石倉町の延命地蔵尊, 1/1
雪景色A,1/15
雪景色B、 1/15
ゴルフ ゲーム(まちなか版)
年賀状①
年賀状②
年賀状③
ことしも どうぞ ろしく
信子の 認知症が 進行するに つれて、わたしども 二人の 日常生活が 不安定な ものになって きました。「認知症だ」と
いうことは 分かりましたが、食事の とき 毎回の ように ハキモドシ するのは なぜか?肺や 胃腸などの 病気に よる ものか、それとも 体調を 無視した 飲食に
よる ものか?どうにも 判断が つきません。そこで、「あとは 入院して、検査し、判断して いただく ほか ない」と いうことに なりました(12月下旬)。そして1月17日、ようやく 藤の木病院へ入院。それまで、ドタバタ・ジタバタの 毎日でした。わたしは 「いたち川散歩」を 楽しむ 時間も、パソコンに むかって ブログを
つづる 時間も ふっとんで しまった 感じでした。しかし、ぎゃくに 「これくらいの ことで、へこたれて おられるか」と 自分を シッタ・ゲキレイする 声も どこかから
きこえて いました。
入院から 1週間 すぎた きょう(1月25日)、おくればせ ながら 新年の ごあいさつを申しあげます。ことしも どうぞ よろしく お願い申しあげます。
1月の
風景
スマホに うつっている 写真を 見ても、年末年始に かけて、あまり パッとした ものが 見あたり ません。ぎゃくに いえば、わたし自身の
「ブツロな 心」の 反映かも しれません。
① 石倉町の 延命地蔵尊… 1月1日、ひさしぶりに いたち川べりを 散歩しました。という よりは、山王神社まで ゆく 体力が ないので、石倉町の お地蔵さんの
水を いただいて、初もうでを すまそうと いう ことです。ことしは 雪が なくて、足もとが 安全なので、初もうでの 人たちが つぎつぎと 姿を 見せて いました。
② 雪景色A…1月15日、ついに ドカ雪が 来ました。雪の 白と サクラの 黒だけ では 水墨画の 世界ですが、ビルの 壁が ピンクで、あたたかい
感じがします。雪を かぶった ベンチに 雪の妖精が すわったら…ついつい 空想を めぐらせて いました。
③ 雪景色B…1月15日。いつも どおり、雪見橋から 下流を のぞむ 定点観測。まさに 水墨画の 世界でした。
④ ゴルフ ゲーム…1月19日。デイサービスまちなか、ゲームの時間。この日は、ゴルフや ゲートボールに 見たてた ゲームでした。まにあわせの 道具の
ヨセアツメなので、ハプニングが 続出。そこが ゴアイキョウです。
ことしの 年賀状から
年末から いろいろ ありましたが、おかげさまで、どうやら 無事2017年の
新春を むかえる ことが できました。ことしも どうぞ よろしく お願い いたします。
数年まえに 年賀状中止を
宣言したのですが、それでも あいかわらず 年賀状を よせられる方が あり、ありがたく 拝見して います。その中から、3通だけ
ご紹介させて いただきます。
① Fktさん…毎年 版画作品の 賀状を いただき、目の保養に なって いました。ことしの
テーマは「七福神が 乗りあわせた 宝船」。そして 版画の わきに、「来年度からの
賀状の ご挨拶を なしと させて 戴きます」と ソエガキして ありました。わたしが 中学校の 教員として 初めて 担当した クラスの 生徒さん ですが、あらためて「戦後
70年」の 重さを 感じました。
② Kskさん…「一 富士、二 鷹、三 なすび…」という コトワザ(?)が ありましたが、こちらは「雲より 高く、太陽を
めざす 富士山」、「その 富士山の 頂上で、トキノコエを あげる ニワトリ」という 構成。たしかに 21世紀を
感じさせる 年賀状ですね。
③ Knkさん…「越中 五箇山 菅沼集落」の 写真に、ひとこと 賀詞を そえた ものでした。「一年の 計は 元旦に あり」と いいます。年の はじめに、まず
郷土の 歴史・伝統を よく 観察し、その 延長線上に 新年度の 計画を 設定する ように すれば、それだけ 成功の 確率が 高まる ことでしょう。
なお、画像の ご紹介は ひかえましたが、福岡市の Kwnbさん からの 賀状に「今年も平和を希望し、祈って止みません。時代の激変に体力不足で口惜しいです」と あり 「松過ぎや 生きねばなららぬ 仕事あり」の 1句が
添えられて いました。
藤の木病院へ 入院
1月17日(火)午前、信子が 藤の木病院へ 入院しました。くわしく いえば、第2病棟の 2階で、4人部屋です。
この病棟の 担当医師が もと 市民病院院長の Ⅰ先生 だと 聞かされ、びっくりしました。直接
お目に かかったのは はじめて ですが、診察の 仕方、患者への コトバかけ などが ものしずかで、ていねいな こと。こころから 敬服させられました。
たまたま 昼食の
場面も 見学させて いただきました。1対1で 介助を 受けながら
食事している 患者さんたちも おおぜい おられました。
このさき、どんな
結果に なるか、それは まだ 分かりませんが、これだけの スタッフが そろって おられるのを 拝見して、ここに 入院できて よかったと 思います。「ここなら、最高・最善の 治療を していただけるに ちがいない」と、信じる ことが
でき、ひとまず ほっと している ところです。
なには ともあれ、2017年の 新春を むかえる ことが できました。それだけで、ありがたい ことだと 思って います。
ここまで たどりつけた
のも、美織さんが 自分の 母親を 介護してきた 経験から、お医者さんや ケアマネさんと 相談する など、いろいろ ダンドリして くれた おかげです。また、入院に
当たって、さまざまな 衣類を 数セット づつ 用意しなければ ならないのですが、それも 美織さんが 用意して くれました。その 衣類には、すべてに 氏名の記入が
必用です。点数が 多いので、これも ひと仕事です。わたしが やったのは、この記名作業を
一部 担当した くらいの もの。つまり、なにもかも 美織さん だのみと いうわけです。
わたしは 信子の
夫として、自分の手で 介護の作業を したいと いう 気持ちは あります。しかし、それは ただの ユメに すぎず、96歳老人には
そのユメを 実現させる だけの 気力・体力が ありません。ここで わたし自身が ぶっ倒れて しまったら、 元も子もなくなります。そう ならない ように、なるべく
手をぬいて、気力・体力を 温存する ことが 自分の シゴトだと 考える ことに して います。
1月20日(金)午前、美織さんと ともに 藤の木病院へ。I先生から 入院後の 観察結果を 聞かせて いただきました。
ハキモドシは 入院後も 続いている。その 原因などは、まだ よく 分からない。肺の写真を 見ると、なにか カゲが 見られる。本人に たずねたが、まったく
心当たりが ないという。(…夫の わたしにも、美織さんにも、心当たり なし…)あるいは、結婚以前の ものかも しれない。肺の検査
などの 方法も あるが、高齢者には すすめられ ない。
この日は、なにかの 都合で、11時ころの 昼食。見たところ、信子は 順調に
食事を していた のですが、やはり 最後に かるく ハキモドシを して いました。在宅の ころと まったく おなじ 状況です。ハキモドシ しても、本人は ケロッと
しています。わたしも、最初の ころは ビックリしたり、オロオロしたり でしたが、しだいに なれてきて、なるべく 気にして いない フリを する ことに しました。まわりの
ものが おおさわぎ すると、それが ストレスと なり、ハキモドシの 原因と なる 可能性も あると 考えた からです。
ヘルパーさん、きりかえ
これまで 週4回、ヘルパーさんに 来てもらって いましたが、信子が 入院した ことで、いちおう
中止と なりました。そのかわり、こんどは わたしの ために、水・金・土の3回 来てもらう ことに なりました。
なお、信子は 入院のため、デイ サービスへの 通所を 中止しましたが、わたしの方は これまで どおりです。
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