石倉町延命地蔵尊 1/1
水仙
1/10
N家花壇の雪 1/19
いたち川雪景色
1/24
雪見橋の雪 1/24
遊歩道の雪
1/24
悠学会新年会 1/22
年末年始は雪ゼロ
「東京で 積雪 5センチ。北陸は…」などと 報道され、ケイカイは して いましたが、富山の マチナカでは ずっと 雪 ゼロの 日が つづいて
いました。
元日の 朝、石倉町
延命地蔵尊に おまいりした ときも、雪が なくて、足場も わるくは ありません でした。ただ、この 時間帯、平日なら「お地蔵さんの 水」を くみに くる ひとたちで
にぎやかな はず なのに、これは また なんと しずかな ことかと、妙なところで 感心したり して いました。
1月10日、いたち川の 土手で 水仙が 咲いて いる のを 見つけ、うれしく
なって、シャッターを 切りました。しかし、水仙は 太陽に むかって オジギして いる ので、このままでは セナカを 見せて いる 姿に なります。せっかくなら、もっと
いい 角度から 写したいと 思った のですが、それには 土手の 石段を 下りて ゆかねば なりません。この ご老体では ムリと 判断。あきらめる ことに しました。
ついに 富山も 雪景色
1月20日(水)、富山にも ついに 雪が やって きました。一夜に して、あたり 一面、雪景色の 出現です。雪の あいまを 見て、散歩に でかけ ました。
これまでの 数十日間、花が
枯れ、紅葉も 散り落ち、いつ 見ても くすんだ 色の 風景でしたが、まっしろな 雪を かむった おかげで、いっぺんに 元気を とりもどした ように 見えました。
悠学会の 新年会
1月22日(金)午後、丸十さん 2Fで
日本海文化悠学会の 研修会が 開かれ、中島 信之 さんが「将軍義材は なぜ 越中国に きたのか」と 題して 報告されました。
研修会の あと、ひきつづき
新年会が あり、割烹丸十の 経営者、経沢 信弘さんが、「万葉集に 登場する 食材や 献立」を 再現されました(この項、北日本新聞 1月23日号の 記事を参照)。
「越中万葉料理の 献立 (冬)」の 一部を ご紹介します。
食酒…赤米の にごり酒(巻3-345)
先付…ながらも(ほんだわら)(巻12-3177)
前菜…あしつき・しただみ・菜の花・ゆり根(巻17-4021)(巻20-4455)(巻16-3880)
(巻8-1418)
蒸し物…鴨ロース煮・からし(巻3-375)
揚げ物…山菜の 天婦羅・藻塩(古代の 塩) (巻8-146 0)(巻6-935)
炊き合わせ…猪・株・里芋・ふき (巻2-203)(巻16-3826)(巻16-3825)以下省略。
ブログへの コメント
話が すこし 前後しますが、1月21日(木)の 朝、ブログ「七ころび、八おき」に読者のAtm さん から コメントが 入って いる ことに 気づきました。コメンㇳが 発信された のは 2015年10月22日。わたしの 不注意で、3カ月
ほども 放置して いた ことに なります。申しわけ ありません。連絡先の 電話番号が 書いて ありました ので、とりあえず こちらから おわびの 電話を 入れました。Atm さんの ご用件は、こつぎの とおり。
祖父が、たしか 「華北交通(株)」の 社員 だったと 聞いて いる。敗戦で 帰国し、2年後 祖父が
病死。父は 当時 3歳。父も 母も、華北交通時代の 祖父に ついて、具体的な 状況は なに 一つ 分かって いない。都内に
ある 「満鉄会」で だずねて みたが、「華北交通へ 出向した 社員の ことは
分からない」と いわれた。たまたま ブログで 華北交通の 記事を 拝見した ので、なにか アドバイスを お願い したい。
せっかく
ご相談を 受けた ので、できるだけの ことは お手伝い したい のですが、はたして どれだけ お役に 立てる のか、自信は ありません。いちばん おおきな カベは
「戦後70年」という 時間の カベ。せめて 10年~20年 まえ でしたら、直接の 関係者が おおぜい いた はず です。いまと なっては、その 関係者が 生存して おられる 可能性が
とぼしく なって います。
「満鉄会」「華交互助会」「長安会」などの
組織が 解散したり して 当てに ならないと なれば、あとは まったく 個人的な 人脈を
たどる ほか なさ そうです。ただ、祖父 さまが 東大 出身で、(理科系で なく)文系だと すれば、さがす 範囲は かなり かぎられて きます。満鉄や
華北交通の ばあい、理系と 文系とで、はっきり 職場も ちがって きますし、人脈も ちがって きます。それだけ 焦点を しぼる ことが できます。
まずは、Atm さんが もって おられる 情報資料と わたしが もって
いる 資料(「華交互助会」「長安会」などの 会員名簿、その他)を つきあわせ、「東大(文系)」の 該当者 リストを つくる こと。あとは、この リストに したがって 個別に 連絡し、協力方 おねがいする こと。わたしの
計算 では。該当者は 約30名。そのうち、生存者が 何人 おられるか?また、その お方が Atm 祖父さまに かんする 情報資料を もって おられるか?そこで 勝負が きまります。
気が 遠く なる ほど むづかしい 仕事ですが、可能性が ゼロと きまった わけ では ないと 思います。
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