藤の木病院にて) 4/4
チンドングループまちなか公演 4/10
サクラ満開(雪見橋から)4/14
祭壇 4/28
オリヅル 4/29
七日の法事 4/29
ゴブサタしました
前号(4月21号)から、1カ月ほどゴブサタしてしまいました。申しわけありません。
ブログ中止の原因は、妻信子の葬式(4月29日)や、わたくし自身の老人ホーム入居(5月12日)など、ブログどころでない日々がつづいたことです。
考えてみると、信子は「この世」から「あの世」へヒッコシ、わたくしは「夫婦ふたり暮らし」から「ひとり暮らし」へとヒッコシしたわけです。わたくし自身についていえば、、さらに「砂町の自宅」から「丸の内の老人ホーム」へというダブル・ヒッコシでした。
ヒッコシをすると、自分とまわりのものとの関係が変化します。老人ホームのスペースはせまいので、持ちこめる家具や図書・資料などの量も制限されます。とりあえず搬入した資料を、どう整理し、配列すればよいか?考えるのにも、時間がかかります。
このあと、6月14日の納骨法要を無事お勤めすることが最優先の課題ですが、あわせてなるべくはやくブログを再開したい。そのことことが、やがて故人への供養につながると考えています。なにとぞよろしくお願い申しあげます。
<日誌から>
スマホにおさめた写真を中心に、日誌メモをそえる形で、ご報告させていただきす。
藤の木病院にて 4/4
1月17日に藤の木病院へ入院してから、3カ月あまり。まだ自分の手と口で食事ができていた時期の写真です。
ブログでもご報告したとおり、いちばんの問題は飲食したもののハキモドシ。自宅では食事の管理がむづかしいので、入院という方法をえらびました。病院としても、最大の配慮、最善の治療をしていただいたと感謝しています。しかし、ハキモドシの症状はおさまりませんでした。
4月18日。口からの栄養補給ができなくなったため、鼻からチューブをとおして補給する方法をとりたいとの提案があり、同意したのですが、結果は失敗。点滴にたよる状態となりました。
この日の写真もスマホに残っていますが、くらべて見ると、4日の写真では、まだ自分の手と口で食事ができていたので、目に力が感じられれます。18日の写真では、点滴のハリを打つため、手首あたりがハレあがり、目もややウツロな感じです。
4月25日。Mioriさんといっしょに藤の木病院へ。信子は、酸素吸入器をつけていました。これが、生前最後の面会となりました。
4月27日、8:13 信子が亡くなりました。病院からの電話で、かけつけた時は、死後2時間後でした。
チンドングループまちなか公演 4/10
信子が入院するまで、信子の認知症に対応する措置として、週3回ヘルパーさんが派遣されていましたが、入院後は、オキナガのための支援措置ということに変更されました。また、これまで週2回(オキナガは月・木、信子は火・金)、デイ・サービスまちなかへ通っていました。
デイ・サービスでは。入浴・マッサージのほか、かるい体操やゲームその他のプログラムが組まれていて、4月10日には。たまたまチンドンまつりの一行がまちなかまで出張公演。最後はまちなかのスタッフアや通所者も巻き込んで、盛りあがっていました。
サクラ満開(雪見橋から)4/14
この写真は、雪見橋から下流の両岸をながめる「定点観測」の1枚です。信子は、毎年このサクラをながめ、楽しんできました。ことしも、病院のスケジュールの中で、サクラ見物ができたようです。満開のサクラを見とどけて、93歳の天寿を全うすることができたとは、ありがたいことです。
祭壇 4/28
家族葬ということで、親族からの花輪なども辞退させていただき、ごく質素な祭壇づくりとなりました。町内会から届いた花輪だけは、お返しするわけにゆかず、ありがたく頂戴し、飾らせていただきました。
故人の写真については、まったくなんの準備もしてなかったので、たいへんあわてたり、あせったりしましたが、さいわいItoさんからいただいた写真をもとにして、りっぱな寫眞ができあがりました。それにしても、いまの写真加工・修正技術というのはたいしたものですね。
オリヅル 4/29
このまえ、お見舞いに来てくれたとき、ハルト君(信子の妹Emikoさんの孫)が「絵てがみ」をとどけてくれましたが、こんどは、イロガミで「おりづる」をおって、もってきてくれました。お花などといっしょに、信子のお棺の中へ入れました。
七日の法事 4/29
葬式のあと、火葬場でお骨が焼きあがるまでの間に、初七日の法事がおこなわれました。
信子が無事三途の川をわたりきれるように、浄土へたどりつけるようにといのりながら、食事していました。
老人ホーム入居と納骨法要のこと
4月29日、まわりの人たちに支えられて、なんとか無事葬式を終わることができました。
しかし、このさき6月14日の納骨法要まで信子のお骨をどうお守りするかという問題について、あれこれ迷いました。はじめは、砂町の自宅でお守りするつもりでした。しかし、Mioriさんたちがわたくしの「一人暮らし」をを心配して、「5月12日、老人ホーム入居」のスケジュールが組まれていたのが現実です。正直な話、自宅にも、ホームにも、お骨を安置し、お寺さんにお参りしていただく祭壇が用意できていません。
迷ったあげく、できるだけ静かで安全な場所に安置することが第一と考え、葬式のあと納骨法要の日まで、ひきつづき長念寺さんであずかってくださるようお願いしました。そのかわり、七日ごとにこちらからお寺へ行ってお参りするようにしています。
きょうはここまで
そういった次第で、信子とわたくしは同時並行で、それぞれあらたな世界へヒッコシいたしました。親戚はじめ、まわりの人たちにたいへんお世話になりました。
また、1カ月ほどブログの更新ができなかったり、学習サークルを欠席したりで、関係の方々にいろいろご心配をおかけしきました。1日でもはやくブログを再開することが、わたくしの課題だと考えていましたが、とりあえずきょうはここまで。[有料老人ホーム入居」などについては、次号であらためてご報告させていただきます。
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