2018年2月28日水曜日

モジとコトバの話など


『漢字が日本語をほろぼす』(表紙)


同上(裏表紙


  ローマ字にも見られる象徴性 

三味線を聞く会 2/21 


訪問販売 2/22  




『漢字が日本語をほろぼす』

215日(木)。砂町自宅から持ちこんだ本の中に、この1冊がありました。『漢字が日本語をほろぼす』とは、いかにもなカゲキな感じがするタイトルです。数年間、ずっとツンドク状態だった本ですが、タイトルにひかれて、一気に読んでしまうことになりました。

著者は田中克彦。1934年兵庫県生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。一橋大学名誉教授。専門は社会言語学とモンゴル学。言語学をことばと国家と民族の関係から総合的に研究」。角川SSC新書126として、20115月発行。

著者の田中さんは、読者にナニをうったえようとしているのか?まずは、表紙カバー帯封などに記された文句に目をひかれます。

 漢字はことばではない。モジである…いまこそ、漢字からの解放だ…モジは、現実に生きて使っている人間のためにあるのであって、人間が漢字のためにあるのではない…

漢字があるから、日本語はすばらしい!そう考える日本人は多いだろう。しかし漢字が、日本語を閉じた言語(外国人にとって学びにくい言語)にしているという事実を、私たちはもっと自覚しなければいけない。日本語には、ひらかな、カタカナ、そしてローマ字という表記方法があるのだから、グローバル時代の21世紀は、もっと漢字を減らし、外国人にとって学びやすい、開かれた言語に変わるべきなのだ。いまこそ、日本語を革命するときである」。



「閉じた言語」から「開かれた言語」へ

 そこで「はしがき」を読んでみると、著者はご自身の体験から、日本語が「閉じた言語」だと痛感させられ、なんとかして「開かれた言語」へ改革しなければならないと考え、この本を書いたといっています。。

 1964年、私ははじめての海外留学として、当時は西ドイツだったボンの大学に学んだ…

私たちの教室と隣りあったところに日本学の研究室があったので、そこの主任教授のツァヘルト先生とは、ほとんど毎日のように会った…

 先生の話はいつも同じだった。「田中先生。日本語はひどいことばです。こんなにモジがむちゃくちゃで無秩序なことば世界にありません」と。まるで私に罪があるかのような言い方だった…度重なると、じゃあ、なんで、そんな、めんどうでやっかいなことばを専門にしたんですかと言いたくなるのだった…

 そのうちに、私はエッセンという大きなまちの市民講座で日本語を教えてくれないかと頼まれ、引きうけた。そのおかげで日本語を教えるということはどういうことかを思い知ったのである。ことばに入るまえにまず文字を教えなければならない。その文字が、教えてみると、たしかにひどいものだとよくわかる。

 こうしてツァヘルト先生のなげきは私自身のものになった。むかしも今も日本語をほめたたえ、気炎をあげている論者たちはその前に一度、漢字をまったく知らない人に日本語を教えるという経験をもってほしいものだ。

 あれから半世紀たった今、日本語の教材も教授法も目ざましく向上した。それでも大変なことはかわらない。アメリカ国務省の調査によれば、アメリカ人スペイン語を学ぶのについやす時間とエネルギーとを比べると、日本語はその三~五倍はかかるという(ユディット・ヒダシ「ヨーロッパにおける日本語教育と漢字・漢語」)…

 従来、外国人で日本語を学ぶ人として目立ったのは、古式ゆかしい日本文化のあらわれとしての日本語を学ぶ研究者や特志家だった。ところがそこに全く新しい層――日本ではたらき子どもを生み、何よりも日々のくらしをいとなむための日常、実用の日本語を求める人たちが加わったのである。

 このことによって、日本語はもはや、日本人だけのうちわのやりとりですむ村ことばではなく、世界に開かれたことばになることが求められるようになった…こういうときになって、またあの復古勢力やその残党が、日本語の、ただでもせまい門をいっそうせばめるようになったら困る、という思いから書いたのがこの本である。



上田万年のことば

 19世紀末のドイツに留学し・・・ドイツ青年文法学派のまっただ中で言語学を身につけて、それを日本の帝国大学に移植する役割をおびて帰国した上田万年は、同時に日本国家が必要とした「国語」意識を造成する役割もおびていた。帰国直後の189410に行った講演の中の次のような一節は、今読んでみても、120年前の発言とは思えないほど現実感がある。

  又他の[漢学者以外の]一派の人は、此母野蛮なり、馬鹿にぐずぐずして気力に乏しなどいひて、それよりは他の母を迎へよなど主張す。此派の人は[――]西洋語尊奉っ主義の人に多し。殊に英学者と称する人の間に多きが如し。(「国語と国家と」)

 さて、とりかえることのできない吾らの母、日本語が「ぐずぐずして気力に乏しい」という感覚は今日でもなお、そっくりそのまま、いな、いっそう増幅されて生きつづけている。次の文章を見よう。

  日本文化は漢文によって培はれた…義務教育における漢文の教材はもっと増やさねばなるまいし、殊に簡黙雄勁な論説文を読ませることによって、現代日本人のともすればふやけがちな文体感覚を鍛へることはむしろ急を要するとと見受けられる。(丸谷才一『日本語のために1974.傍点[下線]は田中)

 カンモクユーケー」などと漢字を四つつらねていい気持になっている…ほんとうは、うまい、ぴったりした日本語が見つからなかったから漢字に逃げただけのことだと思うのだが…こういう人が、外国人ながら日本で看護師・介護士になろうという感心な人たちに、「ジョクソウ[褥瘡]」だの「ゴエン[誤嚥]」だのという漢字が読み書きできないからといって、国家試験で追っぱらっているのだ…

 今世紀中に世界の言語のうちの半数が消え去ると予告され、また生きのびた言語たちも激しい競争の場…国際言語マーケットせりにかけられている。そのマーケットではどんな言語がえらばれるか、いうまでもなく、その言語を使えば職を得て安定した収入が得られるだけではなく、やさしい、いたわりの気持で、たがいに助けあう気持を起こさせっるような、親しみのあることばである。そして、たいせつなことは、その「ことばを好んで使う仲間」を増やすことだ。



ローマ字にも見られる象徴性

 フランス語文字とオトとの間にいろいろ問題が起きることの多い言語だから、文字に多くを求める点では、漢字についで関心が深いという背景はよく理解できる。だから、シャルル・バイイが挙げている次の例は大変おもしろい。

 ポール・クローデルにとっては、toit(屋根)の両端のtは家の二つの切妻であるし、またlocomotive(機関車)にかれは煙突や車両をみとめている。(『一般言語学とフランス言語学』143

  ここに言われていることを私なりに図示してみると、左にかかげたようなぐあいになる。①は機関車ロコモティブで、先頭のi煙突のように上に飛び出ている。次にoooと三つ出てくるのが動輪のように思える。私はさらにいたずらをしてlの上に煙を書き添えて煙突に似せておいた。②は「トワ」と讀み、屋根という意味であり、両端の二つのtが高くなっているから、屋根の両側の切妻をさしているのであろう。文字には、音声文字であっても、このように意味と結びつく傾向はある。バイイはソシュール先生の弟子ではあるが、ラングのわくをふみはずして、大いに遊び心を発揮した人である。



魯迅と銭玄同

 日本に留学したことによって、漢字の害を痛切に感じた人に作家の魯迅(ルーシュン)がある。かれは、その思いを「漢字が滅びなければ中国が必ず滅びる」と表現した…さらに、いわく、「漢字は、中国の勤労大衆の身にのしかかる結核みたいなもので、病菌が中にひそんでいる。漢字を除きすてなければ、自分が死ぬほかはない」(藤堂明保『漢字の過去と未来』95)と。

 しかしルーシュンだけが特別に過激だったわけではない…チエン・シュアントン(銭玄同18871939)は早稲田大学留学中に日本のローマ字運動、カナモジ運動、エスペラント運動など、いくつもの言語改革運動に触れてそれに感化され、挙句の果てに放った有名なことばは次のようなものだ。

  中国亡国にならず、中国民族二十世紀文明の民族になるには、儒学を廃し道教を滅ぼすのが根本解決法であり、孔門の学説や道教の妖言を書いた漢字を廃するのが根本中の根本解決法である。では漢字を廃したあとどんな文字に変えるかといえば、文法が簡潔発音が整然とし語根の精良な人為文字エスペラントにまさるものはない。(倉石武四郎『漢字の運命』81より引用)…

 後になって、銭玄同はこの発言をより冷静に言いかえている。

  文字を廃しても言語は廃せられず、こうして漢語が廃せられない限り漢語を表す記号がなくてはならず、そのためローマ字で綴るのが一番便利だということは僕も一年前に考えていたことであるが…音標文字では意義が混雑するということから、ついに初志をひるがえしてやはり漢字を用い、ただ字数を制限し、その傍らに注音字母をふるということに主張を改めた。(同82㌻)



鄧小平のことば

 古今の教養に通じ、経験深い政治指導者は、片時も言語問題の重さを忘れてはいないと思わせるエピソードがある。1974年のことだと言われる。日本の訪問団が中国を訪れた際に、一行の代表西園寺公一氏が、中国側に、かって日本が中国に加えた蛮行をわびたところ、ドンシアオピン[鄧小平]氏は、「中国もまた日本に迷惑をかけた。一つは『孔孟の道』を伝えたことであり、二つ目は『漢字の幣』を与えたことだ」と応じたという。

 1974年頃といえば、日本の言語的保守勢力が、それまで続いていた改革の雰囲気をはねのけて一気に復古気分を盛り上げはじめたころであり、私は新聞や雑誌で時おりそれに抵抗したのでよくおぼえている。漢字はめいわく文字で困るなどと言いはじめたら、文化破壊者だと言わんばかりの雰囲気がみなぎりはじめていた。



 当時、いかにもじいさんっぽいいでたちで写真などに出ていた柳田国男という大学者の次のような文章に出あって、人は見かけだけで判断してはならないと深く反省したのである。次はこの人が昭和十(1935)年に書いた文章である。

  近年の洋語流行は新たにその最も奇抜な実例を多く作ったが、それに先だって所謂漢語濫用が、かなりに我々の言葉を変ちくりんなものにして居る。書生が社会の枢軸を握った時勢の、是が一つの副作用である…維新はさらに其傾向を拡大したのである。(『定本柳田国男集』第19185186)…

 柳田国男はその過程をさらに次のようにのべている。

  東京の住民などは、まだ江戸と謂った頃から、すでに感覚は可なりに精緻になって、間に合わせながらもやや豊富な心意現象の用語をもって居た。それを維新のごく短い期間に、すべて二字づつ繋がる生硬の漢語に引替へてしまはうとして居たのである。(189 傍点[下線]は田中がつけた)

 柳田はその際の漢語の効用を全く無視しているわけではない。

  成程この隣国の文字を借用した御蔭に、得がたい無数の知識は我々の間に、いとも手軽に運搬せられて居たことは事実で、これを総括して拘束と呼ぶのも不当かは知らぬが、一方に之を余りに調法がった爲に言葉を重苦しく又不正確にした迷惑も小さくない。(191192



服部四郎の憂慮

 次に引くのは近代言語学の方法によって、満州国のホロンボイル地方で話されているモンゴル語の方言調査のために滞在したとき、服部四郎がもらした感想である…

  [以下に述べるのは、私が]他民族に接して始めて、動かすことの出来ない程度に堅くなった意思である。…思うに日本民族は将来漢字を棄て表音文字(ローマ字・仮名等)を絶対に採る必要がある。(そう)考える理由は、第一に漢字が日本語そのものを壊している事実は著しいものである。どう云う字を書きますかと聞き返さなければならない言葉、即ち見てはわかるが聞いてはわからない言葉のいかに多い事よ。かかる単語の多いことは、日本語が不完全なることを意味する・・・

  第二に、日本人にとって国語学習が遥かに楽になる。習って了った人々にはわからない事であろうが静に回顧反省し、又児童学習の状態を冷静に観察するならば漢字学習の爲に驚くべく多量の時間と労力が払われている事がわかるであろう。その時間と労力を現代文化吸収に向け得たならば、いかに有利であり効果的であろう。学ぶべき事多きに過ぎる時代である。

  第三に、漢字を使用しない異民族日本語の学習がどれ程容易となるかわからない。…日本語が表音文字で書かれていたら西洋にも学習して呉れる人々がずっと多く出て来るであろう。いまの状態では、西洋人に見せたくない論文は日本語で書けばいいのである。日本語は表音文字を採用することによって始めて世界的言語となり得るであろう。書物を通じての日本文化の宣揚、それは漢字を捨てることにのみ望み得る事である。(服部四郎『一言語学者の随想』3233)



幸田露伴の随筆から

幸田露伴…この人の作品は、いつも漢字で塗りこまれて、とりつく島のないような印象をもっていた。伝記を見ると、七歳にして『孝経』の素読をまなび十一歳にして『三国志』『水滸伝』などの原典に親しんだという・・・その人に、日本に「文章」が発生した歴史を次のようにふりかえった一節がある。

  元来文字のなかったところ漢字が渡って来て、その            
 漢字を用ゐて書いたのでありますから、自然かくのごとく        
 [漢字だけ]になるのはわが国文章初期の事情として致し方
 のないことでありありませうが、どうでせう、この有様が
 続いたならばわが国は文章上においては支那の属邦たる
 を免れないではありませんか。(『露伴随筆集()163
 岩波文庫。傍点[下線)は田中



三味線を聞く会

221日(水)。午後、9Fで「三味線を聞く会」が開かれました。出演者…名前も覚えていないので、ごめんなさい・・・あいにくカゼ気味とのことで、マスクをつけて三味線を演奏。相方も、いつものお弟子さんではなく、母親(三味線のお師匠さん)が歌手役で登場

こきりこ節・草津節・真室川音頭・青い山脈・津軽じょんがら節・炭坑節・ドンパン節・港町13番地・ヤワラ[]など、つぎつぎ熱演。出席したみなさんは、三味線の音色とお師匠さんの美声に聞きほれたり、いっしょに歌いだしたりしていました。

せっかくの場面だからと、スマホのカメラにおさめようとしましたが、うまくゆきません。ヒルマなので、窓からの日ざしがつよく(逆光状態)、出演者の姿がくらくなってしまいます。申しわけありません。



訪問販売

  222日(木)。午後、9F訪問販売。品目は、ミカン・リンゴなどの食品や日常生活用の小物など、ごく限られていますが、お店の方は毎度のことなので、売れ筋の商品・自信の持てる商品にしぼって出品しておられるのだろうと思います。前回、わたしは「干し芋」を買ったのですが、この日はおいしそうなイチゴが目に入ったので、買うことにしました。1パック500円。これまでスーパーなどで買い物をした経験がほとんどないので、高いのか安いのか、まったく分かりません。ただ、こどものころから食べなれたイチゴにくらべて、2倍以上の大きさで、いかにもおいしそうに見えたので、いっぺん食べてみようと思っただけです。

 部屋にかえって、さっそく口にしてみました。あまりデカすぎて、一口でほほばることができません。そしてとてもジューシーで、とろけるようなあまさでした。ひさしぶりで、ゼイタクなデザートをいただいたような気分になりました。いっぺんには食べきれないので、のこった半分は翌日いただきました。ゴチソウサマ。

 それにしても、日本の栽培技術の進歩ぶり、将来に期待がもてそうだすね。



[][]ARROWの系譜

223日(金)午後、千代田本町の丸十で開かれた日本海文化悠学会の研修会に出席。イズミから「[][]ARROWの系譜」について報告させていただきました。このテーマは、「[矢・屋・谷・哉]の系譜」(『コトダマの世界Ⅱ、第19章』、2017年)にひきつづき追求している問題です。

 はじめは、ヤ・yaという語音「矢・屋・谷・哉」などの漢字が当てられていることに注目し、「どうして、こんなことになったのか」、「特定の音形が、特定の意味(事物の姿」と対応するとすれば、それはどんな原理・原則によるものか」あきらかにしたいと考えました。

[矢・屋・谷・哉]は、いずれも[]の姿を持っていると考えられることから、おなじ音形で呼ぶようになった。ひとまずは、そんなふうに結論づけてみました。すると、また疑問が出てきました。そもそも、ヤ・yaという音形が、どうしてヤ[]という事物を意味することになったのか、という問題です。



ヤ行音が表わす意味       

 さてそれでは、ヤ行音とはいったいどんな語音なのか?さまざまな解説・仮説があるようですが、ここでわたしがたどりついた解釈にしたがって報告し、みなさまからご教示をいただければと思います。

 母音イとウの中間の半母音y(yuとも)があって、この半母音に母音a, u, oがついて、ヤ行音ヤ・ユ・ヨが生まれたと考えてみます。現代漢語音yang[陽・楊・揚・羊・洋・様]yu[宇・雨・羽]や英語音year, young, youthなどに見られるy音に通じる音形といえるでしょう。

 理論的な言い方をすれば「ヤ行音が表わす意味は、ヤ行音を発声するときに発声器官(クチ・クチビル・シタ・ハグキなど)に生じる感覚によって決定される」ということになります。ただ、ヤ行音のばあいは、k, s, tなどの子音をふくまないので、「シタの部位」や「ハグキ」などは、ひとまず関係がありません。ヤ行音発声にともなう感覚や意味ということになると、やはり「口の開き方」(大小やスガタ・カタチ)が問題になります。

 そこで、こんどは「それではア行音とどこがちがうのか」という問題が出てきます。「五十音図」が示すとおり、ヤ行音のうちイとエはア行音と同音で、ヤ・ユ・ヨだけがヤ行独特の音形だとされています。そこで問題は、「ヤ行音とア行音とのチガイ」にしぼられます。

 ヤ行音については、「母音イを発声し、途中で他の母音ア・ウ・オなどに移動する」ことによって生まれる語音」と考えることができます。そして、この移動・変化、さらには「その原動力」を感じさせるところがヤ行音の特色と考えてよいかと思います。もちろんイ音はそのままでも、(イク[生・行・射来]・イム[]・イル[射・入]など)、事物の動きや進行を表わすハタラキをしてきました。しかし、yiの語尾母音をa, u, oに変えるだけで、(他の子音にたよることなく)、さまざま「事物が変化する(させる)」姿を表現できることになります。たとえばヤク[焼]は、「ヤク[矢来]=ヒキリ杵で発火させる]姿。ヤム[止・病]は、ともに「ヤム[矢産]姿ですが、意味用法が分かれます。①飛んできた矢がハラ[原]にウマリ[埋]、ヤム[止]・ヤスム[休・矢む]姿。②ハラ[腹]などに矢がウマル[埋]=ヤム[病]姿。

同様に、ヤル[遣・矢ル]は、もと「ヤ[矢]」+ル」の構造で、「矢の姿になる」の意。また、「矢をツキダス」、「モノを与える」の意。動詞ヤルの語尾母音uiに変えると、名詞ヤリ[槍]となります。



漢語・英語y-音との関連も

 こんなふうにヤ行音のコトバをさぐってゆくと、さまざまな問題が出てきて、キリがありません。日本語のヤ行音だけでなく、漢語や英語のy-音との対応関係についても調べてみることにしていますが、はたしてどんな結論が出るのか、まだ見通しがつきません。悠学会の席では、ほんの序論程度の中間報告で、あとは宿題とさせていただきました。前途多難ですが、これまでに得られた資料だけでも、このさき時間をかけて比較・分析するだけの価値が十分あると考えています。


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