2017年3月18日土曜日

多賀大社 名物「糸切り餅」から


t-k音 タカ・タガ・タグヒ[]の 基本義を タグル…




ウメが サキました 3/1


ハルト君の 絵手紙 3/4 


てがみ とどきました  3/4 


古事記を読む会 3/5 





画像に ついて

ウメが サキました3月 日、雪見橋たもと、本田和裁学院わきの ウメの 古木が、ことしも 花をさかせました。長く つづいた 冬の寒さが おさまり、やがて あたたかな 春が くる ことを 知らせて くれました。

ハルト君の 絵手紙33日。東京から 西田一家が 来訪。ハルト君が 信子あてに 絵てがみを 描いて、持ってきて くれました。最近 はまって いると いう「サカナづくし」の 絵に「とやまの おばあちゃん、はやく よくなると いいね」と 書きそえて ありました。

てがみ とどきました34日、藤の木病院へ。はじめの 予定では、ハルト君から 直接 絵てがみを わたすことに していた のですが、インフルエンザ 流行中の ため、病院の 指示で 予定を 変更。西田父子は 残留。母親 規子さんの 手から 信子へ 渡すことに なりました。

古事記を 読む 会35日、茶屋町 豊栄稲荷神社で、古事記を 読む 会の 研修会と 総会が 開かれました。研修会では 五十嵐 顕房さんが 「神話に 見られる 外来文化の 伝来」と 題して 報告。「蘇民将来」、「樹木の種を まいた 五十猛命」、「常世の国との 往来」、「天孫降臨」、「天之日矛の 来訪」、「神功皇后の 新羅親征と 馬の 伝来」に ついて報告の あと、まとめと して、「日本国への 人や 文化の 伝来に ついては、イネの 伝播ルートを 知ることが 大切…日本の 稲作農耕の 源流は どこか…中国大陸内でも、黄河流域と 長江流域と では、おおきな 相違点が あった…稲作農耕の 伝来に よって、高床式住居 (履物を 脱いでから、部屋に はいる)が ひろまる など、日本列島住民たちの 生活様式に 変化が もたらされた」と 指摘されました。





田賀大社の「糸切り餅」

 規子さんの 実家が 大津市と いう ことで、おみやげに 田賀大社 ゆかりの 「糸切り餅を いただきました。この餅の 味や デザインも おもしろかった のですが、わたしには、この「糸切り餅」が ナゼ「多賀大社の ミヤゲ品」に なったのか、さらに いえば、「タガ[田賀・箍]と イト[]」の 関系が 気に なりました。

「糸切り餅の 由来」に ついて、多賀屋店主が つぎのように 解説して います;

 …糸にて切るは国家平和にして、刀鎗用ひず、且つ寿命を保ち、長く栄えしめんが爲、この心を表す所以なり。

かなり 古めかしい コトバヅカイ なので、現代人には あまり ピンと こない かも しれませんが、よく 考えて みると、「ナルホド そうか」と 思う点も あります。いまどき、餅を 切るには、包丁を 使うのが 普通ですが、それは 金属利器の 包丁が 伝来して からの 話。金属製包丁が なかった 時代には、もっと 別の 方法で 切って いました。その一つが 「糸切り」法。餅の 胴体に 糸を 巻きつけ、引きしぼる ことで 餅を 切り分ける 方法です。包丁に くらべて、糸のほうが 食品と 接する 面積が 小さい ので、それだけ 食品の 味を そこなう 心配が ないと いう メリットも あるようです。

 この「餅の 胴体に 糸を 巻きつけ、ひきしぼる」姿そのまま 「樽の タガを 引き締める」姿に 通じます。このこと から、田賀大社 ゆかりの 名物と して アピールしやすい 商品と なった ことが推 定されます。

なお、「糸切り」法の 対象に なる のは、餅に かぎりません、土器づくりの 分野でも、整形作業が 終って、台座から 切りはなす 段階で、この 「糸切り」法が 用いられて います。



割られた タケ[]が、タガ[]へ 変身

ややこしい 議論は あとまわしに して、タカ[高・竹]から タガ[]へ、そして オタガ杓子へと 変身を トゲた 可能性が 出てきました ので、一つの 仮説として 提案させて いただきます。「独断と 偏見の カタマリ」と おしかりを うける ことは 覚悟の上で、ご教示を おまちします。

タケ[]は 日本列島各地に 分布し、食用(タケノコ・ンマなど)、各種器具(弓矢・釣竿・飲食物容器・楽器・建築現場の 足場・垣根)の素材用などと して、日本人の 生活と 深く結び ついて います。それだけ、コトバの 面でも、タケ[]の同族語と 見られる コトバが 多数 成立して います。タガ[]その  一つです。

タガは、タケ[]を 割って、ヒモ状の 輪と した もの。樽や 桶を つくる 時、円形に組んだ 板の 外側に、この タガを はめて ダキ[]しめ、固定します。これに よって、容積の タカ[]も 固定される わけです。

上代語に タガ[]や ダク[]の 用例は 見あたり ませんが、3音節動詞 タガヌ(下二)の 用例が あり、「あてがう。束ねる」の意と 解されて います。「タガ[]+ヌ[]の 構造とも、「タ[]+カヌ[]」の 構造とも 解釈できます。いずれに しても「タガを かける」、「手を アテガウ、タバネル」、「(タガ・タバ・輪の 中に)ハメコム・トジコム」姿です。口語では タガネルと いい、同義語に ワガネルが あります。



お伊勢 参らば、お多賀へ 参れ

 田賀大社は、中世から 近世に かけて、伊勢・熊野と ともに 庶民の 参詣で にぎわったと され、「お伊 勢参らば、お多賀へ 参れ、お伊勢 お多賀の 子で ござる」などの 俗謡も 記録されて います。たしかに、田賀大社の 祭神は イザナギ・イザナミ 二柱の 神で あり、『古事記』の 記事でも、アマテラス大神は イザナギ・イザナミ 夫妻の子と 明記されて います。さらには、「イザナギ大神は、淡海の 多賀に 坐す」との 記事も あり、これを 多賀大社の 記録だと する 説も ある ようです。ただし、『日本書紀』では「カクレミヤ[幽宮]を 淡路の クニ[]に つくり[]」と している ことから、『記』の 「淡海」は[淡路」の 誤写である 可能性が 高いと されています。



オタガ杓子は、もと 竹製か?

 田賀大社 ゆかりの 名物と して、もう 一つ「オタガ杓子」が ある そうです。その由来に ついても、考えて みました。と いっても、インターネットで 入手できる 情報・資料とニラメッコした だけですが。結論は こんな ぐあいです。

 上代語に 動詞 タグ[] (食べる。飲む)の 用例が ありますので、その 名詞形と してタガが 成立した 可能性も あります。竹の 一節を 切りとり、ちょっと 加工する だけで、食品容器・水筒・杓子などと して 使うことが できます。日本に かぎらず、東南アジアなどでも、竹筒に もち米と ココナツミルクを 詰めて 火に かけ、タキ[]あげた ものが、飯と して 提供される との ことです。

オタガ杓子の 素材は、竹では なく、杉です。現行の ものは、飯を 盛りつける 部分がひらたく なって いますが、初期の ものは おおきく くぼんで いたと いわれて います。当時の 米は 粘り気が なく、バラバラ こぼれやすかった からです。その点では、竹のヒシャク[柄杓]に 近い 形状だったと 思われます。

 ただし、ヒシャクと いう コトバの 語源が また 複雑です。一説では、水を すくう ための 瓢箪を 指す「ヒサコ」が「ヒサゴ」に 変化し、やがて さらに「ヒサク」、「ヒシャク」に 転じた もので、「柄杓」は 当て字だと しています。ヒサコ・ヒサゴ・ヒサクなどは、s-kの コトバなので、おなじく s-k音の 漢語 シャク[勺・杓](水を 汲む。杓子)との あいだに 共通の 音韻感覚が はたらき、違和感 なしで 交流・交替 できた 結果かも しれません。

 漢語では、シャク[]の 同義語と して、トウ[]が あります。「ツキデル 柄を もつ杓子」を 描いた 象形モジ。上古音tug、現代音douで、トウ[豆・頭]など と同系。ツキタツ・ツキデル 姿を 表わす コトバです。北斗七星も、「杓子の姿を した 星座」への 命名ですが、ト・トウ[]は、飲食容器から や がて その 容積単位を 表わす コトバと なり、また、「ツキデル」「ツッコム」姿から、「タタカウ[]」姿を 表わす ことにも なりました。

現代漢語でも、オタマジャクシの ことを カト[科斗]と 呼んで います。『学研・漢和大字典』では、「カk’uarkeは、「禾(いね)+斗(ます)」の 会意文字で、「作物を はかって等級を つける ことを 示す」と 解説されて います。ただし、カト[科斗](オタマジャクシ)の 場合は、等級と いう よりは、カタチ・姿に よる 分類と 考えた方が よいかも しれません。漢語カ[](穂を 垂れた イネの姿)、カトウ[科頭](頭巾や 冠を つけず、丸坊主の 姿)などの 語音は、k-t音日本語 カタ[形・型]・スガタ[姿]などに 通じる 感覚の 語音と いって よいでしょう。

 さらにいえば、漢語カhuarheや カ  k’uarkeは、もともと k-rグループの コトバなので、日本語動詞 クラブ[較]・クラス[暮]や 名詞 カラ[殻・柄]・クラ[倉・鞍・座]・クラシ[]・クラヰ[]、さらには 英語class, clear, color, grade, group, categoryなどとの 対応関係に ついて 考えて みるのも おもしろいと 思います。なお、英語など では、r-音と l-音が それぞれ 別の 意味・用法を もって いますが、日本語など では、その区別が ありません。すべて ラ行音 (実態はr-)と して あつかわれて います。



固有名詞は、タカラの 山

 「多賀は 固有名詞だから、意味とは 関係ない」などと いう 人も おられる ようですが、そんなことは ありません。人名でも 地名でも、かならず それぞれ 固有の 意味・情報が こめられた うえで 命名され、長期間 通用している のです。その意味で、固有名詞は 「タカラの 山」と 考える べき 存在です。ただ、時間や 空間の 変化と ともに、人々の 意識も 変化し、コトバの 意味・用法も 変化しますので、それぞれ 命名当時の 意味・用法が たどりにくく なっている ことも 事実です。



t-k音語の 戸籍しらべ

さて、固有名詞 タガ[多賀] 本来の 意味・用法は どう解釈すれば よい でしょうか?それには、日本語の 音韻組織原則に したがって、タガtagaと いう 語音が 表わす 基本義を さぐる 方法しか ない でしょう。タガの ガは カの濁音 なので、タガtagat-k音グループの コトバとして あつかう ことに なります。

 t-k音の コトバでは、上代語の 段階で タク[焼・焚・斜]・タグ[喫・食]・ツク[著・附・託・搗・衝・突・築・漬・給・尽]・ツグ[継・次・嗣・告]・トク[著・着・解・説]・トグ[研・磨・遂]などの 2音節動詞を はじめ、タカ[鷹・竹・高]・タキ[]・タク[]・タケ[竹・嶺・長・高・]・タコ[]・チギ[千木]・ツカ[塚・握]・ツキ[坏・桃花鳥・月・調・]・ツギ[継・次]・ツゲ[黄楊]・トガ[]・トキ[]・トコ[]など、多数の 2音節名詞も
 成立して います。いいかえれば、これらt-k 2音節動詞を 中心に 多数の t-k音 名詞・形容詞・副詞などが 組織されたと 考えられます。



動詞タクの 名詞形が、タカ・タキ・タケ

たとえば、動詞 タクと 名詞 タカ・タキ・タケとの 関係を 考えて みましょう。動詞タクは、「タ[]+ク[]」の 構造で、基本義と して 「(手が )ツキデル」、「手を) ツケル」、「(目標まで)ツク・トドク・トゲル」、「(モノゴトを)トク[解・説・溶]」・トグ[研・磨]などの 姿を 表わして います。名詞に ついて いえば、天空 高く ハバタキ、エモノに むかって タカル(集中攻撃)・タタク 鳥が タカ[]。空に 向かって ツキデル、成長速度の 高い イネ科 植物の 一つが タカ・タケ[]。水が はげしく(急速に)ツキデル 姿が タキ[]。空に 向かって ツキタツ・ツキデル 地形が タケ[峯・岳]、と いう ことに なります。



田賀大社は、t-k文化 記念館(?)

ここまで、多賀(大社)と 箍を中心に、t-k音の 日本語に ついて 戸籍しらべの 作業を すすめて きました。t-k音語 全体から みれば、まだ ほんの 一部分に すぎませんが、それでも 日本人が このt-k音に さまざまな 意味・情報を こめて t-k音語を つくり、情報交換に 使用し、環境の変化に あわせて、つぎつぎ あらたな 意味・用法の t-k音語を 生みだして きたことが 見えて きました。

 いいかえれば、t-k音 日本語の 戸籍しらべを している だけでも、縄文時代・弥生時代から 現代に いたるまでの 歴史の 証言が 入手できると いう ことです。

 日本で 見られる 竹は、その多くが 帰化植物で あり、ほとんどが 中国原産と されています。その竹の 伝来が 日本列島 住民の 生活改善に 役立ち、t-k文化 (食品・調理器具・器具素材など)とも いうべき ものを もたらしました。その記憶が、「お多賀参り」の原動力に なっていると 考えられます。その意味で、田賀大社は「t-k文化 記念館」の ような 存在です。

 このあと、さらに 漢語や 英語の t-k音語を 採集して 比較すれば、人類語と してのt-k音の 基本義」を 確認する ことが でき、やがて「日本語・漢語と インド・ヨーロッパ語との 関係」を さぐる ヒントを タグリよせる ことが できる かも しれません。ちなみに いえば、漢語でも 竹は t-k音でチクtiokzhuまた、英語tag(荷札)も、ツケタス(外部から囲む。ダク[]) 姿。つまり、タガ[]に 通じる 姿の コトバです

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