう)ウリ科の1年生蔓草。トウナス[唐茄子]とも。
カラウリ[唐瓜] ①キュウリ。 ②トウナス。
トウナス[唐茄子・蕃南瓜] ①東京地方で、カボチャ[南瓜]類の総称。②カボチャの一種。京都付近に栽培し、果体は長く瓢箪形を呈し、表面は平滑または瘤質をなすもの。カラウリ。
ナンカ(ナンクヮ)[南瓜]→カボチャ。
ナンキン[南京] 昔時、中国方面から渡来したものに冠した語。②珍奇なもの、または小さく愛らしいものに冠した語。③南京人の略。④南京焼の略。⑤トウナスの異名。                                                                                                                                                                
ごらんの とおりで、カボチャが いろんな 語音で よばれて いる ことが 分かりましたが、ナンカン という 呼び名は 出て きません でした。そこで、簑島良治さんの『日本のまんなか富山弁』で さがして みると、
ナンカン[南瓜][植]カボチャ。[南瓜]の音読み。
と解説して ありました。これで、ナンカンが 漢語 ナンカ[南瓜]nangua 由来の 富山弁だと いう ことが 分かりました。
それに しても、[瓜]の 漢字音は もしくは クヮ であり、カンと よめる はずが ありません。ナンカが いつ・どうして ナンカンに 変化した のか?ナゾは まだ のこります。
 
カモリは カモウリの 富山弁
「野菜 づくし」ゲームの 中で、カボチャ・ナンカンの つぎに、カモリ・トウガンが とびだし、ここでも カンカン・ガクガクの イドバタ会議で にぎわいました。
カモリに ついては、『日本のまんなか富山弁』に
カモリ[氈瓜]トウガン[冬瓜]。カモは「セン[氈](毛むしろ)」の古名「カモ」に由来。表面の細毛を指す。
と 解説されて います。これで、カモリは 由緒正しい ヤマトコトバの 出身だと 分かりました。ついでに、『時代別国語大辞典・上代編』(三省堂)の 解説を 見ると、
カモウリ[冬瓜]トウガン。ウリ科1年生のつる性の植物で、若い実の全面が柔軟な毛でおおわれるので、カモウリ[氈瓜]と呼ばれたのであろう。熟した果子を食用にする。種子は薬用。
と あり、カモに ついても いろんな 意味用法が 紹介され
て います。
カモ①[]カモ。マガモ・コガモなど、種類がおおい。秋に北方から来て、春帰る渡り鳥。水辺に群がり住む。
カモ[] 毛織の敷物。もうせん。(毛織の敷物)。万葉では「氈」がカモの借訓仮名として用いられる。「妹は珠カモ[氈]」(萬1415)[考]法隆寺資材帳・大安寺資材帳などにも「氈」の例がかなり多く見られる…輸入品があったことも確実だが、現存のものの紋様からみてペルシャ産のものかといわれる。→オリカモ[織氈]
カモ(助詞) 詠嘆・疑問・反語・願望を表わす。[考]語源的にはカ+モであるが、当時2語として意識されたか、1語として意識されたかは、明らかでない。
オリカモ[氈]毛織の敷物。毛氈の類。オリカモ[織氈]か。
 
k-m音語のひろがり
古代日本人は、k-mが だいぶ 好きだった ようで、上代語の 段階で 2音節動詞 カム[噛・醸]・クム[組・汲]・コム[子産・浸・籠・込]が 成立して おり、その 動詞 カムのまわりに 名詞 カマ[鎌・竈・釜・蒲]・カミ[髪・上・嚙・神・紙]・カメ[亀・瓶]・カモ[鴨・氈・賀茂] など、動詞 クムの まわりに 名詞 クマ[隈・熊]・クミ[]・クメ[久米]・クモ[雲・蜘蛛]などが 成立して います。
ここで 注目したい のは、これらのk-m音語共通の 基本義を もつ 単語家族として 成立して いる ことです。たとえば カム[]・クム[]・コム[]の 3語は、一見した ところ 相互に なんの 関係も ない コトバの ように 見える かも しれませんが、じっさいに 声を 出してkamu, kumu, komuと よみあげ、自分の 耳で ききとり、その 意味を さぐって みると、しだいにk-m音語の 共通基本義が 見えて きます。食品を カム 姿は、上歯と 下歯と 食品を クミあわせる 姿 であり、いいかえれば、上歯と 下歯の あいだに食品を おしコム 姿です。つまり、k-m音語には、k-m音 独特の 基本義が コメられて いるの です。
考えて みると、この種の 現象は 日本語(ヤマトコトバ)に かぎった こと では ない ようです。漢語でも、英語でも おなじような 現象が 見られます。
現代漢語にはk-m音の 音節が ありませんが、上古音では k-m音語が 流通して おり、その後 k-n音語に 合流して しまった ことが あきらかに なって います。たとえば カン(カム)kam甘・柑ganや、カン(カム)klam監・鑑jian などが そうです。上歯と 下歯で 食品を カム姿が カム[] であり、カミしめる ことで ミカン[蜜柑]の 甘味を 感じとる ことが できる という わけです。また、日本語では「水を カム[]・コム[]」姿の 容器を カメ[]と よんで いますが、漢語でも「水を 張った 大皿」を カム[監・鑑]と よびます。その 水面に 影を うつす ことで 自分の 姿を 見る ことが できる カガミ装置です。この カム[監・鑑]は、もともと 「水を カム 容器」の 意味 から、「そこに 実在する はずの ない ものの カゲ[]を カム 容器=カガミ」、「カガミを 見る」、「カンガミル(しげしげと みさだめる)」の 意味に 変化して きたと 思われます。
英語でも、日本人に おなじみの k-m音語が たくさん あります。
Combination(組みあわせ)company(仲間。会社)は、「Aと Bが カミあう、クミあう 姿」であり、その点では compare(比較する)game(ゲーム)も おなじ 姿です。さらに いえば、日本語の カミ[]は「頭に カミつく 姿」ですが、英語の comb(くし)cam(機械)も 「頭・髪などに カミつく 姿」です
 
「ナンカン」「カモリ」など 富山弁の 話から、ついつい 脱線して しまいましたが、k-m音語に かんしては まだ 論じたりない 感じです。富山県にも いる カモシカに ついて、『広辞苑』に
カモシカ[羚羊・氈鹿] (カモ[]に織る鹿の意)…モウセン[毛氈]などを織るに用いた。肉は食用。別称、カモシシ、ニクシシ、クラシシ、アオシシ、カマシシ。
と 解説されていますし、また 先日(7月23日) NHK テレビ放送 「歴史秘話 ヒストリア…びわ湖と 日本人、驚きの 秘密を 徹底解明」の 中でも、「京都祇園祭りの 曳山にかざられて いる 絨毯の 素材を 調査した 結果、カモシカの 毛だと 判明した」と 報道して いました。
夏バテの 季節が おさまったら、もういちど あらためて とりあげて みたい テーマです。

2014年7月17日木曜日

台風 と 立山 

 
 
白銀公園の花壇A
 
 
白銀公園の花壇B 
 
 
白銀公園の花壇C 
 
 
 
「古事記を 読む 会」追記
前回の ブログで 書きのこした ことを 補足します。
「古事記を 読む 会」は 4月に スタート。7月6日に 第4回例会を すませ、8月は 夏休み という ことに なりました。まずは 第1学年 第1学期を 終了した ばかり ですから、いまの 段階で 会員たちの 学習レベルが どれだけ 向上したかを 議論するのは ヤボな 話だと 思います。
そんな こと よりも、この 学習サークルが このあと 確実に 成長して ゆける ような シクミづくりが できつつ あると 感じられる 点に 注目し 期待したいと 思います。
その 一つが、機関誌の 発行 です。毎回 まったくの 初心者を ふくめて 「輪読」が 強行されます ので、ともすると 消化不良を おこし やすく なります。途中休憩の 時間や、輪読終了後に みんなで 質問や 意見交換の 時間が ありますが、じっくり 討論できる ほどの 時間は ありません。そこで、出席者の 手元に ちいさな カードが 配布され、各自感想・意見・質問などを メモして 提出する ことに なって います。その メモの 内容を事務局五十嵐俊子さんが とりまとめ、機関誌に のせ、つぎの 月例会で 出席者に 配布する という シクミです。  
たとえば 7月6日 発行の 機関誌No.3には、前回(6月8日) 提出された メモの 内容が紹介されて います。
  久延毘古は、どうして(スクナビコナ神の)全てを 知っている のでしょう。
  少名毘古那神は どうして 初めに 名乗らなかったか 不思議に おもいました。何か 言いにくい 理由が あった のでしょうか?
(以下、たくさんありましたが省略)
この「メモ紹介記事」に よって、ひとりひとりの 会員が もって いる 疑問や 意見などが 全会員に 知らされる ことに なります。テーマに よっては、会員の 中に 解説や 意見提案を お願い できる ものも ある でしょう。毎回 2時間しか ない 研修会の時間配分を いろいろ くふうする ことで、初心の 参加者でも 毎回 学習効果を 実感できる ような 研究サークル として 成長して ゆくことが 期待できると 思います。
 
寺田医院の帰り道
7月11日 午前。台風の 進路が 心配でしたが、富山は どうやら 暴風雨の コースからまぬがれた よう です。思いきって、2か月ぶりで 寺田皮膚科へ でかけました。この日は 体調も わるく なかった ので、タクシーは よばず、自分の足で あるいて みようと 思いました。
いつもの とおり 無事 診察が おわり、60日分の くすりを いただいた あと、白銀公園に 立ちより、しばらく 花壇を ながめて から 家路に つきました。
 
台風と立山
台風 8号は 数日 まえ から「最強 レベルの 台風、もろに 日本列島 横断!」と 報道され、富山でも みんな 心配したり、カクゴしたり していたと 思います。結果的には、長野県 ナギソ[南木曽]土石流が 発生して、一家 4人が 巻きこまれ、12歳の 男の子が 死亡する などの 被害を もたらし ましたが、富山県に かぎって いえば、それほど おおきな 被害は なかった よう です。心配して いた 分、ぎゃくに ヒョウシヌケした 感じが した ほどです。
富山県は、常願寺川を はじめ、もともと 暴れ川の おおい ところ です。それだけに、砂防ダムを つくる など 治水工事に つとめて きました。だから、そこそこ 大雨が 降っても、土石流を おこす ことが ない。そんな ふうに 考えたい 気持ちも ありますが、現実は もっと きびしい ようです。沖縄に 上陸した 台風8号が 途中で コースを 変え、本州の 太平洋側を 東へ 進んだ 結果、北陸地方は 台風の 被害が すくなくて 済んだ、という だけの ことで、もし まともに 台風コースに 巻きこまれて いたと すれば、おおきな 被害を うけたに ちがい ありません。
富山県が 台風コース から はずれた のは、こんど だけでは ありません。わたしの 記憶では、むしろ 毎度の こと です。それでは、どうして 台風コース から 富山県が はずれた ので しょうか?シロウトの わたしには よく わかりませんが、「立山連峰が ジャマになって、北上 できなかった」と いう ふうに、かってに 解釈し、ナットクして います。
地震・ツナミ・洪水・土石流など、大自然の イトナミは「ナンデモ アリ」の 世界。人間の 常識では「理不尽」な こと でも、自然界の 現象は すべて「起こる べく して 起こる(原因が あって 結果が 生まれる)と されて います。
富山県が 台風の 大災害を まぬがれて いる のは、短期的に 見れば「アタリマエ」と いえますが、長期的に 見れば「アリガタキ[有難] コト」(メッタに ない こと)と いう べき でしょう。
海抜 三千㍍ クラスの 立山連峰が カベと なって、台風の 北上を 阻止する」と いう 現象を、富山の 住民たちは 「立山大権現 さまの おかげ」と うけとって いる よう です。大自然との つきあいの 中で 生まれた 宇宙観・自然観の 表われ であり、あるいは 一種の「生活の チエ」と 見ても よい でしょう。

2014年7月9日水曜日

アジサイの 季節

 
 
アジサイA
 
 
アジサイB 
 
 
アジサイC  
 
 
「越の まほろば」公開講座 
 
 
 
悠学会 研修会  
 
 
古事記を 読む 会 
 
 
 
 

アジサイの 季節
このところ ツユ空が つづいて います。いたち川 ぞいの 遊歩道を 散歩して いて、目をたのしませて くれる ものと いえば、やはり アジサイの 花 でしょう。赤・白・青 など、色 とりどり。形も、大輪の もの から 額縁に はめた 姿の もの まで。

ところで、アジサイの 語源が まだ よく 分かって いません。ふつう 漢字で シヨウカ[紫陽花](ziyanghuaと 書きますが、この 語音では アジサイ まで たどりつけ そうに ありません。それ どころか、[紫陽花]は アジサイとは 別の 花の 名だ という 説も あります。手元の 中国語辞典を しらべても、[八仙花] baxianhua[綉球花] xiuqiuhuaは 出て きますが、[紫陽花]は 出て きません。

音韻面 から、もっとも 説得力を もつと みられる のが「アヅサヰ[集真藍]の なまり 説」です。「藍色が 集まった もの」と 解釈する 立場ですが、これにも いろいろ 解釈が 分かれて いる ようです。わたしと しては、アジサイが もと アヂサヰ だった ことは あきらか であり、アヂアツ[]・アツム[]・アツ[]・アツサ[] などの アツと 同系の 語音だ という ことも 認めて よいと 思います。アヰが ヰだけに なって いる のも、先行する アヅサの 語尾母音 が-aなので、アヰの a-母音が かすんで(脱落して) しまったと 解釈 できます。

アジサイを めぐって、こんな 話も あります。日本の 額アジサイを ヨーロッパに 持ちこんだ のが シーボルト 博士 だった という 話。日本滞在 当時の 愛妻の名 「お滝さん」に ちなんで、オタクサHydrangea otaksa)と 命名して 学界で 発表、物議を かもしたと いう のです。

アジサイ・オタクサに かぎらず、コトバの 語源を たずねて ゆくと、こんな ふうに 解釈が いろいろ 分かれたり、途中で 脱線して 想定外の 語源談義に なったり する ことも あります。考えて みると、それが コトバと いう ものの 宿命 なの かも しれません。

 

「越の まほろば」公開講座
6月26日 午後、千代田町「まる十」2Fで「越のまほろば」公開講座が あり、松山充宏さん(射水市教委主任学芸員)が「放生津の 海と 祭り」と 題して 講演。たくさんの 資料(写真など)を 用意して、放生津(新湊)曳山の あゆみに ついて 解説されました。

おかげさまで、「放生津と いう 地名の 由来」や 「曳山を 執行・管理した 町人衆の 実態」などに ついいて、すこし だけ 理解できた 感じです。

ミコシ[神輿]ヒキヤマ「曳山」との ちがいに ついては、「神の 乗り物(人が かつぐ)」が ミコシ であり、「神の 関係者(?)を 台車に 乗せ、その 台車を 群衆が トモヅナ[艫綱]で 曳きだす 装置」が ダシ[出・山車]もしくは ヒキヤマ[曳山]と 呼ばれて いる ようです。「山」、「山鉾」、「笠鉾」、「祭屋台」など との 関係に ついても、もう すこし 学習したいと 思って います。

 

悠学会 研修会
6月7日 午後、茶屋町 豊栄稲荷神社 社務所日本海文化悠学会の 研修会。高林英紀さんが「名護屋・平戸方面 旅日記」と 題して 報告され ました。

高林さんは 富山市民大学鈴木信昭教授(富山大学 人文学部)から「日本と 朝鮮半島の歴史と 文化」を 学んで きた 関係で、昨年12月から 今年に かけて、鈴木教授の 企画に よる 壱岐・対馬、また 名護屋城跡・平戸方面 への 研修旅行に 参加された そうです。

つい 先日まで 韓国ドラマ ブームで おおさわぎ して いましたが、ここ しばらく 日本と 韓国や 中国との 関係が あやしく なって きました。こんな とき こそ、東アアジア民族交流の 歴史を 見なおし、大局の 判断を まちがわない ように したいと 思います。

ネットで 鈴木教授の ことを チェックして みました。「専門分野: 朝鮮史、東アジアキリスト教史」、「研究テーマ:朝鮮 西学史、イエズス会士 編述の 漢訳西学書の 調査研究」などと 書かれて いました。「いい シゴトを して おられますね」と 敬服しました。

 

「古事記を 読む 会」に 中国人 留学生
7月6日 午前、豊栄稲荷 神社 社務所で「古事記を 読む 会」(第4回)が 開かれました。この日の 輪読会に、中国人 留学生 徐久翔Xu Jiuxiangさんが 参加しました。中国 江蘇省 出身で 富山大学 薬学部に在学中。友人の 五十嵐さん(富大薬学部 学生。会員 五十嵐顕房・俊子夫妻の 娘さん)の 紹介で、今回が 初の参加。きょうは 見学だけ かな と思って みて いた ところ、いきなり 輪読に 挑戦。途中で すこし つまずき そうな 場面も ありましたが、その点は 日本人の 会員も 大同小異。なんとか 2回の 輪読を つとめました。

そもそも、いまどき「古事記を 読む 会」という のが めずらしい 存在。20人 足らずの 会員中、親子3人が 会員という のも、ちょっと 変わって います。そして きわめつけは、この 時期に 中国人 留学生が 参加した という 事実です。

孫子の兵法に、有名なコトバがあります。「敵を知り己を知れば、百戦危うからず

いまの日本人・中国人・韓国人は、おたがい 相手の ことを どれくらい 知って いる でしょうか?スポーツの 世界の ことを 考えて みても、まずは 敵チームと 見方チームの実力を 冷静に 判断し、できるだけ よい 環境で 対戦する よう 努力する でしょう。五十嵐さんと 徐さんの ような コンビが たくさん 増えて くれば、それだけ 無謀な 戦争を しないで すむ 可能性が 増えて くる でしょう。
8月は 夏休み という ことで、次回 9月7日の 再会が たのしみです。