日本海文化悠学会研修会 6/22
長念寺「第一回寺[サロン」6/24
いたち川べりのアジサイ 6/25
富退教総会 6/26
出張販売 6/28
日本海文化悠学会研修会
6月22日(金)午後、茶屋町豊栄稲荷神社で日本海文化悠学会研修会がひらかれ、機関誌「悠学」第2号に掲載された研究報告の補足説明などがありました。
① 中世放生津「禅興律寺」の研究動向…仙石正三さん。
下記文献を紹介することによって、表題の研究動向を分かりやすく解説されました。
<文献資料>1律宗僧・乗船、曽根禅興律寺で写経。2『新湊市史』昭和39年(1964)
3久保尚文『越中における中世信仰史の展開』1984.(以下9までありますが省略)
「おわりに」の項で、つぎのよな「留意点」をあげています。
*放生会の起源について、仏教側(禅興寺)に沿って説くものと神社(八幡社)に沿って説くものがある。殺生を懺悔する八幡神と、八幡神を慰め救済する寺院の双方が不可欠なのである…そこで八幡神社に神宮寺が併存してあれば、自前で放生会ができることになると考えられる。
*叡尊教団は女性、非人、ハンセン病患者など、社会的弱者の救済に取り組んだ。今日も格差や差別の問題が指摘されており、教団はもっと研究されてもいいと思われる。
② 絵への軌跡…佐藤芙美さん、
「アトリエを砺波市別所に求めた(2005年)」佐藤さんは、「タイひとり度(1993年)」、「アメリカ短期留学(1996年?)」、「タイ、カンボジアを歩く(2003年)」などの経歴について報告。最後に「絵への軌跡」として、感想をのべています。
*1986年、海外取材はインドに始まり、トルコ、チュニジア、ハンガリー、チェコ、台湾、中国、インドネシア、ラオス、ミャンマー、オーストリア、クロアチア…とそれぞれの国の文化・史跡を辿る。計り知れないエネルギーの史跡は、画面からはみ出し、心の中に大きな力を与えてくれる。そして、美しさと驚きの出合い…旅である。
また、文章につづけて、見開き2ページ分をカラー印刷とし、個展(東京、2017年)で発表した作品を紹介しています。そのうち一番の大作に、チューリップや鳥などがえがかれています。わたしは絵画にかんして、まったくのオンチですが、この作品にはヒトメぼれして、『コトダマの世界Ⅱ』の表紙カバーに採用させていただいた経過があります。
この作品に登場するチューリップや鳥をめぐって、わたしは自分勝手な物語を考えています。チューリップはユリ科の球根植物。小アジア原産ですが、ウコンノコウ[欝金香]とも呼ばれ、現代ではオランダ・日本をはじめ、世界各地で栽培・鑑賞されています。
トリ[鳥]をめぐっては、太陽を「宇宙を飛びかける鳥」と考える人たちもいます。日本でも、トブトリ[飛鳥]と書いてアスカとよんでいますが、これも「新天地を求めてタズネまわるもの」(ask>asker)の姿だと解釈することができます。
さらにいえば、鳥はコトバをあやつるのが得意です。オウム[鸚鵡]・九官鳥などは、、飼い主が語った物語をそっくりそのままのコトバヅカイと音色で、もういちど語ることができます。この絵では、①鳥が宇宙を飛びかける姿と②鳥が大地に降り立つ姿が描き分けられています。それは、たとえば①シャカの教えが「渡り鳥」の姿を借りてインド・中国・朝鮮半島・日本へとトビカケル姿であり、②その途中で「ここが新天地」と見定め、大地に降り立ち、堂・塔を建てて布教をはじめる姿と考えることができます。
長念寺で「第一回寺サロン」
6月24日(日)午後、長江新町長念寺で開かれた「第一回寺サロン」に出席しました。先日「寺でお茶を飲みながら、お経の練習・頭、体の体操・カラオケなど、リラックスした雰囲気で2時間ほどすごしませんか」というご案内をいただき、「オモシロイかもしれない」と思ったからです。「対象は門信徒のほか、一般のどなたでも参加自由。お手伝い役は、住職・坊守・門信徒・婦人会のみなさまが担当」とのことでした。
さて、かなりの期待をこめて参加した「第一回寺サロン」でしたが、わたしのあまい期待はみごとにはずれました。その第一は、この日の参加者数が、「お手伝い役」をふくめても10人たらずだったことです。「量より質が問題だ」といわれるかもしれませんが、参加者のみなさんが「楽しかった。次回もぜひ参加したい」と思われるような内容になっていたかどうか。いささか心配です。わたし自身としては、この日も自分の作品(『コトダマの世界Ⅱ』)をもちこみ、国語・外国語学習や言語観などの問題についてお話させていただいたので感謝しています。しかし、ぎゃくの見方をすれば、わたしの発言が「寺サロン」のフンイキをダメにしたかもしれません。
このあと9月、12月にも「寺サロン」の開催が予定されているようです。せっかくのよい企画だと思いますので、着実に成長してゆけるようにと期待しています。
いたち川べりのアジサイ
6月25日(月)。午前中に信子の月命日のおつとめをさせていただきました。正式には27日なのですが、このさき富退教総会と日程が重なりましたので。長念寺さんにお願いして、くりあげ実施させていただきました。
午後、美織さんのクルマで砂町へゆき。用事をすませたあと、いたち川べりを散歩することにしました。そういえば、このまえ熱中症で失敗したのにこりて、自分ひとりでの散歩はひかえています。せっかくなら、いたち川と松川の合流地点まで行ってみよう。あそこなら、50㎝以上もある鯉がウジャウジャいるはず。ひさしぶりに、あの元気な姿を見てみたい。そう思って出かけたのですが、あいにく「工事中」のカンバンがかかっていて、ちかよれません。車から降りて、自分の足で歩くなら別ですが、そこまでの体力はありません。ザンネンですが鯉はあきらめて、いたち川べりのアジサイをながめてから帰ることにしました。とりわけ、ガクアジサイがキレイだと思いました。
富退教総会に出席
6月26日(火)~27日(水)、宇奈月・ホテル渓仙で開かれた富退教総会に出席しました。むかし富山市内の中学校に勤務し、県教組の組合員でもあったので、最近でもほぼ毎年、そのOBの会合=富退教総会に出席することにしています。この年齢になると、公共の電車やバスの乗り降りはかなり危険ですが、今回などは世話役の方がマイカーでホームめぐみまで迎えに来ていただけるとのことでしたので、安心して便乗させていただきました。26日11時、丸の内を出発。途中、コンビニでオニギリを2個購入、会場についてから昼食として食べました。
14時から総会.15時から学習会。「知っておこう、介護のしくみ」と題して、社会福祉法人海望福祉会総合福祉長大崎雅子さんが解説されました。
配布された日程表では、ひきつづき「意見交換会」(県教組を交えて、1時間)が予定されていましたが、県教組の到着が遅れたため、それは実質的に懇親会の持ちこされました。
ここで、ひとまず「入浴・休憩」。わたしも、しばらくぶりで宇奈月温泉の湯にひたりました。ただし、ゆっくり休憩している時間もないまま、18:30から「懇親会」。
出席者の中で、わたしがいちばんの年長者だということから、「懇親会」の場では、県教組執行委員長のとなりに座らせていただきました。おかげで、わたしは席を立つまでもなく、自分の思いを委員長に聞いていただくことができました。その「思い」とは;
最近、小中学校の先生たちがやたら忙しい反面、教科の学習指導改善のための時間がとぼしくなっていることが、マスコミでもしばしば報道されています。話題を国語と外国語の学習指導にしぼって考えてみましょう。このさき人口減少の時代をむかえる日本民族の実態を前提に、「21世紀の競争社会で、日本民族が生きのこれるよう、必要かつ十分な学力を身につけさせる」ことが要求さえているわけです。学校教育の現場が、その要求にこたえられる態勢になっていれば安心できますが、だれが見ても準備できていないようです。具体的な例として、文科省が示す「学習指導要領」について考えてみます。カンバンは「学習指導要領」となっていますが、その中身を見ると、「学習到達目標」は設定されていますが、教師が「どんな要領で指導するか」、生徒が「どんな要領で学習活動をすすめるか」、具体的な「要領>が示されていません。
国語(母語)であろうが、外国語であろうが、コトバの基本はハナシコトバ(音声言語)であり、コトバを習得するにはなによりまず「音韻感覚を身につける」ことが基本です。文科省の「学習指導要領」が当てにならないとすれば、あとは現場の教師たちが自分たちの手で「学習指導要領」を作ってゆくしかありません。そこは、毎日直接生徒たちと接している教師たちの強み。テマもヒマもかかりますげ、ムダがなく、効率のよい「学習指導要領」をつくることができるにちがいないと思います。
いまどき、日本全国どこの大学でも、「日本語と外国語との比較研究(語法・文法)」は花ざかりですが、「音韻面からの比較研究」はほとんどゼロの状態です。きわめてイビツな現象ですが、それをイビツと気づいていません。日本人の「音韻感覚」や「言語観」は、「世界史の流れ」の中で、かなり危険な状態になっていると考えられます。
どこまで理解していただけたか分かりませんが、県教組執行部の方に自分の思いを伝えたくて、この総会に出席したというのがホンネですから、これだけしゃべったら、すっきりしました。また、この日のために『コトダマの世界Ⅱ』を5部かついできましたが、それも「読んでもらえそうな方」へ贈呈することができました。
わかいころとちがって、こちらから足をはこんで、酒をついでまわるだけの元気はありませんが、こんどはぎゃくに、98歳老人に敬意を表して、酒をついでくださる方もおられ、ありがたくちょうだいしました。ふだんホームの生活では、お酒を飲みたいと思ったこともありませんが、こうした仲間同士の会食となると、ついつい食欲がすすみ、酒を飲んで「うまい!」と感じるようになります。ふだんの2倍ほど食べた気がします。ビールもコップで5杯以上いただきました。
たらふく飲んだり食べたりしたので、そのあとどうなるか、すこし心配でしたが、夜中にトイレのため目をさましたのは2回だけでした。ふだんは3~4回なのが、ぎゃくにへったというのはフシギです。
27日(水)。朝食後、解散。帰りも、ホームめぐみまで送っていただきました。退教協のみなさま、お世話になりました。
出張販売
6月28日(木)。午後、9Fで「出張販売」がありました。今回の品目は、バナナ・ブドウ・サクランボ・しょうが飴など。わたしはサクランボの色にひかれて1箱(700円)買いました。部屋にかえって、サクランボの色を見つめ、一粒一粒ジックリかみしめながら、こどものころを思いだしていました。
あのころも、サクランボはありましたが、それはめったに味わうことのできない「高級なくだもの」でした。それが品種改良で、こんなに大粒でおいしく、しかも手ごろな値段でかえるようになった。「これは自由競争時代のおかげか」と感心したりしていました。
<追記>
ちょうどサクランボが出まわる季節になったからでしょうか、あくる日美織さんからも1箱もらいました。そしてつぎの日、こんどはUszmさん(中国語学習の古い仲間)からいただいたオミヤゲにも、サクランボがはいっていました。たてつづけにこんなにたくさんのサクランボを食べたのははじめてです。ごちそうさま。
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