佐藤正樹詩集
藤原彰子書作
「あそびをせんとや」
4月下旬、佐藤正樹さん から 詩集『あそびをせんとや…』を
おおくり いただき ました。これまで いただいた シ リーズの 7冊目に なります。
このシリーズ1冊目(1997年)のタイトルが「泰山木」「その時の山」「房総丘陵歩き」「山行記録」という4本立てでした。「ちょっと変わったタイトルだな」と思いました。それが2冊目から3本立てに変わりました。こんど7冊目の
タイトルも 「あそびをせんとや」「どくだみの花」「昔むかし」と3本立てに なって います。
シリーズ 初期の ころは、「山歩きの 歌」が おおく、「山歩きの 記録(文)」も かなりの 紙面を 占めて いました。7冊目 では、本文 167ページの うち、161ページ までが 詩作品に 当てられ、あとは「中米の山」(山歩きの
文)と「信州・佐久の歌」(追憶の 文)に 各2ページを あてて いる だけ。「あとがき」にも「山歩き野歩きの代わりに日々その辺を歩きまわっておりました」と記しています。
長年の
おつきあいで、わたしも すこし ずつ 佐藤さんの 気持ちが わかって きた ように 思います。こんどの 詩集の 中から、わたしが かってに 感心したり 共鳴したり
した 作品を いくつか ご紹介 させて いただきます。
見たままを コトバに つづる
佐藤さんの 詩作を 読んで いて、ハッと
きづかされる のは、まわりの ものを 見る マナザシが タダモノでは ない
こと です。独自の 視点で 見た 映像を、忠実に コトバ(音声信号)に
ホンヤクして いる と いった 感じです。たとえば;
歩き名人
帽子から靴までいかにも歩く人
たすきまでかけている
近づくとたすきではなく柄物マフラー
出合い
速度を緩めて車が急坂を上がる
続いてもう一台
大きい目が二つの昆虫顔
ハクモクレン咲く
旅をしてきた白い鳥がいっぱい風に吹かれ止まっている
どくだみの花
緑の中の白襟看護のひと
集まるここは看護学校の卒業式か
白襟がいっぱい
落し物たち
子供のアクセサリーが落とされて小さな宇宙の銀砂に
動物から別れた落し物 砂をかぶり道のまん中に
はと
改めて見れば全身立派な刺青 目の周りまで彫っている
こども
毎日脱皮 洗濯干しものがぶら下がる
春先の人影
小鳥たちはささやき 鳥の声までも空気に溶け込んでいる
ひとはふくらんでO ベビーカーでK 颯爽とⅩで歩いている
老を 歌う
佐藤さんの 作品には、もちろん 赤ちゃんや 子供たちも 登場しますが、老人も
しばしば 登場します。高齢者の 所作、あるいは まわりの 人たちとの 関係 などが、独特な視点から きりとられ、えがきだされて います。たとえば;
真夏のような六月
老若男女の町中をあるく 人に触れないよう
よろけぬよう躓かぬよう いつからか
女子同級生
もう八十だから―
「私齢はひみつにしている」
そうだね 貴重なまだ七十代
「そう貴重なまだ七十代」
運動欲
歩幅 抜き足速度
ふらつき度数 ひっかけ度数
平日並みで事もなし
床屋
鏡の中から外へさらさらと光る白毛落ち葉
自分を 見つめる もう 一人の 自分
自分が まわりの ものを 見つめて いる。という ことは、その 自分を
見つめて いるもう 一人の 自分が いる から こそ できる ことです。この「もう 一人の 自分」の 目が 随所に 感じられます。たとえば;
今日のバランス
まねてよろめく蹲踞の力士を 躓くを見られる電線の小鳥に
訪問客と家人
玄関口に電話口にと訪問者 あっさり丁寧に断っている
カメラをとりにそそくさ戻っている 今日の客に
写っているのはドアに来ていた天道虫 色鮮やか
電話した日
隣と話すように電話
広がっている「おのれ」
時を隔てていても
海を隔てていても
留守番同志
下校して一人何かしている小学生
こちらTVニュースの前ひとりいる大人
別々の世界にいるが境の戸だけ半開き
歩く体
動いているのは自分
動かしているのは外から見ている自分
ときどき自分に躓いて
二本足のこだわり
杖一本の三本足 杖二本の四本足を思い
体重を思わぬ方向に引かれながら小股に歩く日
追憶
現役の 時代と ちがって、「毎日が 日曜日」(本人の 感覚は 別と して)の 生活と なると、頭の 中でも「未来への ユメを えがく」作業 よりも、「過去の 思い出に ふける」作業の ほうが おおく
なる ようです。たとえば;
あて名書き
名前で会い住所でさらに身近になるがあの辺にお住まいですかで別れる
古里
浦島八十郎 小学校の跡地に立って
「あそびをせんとや」
新制中学音楽の先生が節をつけた「あそびをせんとや」
古希同級会に腹に響く声で友だちが歌った「あそびをせんとや」
幼たちをみている「学校」「会社」を抜けた目
…『梁塵秘抄』「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞け
ば、我が身さえこそユル[動]がるれ」から
『梁塵秘抄を書く』
佐藤さんの「あそびをせんとや」を 読ませて いただいて、わたしは すぐ 藤原彰子さん から いただいた『梁塵秘抄を書く』を
思いだし ました。大阪府 出身の 書家 藤原彰子さんが『梁塵秘抄』(後白河法皇 編、今様 歌謡の 集成)の 中から 52首を えらんで 書写した 作品集(桃渓造本計画室 制作、2007年 発行)で、たまたま 富山市 長念寺で
開催された <志田延義先生を「偲ぶ会」>で 記念講演された おりに いただいた
ものです。
全編52首の 中 から「あそびをせんとや」の 部分を コピ-して
ご紹介させて いただきました。藤原さんは、「あとがき」の 中で「同時代の和歌や納経の多くが載り得た料紙に今、人々への鎮魂の思いを込め、『梁塵秘抄』を書く」と
記して います。ちなみに、この「あそびをせんとや」の 部分の 料紙は「楮・雁皮混合紙 具引き さざれ純金(赤口・青口) 銀砂子 箔絵」と 注記されて います。藤原さんの 料紙への 思いいれは、佐藤正樹さんの ご子息 信太郎さんの 写真集「夜光」を 連想させる ものが あります(15-2-5ブログ「夜光」参照)。
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