トンボ(雪見橋ランカン)10/16
O家花壇 10/16
「天高く…」(「まちなか」所見)11/3
藤の木病院で 点滴、4回
まずは、信子の症状に ついて ご報告します。
10月7日(金)。信子の 激ヤセ状態や 食欲不振が 心配で なりません。この日は、デイサービス通所の 予定でしたが、それは キャンセル。Mioriさんに 同行して もらい、藤の木病院を
たずね、血液検査と 点滴を お願い しました。
10月12日(水)。介護タクシーで、藤の木病院へ。血液検査の 結果を 聞き、再度 点滴を 受けました。
10月19日(水)、26日(水)、同様にして、藤の木病院へ 通院。計4回 点滴を 受けた ことに なります。
気のせいかも しれませんが、ある程度
元気に なった ように 見えます。これで、しばらく 様子を見る ことに しました。お医者さんも、「もし 予想外の ことが あれば、またいつでも 点滴などの 求めに
応じる」と 約束して いただきました。
朝からの デイ・サービスに
11月10日(木)。この日から、毎週4回(月・水・木・土)ヘルパーさんに
来ていただく ことに なりました。また、これまで 午後から だった デイ・サービス「まちなか」への
通所も、明11日(金)からは、「午前中から(昼食を
ふくめて)夕方近く まで」あずかって いただく ことに なりました。「介護役」96歳老人の 負担を できるだけ
軽くする という ネライを ふくめた、ケア・マネさんたち からの 提案に よるもので、ありがたいと 思って います。
「古代北陸道の国制と特質」(日文悠9月研修会)
認知症の妻を
かかえた介 護人として ウロウロ・オロオロしている あいだに 月日が すぎて、「日文悠」や「古事記を読む会」などに ついての ご報告が すっかり おくれてしまいました。申しわけ
ありません。
9月23日(金)午後、茶屋町の 豊栄稲荷神社で 日文悠の 研修会が あり、木本 秀樹 さんが「古代北陸道の国制と特質」と 題して 講演され ました。A4版 10ページ にわたる資料を 準備して 配布され、「北陸道の国制」、「北陸道と越中国との諸相」、「北陸道諸国の変遷」、「能登国と佐渡国の特性」、「近江国と越中国新川郡」などに
ついて、くわしく 解説して いただきました。その一部を ご紹介させて いただきます。わたしの 当面の ネライは ニヒカハ[新川]・ネヒ[婦負]・メヒ[姪・婦負]など、n-p 音やm-p音の語彙資料ですが、それが この「北陸道の国制…其の諸相・変遷」の中で 散見 されます。m-p音語の 発生・発達・分布などに ついて 考える 上で 重要な 資料と なる はずです。要領が 悪くて、長文の引用に なって
しまい ました。お許し ください
はじめに
① 参考資料…律令の制定・施行・遷都等関係年表
・天智7年(668) 近江玲令制定?
・天武12~13年(683~684)国境確定事業
・持統3年(689)浄御原令施行
・持統8年(694)藤原宮遷都
・大宝元年(701)大宝令制定、同2年(702)施行
・和銅3年(710)平城宮遷都
・養老2年(718)養老令制定、天平宝宇元年(757)施行
*国制⇒五畿内(大和・山城・河内・和泉・摂津)、七道(東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海道)。66国2嶋(平安期)
② 『令義解』職員令第二、
大国条…守一人。介一人。大掾一人。少掾一人。大目一人。少目一人。史生三人。
上国条…守一人。介一人。掾一人。目一人。史生三人。
中国条…守一人。掾一人。目一人。史生三人。
下国条…守一人。目一人。史生三人。
➂ 『令義解』職員令第二、
大郡条…16~20里。大領一人。少領一人。主政三人。主帳三人。
上郡条…12里以上。大領一人。少領一人。主政二人。主帳二人。
中郡条…8里以上。大領一人。少領一人。主政一人。主帳一人。
下郡条…4里以上。大領一人。少領一人。主帳一人。
小郡条…2里以上。領一人。主帳一人。
1 北陸道の国制
① 『令義解』公式令第七、朝集使条…凡朝集使、東海道坂東、謂駿河与相模、界坂也。北陸道神済以北、謂越中与越後、界河也。山陰道出雲以北、山陽道安芸以西、南海道土佐等国、及西海道皆乗駅馬、自余各乗当国馬、(略)
② 『延喜式』巻二十二 民部上
北陸道
若狭国中…管 遠敷 大飯 三方、 右為 近国、
越前国大…管 敦賀 丹生 今立 足羽 大野 坂井、
加賀国上…管 江沼 能美 加賀 石川、
能登国中…管 羽咋 能登 鳳至 珠洲、
越中国上…管 砺波 射水 婦負 新川、右為 中国、
越後国上…管 頚城 古志 三嶋 魚沼 蒲原 沼垂 石舟、
佐渡国中…管 羽茂 雑太 賀茂、 右為 遠国 (略)
陸奥国、出羽国、佐渡国、隠岐国、壹岐国、対馬嶋、右四国二嶋 為 辺要。
③ 『延喜式』巻二十八 兵部省 諸国駅伝馬 (略) 北陸道
若狭国駅馬 弥美、濃飯各互疋、
越前国駅馬 松原八匹、鹿韮、叔羅、丹生、朝津、阿味、足羽、三尾,各五疋。
伝馬 敦賀、丹生、足羽、坂井郡各五疋。
加賀国駅馬 朝倉、潮津、安宅、比楽、田上、深見、横山、各五疋。
伝馬 江沼、加賀郡、各五疋。
能登国駅馬 撰才、越蘇各五疋。
越中国駅馬 坂本、川合、亘理、白城、磐瀬、水橋、布勢各五疋、佐味八疋、
伝馬 砺波、射水、婦負、新川各五疋。 (略)
④ 『延喜式』巻二十四 主計上 北陸道 行程・調・庸 (略)
⑤ 『延喜式』巻九・十、神祇九・十。
神名上 級中 京中 五畿内 東海道、
天神地祇惣三千一百丗二座。
(略)
東海道神 七百丗一座、
神名下 東山 北陸 山陰 山陽 南海 西海、
東山道神三百八十二座、
北陸道神三百五十二座、(大十四座、小三百丗八座) (略)
越前国一百廿六座、大八座、小百十八座、 (略)
加賀国四十二座、並小、 (略)
能登国四十三座、大一座、小丗二座、 (略)
越中国丗四座、大一座、小丗三座。」
砺波郡七座、並小、
高瀬神社 長岡神社
林神社 荊波神社
日売神社 雄神神社
浅井神社
射水郡十三座、大一座、小十二座。
射水神社 道神社
物部神社 加久弥神社
久目神社 布勢神社
速川神社 櫛田神社
磯部神社 箭代神社
草岡神社 気多神社 那神大
婦負郡七社、並小、
姉倉比売神社 速星神社
白鳥神社 多久比礼志神社
熊野神社 杉原神社
鵜坂神社
新川郡七座、並小、
神度神社 建石勝神社
櫟原神社 八心大市比古神社
日置神社 布勢神社
雄山神社 (略)
2北陸道と越中国との諸相
① 飛鳥宮跡出土木簡…「高志国利波評…」、「高志□新川評…」(略)
古代の行政区画
・国・評・五十戸 以前の組織。コオリ[評]、サト[里]。
・国・評・里 天武12年(683)以降、ほぼ「里」。持統2年(688)以降、全
て「里」。
・国・郡・里 大宝元年(701)制定、同2年施行。
・国・郡・郷・里 霊亀元年(715)改制。
・国・郡・郷 天平11年(739)末~同12年初に改制。(略)
・「高志国」の表記は、天武十二年(683)からの国境確定事業による越前・越中・越後三国分割以前のものか。「評」は、郡制へと移行する以前の評制下のものである。
(略)
②『和名類聚抄』(郡名「大東急記念文庫本」、郷名「高山寺本」底本。他、適宜校訂)
越中国第一百
砺波郡
川上加波加美 八田 川合加波安比 拝師波也之 長岡奈加乎加 大岡於保乎加 高楊多加也岐 陽知 三野美乃 意悲 大野於保乃 小野乎乃。
射水郡(略)
婦負郡
高野多加乃 小子知比佐古 大山於保也萬(於保夜:高本) 菅田須加太 亘理 川合 大乗 高島 岡本於加毛止 余戸(高本なし)。
新川郡
長谷波世 志麻之万 石勢以波世 大荊於保也不 川枯 丈部 車持 鳥取 布 留 佐味左比。
*北陸道と越中国の郷名(『和名類聚抄』諸本と「正倉院文書」等) (中略)
・越中国…新川郡佐味郷・志麻郷、射水郡三嶋郷・川口郷、婦負郡岡本郷・川合郷・亘理郷・大山郷・大桑郷、
砺波郡八田郷・大野郷・小野郷・川合郷・拝師郷。 (略)
3 北陸道諸国の変遷
① 諸国印の鋳造 『続日本紀』慶雲元年(704)四月九日条 令鍛冶司鋳諸国印。
② 諸国郡郷名著好字令・風土記の撰進 『続日本紀』和銅六年(713)五月二日条、(略)*泉国⇒イズミ[和泉]国、木国⇒紀伊国、チカツオウミ[近淡海]国⇒オウミ[近江]国、トオツオウミ[遠淡海]⇒トオトウミ[トオトウミ[遠江]国。 (略)
⑥ 越中国の初見 『続日本紀』大宝二年(702)三月十七日条…分越中国四郡、属越後国。頚城・古志・魚沼・神原四郡を越後国に分割した。(略)
4 能登国と佐渡国の特性 (略)
5 近江国と越中国新川郡
① 『延喜式』巻十 神名帳
近江国一百五十五座 大十三座 小一百丗二座 (略)
甲賀郡八座 大二座 小六座
矢川神社 水口神社
石部鹿鹽上神社 川田神社二座 並名神大、月並神嘗
飯道神社 川枯神社二社
野洲郡九坐 大二座、小七座
御上神社 名神大、月並神嘗 小津神社
下新川神社 ヒョウズ[兵主]神社
比利多神社 上新川神社
ウマジイソベ[馬路石邊神社] コジノ[己尓乃]神社二座
*下新川神社「シモニフカワ」(九条家本『延喜式』)、「シモニヒカワ」(『神祇志料』)。
現鎮座地は守山市幸津川町、論者なし。祭神トヨキイリヒコ[豊城入彦]、ニイカワコタテヒメ[新川小楯姫]命。
*上新川神社、諸書「カミノニフカワ」。野洲川河畔を挟む野洲町(現野洲市)及び守山市大字立入に論者あり。同川氾濫で二分されたか。祭神スサノヲ[須佐之男]命、オオモノヌシ[大物主]命、クシナダヒメ[奇稲田媛]命、ニイカワヒメ[新川姫]命。
*上下両社は琵琶湖東肥地にあり、新川姫命、新川小楯姫命が水利・農耕神として崇敬を得たか。(『式内社調査報告、第十二巻 東山道』)
⇒関連資料
ア 『日本三代実録』貞観十一年(869)十二月二十五日戊申条…授(略)近江国従五位上新川神並正五位下、(略)
イ 『日本三代実録』仁和元年(885)九月二十二日癸卯条…近江国正五位下新川上神、並授正五位上、(略)
・ア以降の段階で新川(河)神が上下に分祀されたか?
ウ 『日本三代実録』貞観九年(867)二月廿七日丁酉条…授(略)越中国従四位上鵜坂神従三位、従四位下日置神従四位上、正五位上新川神従四位下、(略)
エ 『日本三代実録』同十八年(876)七月十一日丙戌条…授甲斐国従四位下勲十二等物部神、越中国新川神並従四位上、(略)美濃国正六位上児安神、越中国櫛田神並従五位下、(略)
・越中国新川郡「爾比可波」(『万葉集』巻十七)、「ニヒカハ」・「ニフカハ」(『延喜式』巻十・二十九諸本)。近江国新川社の和訓に通ず。
・近江国式内社百五十五座、越中国三十四座のうち、両国に共通する神社名として草岡・熊野・日置・櫟原各社。
・越中国四郡にある四十二郡名(『和名類聚抄』)と同一名の近江神社として、高野・川枯・佐味・大野・小野各社。
・越中国新川郡川枯郷と近江国甲賀郡川枯神社・水口神社の存在。
*『先代旧事本紀』巻五 天孫本紀(物部氏系譜)
(要約)饒速日尊の孫、ヒコユキ[彦湯支]命がオウミ[淡海]の川枯姫を妾としてイズシゴコロ[出石心]命を生む。出石心命は新河小楯姫を妻とし、大水口宿禰命・大矢口宿禰命を生む。大矢口宿禰命の三瀬孫には、大新河命・建新川命がいる。
以上、長々と 引用させて いただきました。わたしは 富山県の 地名 ニヒカハ(ニフカハ)[新川]・ネヒ[婦負]など(いわゆるn-p音語)に
ついて 調査している 最中なので、こんど 木本さんの レジュメを 拝見して、「近江国上(下)新川神社」と「越中国新川神」との 関係などに ついて 教えて いただき、たいへん よい 勉強に なりました。ありがとう ございます。
なお、日文悠 会員の
関谷さんの ご厚意で、木本さんの 別講座(9月15日)レジュメ 「メヒから ネヒへ…婦負郡の 成立」(富山市婦中安田城跡歴史の広場・歴史講座、説話と信仰の舞台…①婦負)も 入手できました。タイトル名からも わかる とおり、こちらの方が ニヒカハ[新川]・ネヒ[婦負]・メヒ[婦負・姪]などの m-p , m-p音のコトバに 注目していることが 分かり、共感できました。
メヒと ネヒの
語音の チガイに ついて、本居宣長説「…ネヒ[禰比]は、後の訛にて、めひなるべし」を
とりあげたり、喪葬令集解服紀条所引古紀説「身兄の子、弟の子、案ずるに兄弟のムスメ[女]も亦同じなり、俗にオヒ[乎備]・メヒ[売比]と云ふなり」を 紹介したり して います。
わたしの構想(仮説)では、日本語(ヤマトコトバ)では
2音節動詞 ナフ・ナブ・ヌフ・ネフ・ノブなどを
中心に かなり おおきな n-p音単語家族が
成立して います。漢語でも、少数派ですが、上古漢語の段階で ニフniep入ru・ナイnueb内nei・ナフnep納na などの n-p音語が
成立して いましたが、その後 語尾のp, b子音が 脱落し、現代漢語ではすべて「母音終わり」の 音節と なって
います。ただ、日本漢字音 ニフ[入]・ナフ[納]などは、日本へ伝来した 当時の 漢語がn-p音だった ことの 証言だと
考えられて います。そして、その基本義(意味・用法)は ヤマトコトバの ナフ・ナブ・ヌフ・ノブ などと 一致して います。
さらに いえば、インド・ヨーロッパ語に
属する 英語の 世界 でも、nave(①教会の 正面入り口。②へそ。こしき),
navel(へそ。こしき), navy(艦隊),
navigate(航行する), neohew(甥),new(新しい),neo-(新), nova(新星)などの
n-p音語が 成立して おり、その基本義を たずねて みると、日本語や 漢語の n-p音とも 一定の 対応関係を もっている ことが 見えて きます。たとえば、navyは
もともと「兵士や 武器を ナブ[並]・ナフ[納]する ところ」です から、日本語の ナベ[鍋]と おなじ 意味を あらわす コトバに なる わけです。英語の つづりは naveですが、日本語ローマ字式に 読めば、ナベ(na + ve)と
なります。Nephew(甥)の 語音を めぐっては、日本語の ヲヒ[甥]・メヒ[姪・婦負]・ネヒ[婦負]などの 意味・用法とも
あわせ考えると、洋の 東西を こえて、共通の 音韻感覚が はたらいていたと
いう 感じが します。New, neo-,
novaなどの語音は、まさに 日本語 ニヒ・ニヒカハ・ニヒナヘ・ニヒミヤなどの
ニヒに 対応する 語音と 考えて よさそう です。「ニフ[丹生]の 川が ニハカに つくる ニハ[庭]」の 姿と 見ても よいでしょう。水源地帯を 流れる 小川が、雪解け時に 鉄砲水と なり、平野部に 出た とたん一面に
氾濫、やがて 水が 引いた あと、ニハカづくりの ニハ[庭・丹羽](耕作に
適した、肥沃な 土地)が 出現する、という 話。ユメの ような 話ですが、世界各地で
くりかえされて きた 現実の 物語 です。
ユメを 語るのは 楽しい こと ですが、このさきの 話は、また つぎの機会に まわす ことに いたしましょう。
点滴から メヒ・ネヒ・ニヒ まで
「90歳まで 生きる ことが でき、ありがたい。いつ 死んでも、モンクは
ない」とは いう ものの、いざと なると、「点滴を 受けて でも…」と 延命を 願う。これが 人間の 現実で しょうか。一カ月先か 半年先か、あるいは 2~3年先か、いずれ 死んで しまう ことは 分かっている のですが、それでも
1日でも 生きのびようと する。それが イキモノ本来の 姿なのかも しれません。
漢字で フフ[婦負]と 書いて、メヒと 讀んだり、ネヒと 読んだり するのも、おおくの人に
とっては「どうでも よい こと」かも しれません。「漢字は 意味(事物の 姿)を あらわす モジで あり、特定の 発音(音形)に 対応する もの では ない」と いう 論理です。しかし、わたしなどは「コトバは、音声に よって 語られる もの」、「コトバの 意味の チガイは 1に よって 表現される」と 考えて います。そこで、メヒ・ネヒ・ニヒ などの 語音の チガイや 共通点に ついて、トコトン こだわる
ことに なります。
つまる ところは、「コトバとは なにか?」と いう 問題。ここで しっかり 共通理解ができて いないと、議論を
すれば するほど、議論が かみあわないことになります。ぎゃくに、「音声言語が 基本」と いう点で 共通理解が 固まれば、これを 土台に して、「日・漢・英の 音韻比較」への
道も みえて くる でしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿