2015年1月25日日曜日

イノチ とは なにか?

 
 
『遺伝子と宇宙子』
 
 
図1. 
 
 
 
図2. 
 
 
図3. 
 
 
 

昨年 からの 宿題
ボケ防止の ため 毎日 パソコンに むかって いますが、機械の ほうが 日進月歩 なので、94歳老人と しては なかなか ついて ゆけません。「いたち川 散歩」と 「コトダマの 世界」と 二つの ブログを 5日間 交代で 公開する ことを めざして いますが、それが むつかしい のです。

「毎日が 日曜日」です から、時間は いくらでも ある はず ですが、この 年齢に なると 心身 ともに 回転が おそく なります。そのうち「あとは、あしたに まわそうか」と いう ことに なって しまいます。

ブログに のせる 記事に まちがいが ない ように と、天眼鏡を もちだして 辞典や 資料の モジを たしかめる 作業が おおい ので、目が つかれます。その せいも あって、この ところ「読書」と いえる ような 時間は ほとんど ありません。

そんな ところへ、年末に寺尾 純(サトシ) さん から1冊の 本が おくられて きました。「私が 尊敬して いる 西園寺 昌実 先生の 共著です。お読み いただければ 幸いです」と ソエガキして ありました。

寺尾 さん とは、むかし わたしが 県立 雄峰高校に 勤務(中国語科、非常勤講師)していた ころ からの おつきあい。寺尾 さんは 英語の 先生 ですが、教務係も 担当して おられ、いろいろ お世話に なりました。わたしの 印象 では、「ミスター まじめ」。そして「ミスター 国際理解」。寺尾 さん から いただいた 年賀状が 数年分 手もとに のこって いますが、いずれも 第1行目に「世界人類が 平和で ありますように」と 書かれて います。

寺尾 さんは、わたしが 尊敬する 人。その 寺尾 さんが 尊敬する 人の 著書とも なれば、マジメに、シッカリ 読まなければ なりません。そう 考えて、この本を 読む ことが、正月休みの 宿題に なって いました。

 

遺伝子と宇宙子
本の 名は『遺伝子と宇宙子』。村上 和雄(筑波大学 名誉教授、遺伝子工学)と 西園寺 昌美(「白光真宏会」会長、「ワールド ピース プレヤー ソサエティ」代表、世界賢人会議 メンバー)の 対談記録を 中心に まとめた もの。201410月、致知出版社刊。

表紙カバーの 帯封には「いのちとは なにか…体の 設計図は 遺伝子だが、宇宙にも宇宙を動かす遺伝子(=宇宙子)がある。遺伝子工学の権威と、世界的精神指導者が語り合った命の根源と、人として歩むべき道…これは人類の未来をひらく啓蒙の書といえる」とあります。

以下、「モクジ」に したがって、内容をご紹介します。

ブロローグ(村上和雄)…西園寺昌美さんとの出会い…体の設計図が遺伝子なら、宇宙子は宇宙の設計図…科学と宗教の融合ははたして可能なのか…人類が存続するためには人間が変わらなくてはならない

<対談記録>

第Ⅰ章、遺伝子とは何か
 DNAの中の遺伝子…遺伝子とは何か?…遺伝子のさらなる働き… ペアについて(遺伝子における①利他的な自己解体と利己的な自己複製の働き、②誕生と死)。

2章、進化する細胞
 つながりあう世界…一貫性と多様性…心の設計図はどこにある?…0,5パーセントのブレによる進化…死があるからこそ進化できる。

第3章、人間に秘められた可能性
 常識・固定観念は幻想である…“成就は‟不可能”という固定観念を超えるキーワード。

第4章、サムシング・グレートの意志と宇宙子
人間に与えられた普遍の可能性…人間はサムシング・グレートの表現体…誰でもが‟死亡率百パーセント…死についての固定観念を覆す。

エピローグ(西園寺昌美)
神性復活の潮流はすでに始まっている…宇宙全体に関わっている人類の意識…サムシング・グレートから託された大いなる使命…世界と人類の進化を担うもの…ゼロ次元の「今」を生きる…自分が変わればすべてが変わる。

 

読後の感想
「遺伝子工学」、「DNA」などと いわれると、「そんな むつかしい 話、分かる わけ ない」と 敬遠する 気持ちが 半分、「こわいもの 見たさ」の 好奇心が 半分。おそる おそる、プロローグ から 対談記録へと 読みすすめ ました。

対談記録と いう ことも あり、日常会話の フンイキの ままで 遺伝子の 解説 から 宇宙観・文明論に まで 議論が 発展して ゆきます。讀み手と しては、いつの まにか 警戒心を わすれ、自分も この 対談の 輪に 参加して いるような きもちに なって きます。

対談の はじめに まず(図1)細胞の 内部、(図2)核の 内部に 収められて いる 染色体、(図3)染色体の 構造、など DNA(遺伝子)に ついて 分かり やすく 解説した ことが 効果的だった ように 思われます。

ただし、その さき 「常識・固定観念は 幻想で ある…」、「人間は サムシング・グレートの 表現体…」、「誰 でもが 死亡率 百パーセント”…」、「死に ついての 固定観念を 覆す」まで 話題が 発展します ので、対談の 内容を どこ まで 理解できるか、讀み手の 人生体験 などに よって わかれて くるかと 思います。

わたしの ばあいは、「人類の 体の 遺伝子」を 「人類の コトバの 遺伝子」に おきかえて 考えて みました。体の 設計図と して 遺伝子が あると すれば、ヒトの コトバにも設計図と しての 遺伝子が あると 考えて よい のでは ないかと いう わけです。

たとえば 日本語・漢語・英語に ついて 考えて みると、英語は「インド・ヨーロッパ語族」の 一員と して 共通の 遺伝子を もって いると 思われます。しかし、漢語や 日本語の 遺伝子研究(=音韻研究)が おくれて いる ため、他言語(英語 など)との 比較研究が できて いません。したがって、日漢英の 3言語が 「共通の 遺伝子を もって いるか」、「共通の 遺伝子とは どんな 遺伝子か」、「日本語は 英語 よりも 漢語に ちかい 言語と いえるか」などの 問題に ついて 客観的・合理的な 判断材料が ない と いうのが現状 です。
日本語の 研究者・教育者・愛好者の みなさんは、この 現状に ついて どんな 風に お考えで しょうか?

2015年1月12日月曜日

ことしの 年賀状 から

 
 
梅に メジロ(版画)
 
 
エト(ひつじ)と 家族
 
 
 ギター中心の 生活(自画像)
 
 
立山と おわら 風の盆     
 
 
海王丸 パーク からの 眺望  
 
 
富士山と サクラ  
 
 
利休筆[]

 
 
俳句 
 
 
 
ひらがな づくし
 
 
 

わたしは 2010年の 夏 から ブログを はじめ、2011年の 年賀状で「年賀状は ことし かぎりに して、あとは ブログに 集中する 予定です」と 一方的に 宣言して しまいました。そのあと 年賀状の 数は 半分以下に なりましたが、ことしも 数十通の 賀状を いただきました。ありがたい こと です。

その 中から いくつか ご紹介します。

 

梅にメジロ(版画)  
むかしの 生徒さんで、毎年 版画作品の 賀状を 送って くださる 福田 温亘 さん。ことしの テーマは「ウメに メジロ」。ハガキの 余白に

毎年春になると、庭の梅の木に目白が来ます。今年も災害の少ない平和な年でありますように。

と ソエガキして ありました。

 

エト(ひつじ)と 家族      
わたしの 兄(故人)の 長男夫妻 からの 年賀状。最近の 年賀状には この タイプの ものが おおい ですね。わたしどもの 年齢 では、こうした 器用な ことは できそうも ありません。

 

ギター中心の 生活(自画像)                
中国語の 関係で ご縁を いただいた Sk さん。ますます ご健在の ご様子。「ギター 中心の 生活」とは、うらやましい ですね。

 

立山と おわら 風の盆         
Swd さん からの 年賀状。「太陽と 松」+「ひつじ」+「立山と おわら 風の盆」。すこしヨクバリ すぎの 感じも しますが、フルサトの 風景も すて がたい です。

 

海王丸 パーク からの 眺望      
Knk さん からの 年賀状。立山連峰と 新湊大橋を 背景に した 海王丸。その 姿 から あらためて「世界に つながる コシの 国」を 意識させられ ました。

 

富士山と サクラ             
在宅訪問 マッサージ 治療院 さくら さん からの 年賀状。ヒノマルを 背景に 富士山をえがき、サクラの 花を 雲に 見たてた デザイン。介護関係の 企業の 経営は きびしいとも いわれて いますが、あかるい イメージの 中に、さりげなく 企業名を うりこむ 感覚に 敬服です。

 

利休筆[]                  
座禅に励んでいる」というNzkさん からの 年賀状。漢字ミョウ[]の 解説は 、たしかに 絶妙です。 

(みょう)の字は 少(わか)き女の みだれ髪
結ふ(言ふ)に ゆわれず 解く(説く)に とかれず

 

俳句                        
福岡市に お住いの 川述 昌子 さん からは、俳句を そえた 年賀状を いただきました。

 満天の 星をいただき 年迎ふ

 

ひらがな づくし       
東京の 林 徹 さん とは、古くからの つきあい ながら、このところ ずっと 賀状交換 だけの 状況です。ことしは「ひらがな づくし」の 年賀状を いただきました。

これは これで、芸術的な 作品だと 思いますが。このつぎは 21世紀らしく、「ヨコガキで ひらがな づくしの 年賀状」を考案して いただけたら と ひそかに 期待して います。

2015年1月6日火曜日

雪ごもりの お正月

 
 
町内所見、1/1 
 
 
石倉町延命地蔵尊、1/2 
 
 
いたち川 べりの 雪、1/2 
 
 
雪見橋あたり、1/2 
 
 
雪見橋からの ながめ、1/2 
 
 
 

1月1日()
あけまして、おめでとう ございます。ことしも、どうぞ よろしく お願い いたします。

ところで、2014年の 年末は あわただしく すごしました。ケータイ電話が 不調に なり、スマホに 切りかえた ものの、ハイカラ すぎて、いつに なったら 使いこなせるか 見当が つきません。そして、ブログの 日程も おくれ 気味、など。アタマの 中で 考えて いた ことが、いざ 実行と なると つまづいて ばかり です。

しかし、グチを こぼして いても 問題の 解決には なりません。そこで、ぎゃくの 発想法をとる ことに しました。高齢者とも なれば、心身 とも ハタラキが にぶく なる のは あたりまえ。せっかく オテント さま から さずかった イノチ。このあとは、いそがず、あわてず、自分流の いきかたを する だけ、という こと です。

この日の 朝、玄関を あけると、そとは いちめんの 銀世界 でした。砂町の 通りは 消雪装置が して ある ので、クルマの 通行に 不便は ありませんが、家の 屋根、駐車場の クルマ、植木 などに、こんもりと 雪が つもって いました。地上 すべての  ものが 白装束元旦を むかえた という 感じ でした。

雪道を 散歩して いて、ケガでも したら たいへんと いう わけで、散歩も とりやめ、一日中 コタツに はいって テレビを 見たり、年賀状を よんだり して、のんびり すごし ました。

1月2日()
朝の 散歩を かねて、石倉町の 延命地蔵尊 まで おまいりに いって きました。いつも 「お地蔵さんの 水」を くみに くる 人たちで にぎわって いる 場所 ですが、この日、この時間帯 ばかりは ひっそり して いました。わたしが おまいりを すませ、帰り かけた とき、ようやく ひとり 女の方が 見えた だけ でした。

初もうでと いえば、むかしは 元日 そうそう かならず 山王さん(日枝神社)へ おまいりに いって いました。しかし この 数年来、いちども おまいり して いません。そのかわりにと いっては 不謹慎に なりますが、石倉町の お地蔵さんへは よく おまいりする ように なりました。

「初もうで」を すませた あと、ゆっくりと いたち川 べりの 雪景色を 見て まわりました。と いっても、遊歩道は 雪が つもって 歩き にくい ので、その わきの 道路(融雪装置つき)を 通りました。雪見橋では 歩道の 部分 まで 除雪して ありましたが、そのあと さらに 雪が ふった ようで、通った 人の クツアトが はっきり 残って いました。橋の ランカンギボシ にも 雪が つもって いて、「これが 雪見橋の 雪」と 自分ひとりで シャレて いました。ランカンの 雪を すこし はらい おとして、いつもの 位置で 「雪見橋 からの ながめ」を 写真に とる ことが でき ました。

ごらんに いれた 写真は、使い方が ろくに わからない まま スマホで 写して みた ものです。フテギワの 点、おゆるし ください。
さて、いよいよ 2015が はじまり ました。景気は よく なる でしょう か?日本と 韓国・中国との 関係は どう なる でしょう か?いろいろ 気に かかる こと ばかり ですが、自分自身の ことで いえば「ことしも ブログを つづけ られる か」「それだけの 体力・精神力を もちこたえ られる か」という 問題が あります。まあ、やれる だけの ことは やって  みましょう。