年賀状、A
年賀状、B
年賀状、Ⅽ
年賀状、D
年賀状、E
あけまして おめでとう ございます
いろいろ
ありましたが、どうやら 無事 2016年を むかえる ことが できました。このまま いけば、2月には 満96歳に なる 計算です。じぶんの 親・兄弟 など、だれも たどりつけ
なかった 年齢。じぶん 自身、これまで 考えても みなかった 年齢です。
ここまで 長生き させて いただいた ので、あとは いつ 死んでも かまわないと いう覚悟は できて いる つもりです。また、せっかく
いただいた イノチだ から、死ぬ まで自己流の イキザマで ゆきたいと いう 思いも あります。
そんな
ふうに「カッコ つけた」ものいいが できる のも、客観的に いえば「環境の なかで そんな ふうに 生かされて いる だけの こと」と 気づかされる ことも あります。
さて、2016年も いろんな ことが ある ことと 思います。どうか よろしく ご指導の ほど、お願い 申しあげます。
ことしの 年賀状 から
年賀状に ついては、これまで
いろいろ 経過が ありました。じつは 数年 まえ、いささか 考える ことが あり、「ことし かぎり、年賀状は やめさせて いただきます」と 一方的に 宣言して
しまいました。それで 翌年の 年賀状は ガタッと へりましたが、それでも これまで どおり 年賀状を 送って くださる 方が 数十人 おられました。こちら からの「賀状打ち切りの
ご案内」に 気づかれ なった ため かも しれません。あるいは、それは 承知の うえでの こと かも しれません。いずれに しても、いろいろ 反省させられ ました。たった
1枚の ハガキと いう 小さな 存在に すぎませんが、発信者と 受信者との あいだに「万感の 思い」が 伝えられ、共鳴を
おこす ことが あり、その 意味では、スミに おけない、大きな 存在でも あります。
それでは、ことし
いただいた 年賀状の なか から、いくつか ご紹介 させて いただきます。ご本人の みなさんに 無断の ままの 借用に なりますが、どうか お許し ください。
A.「横浜港からの眺め」(切り絵) 福田 温旦 さん。わたしが はじめて 富山市の 中学校教員として
勤務した 学校の 生徒さん です。毎回 切り絵の 賀状を 送っていただくので、楽しみに して います。
B. 「赤い顔のサル」川述
昌子 さん。「12年前の絵を使いました」との こと ですが、この赤い顔の サルの 表情が、なんべん 見ても カワイーと
思います。俳句を なさる 方で、この 賀状の 表面に「生も死も釈迦のてのひら初御空…昌子」と ありました。
C. 「初日・富士・サクラ」寺尾
純 さん。わたしが 県立雄峰高校に 勤務して いた 時お世話に なった 方 です。英語専攻。賀状の 冒頭で「世界人類が 平和で ありますように」と よびかけて
おられます。
D. 「猿」(切り絵)湯
麗敏 さん。富山外国語専門学校の 中国語講師 など として ご活躍中の 方。ご主人の 応 広建 さんと ともに 中国語会話 テキスト(白帝社)も 出して おられます。
E. 「新春福海…」(年画)姚
偉嘉 さん。昨年 3月まで 桜美林大学の 孔子学院に 勤務。3年間の 任期満了で、同済大学(上海)に 復帰された 方。この 賀状では、まず [福]の字を 大書し、その下に サルの 切り絵を 配置した あと、「新春福海
翔瑞兆…」、新春にあわせて めでたい コトバを ならべたて、七言絶句の 形に まとめて います。漢語(中国語)の 言語感覚の 一つの 典型と 見る ことが できると 思います。
姚 さん から 追伸
姚さんが メールで 賀状を 発信した のは 元旦の 夕方。わたしが パソコンで メールを 開いたのは、2日の 朝。あわてて
お礼の メールを おくる ことに なりました。例によって、姚さんは 漢語で、わたしは 日本語での やりとり です。
姚さんの 賀状が めでた コトバで ねりあげた ものだった のに たいして、わたしは 自分の 近況を 報告する 形式に
しました。そして、姚さんが 関心を 示されるか どうかわからない まま、わたしが いま のめりこんで いる テーマ、「日漢英3言語の 音韻比較」、「クネクネ・クネル
姿が クニ[国]」、「クニ[国]とcountry」、「カナフ[叶]とcan」、「クネルとカンセツ[関節]とknee, kneel」などの 対応関係の 話 まで 提案して しまいました。
すると、あくる日の 3日、さっそく 姚さん から おりかえし メールが とどきました。「(姚さんの)祖母が ことし 92歳で、白内障の
手術を すませた ばかり だが、たいへん 元気。よく 食べ、よく 眠り、毎日 仏さまに お経を あげて いる」など、ご家庭の こと まで おしらせ くださった
あと、わたしの ぶしつけな 提案にも、ていねいに こたえて いただき ました。
気をつけ さえ すれば、いたる ところで 新発見が
できるも のですね! 語音現象にかんする あなたの 解説や 結論は、新鮮な 感じで、おもしろい です。ただし、日本語の起源は たいへん 古いのに たいして、当時の
英語は はたして どんな 状況 だった のか? また、どうして このような 語音の 一致 という 現象が おこった のか? このあと さらに 研究すべき 問題です。
いま わたしの 教室には、10ヶ国 から 来た 学生が います。いちど [労駕laojia](ご苦労さま)の [駕jia]に ついて 解説した ついでに、「中国人は 馬を 速く 走らせたい
とき、“駕jia”と いう ことが ある」と 話しました。すると、いくつもの 国の 学生たちが「自分たちの 国でも
その ような いい方を する」との こと でした。わたしは この方面の 研究を した ことが ない のですが、たいへん おもしろ そう ですね! 泉さんの成果を
期待して います!
わたしは、姚 さん から ここまで つっこんだ ご意見を きかせて いただける
とは 期待して いなかった ので、たいへん 恐縮して います。“駕jia”に 当たる 「いくつもの国の 言語」と
いう のは、おそらく 英語のcheer, cheerful,
cheer-leaderなどと 同系の コトバ かと 思われ ますが、わたしは まだ そこまで チェック できて いません。
姚 さんが 指摘される とおり、多言語相互の 音韻比較に あたっては、判定の 客観性・合理性を
保証する ための ルールが 必用 であり、なにより まず 等質の 比較資料を
準備 しなければ なりません。日漢英の 音韻比較は、本来ならば、3言語の 研究者たちが みんなで 協力し、それでも
数年 かかる 仕事 です。わたしが いま すすめて いる 作業は、その 前座の 前座と
いう 段階かと 思って います。
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